第四十一話(173) ドラコ死す
歩いて帰らせた馭者を連れ戻し、ビーナから通行証と取引許可証を受け取ってマエレオス領へと向かった。目指すはブドウ園の側にあるマエレオス邸だ。ビーナはカラス部隊を準備させるといって隠れ家に向かった。
本来ならば役場町にある別宅に積み荷を届ける予定だったけど、人目に触れてしまうため本邸に変更したのだ。ビーナによると、翌々日に商取引を終えたデモンが戻ってくるらしいので、陥れるにはピッタリのタイミングという話だ。
襲撃事件以降、空き家にしていたため、別宅と違って警備兵は置かれていなかった。離れたところにブドウ園で働く農夫が暮らす村があるけど、本邸に近づく者はいないそうだ。到着すると馭者に報酬の代わりに馬を引き渡して、すぐに追い返してしまった。
それからミルヴァと二人で夜通し荷台を見張ることにした。フェニックス家の荘園なので山賊は出ないという話だけど、欲をかいた馭者が戻ってきて荷台を盗まれてはいけないので、デモンが来るまで待つことにしたわけだ。
ところが、夕方になって姿を現したのは当主のデモン・マエレオスではなく、王宮を襲撃した後に姿を消したドラコ・キルギアスだった。応接間の窓から外にいる彼と目が合った時、私たちだけではなく、彼の方も一瞬だけ驚いた顔をしていた。
「こちらでしたか」
玄関口に回って応接間へと駆けつけてきたドラコが表情のない顔つきで声を掛けた。剣を握ったまま入ってきたけど、室内に私たちしかいないことを確認してから剣先を床に向けた。鞘に納めないのは、まだ状況を把握しきれていないという証だ。
「ドラコ、どうしてあなたがここに?」
ミルヴァがアネルエの口調で訊ねた。私も召使いのエルマに戻る必要があるので、ミルヴァと同じ長椅子には座らず、背後の壁際に移動して大人しくすることにした。ドラコも立ったままミルヴァの質問に答える。
「お分かりになりませんか?」
ドラコが理由を説明せずに質問返しをするのは珍しいことだった。彼はユリスに忠実で、その妻であるアネルエにも同じように忠実だったからだ。だからそんなドラコの態度にミルヴァも戸惑っている。
「何があったというのですか? ドラコ、あなたはパナス王子とパヴァン王妃を殺害した容疑で手配されているというではありませんか。それは事実なのですか?」
ミルヴァも質問に質問で返した。
「間違いございません」
なぜかドラコが嘘をついた。
ミルヴァが反応に困っている。
「あなたが王子と王妃を殺害したと?」
「相違ありません」
嘘をつくドラコの意図が分からなかった。
「まさか、あなたに限って、そのような蛮行をするはずがありません」
ドラコが王子と王妃を救ったことを知っていると思わせてはいけないので、反応としてはこれが正解だ。ミルヴァの言葉選びが慎重なのは、ドラコには一瞬で私たちの首を刎ねるスキルがあるからだ。
「名前は伏せさせていただきますが、さるお方から王族殺しを依頼されました。私はそのお方の命に従い行動したまでです」
そのように、ドラコは意味不明な言動を繰り返すのだった。
「嘘です」
「私自身が事実を認めているのですよ?」
「そんなはずがありません」
「私が貴女の誘拐を命じたのです。ユリス・デルフィアスを誘き出すためにはそれが最良の選択ですからね。多少の手違いはありましたが、こうして無事に成功したというわけです」
またしてもドラコは嘘をついた。
「あなたが陛下を殺害するはずがありません」
「実際に王子と王妃は死んでいるのですよ?」
ドラコの言葉はすべて引っ掛け問題だ。
「別の者が殺したのでしょう」
アネルエが知らないはずのことを答えてはいけないのでミルヴァも真剣だ。
「私以外の誰に、私と同じ真似ができましょう?」
ドラコが容疑者になったのは、それがドラコ以外にあり得ないからだった。
「あなたがユリス・デルフィアスの命を狙うはずがありません」
「実際に誘拐されたというのに、なぜそのように思えるのですか?」
私たちを疑っているドラコの追及が徐々に強まっているように感じた。
「それはあなたを信頼しているからではありませんか」
「かつての婚約者を殺した私を信じるというのですか?」
「そのおかげで陛下と知り合うことができたのですからね」
その言葉にドラコがハッとするのだった。
「そう、確か、あの時も召使いのエルマも一緒でしたね」
そう言って、私の顔をまじまじと見つめるのだった。
「憶えていますか? いや、忘れるはずがない。リンゴ園での暗殺未遂事件がなければユリスがあなたを引き止めることはなかったのですからね。ずっと引っ掛かるものを感じていたのですよ。あの時、確かにユリスは命を狙われましたが、我々に危険を知らせたのはそこにいる召使いのエルマだった。彼女が『危ないっ!』と発した後に、ユリスに向かって矢が飛んでいったのです。あの時に気がつくべきだった。優秀な護衛官らを差し置いて、召使いが先に賊の存在に気づけるはずがないとね。エルマ自身が矢を放った射手ならば、賊が逃げおおせた理由もつくというわけです」
射手はビーナだけれど、推理の道筋は正解だ。
「エルマに正確な矢を射られるはずがないではありませんか。わたくしの腕をかすったのですよ? それがどれほど難しいことか、隊長さんならばご存知のはずです」
そう言ってミルヴァは微笑むが、私は早くドラコの記憶を消去してほしいと思った。ただしドラコとの距離は、魔法が掛かる前に殺される間合いでもあるので、慎重に行動してほしい気持ちもあった。
「では、あくまで今回の誘拐は自作自演ではないと仰りたいわけですね?」
かなり追い詰められているというのに、ミルヴァはドラコに魔法を掛けようとしなかった。それはモンクルスの時のように、魔法が掛からないかもしれないという不安があるからなのかもしれない。魔法が効かなければ、ここで殺されてしまう可能性があった。
「わたくしには常に警護の目があるのですよ? それでどうして自作自演の誘拐を企てることができたというのです? 外部との連絡がなかったことは護衛官が証明してくれますでしょう」
やはりドラコに対して、それが暗示魔法だと気づかれないように呪文を唱えるのは難しいようだ。雷を落とすにしても、魔法が効かなかった場合は意味不明なことを口走っただけの行為となってしまうので慎重になっているのだ。
「誘拐犯の姿が見当たらず、縄で縛られた痕もなく、目隠しをされていたとしたら有るはずの布切れもなく、賊にとって無用の召使いが生かされたままだというのに、それでも自作自演の狂言誘拐をお認めになられないのですか?」
ドラコの追及がさらに厳しくなった。
「先ほどはドラコ、あなたが陛下を誘き出すためにわたくしを誘拐するように部下に命じたと仰ったではありませんか。それでどうして自作自演という話になるのですか? 狂言誘拐が事実ならば、あなたはわたくしに嘘をついたということになりますわね。何のためにそのような嘘をついたのか、よければ話して下さいませんか?」
ドラコがミルヴァを真っ直ぐ見据える。
「あなたを見つけるためですよ」
私たちの正体を見破ったのはドラコが初めてだ。
「今からおよそ四十年前、オーヒン国のあった土地は何もなかったと聞いています。それがわずか数十年で島一番の都市に成長させることができたのは、ジュリオス三世の帝政時に神官として仕えていた若い女の助言があったからなのです。当時のことを憶えている者は少なく、記録も残っていないのですが、少なくともモンクルスは部下たちにそのことを言い残していました」
モンクルスの記憶を消すことができなかったのが悔やまれた。
「その若い女は大陸から渡ってきた修行者で、豊富な知識と実行力で治世に貢献したと聞いています。オーヒンの人口が急増したのも、北方民族を移住させたのではなく、半島から連れてきたからで、それがその神官の政策だったというではありませんか。当時を知るデモン・マエレオス閣下にその神官のことを訊ねたことがあり、『記憶にも記録にもない』と否定されましたが、剣聖ははっきりと『オーヒン国は戦争の準備をしている』と部下に言い残しています」
記憶を消去しきれないと事実が矛盾として残ってしまうようだ。
「モンクルスは神官のことを調べていて、その若い女が度々半島を訪れていたことを突き止めています。それも交易が盛んだったクルナダ国ではなく、ジマ国に滞在していたことまで分かっているのです。そう、ジマ国とはアネルエ王女、貴女の母国ですね。違和感のあった幾つもの断片が、やっと繋がりました。貴女はジュリオス三世が暗殺された直後に消えた神官の娘ではありませんか?」
ドラコは持っている情報から考え得る最も正解に近い答えを導き出した。『モンクルスの再来』でも、流石にその消えた神官が目の前にいるミルヴァ本人だとは思い至らなかったようだ。それでも彼の推理力は人間界において抜きん出ているといえるだろう。
「すべての元凶が半島で起こった戦争にあり、カグマン王国が加担したことによって平和がもたらされましたが、クルナダ人に土地を奪われた貴女の祖国の人たちにとっては、それは決して平和とは呼べるものではなかった。だから貴女の母上は、いえ、伯母か叔母である可能性もありますが、その若い女は神官としてカイドル帝国に潜入したのです。すべては半島の戦争に加担したフェニックス家に復讐するためにね。そう考えると、すべての辻褄が合うのです。違いますか?」
動機は間違っているけれど、報復を目的としていることは見抜かれてしまった。
「そこを踏まえると、今回の誘拐事件でも今まで見えていなかったことが見えてきます。まず貴女はマエレオス家、当時はフィウクス家でしたが、その嫡男と婚約することでオーヒン国の中枢に入り込んだ。しかし婚約者であるイワン・フィウクスが死んだことによって当初の計画を変更せざるを得なくなったわけです。そこで目をつけたのがユリス・デルフィアス殿下だったのでしょう。ユリスの人柄を調べ上げた結果が、リンゴ園での自作自演の暗殺未遂事件だったというわけですね」
正解だ。
「その一方で、デモン・マエレオス閣下を通じてオフィウ・フェニックス王妃陛下とも繋がりがあった。いや、実際に面識があったかどうか分かりませんが、入れ知恵があったことは推察できるのです。なぜなら移民を使ってフェニックス家の荘園地で暴動を起こすというやり口が一緒だからです。これもモンクルスが残した記録ですが、三十年前に起きた協定破りの反乱とやり口が酷似しているのです。これまで多くの盗賊を捕まえてきましたが、犯行の手口というのは似るものなんですね。この場合は作戦内容の一致ですが、明らかに三十年前にオーヒン国周辺で起きた荘園地への襲撃と、今回の領主殺しを目的とした襲撃事件の狙いが一緒なのです。これは作戦を立案した人物が同じであることに他なりません」
それはミルヴァが直接下した指示ではないけれど、かつてのデモンや、今回のオフィウのように、会話の中から感化されるというか、閃きを与えてしまうことがあるのだろう。それも含めて暗示魔法の危険性でもあるわけだ。
「私のところにハドラ神祇官を経由して『移民を使って荘園地にいる領主を殺せ』との命令があったのですが、元を辿ればアネルエ王女、貴女の一族である、三十年前に消えた神官が命令を出したのではありませんか? 私はその正体を突き止めるために服従した振りをしたのです。もう互いに隠し合う必要はありません。つまり黒幕は、貴女というわけです」
完全に見つかってしまった。
「どれも想像の域を出ませんわね」
追い詰められたというのに、ミルヴァは悠然と構えていた。
「辻褄を合わせただけで、証拠が何一つございませんでしょう?」
ドラコが首を振る。
「誘拐犯がいないという、この状況そのものが証拠なのですよ? 私が現れなかったら、おそらくはデモン・マエレオス閣下に罪をなすりつけるつもりだったのでしょう。そのためにここまで荷馬車を運んだのです。それも復讐計画の一部だったのかもしれませんね。途中で計画を変更したから、早々に用済みとなったわけです」
絶体絶命とは、このことか。
「状況証拠というものは、必ずしも貴方に有利に働くとは限りませんことよ? 第三者の立場となって考えてごらんなさい。誘拐犯は存在しなかったなどと誰が信じるものですか。隊長さん、貴方が誘拐犯として捕えられるでしょうからね。いくらパナス王子とパヴァン王妃がご無事でも、貴方が容疑者で、わたくしが被害者であることに変わりはないのです。すべては幼君を担ぎ上げるための行動にしか見えないではありませんか。それで果たして陛下は、わたくしと貴方のどちらの言い分を信じるというのでしょうね?」
ドラコが微笑んだ。
「語るに落ちるとはこのことですね。私は王太子殿下と王妃陛下がご無事であるとは一言も申しておりませんでした。しかし、貴女はお二人が生きていることを知っていた。それこそがまさに何よりの証拠ではありませんか。貴女は王宮が襲撃されることも、その襲撃が計画通りにならず、暗殺が阻止されることも知っていたのです。そうじゃなければ、ご無事であることを断言することはできませんからね」
ミルヴァの負けだ。
「だからそれは隊長さん、貴方が幼君のお命を奪うはずがないと信じているからではありませんか」
そこでミルヴァが溜息をつく。
「これでは堂々巡りでございますわね。わたくしは残念でならないのです。どうしてわたくしたちが反目せねばならないのでしょう? 共に陛下をお慕いする仲ではございませんか。まさにこの状況こそ、わたくしたち以外の何者かが仕組んだことだとは思いませんか? 陛下がわたくしと貴方のどちらか一方の言い分を信じるにしても、もう一方が奪われてしまうことになるのですからね。ユリス・デルフィアスの生涯に、そんな悲劇などあってはならないのです。お母上を亡くされた傷がまだ癒えていないのですからね」
ビーナが書いたセリフのような言い回しだ。
「隊長さん、貴方は将来、石像になるようなお方なのですよ」
ここでミルヴァがドラコに石化魔法を掛けた。
「だから陛下に偽って王宮の襲撃に参加してはいけなかったのです」
ドラコが首を振る。
「貴女の正体を見破ることができたので後悔はありません」
モンクルス同様、ドラコにも石化魔法は通じないようだ。
「隊長さんの忠誠心には感心いたします。たとえ雷が落ちてきても、身体を張って陛下をお守りするのでしょうね」
お次は落雷魔法だ。
「陛下のお命を守っているのは私だけではありません。ミクロスやジジがいるから、陛下の元から離れて特殊任務に就くことができたのです。だから私一人が石像になることなどありえないのです」
雷魔法も通じなかった。
「その忠誠心はどこからくるのかしら? 隊長さんのことですから、陛下が海に落ちたとしても、飛び込んでお救いになられることでしょうね。たとえご自分の命が助からないと分かっていても、そうするに違いありません」
今度は水魔法だ。
「そのために兵士は泳ぎを身に付けねばなりませんからね」
ドラコには詠唱魔法が通じないようだ。
そこでミルヴァも観念したのか、魔法を掛けるのを諦めたようだ。
「それで隊長さん、これからわたくしたちをどうなさるおつもりかしら?」
ドラコがミルヴァから目を離さずに答える。
「陛下に引き渡しますよ、狂言誘拐の容疑者としてね」
「『嫌だ』と言ったら、どうしますか?」
「貴女に拒否権はないのです」
そこでミルヴァが長椅子から立ち上がった。
ドラコが制する。
「どうか、私に手荒な真似をさせないでください」
そう言うと、剣を両手に持ち直すのだった。
「わたくしに剣先を向けましたね?」
ミルヴァにドラコが振り下ろした剣を躱すだけの反射神経はない。
「座り直していただけたら、すぐに下ろします」
ドラコは一歩も引こうとしなかった。
「隊長さん、貴方にはわたくしを斬れません」
これは魔法ではなく、ただのハッタリだ。
「わたくしはユリス・デルフィアスの妻なのですからね」
今更そんなことを言って何になるのだろう?
「それはつまり貴方が属する国の王妃ということなのですよ?」
当たり前だ。
「貴方にわたくしが斬れますか?」
そこで振り返り、私に声を掛けるのだった。
「さぁエルマ、お外へ案内してくださる?」
私を先に歩かせて囮にするつもりのようだ。
それでも召使いになりきる必要があったので戸口に向かうしかなかった。
「こ、これは……、な、なにをした?」
そこでドラコが困惑した声を上げるのだった。
「だから言ったではありませんか。貴方にわたくしは斬れないと」
ドラコが剣を構えたまま固まっているのだった。
「掛かったの?」
思わず訊ねてしまった。
「『かかる』とは、どういうことだ?」
ミルヴァはドラコの問いに答えず、私を睨みつける。
「まったく、あなたったら」
そこでドラコに向き直った。
「鉄は熱に弱いって、ご存知かしら?」




