第七話(183) 次なる作戦
投降した国王の代理を名乗る者とはフィルゴ・アレスだった。彼はユリスの側近中の側近で、補佐官と護衛官を兼務するほどの実力者だ。この男がいたからユリスはカイドル州の長官を無事に務めることができたといっても過言ではなかった。
ガルディア系カグマン人の貴族の家に生まれたフィルゴは、オフィウ派の七政院と対立してまでユリスに忠誠を誓った男だ。そのオフィウ派の大貴族が一掃された現在、彼がカグマン王国の七政院の官職に就くのは確実だったはずだ。
ユリスを守り切れなかったフィルゴの心中を察すると、敵対者である私ですら胸の痛みを覚えずにはいられなかった。本陣へと連れて来られた彼の目は虚ろで、投降する行為すら自暴自棄になった故の判断のようにも思えた。
「この男はフィルゴ・アレスに間違いありません」
組み立て式の椅子に腰掛けているミルヴァが族長のリリジャに報告した。私たちが誤認することはないが、フィルゴはミルヴァのことを『アネルエ』とは認識できないので、疑問を抱かずに両膝をついて交渉に臨んでいる状態だ。
「国王亡き今、決定権を持つのはアレス補佐官以外にはいないでしょう。交渉相手として不足はないかと思われます」
ミルヴァの言葉を受けて、リリジャが交渉を始める。
「まずはたった一人で敵陣に投降した勇気を称えようではありませんか。その勇気に免じて、発言を許可します。貴国、いいえ、貴官の望みを申すがよろしい」
新生カイドル王国を国として認めていないから、わざと言い直したのだろう。
「発言の許可をいただき心より感謝いたします」
フィルゴには通訳が不要のようだ。
「仰せの通り、すでに武力放棄したことはご承知のことかと存じますが、それを以って全面降伏を認めていただけるよう願っております。また、都の再建は不可能であります故、捕虜を解放していただき、難民と共に一刻も早くカグマン王国へ帰還できるよう許可していただきたいのです」
すでに完全撤退を決めたようだ。
「しかしながら、多数の民を一度に帰還させるのは困難であり、時期が時期ゆえ、凍傷や凍死の心配もございます。つきましては、都の領土を放棄する代わりに、フェニックス家の領土、つまりは王家の荘園地へ避難させることを黙認してはいただけませぬか?」
語気に変化が見られたということは、それだけは絶対に譲れないということだろう。
「もちろん貴国が荘園地を固有の領土と認めていないことは重々承知しておりますが、それが叶わぬならば、臣民を制御できるか保証できぬ故、何卒、寛大なご裁量を願いたいのです。それが双方にとって無駄な争いを避ける最善策かと思われますので」
そう言って、リリジャの言葉を待った。
「早期に決断されたことを評価します。当方といたしましても、これ以上の争いは無益と考えておりますからね。撤退を実行されるならば、引き止める理由はございません。ですが、言葉通りに上手く事が運ぶかは、それも保証することなど出来ぬではありませんか。ですから、輸送における計画案の提出と、監視を置くことは我慢していただかなければなりませんよ? よろしいですね?」
フィルゴが即答する。
「承知しました」
リリジャが補足する。
「これより半年を期限と定めます。それまでに撤退しなければ、敵意があると見做し、荘園地への攻撃も辞さないので、約束を反故にされないよう願います。また、半年の猶予もあれば、中には不届きな行動を起こす者も出てくるでしょう。その場合、貴官の手で処罰されるよう願いますね。自浄できるものか、それも見てみようではありませんか」
フィルゴが同意する。
「承知しました」
それから武器の携行や、現地で家庭を持った者に対する処置や、カグマン国に持ち帰ることができる物品など、他にも様々なことを、これから何度も話し合いを重ねていくということで、一時的に話し合いがお開きとなった。
それからしばらくして、弓隊の隊長がリリジャの元に報告しにきた。
「族長、それが、その、困ったことになりまして、いえね、国王を仕留めたのは確認できたんですが、その、うちの若いもんが欲をかいて、死体をバラバラにしちまったんです。それが五人もいて、みんな『自分が仕留めた』と譲らないんですね。それも死体が煤けているから本当かどうかも分かりゃしない。褒美目当てに口裏を合わせている可能性もありますが、一体どうしたらいいもんですかね?」
どこの兵士も似たり寄ったりのようだ。好きなだけ褒美を取らせるとのお達しがあったので、仲間内で結託して功を分け合ったのだろう。それでも他人の功績を奪い合うよりはマシかもしれない。
「最も重要な任務を果たしてくれたのですから、全員に褒美を取らせましょう」
「それでこそ族長だ」
そう言うと、隊長は喜んで去っていった。
問題は直後に起こった。
「お母さん!」
走ってきたのはリリッタだ。
「どうしたの?」
「ロオサがいないの」
「いないって、どういうこと?」
「わかんない」
確か、妹のことは姉である彼女が面倒を看ると言っていたはずだ。
「分からないじゃないでしょう?」
「だって、はぐれちゃったんだもん」
「どうしてはぐれるの?」
「知らないよ。勝手にどっか行っちゃったんだもん」
「ちゃんと捜したの?」
「捜したよ」
そこでミルヴァが割って入る。
「わたしも行くから、一緒に捜しましょう」
「うん」
その時、大きな雪の欠片が空から降ってきた。
「ロオサ!」
私もミルヴァと一緒に都中を捜しているところだ。ミルヴァは飛んで捜したいだろうけど、それができないので、すごくもどかしそうにしていた。自分がロオサを巻き込んでしまった責任を感じているのだろう。
「ロオサ!」
焼け野原となった都の惨状は、嫌でも目に留まってしまう。官邸暮らしをしていた時に眺めていた風景は、もうどこにもなかった。それでも降伏したのが早かったので、労働者街に戦禍が及ばなかったのは良かった。
退去命令に半年の猶予ができたので、抵抗さえしなければ滞在が認められている。ただし、すべての食糧が没収されたので、夕方のこの時間は配給を求めて住人らが列をなしていた。統率されているのはフィルゴ隊のおかげだろうか。
「ロオサ!」
しかし貴族街に足を踏み入れると、そこは地獄そのものになっていた。焼け残った物はなく、黒焦げの死体がそこら中に転がっていて、火災から逃げることができた者も剣か斧で頭をかち割られているといった有様だ。
死体の中には官邸に出入りしていた貴族の顔もある。偉そうにしていたのを憶えているけど、裸で死んでいるのを見ると、どうでもよくなった。早めに逃げることに成功したけど、着る物まで剥されてしまったのだろう。
「ロオサ!」
首都官邸も全焼していた。高い石壁だけが残っているというのも不思議な光景だ。それでも燃えにくい死体が見つからないということは、早々に避難することができたからだろうか。でも、まさか、隠し通路まで知られているとは思わなかっただろう。
それでも国王のユリスが早く死んだから、多くの犠牲者を出さずに済んだともいえるわけだ。フィルゴが早期に降伏したのも、そういった理由があるからだろう。勝てない戦争は、長引かせてもいいことは何もないのだ。
「ロオサ!」
結局、ロオサを見つけ出すことはできなかった。ミルヴァはその後も数日掛けて捜索を続けたけど、雪が積もってしまったため、族長のリリジャから捜索を打ち切るように命令を受けたのだった。
私たちは寒さを感じないので、そんなことは関係ないけど、人間の目からは異常に映るため、ミルヴァも断念せざるを得なかったわけだ。それでもすぐに切り替えなければならなかったので、後のことはリリジャに任せて、カイドルの地を後にした。
ガタ族のハトマと一緒に年を越して、それからゆっくりとハクタ国へ向かった。のんびりしていたのは、早く到着してしまうと不審に思われるからだ。カイドルで戦争が起こった時期と、ハクタ国へ到着した時期を調整しないといけないというわけだ。
話し合いは新王宮の王室で行われた。テーブル席に着いたのはマクスとオフィウとミルヴァとデモンの四人のみだ。護衛も入室を許可されなかった。唯一、私だけが外との連絡係として、戸口の横に立つことを許可された。
「さすがはアニーティアだね」
オフィウは上機嫌の様子だ。
「この子の言ったことはすべて現実になるんだ。あの礼儀知らずのユリスを始末してくれたんだから、これ以上に嬉しいことはないさね。あの男よりも長生きできただけで幸せさ。礼を言うよ」
ミルヴァが謙遜する。
「今回はシスター・アナジアが現地でしっかりと働いてくれました。お礼を言うならば、彼女に言ってあげてください。わたくしは目立ったことは何もしておりませんので。もっとも、それも意図したもので、オーヒン国と繋がりのあるアナジアの噂が立つことで、カグマン王国では、裏でオーヒン国が手を引いていたと認識させることができるわけです。密約を知る者は限られておりますので、まずハクタ国の関与を疑われることはないでしょう。とは申しましても、先にオーヒン国とカグマン王国とで手を組まれては敵いませんけどね」
その言葉を受けて、オフィウが唸る。
「うむ。どうしたものかね?」
それには、ミルヴァは答えなかった。おそらくだけど、デモン・マエレオスという天敵が同席しているから警戒しているのだろう。即答してしまえば、初めからシナリオが存在していて、その通りにオフィウを唆しているとも思われかねないからだ。
「デモンや、何かいい方法はないかね?」
しびれを切らしたオフィウが話を振った。
「残念ながら、状況は一年前とさほど変わっていないと申し上げる他ございませんな。此度の戦勝に関しても、楽な状況になったのは、むしろオーヒン国だけではありませぬか。なにしろ労せずして後背の敵が消滅したのですからな。それに対して、我が国は依然として敵国に挟まれた緊張状態を強いられたままにございます」
ミルヴァが反論する。
「しかし閣下も作戦に賛成なさったではありませんか」
デモンが認める。
「うむ。だが、それは続きがあってのこと。まさか次なる一手を用意していないとは、よもや思うまい。オーヒン国に対して脅威と感じているならば、当然、対策を考えていて然るべきではござらんか? それでは貴女がオーヒン国を勝たせるために我が国を利用していると思われても仕方ありませんぞ?」
ミルヴァの沈黙が裏目に出たようだ。
「わたくしがスパイだと仰りたいのですか?」
ミルヴァが珍しくムキになった。
「いやいや」
デモンは余裕たっぷりだ。
「そのアナジアとやらに、こちらが命じているつもりで、反対に利用されているのではないかと危惧しているのだ。なにしろアナジアと面通しをした者は、ここには貴女しかおらんのだからな」
面倒くさい男だ。ミルヴァが『ハクタ国を勝たせる』と言っているのだから、そうなるに決まっているのに、この男が余計なことをするから、いつも未来が悪い方へ悪い方へと変わってしまうのだ。ほんと、黙っていろ、って言いたい。
「アニーティアや、その女は大丈夫だろうね?」
オフィウまで不安にさせてしまったようだ。
「彼女のことは心配いりません。それより、『次なる一手』と言うならば、作戦に同意なさった閣下も用意していて然るべきではございませんか? まさか、考えなしに同意したわけでもあるまいでしょうに。もしも対策をお持ちでないのならば、閣下こそオーヒン国と未だに縁が切れていないと思われても仕方ありませんわね」
デモンがやらしい顔をする。
「うまく逃げられたようだ」
ミルヴァが冷たい目で見つめる。
「試されているのは閣下の方なのですよ?」
デモンが真顔になったが、そこから感情は読み取れなかった。
似た者同士なので、腹の探り合いがエグい。
そこでオフィウがミルヴァに加勢する。
「どうなんだい? 確かにアニーティアの言う通りだよ。ユリスを殺したのはこの子の手柄なんだから、今度はお前さんが手柄を立てる順番じゃないのかい? それで初めてマクスへの忠義が立てられるわけだからね」
自分の話題が出たというのに、マクスは爪をいじって遊んでいるばかりだ。
「承知しました」
デモンが観念する。
「それでは恐れながら、小官の拙い策を披露しようではありませぬか。それにはまず現状を知る必要がございましょう。コルバ王の死期が近いと見るや、大陸から武器の売買を扱う高官を呼び寄せていたことから見て、オーヒン国がカグマン王国に対して戦争の準備を始めていたことは明らかでございます。そのことから、すでに勝算があると見て、まず間違いないでしょうな」
デモンも島の情勢を知っている数少ない人物だ。
「しかしながら、同等か、またはそれ以上の兵力を持ちながら攻勢に出ないのは、守勢に回れば完勝できても、遠征となれば話が変わってくるからでございましょう。なにしろ補給を現地調達でもしようものなら、民間人が民兵となり、兵力が一気に膨れ上がってしまいますからな。数を頭に入れて勝算を弾き出したわけですから、わざわざ負け戦となる確率を上げてまで仕掛けてはこないということでございます」
カグマン王国はオーヒン国が戦争の準備をしていることすら知らないだろう。未だに狭い領土でせせこましく商売しか考えていないと思っている人がほとんどだ。それくらいオーヒン国は上手に息を潜めているということでもある。
「ところが、カグマン王国が三つに分国したことで兵力が分散しましたので、オーヒン国としては数の上で圧倒的に有利な立場となったのです。おそらくは、いつでも遠征できるように既に準備を整えていることでございましょう。王城の防衛を手薄にしても、隙をつく後背の敵がいなくなりましたからな」
カグマン王国とカイドル王国による挟撃は起こり得ないということだ。
「とは申しましても、ハクタ国とカグマン王国は、国が違えど元は同じカグマン人に変わりませぬ。大部分が移民で構成されたオーヒン軍が侵攻してくるとなれば、協力して迎え撃つこととなります。それが我が国とカグマン王国との間で結ばれた軍事協定にも明記されておりますからな。そのことが念頭にあるため、オーヒン国もなりを潜めているのでございましょう」
オーヒン国と通じているかのような分析力だ。
「とはいえ、ユリス・デルフィアス亡き今、オーヒン国が現状を絶好の機会と考えているのは間違いございません。それと同時に、我々と同様、危機に瀕しているとも考えているのです。いや、これは疑心とでも言った方がよろしいかもしれませんな。オーヒン国にしてみれば、北部の領土を失ったカグマン人が、再び攻めてくる可能性もあると考慮するはずだからです」
この人は主君を何度も変えているので敵国側の心理を読むのが抜群に上手い。
「北部奪還を口実として道を開けるように要請すれば、オーヒン国としては譲らざるを得ないわけで、そうなると我々連合軍が容易に王城を取り囲むことができるというわけですな。大陸にある城と違い、この島の城塞など高が知れております。攻城戦にすら成り得ぬでしょう。自ら蒔いた種とはいえ、カグマン王国との主従関係を築いたのはゲミニ・コルヴス本人でございます。これまでは恩恵ばかりを受ける立場であったが、最後は自分の首を絞めることとなるわけです」
つまり連合軍を組織して、北部への侵攻と見せ掛けて、オーヒン国を騙し討ちにする作戦ということか。敵をよく知るデモンらしい作戦だ。ゲミニがどういう行動に出るのか完全に予測できるのだろう。
「しかし一点だけ問題がございまして、いえ、コルヴス家崩壊後のオーヒン国を統治するのは難しくありませぬ。彼の地はブルドン家の影響が絶大ですからな。幸いにしてマークス・ブルドンの息子と孫が存命中なので、どちらかを国王に据えてやれば反乱など起こらぬのです」
それは私たちのおかげだ。
「それよりも問題なのは、我が国とカグマン王国が勝ち残った場合、どうあがいても我々に勝ち目がないということでございます。大変口幅ったいことではありますが、南部の人間にとって、ハクタ国は地方の港町の一つにすぎませぬ。広大な領土を治める七政院を抱えているカグマン王国とは比べ物にならぬのですよ。兵力で勝るといっても、七政院が自国領から兵士をかき集めれば、その差は倍どころでは済まないではありませぬか。つまり連合するということは、最終的にカグマン王国が利することになるわけですな」
この男はカグマン人よりもカグマン王国のことを理解しているかもしれない。
「それならば、いっそのこと先にカグマン王国と剣を交えるのも一つの手かましれませぬ。カグマン王国を御すれば、自ずと一つの軍となり、連合する必要がなくなるわけでございますからな。そこで改めて北部討伐すれば、我が国が唯一の戦勝国となるでしょう。ただし、その場合はカグマン国とオーヒン国に軍事同盟を結ばせぬことが肝要でございます。同盟を結ばせずとも、カグマン国との交戦中に背中を刺されるようなことがあってもなりませぬぞ。いずれにせよ、どのようにご決断されるかは国王陛下の御意に従うのみでございますが」
マクスに決められるはずがなかった。




