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第六話(182) カイドルの戦い

 私たちが新王宮に滞在していることを聞きつけて、領内の教会へと外回りに出ていたデモン・マエレオスが仕事を切り上げて戻ってくるとの報告を受けた。どうやら面会を希望しているという話だ。


 私としては、できれば会いたくない相手だった。なにしろデモンとは、かれこれ三十年以上の付き合いがある。一度目はカイドル帝国の宰相として、二度目はオーヒンの財務官として、三度目はマエレオス領の領主として、そして今度はハクタの神祇官として。


 いくら記憶を消去してきたからといって、いつ魔法が解けるかも分からないわけで、突然むかしの記憶が戻り、そこで真実が明るみになるとも限らないからだ。それでもミルヴァは私室に訪れたデモンを余裕たっぷりに歓迎するのだった。


「閣下自ら足を運んでいただけるとは思ってもおりませんでした」

「いやいや、陛下のお命を救われた恩人ならば、私の恩人でもありますからな」


 見え透いた嘘が良く似合う男だ。


「遠方でのご公務の最中だったというではありませんか」

「いかにも。しかしそれでもご挨拶をしておきたいと思ったのですよ」

「お噂通り、律儀な方なのですね」

「財産と呼べるものが、人脈しかござらんからな」

「それが何よりも代えがたいものでございましょう」


 そこでミルヴァがデモンに椅子を勧めた。

 しかし隣に座るのではなく、対面式で腰掛けるのだった。

 腰を落ち着けたデモンが、改めてミルヴァの顔をまじまじと見つめる。


「失礼ですが、前にどこかでお会いしていませんかな?」


 勘のいい人間ほど既視感を抱く傾向にあるらしい。


「島生まれの者にとって異国の修行者は、皆同じ顔に見えると言いますからね。他人の空似でございましょう」


 否定することで、魔法の効能が強化される仕組みだ。


「確かに、貴女ほどの美しいお方なら、忘れるはずがありませんものな」

「お上手ですこと」

「弁が立つと言葉が軽く受け止められてしまうので、それが歯痒くてなりません」

「閣下の場合は主君を何度も変えられているので、尚のことでございましょうね」


 デモンが感慨深げに頷く。


「王政下では君主に忠誠を誓うことが何よりも大事なことと叩き込まれておりますからな。ですから、私の命に従う兵はおらんでしょう。しかし、開き直るつもりはございませぬが、わしはただ、情に厚いというだけなのですよ。人の世は情けがすべてだと思っておるので、困っている者があれば力になる、それだけなのですが、他人が同じように考えてくれるとは限らないということなのでしょうな」


 主君を裏切った事実を忘れるという、そんな都合のいい頭をしているようだ。


「評価は後世の者たちが決めてくれますわ」

「それとて、時代によって移り変わるものですからな」

「そのためにも勝者にならなくてはなりませんわね」

「ご明察」

「勝算がおありですか?」

「それは貴女次第なのではござらんか?」

「随分と高く買っていただけているようで」


 そこでデモンがこめかみを押さえる。


「いや、先ほどの話に戻りますが、そなたは私がカイドル国にいた時に知り合った修行者によく似ているのですよ。若くして大陸の果てにあるウルキアから来たという、その女は実行力があり、豊富な知識で盟友の代わりに外交を行っていたのです。突如として姿をくらましたが、生きていれば、そなたのような子を儲けていても不思議ではない年齢だ。つかぬ事をお伺いするが、お母上は現在どちらにおいでか?」


 人間というのは年齢を重ねると古い記憶ほど鮮明になるらしいけど、これもその作用だろうか? または、古い魔法ほど効き目が弱くなっているとも考えられる。そこら辺は個人差もあり、私たち魔法使いでも経過を見なければ確かめられないことだ。


「わたくしは教会に拾われたものですから、母親は存在しないのです。しかし、わたくしたちには神さまがおりますので、恵まれなかったという考えにはなりません。その方のことは存じ上げませんが、おそらくは、わたくしたちと一緒で一つでも多くの教会を建てていただきたかっただけなのではないでしょうか? わたくしたち修行者の望みはそれだけなのですからね」


 デモンが試すように問う。


「神職に就くことは望まぬと?」

「国教である太教を否定することはございません」

「それを本意と受け取るべきか否か」

「真を問うのは、勝利を収めてからでも遅くないのではありませんか?」

「コルヴス家に出入りするアナジアという修行者をどこまで信用して良いものか」

「結果を待って判断すれば良いではありませんか。その立場におられるのですから」

「大した自信だ」

「閣下がお味方していただけるならば、ハクタの天下も夢ではありません」

「娘が結婚したばかりでな、孫には旅をさせたくないものだ」


 嘘臭い男だ。


「お孫さんが生まれる頃には、ハクタが安住の地となっていることでしょう」

「北部の問題は、そなたに任せよう」


 そう言いつつ、裏切るのがデモン・マエレオスという男だ。だから同じ失敗を繰り返さないのが肝心だった。しかし、今回は寝返る主君が存在しないというのが安心できる点でもある。もはや誰もこの男を召し抱えようとする主君など他にいないからだ。


 しかしミルヴァは警戒を弱めることなく、オフィウに取り計らって、デモンの監視を強化するように進言した。フィンスやユリスがデモンを信用するとは思えないけど、何をするのか読めないのも事実だからだ。



 月日の流れは早いもので、あっという間に一年が経過した。春にはハクタ国とオーヒン国との間で密約が結ばれて、北西部族によるカイドル国への侵攻を妨害しないという取り決めが交わされた。


 武器の輸入に関して、ガルディア帝国を巻き込む三角貿易となり、多少の摩擦が生じてしまい、当初は商売人のコルピアスが話を有利に進めていたけど、デモンが話し合いの席に加わることで、ハクタ国は何とか調達金の上限を抑えることに成功したようだ。


 輸入コストの計算ができたというのが大きなポイントだ。大陸を知らない他の閣僚だけならば、コルピアスの言い値に応じるしかなかっただろう。その点だけは、デモンの経験を認めるしかなかった。


 デモンとコルピアスは共にオーヒン国の建国に携わり、発展させた盟友ともいうべき間柄だけど、主君を変えたデモンは完全にハクタ国の利益しか考えない官吏に生まれ変わっていた。だから権力者に重用され続けてきたのかもしれない。


 彼を主役に台本を書くようなことがあるならば、どんな言葉で話を結ぶべきだろうか? ビーナは真実を捻じ曲げることを嫌うので、できる限りフェアに扱うはずだ。だから彼女はデモンの物語を書きたくないのだろう。



 その一方で、ミルヴァはカイドル国との戦争の準備を着々と進めていた。まずはガタ族のハトマを通じてオガ族への武器の密輸を行って、部族の者たちへの武装準備を整えるのだった。中でも彼女が大量に輸入したのは剣や鎧ではなく、風に強い灯し火油だった。


「それではこれより最終確認を行います」


 ミルヴァが作戦内容を確認したのは、初冠雪が間近に迫る十二月中旬のことだった。村の議場では実行部隊を指揮する部隊長や、村の防衛を務める村長らが集結しており、そこで彼女は軍師になりきって説明するのだった。


 神事を執り行う時に必要な道具が保管されている宝物庫には、村長が集まって会議をする広間があり、そこに百人を超える部族の長が集まっていた。そこにはリリッタとロオサの姿もあり、二人とも緊張した面持ちで参加していた。


「決行日は予定通り、二日後の明け方前とします。降雪の予想は明後日ですが、ベタ雪が降りそうならば、作戦上、決行日を前倒しする可能性もあるので、明日の夜半前には臨戦態勢に入っていただく必要があります」


 港町の人たちによる天気予想は正確なので心配はなさそうだ。


「鳥瞰図を見ていただければお分かりかと思いますが、都の住人は大きく分けて三つの居住区に区分けされております。一つは首都官邸のある貴族街で、もう一つはその貴族街を取り囲んでいる労働者街で、残りは川辺や沼地にある貧民街となっております」


 この島にミルヴァが描いた俯瞰図ほど正確な地図は一つもなかった。


「今回の作戦は火矢を用いて都に大火を起こすというものですが、目的はあくまで渡来人を追い出すことですので、狙いを貴族街と労働者街に集中させるということを徹底してください。貧民街の者たちは、いずれ共に生きる者たちですので、彼女たちに被害が及ばぬようにしていただきたいのです」


 貧民街は川で仕切られているようなものなので、火が燃え移ることはないだろう。


「労働者街の住人らに戦う力はありません。彼らは半壊した王城を再建するためにカグマン国から連れて来られた作業員なのですからね。実戦経験がないどころか、戦闘訓練も受けていないのです。調査の結果、有事の際にどのように行動するか、それすら手解きされておりません。狩りをする能力もないので、追い詰めなければ、応戦することもないので、都から避難するようならば、深追いする必要もないでしょう。彼らとて出来るならば故郷のカグマン王国に帰りたいでしょうからね」


 ユリスが連れてきたのは兵士ではなく肉体労働者だったわけだ。


「貴族街に関しては、すべてを焼き払う覚悟で臨んでいただきます。あそこは燃えやすい家財道具が屋内に設えているので、火の勢いが強く、かつ火の回りが早いということを考慮していただく必要もあります。一の矢は当日の風の向きを調べてから判断するといたしましょう」


 風上から火を放てば、あっという間に燃え広がることだろう。


「戦利品を獲るのは自由としますが、貴族街は常に警備兵が見回りをしているので、欲に目がくらんで命を落とすようなことがあっては、全体の指揮にも影響を及ぼすので、ここは謹んでください。食糧庫もあり、越冬するための備蓄が充分な状態ですので、惜しむ気持ちは理解できますが、保存食を灰にすることで、都での越冬を断念させることができるので、そこだけは徹底していただきたいのです」


 戦時下における兵士の横暴さは嫌というほど見てきたので念を押したわけだ。


「その場合、家を失った貴族や衛兵らが周辺の村に逃げ込んでくる可能性がありますので、そこを返り討ちにしていただきたいのです。ただし、戦力の見極めを怠ってはなりません。多勢に無勢では太刀打ちできないこともありますからね。その場合は山中に避難するようにお願いします。逃げ道は各自ですでに検討されていることと思います」


 訓練兵相手の近接戦は厳しいという判断だ。


「最も重要な首都官邸の攻略ですが、こちらに関しても作戦通り実行していただければ何も問題はございません。建物は高い石壁に囲われておりますが、建物自体は石造りの王城と違って木造ですので、大陸産の灯し火油を用いた火矢を放てば、兵舎もろとも全焼させることができます。既にお試しのことと思われますが、通常の二倍から三倍の距離を稼ぐことができるので、門兵に阻害されることなく遂行できるでしょう」


 私たちは官邸暮らしをしていたので内部情報は確かだ。


「ただし、壁を乗り越えて制圧するのは難しいと考えた方がいいでしょうね。なにしろ官邸内には実戦経験が豊富な兵士たちが常駐しています。彼らは長剣を振るわずとも、手斧だけで応戦してしまいますからね」


 ミルヴァはドラコ隊のミクロス・リプスを特に警戒していた。


「しかし、勝利の条件はあくまで国王の身柄を確保することにあります。彼らも国王を守ることを最優先させるはずですからね。官邸に火の手が上がれば、彼らは必ず隠し通路からの脱出を試みるでしょう。そこを狙い撃ちするのです。隠し通路の出口は図面に記した通りですが、こればかりはわたくしを信じていただく他ありません。念のため、正面突破を試みるかもしれませんので、そちらにも弓兵を待機しておきましょう」


 国王とはユリス・デルフィアスのことだ。


「官邸の攻略は特に危険なので、特別に褒美を弾むこととします。国王の首にも懸賞を掛け、見事に討ち取った者には好きなだけ褒美を取らせることにいたしましょう。その場合、国王の生死は問わないことといたします」


 ユリスはミルヴァの夫だった人だ。それで非情にならざるを得ないのは、部族のために共に戦うと決心したからに違いない。虐げられている人たちに寄り添うのが、ミルヴァの優しさだからだ。


「以上が作戦の全容ですが、質問はございますか?」


 そう言って、ミルヴァは見回すが、特に不明な点はないようだ。

 そこで族長のリリジャ、つまりリリッタの母親が労いの言葉を掛ける。


「シスター・アナジア、よくここまで準備してくれましたね。部族を代表してお礼を言わせていただきます。私たちのために本当に頑張ってくれました。あなたがいなかったら、無駄死にする者が後を絶たなかったことでしょう。後は私たちに任せてください。あなたの努力を決して無駄にはいたしません。勝利を共に分かち合おうではありませんか」


 それから部族長らを鼓舞する。


「トワド村の悲劇が繰り返されないためにも、共に戦いましょう。ロオサが背負わされた苦しみを、渡来人にも分からせてやろうではありませんか。ご先祖様の墓の上で踊り狂う者たちに、天罰を下してやるのです。逃げ込んだ先が地獄と知った時、そこで初めて自分たちの犯した行為が過ちだったと気がつくのです。後悔させてやろうじゃありませんか。どちらが野蛮人であったか、知らしめてやりましょう」


 それを受けて、場内から拍手が起こった。


「ロオサのために!」


 それが彼女たちにとって誓いの言葉となっていた。



 二日後の明け方前、ミルヴァが開戦に備えて本陣を構えたのは、都を一望できる小高い山の頂だった。そこはオガ族の領土へと続く海岸線沿いの道を見下ろす崖上で、急な斜面は滑りやすく、容易に登ることができないので、誘い込みに適した場所だった。


 ミルヴァはそこで族長のリリジャと戦況を見守るつもりだ。当初の予定では彼女自ら前線に赴いた方が戦術的に有利に進められるので自ら志願したけれど、それをリリジャが許可しなかったわけだ。


 それでミルヴァが納得したということは、ほぼほぼ勝利を確信したからだろう。こちらから戦端を開くということは、その時点で勝つための準備が整っているということでもある。始める前に勝つというのが軍師の仕事なので、既に仕事を終えたということだ。


「どうやら始まったようね」


 大柄なリリジャが明かりの灯った都を見下ろしながら口を開いた。


「気温が和らいだので、どうなるかと思いましたが、天も味方してくれたようです」


 ミルヴァが傍らで相談役を務めていた。


「雪が降るのは今夜ね」

「積もる前に、都は灰に変わっていることでしょう」

「積もるようなら、逃げた渡来人の足を止めるには丁度いいかもしれませんね」

「はい。彼らの中には初めて雪を見る者も少なくありません」

「雪景色を見て逃げ帰ることができるなら、まだいい方じゃありませんか」

「そうですね、生きながらにして地獄を味わうのですからね」



 それからしばらくすると、伝令兵が駆けてきた。


「予定通り、攻撃目標となる首都官邸に火矢を集中させることに成功しました。それを受けて、風上にいる部隊も貴族街に火を放つことに成功しています。警備兵らはそれが奇襲であることに気づいた模様ですが、労働者街ではすぐに火災警報の鐘が鳴らされたため、住人らは火事と判断し、一斉に屋内から飛び出して、慌てて避難を始めました。その混乱に乗じて弓兵を退却させたところです」


 ミルヴァが訊ねる。


「都に火災を報せる鐘なんてあったかしら?」

「労働者街の方々から聞こえてきたので、連れてこられた者たちが持ち込んだのでしょう」


 都に鐘があるのは珍しくないけど、場所によっては平気で盗む者がいるので常設されていない場合の方が多く、それで疑問に感じたわけだ。おそらくだけど、火消しが手持ちの鐘を打ち鳴らしながら走り回ったのだろう。



 それからしばらくして、別の伝令兵が慌てて駆けてきた。


「報告します! たった今、火の手が上がる貴族街で、交戦状態に入ったのですが、それが、敵兵と戦っているのは、味方ではなく、敵兵なのです!」


 リリジャが混乱した様子で訊ねる。


「それはどういうことなの?」


「はい。つまり、敵同士が、仲間割れ、いえ、金目の物を持って、避難を始めた貴族の一行が、仲間にしていた部族に襲われて、金品を奪われたというわけです」


 それを聞いて、リリジャが大笑いした。


「それは傑作ね」


 ミルヴァが訊ねる。


「それはどこの部族か分かりますか?」

「おそらくではありますが、顔に入れた朱から見て、ソレイサン村の連中ではないかと」

「そう」


 とだけ言って、口を噤んだ。



 それからしばらくして、別の伝令兵が落ち着き払った様子で駆けてきた。


「報告します。先ほど国王ユリス・デルフィアスの死が確認されました。それから国王の代理を名乗る者が投降し、族長との話し合いを望んでおられます。加えまして、降伏を認めるので直ちに攻撃命令を停止するようにとの申し出がありました」


 リリジャが力強く頷く。


「いいでしょう、話し合いに応じましょう。しかし、降伏の意志が全軍に行き届いているのか分からないので、このまま臨戦態勢を維持します。交戦中の者たちへの攻撃命令も撤回しません。とてもじゃありませんが、指揮が統率されているとは思えませんからね。まずは相手側に全面降伏の意志があるのか、その証拠を見せてもらおうじゃありませんか。その旨、部隊長らに伝えてください」


 こうして新生カイドル国との戦いは終わったのだった。

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