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ロマン・ストーリー 剣に導かれし者たち  作者: 灰庭論
第四章 魔法少女の資格編
174/244

第四十二話(174) 嘘

「鉄は熱に弱いって、ご存知かしら?」


 私にはミルヴァの言葉の意味が理解できなかった。


「隊長さんの両手に握られている剣が熱を帯びているのを感じませんこと?」


 どうしたことだろう?

 ドラコの顔が真っ赤だ。

 そして全身の皮膚の上に大粒の汗が噴き出すのだった。


「ほら、剣が赤くなって、燃えるようではありませんか」


 そんな事実はない。

 火元がないのだから、剣に変化が起こるはずないのだ。

 それなのにドラコの皮膚には火傷したような水ぶくれが発症するのだった。


「剣がけていくのが分かりますね?」


 火あぶりにされたわけでもないのに、ドラコは全身火傷を負ってしまった。

 そのまま床に倒れたけれど、それでも剣は握られたままだ。

 つまり、そのまま死んでしまったということだ。


「何とか助かったわね」


 そう言って、ミルヴァは大きく息を吐き出すのだった。


「殺すことなかったのに」


 思わず感情が漏れてしまった。

 するとミルヴァが私のことをキッと睨みつけた。


「あなたがいけないのよ? 途中でヘンなことを口にするから、こうするしかなかったんじゃない? あそこで掛けた魔法が解けたらどうなっていたと思う? わたしたち二人とも殺されていたかもしれないのよ? 記憶を消すだけにしようと思ったけど、慌てて殺傷魔法に切り替えたの。分かったら、わたしに意見するのは止してちょうだい」


 確かにミルヴァの言う通りだ。彼女は命の恩人であって、私なんかが気安く批判してはいけないお方だ。モンクルスと対峙して逃げ出した時とは違うのだ。この三十年間で魔法力が更に高まったようだ。


 暗示魔法とは、掛ける相手の弱点を見抜くことが大事だ。泳げない人に溺れた時の状況を想像させて溺死させるように、その人にとって掛かりやすい弱点を見つけ出さなければならないわけだ。


 ドラコの場合は、ユリス・デルフィアスに対する揺るぎない忠誠心だったのではないだろうか? 最初は時間稼ぎの雑談に思えたけれど、主君に対する忠誠心を口にすることで、いつの間にか魔法が掛けられていたわけだ。


 頭の中で『ユリスの妻は斬れない』と思ってしまったら、もう身体は言うことを聞いてくれなくなってしまう、ということだろう。それが暗示魔法の恐ろしいところだ。しかも人間に魔力はないので、掛けられた魔法を解くこともできない。


 更に恐ろしいのは、一度でも暗示魔法が掛かってしまうと、次からは魔法が掛かりやすい体質となり、それまで効かなかった魔法まで簡単に掛かってしまうことだ。だからドラコは全身火傷で死んでしまったのだ。


 人間というのは頭が火傷をしたと思ってしまうと、その信号を身体に伝えてしまうので、火がなくても火傷の症状が現れてしまうものだ。火事場を経験しているドラコでも、剣が熔けるほどの高熱には耐えられないというわけである。



「誰か来る」


 翌朝、ミルヴァが窓の外を確認すると、窓辺にビーナが寄越した凶兆を報せる白い鳩が止まっていた。マエレオス領はビーナの縄張りでもあるので、鳥たちを正確かつ迅速に飛ばせることができるので、情報に間違いはない。


「ここを離れましょう」


 ということで、隠れ家のあるカラスの森へ向かうことにした。



「マルン、いいこと」


 隠れ家に戻る途中の森の中でミルヴァが指示を出す。


「ドラコが死んだことは、ビーナには内緒にしておきましょう。わたしたちの計画にドラコを殺す予定はなかった。だからあの子はきっと、また『そんな死に方はドラコの生涯に相応しくない』とか言って、わたしのことを責めると思うの。そんなことで何十年、何百年とグチグチ言われるのは御免だわ。それに、そうなったら何もかも嫌になって協力を拒むようになるかもしれないしね。だからお願い、黙っていて」


 この三十年間、会えば喧嘩ばかりしてきたので、そういう考え方になったのだろう。


「でも、ビーナには正直に話した方がいいと思うけど」

「あなたにとってはそうでしょうね」

「嘘をつかれた方が傷つくと思うよ?」


 そこでミルヴァが暫し考える。

 それから静かに口を開いた。


「んん、でも、ドラコはあの子のお気に入りの主演俳優だったから」

「そのドラコに私たちは殺されそうになったんだよ?」

「『ドラコはそんなことしない』って言うでしょうね」

「私は生まれて初めて死ぬかと思った」

「それでビーナが納得すると思う?」

「私の方から話してあげようか?」

「ダメ!」


 即答だ。


「あなたは『自分は悪くない』って顔をするもの」


 事実、ドラコを殺したのはミルヴァだし。


「いいわ。とりあえず聞かれるまで黙っておくことにしましょう。それなら嘘をついたことにはならないでしょう? 『正直に話さないのは嘘をついているのと一緒』とか言うのはなしよ。黙秘と虚偽報告は全然違うんだもの」


 詭弁のような気もするけど、ミルヴァに従うしかなかった。



 森の隠れ家に辿り着くと、たくさんのカラスに囲まれたビーナの姿があった。どうやら盗聴内容を分析している最中らしい。私たちの姿を見つけると、一瞥して手を振るだけで、すぐに仕事に戻ってしまった。まだドラコの死を知らないようだ。


 ビーナの仕事が一段落したのは午後になってからだった。河原で火を熾して、洗い髪を乾かしているところに、ビーナが落ち込んだ顔をしてやってきたので、すぐにそれがドラコの死を悼んでいるということが分かった。


「……ドラコが死んじゃった」


 そう言うと、ビーナは焚き火の前に座り込んでしまうのだった。

 隣に座っているミルヴァは黙っていた。

 だから私も黙っているしかなかった。


「誰に殺されたか分からないの」


 ビーナが虚ろな表情で説明する。


「キャッチできた会話はデモン・マエレオスが本邸に到着した後でね、その前に副長のランバ・キグスがドラコの遺体を発見していたみたいなんだけど、その時の会話は拾うことができなかった。ランバの他にもデモンの息子やテレスコの息子がいたんだけど、彼らが第一発見者だからといって、実行犯だとは限らないのよね。だって、ランバがドラコを殺すはずがないんだもん」


 これは事件の真相が闇に葬られるパターンではなかろうか。


「怪しいのはデモン・マエレオスね。あのジジイがドラコを殺したんだわ。ランバには無罪を主張して、それでいてユリスには『自分が拷問に掛けた』と自供したんだもん。アイツのことだから自分が殺したにも拘わらず、息子やランバには嘘をつくことで信用を保ち、一方で捜査をしているユリスには事実を伝えて信頼を得ようとしたの。ほら、ドラコは王宮襲撃の首謀者として手配されていたから、デモンには領地に侵入してきたドラコを捕まえて拷問に掛けるという理屈が成り立つものね」


 事実を知らなければ、それが真実のように思えてしまうから不思議だ。


「ユリスもユリスよ、彼ほど心の優しい男はいないけれど、それがデモンへの赦しにも繋がってしまうんだもんね。あんな二枚舌のジジイなんて、その場で問答無用で処刑してしまえばいいのに、それどころかデモンに容疑者逮捕の手柄まで立てさせてしまうのよ? 結局ユリス・デルフィアスの評価というのは、補佐官であるフィルゴありきのものなのね。彼の横で冷徹な判断ができる男が必要なの。ミクロスやジジではその役目は務まらなかったみたい。フィルゴがいたら、デモンの口車に乗せられることはなかったでしょうよ。ミクロスにも落ち着きがあれば役目を果たせたんでしょうけど」


 デモン・マエレオスの老獪さ、というより、しぶとさに笑いそうになった。


「あのジジイにしてみれば、ドラコは『飛んで火にいる夏の虫』だったわけね。デモンを罠に嵌めるつもりが、ドラコを死なせることになってしまったわね。もう、それが悔しくて、悔しくて、たまらない。ワタシたちの作戦は今回も失敗に終わっちゃった。おそらくユリスにデモンは倒せないわね。パルクスを裏切ることができるような男なんだもん。ドラコが死んじゃった今、誰が四悪人を断罪できるというの? 後はその四人の仲間割れを待つしかないじゃない」


 ミルヴァが沈黙を守る。


「でも、ワタシはユリスを信じているんだ。四悪人がいなくなった後、この島の未来を託せるのは彼しかいないんだもん。生まれてくる時代が千年も二千年も早かったかもしれないけど、時代を加速させることができるワタシたちの世界なら、ユリスの政治力を活かしてあげることができるんだもん。それには四悪人に殺されないことが条件になるけどね。それまで何とか生き延びてもらいましょ」


 ミルヴァは最後まで口を開かなかった。



 それからビーナはカラスを使った諜報活動を続ける一方で、ミルヴァと私はオーヒン国の大聖堂へ乗り込むこととなった。黒衣に着替えたのは修行者としてゲミニ・コルヴスに接近するためだ。


 しかし私たちは直前にアネルエとその召使いとして同じ場所を訪れていたので、念のため顔をベールで覆う必要があった。口元を布で被い隠して、そこで改めて記憶をすり替えるのがミルヴァのいつもの方法というわけだ。


 こういった魔法使いの習慣が、人間界で風習として残ることがあり、断食にしてもそうだけど、本当の意味を知らずに形だけ広まってしまうのだ。それで人間は自分たちで勝手に解釈して後世に残していくのだった。


 大聖堂を訪れると、修行者や神職に就く職員らから熱烈な歓迎を受けた。中には目に涙を浮かべながらミルヴァの手を握る女性たちもいた。少し前にユリスの妻として会ったばかりなのに、誰一人として同一人物だと気づかないのだ。


「オー・マザー、マイ・マザー」


 年若い見た目をしているというのに、すべての者がミルヴァのことをそう呼ぶのだった。どうやら女たちや男たちにとってミルヴァは聖母のような存在だと思われているようだ。おそらくだけど、過去にコルヴス家に近づくために奇跡でも演出したのだろう。


「マザー・アナジア」


 ミルヴァのことをそう呼んだのは、オーヒン国二代目の国王となったゲティス・コルヴスだ。用意された貴賓室で一息ついていたところ、興奮しながら部屋に入ってきて、床に跪いてミルヴァの手を握るのだった。


「突然姿を消してしまわれたので、もう二度とお会いできないと思っておりました」


 国王になったというのに護衛はついていなかった。密会が許されるということは、聖堂内においてミルヴァは特別な存在ということだ。警戒心の強いゲミニ・コルヴスを欺く必要があるので強力な魔法を使ったのだろう。


「『わたしはいつでも、あなたの側にいる』と申し上げたではありませんか」


 ミルヴァは聖母になりきっていた。


「そうですとも、私の心の中にはいつもマザーがいました」

「わたしがいなくなるということはないのですよ?」

「もちろん、そのことは分かっているのです」

「でしたら、『もう二度と会えない』などと言ってはなりません」

「ああ、私はまだまだ修行が足りぬようですね」

「そのことに気づくことも修行の一つなのです」

「あぁ、マザー・アナジア」


 そう言って、ゲティスはミルヴァの手を額にこすりつけるのだった。まるで宗教劇を観ているようだけど、二人とも真剣だった。特にゲティスは純真で、信心深く、信仰に疑いを持つことなどないように見えた。


 そこが大陸のガルディア人との大きな違いだ。ゲティスは茶色の髪と焦げ茶色の目をした純粋なガルディア人で、渡来系の中でも純血が守られている直系男子だ。それでも島生まれなので信仰に違いが生まれてしまうというわけだ。


 カグマン島は古代ウルキア人の原住民が多く、女神崇拝が強く残っているため、そこで習合する形で、太教の中で新たな宗派が生まれたというわけだ。分かりやすくいうと、男神しか認めないのがガルディア派で、聖母の存在を認めるのがカグマン派だ。


 どちらも基本は一神教だけど、ガルディア派は他の宗派すら認めないので、そこに人間界における宗教の難しさがあるわけだ。同じ太教を信仰しているというのに争うのだから、私たち魔法使いに理解などできるはずがなかった。


「父上も会いたがるでしょうから、明日にでも王城へお越しくだされば喜ぶと思います」

「そうですね。ご挨拶に参りましょう」


 ユリスですらオーヒン城に招かれなかったのに、ミルヴァはあっさりと招待された。



 こうしてコルヴス家に再接触できたけど、ゲミニ・コルヴスはガルディア人の血統を絶対とする純血主義者なので、ウルキア人と見た目が変わらないミルヴァをどのようにして受け入れたのか、私には疑問だった。そこでゲティスが引き上げた後に訊ねてみることにした。


「ねぇ、ミルヴァ、聞いてもいい?」

「ここでは『アナジア』と呼んでって言ったでしょ」


 上等なソファに身を預けながらミルヴァが注意した。


「ああ、ごめん。マザー・アナジアだったっけ」

「『マザー』は余計よ」


 彼女は揶揄われるのが好きではなかった。


「それで何が聞きたいの?」

「うん、どうやって疑り深いゲミニ・コルヴスに近づいたのかなって」

「ああ、そんなこと。そんなのは簡単よ」

「でも、コルヴス家の人間は他の人種を毛嫌いしてるでしょう?」

「好きとか嫌いとか、そういうことではないのよ」


 そう言って、丁寧に教えてくれた。


「彼はガルディア人である自分たちが支配者階級の頂点に君臨してさえいれば、他の人種を排除しようとは思わない人なの。労働力としての奴隷が必要だと考えていて、その奴隷を上手に扱うアステア人の存在も重要だと考えているわけ。用心棒として使えるならば、身体の大きな古代ウルキア人も重用するしね。だって、原住民系のドラコを最も評価していたのがゲミニ・コルヴスなんだから」


 大陸南部に残る、所謂ピラミッド型の思考というやつだ。


「人間というのは信じたいものを信じたがるから、その信じたいものになればいいの。ゲミニの場合は、利用する価値があると思わせることが大事なのね。そうすれば人種を超えて厚遇してくれるんですもの。ただし、それは太教がベースにあるから無事でいられるというのもあるわね。この島に今でも女王がいたとしたら、わたしの命はなかったかもしれない。女が権力とは無縁であるから、ゲミニは安心しきっているのよ」


 渡来系のフェニックス家はガルディア帝国の政治形態をそのまま模倣しているので、女が政治に参加することはできない。神官は国王の下の地位なので、その点を踏まえても、ミルヴァが自身の地位を脅かす存在にはなりえないと考えているわけだ。


 これがもしも教皇や法皇など、国王よりも権力を持ってしまうと、途端に命を狙われてしまうことになりかねないわけだ。そんな時代がくるかどうか分からないけど、魔法使いである私たちが想像することは、必ず現実となってしまうのが人間界というものだ。


「ゲミニは神祇官だったのに教会でお祈りすらしないバカ男だから、修行者というだけでは会ってさえもくれなかった。あの男にとって大事なのは十人を軽く超える奥さん連中と子どもたちだけなんですもの。もちろん体面上、正妻は一人なんだけどね。それで、その中でも特に優秀だったのがゲティスだったというわけ。他にもたくさん兄弟姉妹がいるのに、記録上は一人っ子なのよね。笑えるでしょう?」


 国民から見たら、コルヴス家は一夫一妻制の太教の教義を重んじる家系に映ることだろう。事実をバラせば捕まって処刑されるので、わざわざ告発する者はいないのだ。つまり聖職者というのは、人格者である必要はなく、家柄だけで就ける職業ということだ。


「姉のオフィウがフェニックス家の荘園地を襲わせたでしょう? あれはゲミニの奥さんたちの実家なのよ。あの老婆は実弟の子種を殺すために襲撃作戦を立てたのね。それくらい家父長制を重んじるオフィウにとって、我が子であるマクス国王は可愛かったということでしょうけど、この双子の姉弟のせいでどれだけの人が苦しんだか、考えただけでムカムカするわね」


 家父長制が当たり前なので、姉妹兄弟が不仲なのは珍しくない世の中だ。


「でも、ゲティスは別よ。あの子は本当に気が優しいんですもの。だからこそ、父親に洗脳されてしまったんだけどね。わたしも利用した手前、彼だけでも救ってあげたいけど、マークス・ブルドンのような人生をプレゼントすることは難しいかもしれないわね。父親からの影響でクミン王女との結婚を望んでいるけど、それが本人の意志なのかはっきりしないんですもの。もう、あの子は自分の力で幸せになれない子なのよ」


 そこで質問を挟ませてもらう。


「ゲティスを利用したって、具体的にどんなことをしたの?」


 ミルヴァが思い出しながら答える。


「オークス・ブルドンの時と一緒よ。それを少しだけアレンジしたの。あの子が教会で子どもたちと遊んでいる時に目を見えないようにして、といっても本当は見えるのよ? ただ、魔力で見えないと本人に思い込ませたんだけど、それで父親のゲミニが乱心したところで秘薬を持って訪問したの。秘薬といっても落葉樹の果樹をすり潰して軟膏にしただけなんだけどね。それを塗る時に魔法を解いてあげて、すっかり信用させることができたというわけ」


 偽薬効果みたいなものだろうか。


「それから薬欲しさにしつこくされているんだけど、ウルキアに伝わる秘薬と言って教えてあげないの。だからマルン、あなたも何を聞かれても取り合っちゃダメよ。わたしたちしか知らないとなれば大切にしてくれるでしょうし、これは何度でも使える『奇跡』ですものね。人間を信じ込ませるのに、これほど効果的な魔法はないんですもの」


 同じ手を何度も使うのは、それはそれで心配だ。

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