第二話(178) ナザ族のケラ
ミルヴァと私が北西地方へと旅に出たのは十月中旬のことだった。隠れ家に寄ってビーナに挨拶をしておきたかったけど、ミルヴァは『急がないと雪が降る』と言うので、先を急ぐことにしたわけだ。
オーヒン国から西には平野が広がっていて、水をたっぷり飲み込んだ山が連なっているので、昔から農業に適していることから、そこの中央平野と呼ばれている土地を巡って戦争が繰り返されてきた。
三十年前に旧カイドル帝国が滅んだ時にはカグマン国の管轄だったけど、ゲミニ・コルヴスの工作によって徐々にオーヒン国の領土へと移管されたとのことだ。それはオーヒン国の方が流通に適しているので、地元住民の希望でもあったそうだ。
しかし、そもそもオーヒン国に巨大なマーケットを作り上げるというのは私たちのアイデアだし、腐りやすい作物をどうやったら無駄なく流通ルートに乗せられるか、という問題を解決したのもミルヴァの手柄だ。
私たちにとっては予想できた成功なので当たり前のことをしたという感覚だけど、オーヒン市民が宰相のゲミニ・コルヴスを崇拝しているという話を聞くと、人間社会というのは、結局は盗んだ者勝ちの構造になっているんだと呆れるしかなかった。
「ねぇ、ミルヴァ、足でも痛いの?」
平坦な田舎道を彼女は杖をついて歩いていたので気になったのだ。
「ああ、これね」
と言って、ミルヴァが杖を軽々と持ち上げて振ってみせる。
「これは『雷の杖』というの。自分で作ったのよ? よく出来ているでしょ?」
「『いかずち』って『かみなり』のこと?」
「そうよ」
と言いつつ、田園風景を見渡した。
「こう、探している時に限って追い剥ぎって現れないのよね」
彼らにも都合というものがある。
「まぁ、いいわ、見てもらった方が早いんだけど、説明してあげる。これまでの落雷魔法って、単純な詠唱魔法だったじゃない? わたしが呪文を唱えて、それを聞いた賊が雷に打たれたように死ぬわけね。でも、この『雷の杖』だけど、これを見て」
と言って、杖の先を見せた。
「石が嵌め込んである」
ミルヴァが杖を振る。
「ほら、宝石だから光るでしょ? この光がポイントなのよ。今までは聴覚にしか訴えられなかったけど、これで雷の光をイメージさせることで視覚にまで訴えることができるから、今までよりも早く殺すことができるの。つまり魔法を掛ける速度が音速から光速になったということね」
受け手の問題なので、実際はそこまで急激にレベルが上がったわけではないだろうけど、それでもやっぱり天才的なアイデアだ。効果的ならば、応用次第で色んな魔法の道具を発明することができるだろう。
「ゲティス国王も言ってたけど、雷の杖が必要ということは、やっぱりこれから行く北西地域というのは危険なの? だとしたら私は足手まといになるんじゃないかな? ほら、ミルヴァだけの方が自衛しやすいでしょう?」
「バカね、渡来人の言うことを真に受けてどうするの? 北西部族のほとんどは島の原住民で、彼女たちは迫害された被害者側なのよ? 彼女たちが渡来人に対して抵抗するのは当たり前じゃない。そんな当たり前の感情ですら理解できないのだから、渡来人は不遜で傲慢なのよ」
言われてみれば、その通りだ。
「ガルディア系やアステア系の渡来人というのは、侵略を正当化するための精神構造を備えているのよね。悲しいけれど、それが土地を強奪するには最高のメンタリティなのよ。原住民を猿呼ばわりして、蛮族として討伐するでしょう? 征服することが正義だと考えているのだから、罪悪感を抱かせるのは無理なの。これも長年に渡って培ってきた、謂わば『侵略プログラム』みたいなものなのね」
原住民から土地を奪うことを悪いことだと思う渡来人は一人もいない、ただの一人も。
「原住民の人たちって、何千、いや、何万年も平和に暮らしてきたのよ? そりゃ、部族の間で争うことはあっても、渡来人のように種を根絶やしにしようなんて発想はないんですもの。自然を大切にして、自然に感謝して、すべては神様からの贈り物だと考えているの。とても謙虚で、慎ましく、それでいて朗らかとしているのよ。行けば分かると思うけど、みんなニコニコして優しい人たちばかりなんだから。文明が進むほど、彼女たちから学ぶことの方が多くなると思う。彼女たちこそが人間の原点であり、本来の姿なんだから」
自然崇拝の古代宗教は時代遅れで、もうすでに失われつつある。
「それでも渡来人が侵略したことで利点があったことは確かね。立派な馬車や、土地に適した作物や、丈夫な鉄器を扱えるようになったものね。それでも同時に差別まで輸入されたのだから許せないわよ。差別が当たり前すぎて、差別のどこが悪いのか、ということも渡来人には理解できないんだものね。だから、そんな救いのない状況を、わたしたちの力で変えていかなければいけないの。差別は絶対悪なんだっていうことを、わたしたちが教えてあげないとね。必要悪だって能書きを垂れる男どもの目を覚ましてやらないと」
それには何百年、いや、何千年掛かるだろうか?
「そもそも高度な文明をもたらしたといったって、別にそれを発明したのはガルディア人やアステア人ではないのよ? 古代ウルキア人から派生した種族が発明して、それを彼らは盗んで広めただけじゃない。しかも発明者であるシーメイル人を全滅させてしまったんですからね。広めた功績は認めなければいけないけど、やり方は酷いものよ。それで発明者であるかのように歴史書を書き換えるのだから困ったものよね」
ミルヴァは原住民が差別されて虐げられているのを見て見ぬ振りができないだけなのだろう。時に辛辣で、非情でもあり、攻撃性を発揮するけれど、すべては弱者である原住民を守るための行動だ。
「シスター・アナジアだ!」
「ねぇねぇが来たよ!」
「おねぇちゃん!」
ナザ族の族長が暮らしている河川沿いの集落に到着すると、すぐに村の子どもたちがミルヴァを見つけて取り囲むのだった。子どもたちの笑顔は美しく、快活で、生命力に富み、都会の水はけの悪い地域で暮らす原住民の子たちとは表情が大違いだった。
島の原住民なので独自の言語を使用しているけれど、私たちは三十年以上も暮らしているので既に通訳は不要だ。ナザ族は南方のハハ島を経由しているので、そちらの訛りが強いのが特徴で、特に分からない単語はなかった。
見た目はというと、古代移民なので血が混ざらなかったこともあり、ウルキア人と同じく黒い髪をしていた。それが軽く癖がついているといった具合だ。北西民族は混血が進まなかったので、最も原住民の特色を残している種族といえるだろう。
「さぁ、おまえたち、そろそろ手伝いに戻るんだ」
ミルヴァに群がる子どもたちを追い払ったのは村の守衛だ。
「シスター、私がケラ様のところまでご案内いたしましょう」
ミルヴァによると、ナザ族の兵士はカグマン国の元兵士がほとんどだそうだ。南部は差別が激しく、徴兵を受けても原住民系というだけで酷い目に遭わされるので、脱走兵や死亡に見せ掛けた兵士の受け皿になっているのが、ナザ族の警備業というわけだ。
その中にはモンクルス隊に所属していた隊士たちの子孫がたくさんいた。戦時中に戦没者として報告しては、北西地域に逃がしていたらしい。その子孫をモンクルス領に住まわせて、軍の内部に送り込んで作戦内容を知るというのがモンクルスの作戦のようだ。
つまりモンクルスは北西部族を恐れていたのではなく、自分自身の名前を利用して、カグマン国の北西への侵攻を防いだということだ。彼ほどの兵士が北西への進路を断念すれば、彼を知る軍人なら誰も進軍しようとは思わないわけで、それを狙ったというわけだ。
ビーナによると、モンクルスはカグマン国に忠誠を誓うような男ではなかったという話だ。南方原住民の血を引く彼にとっては、北西地域に追いやられた彼女たちを守ってあげることが、何よりも大事なことだったのかもしれない。
剣聖モンクルスは非情にして冷酷で、感情らしい感情がなかったともいわれているけど、それは原住民への愛情を疑われないようにと、隠すためだったとも考えられる。彼が真実を墓場まで持って行ったので、ビーナも芝居で真実を明かすつもりはないそうだ。
「さぁ、ケラ様は中でお待ちです」
案内されたのは立派な木造家屋だった。北西地方は軽くて柔らかい針葉樹による木材が豊富なため、南部よりも贅沢に丸太を利用できるわけだ。ただし設計は既に大陸文化の影響を受けていた。
「遠い所、よく来てくれましたね」
客間で迎えてくれたのは、ケラ様と呼ばれる四十代の女だった。古代ウルキア人の名残りで今も女が族長を受け継いでいるようだ。他の原住民と同じくたくさんの装飾品を身に着けているけど、派手さはなく、落ち着いた雰囲気があった。
「ご無沙汰しております。こちらは共に修行をしているシスター・ナデアです」
ミルヴァが私を紹介してくれた。
「初めまして、ナデアと申します」
「まぁ、こちらも随分とお若いこと」
それから旅の労をねぎらってくれて、それから椅子を勧めてくれた。部屋の中には族長の他にも年配の女が四人いて、彼女たちが村営や神事などを行っているとのことだ。でも、見た感じは茶飲み仲間といったところだろうか。
「先を急ぐものですから、そう長くは居られないのです」
ミルヴァが前置きする。
「ですから、先に用件を申しますと、是非とも和平の協定についてご検討していただきたく、今回はお願いに上がりました。わたくしはオーヒン国の第二代国王ゲティス陛下の代理でお伺いしたというわけです。この協定にはハクタ国も参加する予定でございまして、決して不利益を被るようなことはないと、わたくしが断言させていただきます」
ケラ様は突然の提案にも顔色一つ変わらなかった。
「それは随分と大事な大役を仰せつかったものですね」
ミルヴァが経緯を説明する。
「以前にもお話をさせていただいたので憶えておいでのことと存じますが、ゲティス国王陛下とはオーヒン市の大聖堂で知り合って以来、懇意にさせていただいているのです。それで北部の安全保障について話し合いをしたところ、わたくしがこちらで修行をさせていただいたことを憶えておいで下さったようで、平和を望む陛下から、此度はわたくしに特使として白羽の矢が立ったというわけでございます」
ケラ様が懐かしむ。
「亡くなられたブルドン王は大変立派なお方だと聞いていましたが、どうやら後進を育てることにも成功されたようですね。シスター・アナジアが信頼を寄せるお方ならば間違いはないでしょう」
ミルヴァはかなり信用されているようだ。
「しかしカグマン国を差し置いて、話し合いもせずにハクタ国との協定を推し進めるというのはどうなのでしょうね。これまで私たちとカグマン国は、互いに干渉しないことで上手くやってきたという歴史があります。筋を通すならば、私たちよりもカグマン国を話し合いの席に参加させるのが先ではありませんか?」
族長の言葉に他の四人がうんうんと頷いている。
「シスター・アナジアはまだお若いので知らなくても致し方ないのですが、島の情勢は三十年前よりも不安定になっています。王宮で凶事が起こるなど、一昔前では考えられませんでしたからね。そこへきて一つの国が三つに割れたというではありませんか。敵か味方かも判然としない状況では、今すぐに結論を出すのは危険でもあるのです。私たちを含めた三者間での和平が、必ずしも島に平和をもたらすとは限らないのですからね」
いつものミルヴァならばムキになって反論するのに、今日はやけに大人しかった。
「貴女はとても聡明で、さらには行動力もあり、その上、困っている人がいると放っておけず、手を差し伸べずにはいられない優しさまで持ち合わせています。村の者は貴女の再訪を心待ちにしていました。一言でいえば、人望が備わっているのですね」
持ち上げておいて、落とすタイプではなかろうか?
「しかし世の中には賢しくも小狡い者もいて、そんな貴女を政治利用しようとする者もいるのです。いえ、ゲティス国王陛下がそのような人物だと言いたいわけではありません。陛下もまだお若いですからね。お二人の善意を巧みに利用しようと企む輩が背後に存在しているのではないかと、その可能性について考える必要があるということです」
物腰は柔らかいけれど、『若いのに出しゃばるな』と言いたげな表情だ。
「政治の世界では、人望は政権の広告となり、行動力は悪政への助力とも成り得るのです。良かれと思って邁進したことが、後に開戦を引き起こすキッカケとなるやもしれぬのですよ? 貴女の天職でもある神職に留まらず、官職をお望みならば、まずは経験をお積みになることですね。それ以上の近道は他にないのですから」
持ち上げて落とすタイプの人間には注意が必要だ。なぜなら話術を用いて相手に自分の意見を取り込ませようとしているからだ。バランスを取ったつもりだろうが、話術を使っている時点で他人を騙そうとしているのが丸分かりだ。
今回の場合に限れば、ストレートに拒否するか、保留するだけで良かった。それを保身のためか、下手くそな話術を用いるから不快になる。この族長も自分には魔力があると、またはそれに似た才能があると思い込んでいるタイプの魔法使いモドキだろうか?
人間ならば人間らしく、私たち魔法使いの真似をせず、術を使わずに生きてもらいたいものだ。正直に、真面目に、誠実に、報われるか分からないけれど、毎日コツコツ努力する、マークス・ブルドンのような人が、私は好きだ。
「わたくしが未熟でした」
予想に反して、ミルヴァは反省の弁を述べた。
「理解が早いのも貴女の秀でた一面です」
それに対して、族長は満足気だった。
どうしてミルヴァは命令魔法を使わないのだろう?
「しかしケラ様、陛下が恒久の平和を心より願っていることは知っていただきたいのです。そもそも此度の和平協定に関しましても、先にハクタ国と北西部族が既に同盟関係にあると噂を耳にしまして、そこで調査したところ、そのような事実はないと知り、それではと、改めて双方に話を持ち掛けてはどうかということで、わたくしが参じた次第なのです」
そこで族長は初めて表情を曇らせた。
「妙な噂を流す者がいるものですね」
そこで他の四人の同席者が顔を見合わせてヒソヒソ話を始めた。その様子から、ハクタ国に対してかなり警戒していることが窺えた。それと『裏切り』という言葉も聞こえてきたので、三豪族の他の部族に対する疑惑も芽生えたようだ。
「いずれにせよ」
族長が口を開くと、同席者は一斉に口を閉じた。
「背後関係をもう少し詳しく知る必要がございますでしょ。その噂の出所というのが気になりますものね。昔から『火のないところに煙は立たぬ』と言いますが、人目を避けて火を点けるのが放火魔ですものね」
この人も『魔』の使い方を間違えているので、やっぱり普通の人間だ。
それから村の病人に薬を配って、といっても偽薬だけど、その日のうちに目的地へ向けて、海岸線沿いを北上した。早く移動すると不審に思われるので、移動速度は人間の歩くペースを保つことにした。
「上手くいかなかったね」
私の言葉にミルヴァが浜辺を歩きながら答える。
「え? 予定通りなんだけど」
「でも、断られたじゃない?」
「それでいいのよ」
「どういうこと?」
「あなたったら、気づかなかったの?」
何が言いたいのか分からなかった。
「こんな僻地に暮らしているのに島の情報を正確に把握していたのよ? そんなことは有り得ないの。それって、つまりは今もモンクルス隊の情報網が生きているということでしょう? しかも伝達速度が相当早いわよ。いきなり本題から入っても話が通じてしまうんですもの。わたしもビックリしちゃったわよ」
確かに言われてみればその通りだ。
「だからナザ族に対してはあれで正解なの。お願いするのは次のガタ族の族長さんが適任だしね。これからは情報戦にもなるから、わたしたちも気を引き締めていかないと、三十年前の二の舞になるものね」
そこで疑問を感じた。
「だったらハクタ国と北西部族が手を組んだっていう情報も隠せばよかったのに。フェイクっていっても、それを既成事実にしたいわけでしょう? ということは、わざわざ教えてあげたことになるじゃない。ほら、その情報はヴォルベ少年を試すもので、他の者には黙っていないといけなかったわけでしょう?」
ミルヴァが説明する。
「あなたは根本的なところが分かっていないのね。わたしたちにとっては『金の王冠』なんて紛失したって構わないの。だってそんなものには価値なんてないんですもの。むしろ無くなった方がいいくらいよ。だからヴォルベがどうなろうと知ったことではないの。そうでしょう? 情報が漏れたとして、それで濡れ衣を着せられたとしても、わたしたちにとっては痛くも痒くもないしね」
確かに『三種の神器』と呼んでいるのは人間だけだ。
「それよりもモンクルス隊の残党がカイドル国と繋がりを持っているのか、それを確かめた方が有益なのよ。ヴォルベは一人で行動していて、さらには一日中見張られている状態だから、カイドル国に情報が渡れば、それはモンクルス隊が流した情報だということが分かるわよね? まぁ、リング領にはドラコ隊の残党もいるから、彼らの諜報活動によって情報が盗まれる可能性もあるんだけど、いずれにせよ、わたしたちが困るようなことは何もないわ。むしろモンクルス隊の残党が現在までにどの程度影響力を残しているのか知りたいしね」
やっぱりミルヴァは今もモンクルスを恐れているようだ。魔法が通じなかったというのがトラウマで、そんな相手がこれからも剣士の中から生まれてくると考えているのだろう。不意にケンタス・キルギアスのことを思い出した。




