第四十話(172) マクス国王誕生
それから五日ほどオーヒン領内の領事館に滞在して、出発日の前日にマークス・ブルドンの国葬に参列することができた。私たちの計画に巻き込んでしまったことはすまないと思うけど、彼ほど国王に相応しい人はいなかったので、私たちに後悔はなかった。
ミルヴァが四悪人への報復に時間を掛けたのも、マークスが天寿を全うするのを待っていたからというのもある。マークスには繁栄した国のまま、全国民に泣きながら見送られる最期が相応しいと思ったからだ。
それにしても、どうしてパルクスやマークスが早く死んで、悪人は長生きしてしまうのだろうか? しかも人生の大半を何不自由のない暮らしの中で過ごすことができているのだ。その四悪人が大聖堂の二階大広間で酒を酌み交わしているというのが腹立たしかった。
軍務官と国防長官を兼任しているカイケル・コルピアスは、自分の領地に軍事基地を置いて数万の兵隊に自分の命を守らせるという暮らしをしていた。それでいて軍隊は他人任せで、自分は貿易の仕事にしか興味を持たないのだから無責任な男だ。
その貿易事業も交易路を軍隊に守らせるわけだから、他の商人とは背負うリスクの差が大きい。妻との間に実子は授からなかったけれど、親戚を集めて同族経営をしているので、ベントーラ領の領主としては国王のブルドン家よりも栄華を極めているのだった。
牧夫からオーヒン国の法務官の地位にまで昇りつめたアント・セトゥスは、息子の売り出しに夢中になっていた。どこにでも出向き、誰にでも顔が利くのが特徴で、その人脈を活かして息子の嫁探しを行っている最中とのことだ。
ビーナによると、現在セトゥス領でハドラ家の妻子を預かっているという話だ。狙いとしては、オフィウ派に見せ掛けて、オフィウの陰謀を阻止しようと動いているハドラ家に協力するという、二つの顔を持っておくという意味だ。
オフィウの計画を阻止できたら、ハドラ家の地位は安泰で、さらに、その娘のエリゼ・ハドラと息子を結婚させることができたら、孫を国王と結婚させることができるかもしれないわけで、その為の保険なのだろう。
それと同時に、ダリス・ハドラがクーデターの阻止に失敗した時に備えて、オフィウにハドラ家の妻子を人質として差し出すとも考えられるわけだ。アント・セトゥスは人を裏切ることで成功を収めてきたので、その成功体験がある以上は何度でも裏切るのである。
仲間から敵対者となった人たちと酒を酌み交わすデモン・マエレオスが何を考えているのか、私にはさっぱり分からなかった。それでもユリスを自宅に招いて接待したということは、興味がフェニックス家にあるのは確かだ。
オーヒン国では飽き足らず、カグマン王国そのものを乗っ取ろうとしているのだろうか? その昔、デモンとミルヴァが似ていると感じたことがあったけど、彼の言動を追うと改めて似ていると思ってしまう。
これはミルヴァとデモンによる天下取りの戦いなのかもしれない。高齢のデモンのチャンスは残りわずかだけど、彼の狡猾な頭脳が相手だと、今度もしてやられると思ってしまうから落ち着かなくなってしまう。
その一方で、ゲミニ・コルヴスの余裕ある表情も不気味に思えた。盟友のコルバ王が死に、オフィウ派に王宮の実権を握られ、協力的な荘園地の領主が何人も殺されているというのに危機感を抱いているようには見えないからだ。
これがガルディア帝国という後ろ盾を持っている余裕だろうか? ユリスに帝国の外交官が来島していることを秘密にしているところも抜け目のないところだ。紹介しないということは、ユリスのことを信用していないということの表れでもある。
そういえば三十年前もそうだった。この男はカグマン王国の王様という絶対的な権力者を利用してオーヒン国を自分のものにしたのだ。殺したはずのオフィウが生きていたものだから、そこで大陸の外交官を引き込んだのかもしれない。
どうやら人間の生き方には癖のようなものがあるようだ。しかもそれが成功体験として脳が記憶してしまうと、同じことを繰り返す傾向にあるらしい。ここからは、その生き方の癖をどのようにして逆手に取るかがカギになりそうだ。
ハクタ州の州都官邸に到着すると、三十年振りにエムル・テレスコと再会した。教会の捨て子から五長官職を得た成り上がり者だけど、私とミルヴァの顔は憶えていなかった。いくらモンクルスの愛弟子といえども、やはりミルヴァの記憶消去からは逃れられないようだ。
そんな彼は三十年前に国境地帯で多発した反乱を鎮圧させた働きが高く評価されていた。ただし、それもビーナが書いた台本の影響が大きかった。『モンクルスの弟子たち』という作品が長年に渡ってハクタ州の一番街で上演され続けてきたからだ。
それとコルバ王の妃を護衛する際に知り合った妹のカミーラと結婚できたというのも人生の転機だったようだ。いや、彼女の人生の方が劇的と呼べるかもしれない。縁談の話がある度に家に引きこもって、親の命令でも首を縦に振らなかったという変わり者だからだ。
それで念願だった恋愛結婚を叶えることができた相手がエムルだったというわけだ。その母親の自由な気質が影響したのか、二人の男子を授かったけど、長男は放蕩息子で、次男は決闘を好む問題児となってしまったのが気の毒なところだ。
それから新王宮に移動してオフィウ・フェニックスと息子のマクス王子に会った。口にしたことをすべて叶えてしまうので『ハクタの魔女』と恐れられているけど、それは本物の魔法使いであるミルヴァが正体を隠しながら七政院の人事に手を加えたからだ。
私たちから見ればどこにでもいる老婆だけど、オフィウに反対すれば身内に不幸が起こるので、普通の人間からしたら神通力が備わっていると思ってしまうのだろう。それでオフィウ派の勢力が拡大しすぎたため、ミルヴァが途中から抑え役になったわけだ。
しかしミルヴァが王宮を去った時には、もうすでに彼女の魔力は必要なくなっていたという話だ。その時にはすでにオフィウが口にした願いを実現させるために実行に移す幹部が揃っていたからだ。
どこにでもいる老婆を魔女に仕立て上げるのは簡単な作業だ。信心深い人ならば、それが神から与えられた役目だと自分に暗示を掛けるからだ。また、自己暗示だと自分で解くことができないので、暗示に掛かったら掛かりっぱなしだ。それが信仰の危うさでもある。
マクス・フェニックスも同様だった。どう見ても育ちが悪い子どもがそのまま大人になっただけの男なのに、亡き父王オルバの銅像そっくりに成長してしまうと、周りの者は疑いようのない事実として受け止めてしまうのだ。
人間は銅像に騙されるという効果を狙ったもので、ビーナの発案だけど、彼女は他にも『オルバ伝』という芝居をビナス・ナスビ―とは別名義で発表していて、大衆への意識の刷り込みを行っていたから完全に信じさせることができたわけだ。
オルバ王には半島に渡って戦果を挙げた事実などないのに、モンクルス並の英雄に仕立て上げて、伝説を作ることで偉大な王様だったと記憶を植え付けたのだった。臨終の場面では身重のオフィウに遷都の夢を託して息を引き取るというデタラメっぷりだ。
それでも勝手に信じてくれるのが大衆というものだ。ビーナの台本を基に島の歴史書を認める学者もいて、それが新王宮の書庫に蔵書されるというのだから恐ろしい話だ。一方で、そんな事実はないと訴えた老学者は処刑されたのだから、やはり恐ろしい。
ビーナが流行作家とは別名義で作品を発表した理由は、偽王子のマクスが島を統一して、世間に正体をバラす時に、ビナス・ナスビ―に批判の矛先を向かせないためだ。その時は改めてオルバ王の真実を描きたいと語っていた。
ただ、政争の道具として利用している捨て子のマクスには申し訳ない気持ちもあり、それはビーナも同じで、何とか救済するようにミルヴァにはお願いしてあった。幸いにして、恨まれるような性格ではないので暗殺される心配がいらないのが彼の良さだった。
目の不自由なオフィウの手を引いてあげて、会談があれば護衛ではなく、自分の背中でおんぶしてあげるのがマクス王子だ。それを自然にやるものだから、優秀な頭脳がなくても、王子にほだされる家臣が多いという話だ。
翌日、ドラコ隊による王宮でのクーデターが見事に成功した。パヴァン王妃とパナス王子が殺されたと思わせることもできたようだ。都で火事を起こして、そのどさくさに紛れて逃亡することにも成功したようだ。
殺された七政院の中でダリス・ハドラだけが唯一生き残ったので、自ずと疑いの目が彼に向けられた。ドラコ隊のミクロスが捜査に当たり、直ちに隊長であるドラコが容疑者として指名手配されてしまった。
ハドラとドラコにしてみれば、オフィウが陰謀の首謀者だと睨んでいても、他に誰が彼女に協力しているのか分からないので、クーデターを成功させたと見せ掛けつつ、容疑者となって逃亡を図るしかなかったわけだ。
一方で、混乱していたのはオフィウも同じだった。なぜなら彼女の立てた計画の中にはオフィウ派の官僚が殺される予定などなかったからだ。会議もユリス・デルフィアスに有利に進められてしまう始末で、完全に計画が狂わされてしまった、という様子だった。
そこでハクタの魔女に助け舟を出したのは、本物の魔法使いであるミルヴァだった。義理の伯母を気遣う振りをして、オフィウの居室を訪れて、そこで眠らせてから、『ハクタに戻ってオルバ王の墓へ行きなさい』と耳元で囁くのだった。
ミルヴァは王宮から出るわけにいかなかったので、私が彼女の代わりにオフィウに同行することとなった。私の他にはドラコ隊のジジと、護衛官のローマンと、新兵のペガスも一緒だった。そこで任された仕事は、彼らにオルバ王の幻を見せることだった。
そのために幻覚キノコの粉末を持たされていた。それを振り掛けてあげれば人間に望み通りの幻を見せられるようだ。ただし、使い方には細心の注意が必要だと念押しされていた。実験の結果、濃い霧の日か、霧雨が降る早朝か日没前が望ましいとのことだ。
焦ってはいけないと言われていたので、条件が揃う日が来るまで十日以上も掛かってしまった。それでも待った甲斐があり、オフィウだけではなく、監視役の三人にも同時に同じオルバ王の幻を見せることに成功した。
私がやったことは墓地の周りに幻覚キノコの粉を撒いて、木陰に隠れて『オフィウや――』と話し掛けただけだ。そうすることでその場に居合わせた者は勝手に私の声をオルバ王の声と思い込んでくれるという仕組みだ。
彼らには声を聞かせてさえあげれば、オルバ王の姿も勝手に脳内で作り上げてしまうと、そう聞かされていた。マクス王子にそっくりだという認識なので、全員が偽王子であるマクスと双子の兄弟が現れたように見えたというわけだ。
セリフに関しては事前にミルヴァからレクチャーを受けていた。隠し玉のフィンスが表舞台に舞い戻ってきたので、無理に争うのではなく、ユリスも含めて三人で国を分けるように提案するというのが、ミルヴァの策略だ。
これこそが歴史あるカグマン王国を解体させる最初の一手だという。狭い島の中にオーヒン国も含めた四人の王様を誕生させることで四分割に砕いたわけだ。若いフィンス王子から経験豊富なユリスを引き離す狙いもあるようだ。
この時、すでにミルヴァはユリスの許から離れることを決めていた。それは島一番の実力者であるゲミニ・コルヴスとガルディア帝国の外交官が手を組んでいることに危機感を抱いたからだ。
コルヴス家に潜入することは可能なので、早いうちにゲミニの狙いを突き止めておこうというのがミルヴァの狙いだ。当初の予定を変更する形だけど、ビーナが立てた作戦よりも、ジス家の人間をマークするのを優先したいと考えたのである。
早速ミルヴァはビーナの元に救難信号の意味を持つ灰色の鳩を飛ばした。これで早ければ三、四日で通信用のカラスが送られてくるというのが事前の取り決めだった。幸いにして、ユリスは国務で忙しいので自由が利くようになっていた。
いつものミルヴァならば記憶を消去して立ち去るところだけど、今回の場合は多くの人の目に触れてしまったので、全員の記憶を完全に消し去るのは難しいということで、事故か事件を装って、巻き込まれる形で姿を消すつもりのようだ。
その辺のところを踏まえた上で、通信用のカラスに説明して、後はビーナに任せてしまった。それから数日後に届いた返信には『峠で馬車事故を起こすから、その隙に逃げて』とだけ伝えてよこしてきた。
ユリスが新生カイドル国への帰国を決めたのは、それから十日以上も先だった。それでも急いだ方らしい。私たちには関係ないけれど、秋になると朝晩が冷え込んでしまうというのが理由だそうだ。そのためにも大急ぎで七政院の人事を刷新したのだった。
ビーナの立てた作戦では、峠で事故を起こすつもりだったようだけど、護衛隊長のミクロス・リプスが機転を利かせたため、直前の通信で『予定を変更して、明日コルピアス邸で待て』と伝えてきた。失われた古代語を暗号として用いたので他の者には解析不能だ。
オーヒン国の領事館に着いてから、ビーナが峠で暗殺未遂事件を起こしたことを知った。どうやら魔法の矢を用いて官馬車を谷底へ落としてしまったようだ。おそらくだが、それは警護兵の人員をユリスに多く割かせるのが目的だと思われた。
そのおかげでミルヴァがコルピアス邸に行く時には、ローマン率いる百人隊の一団だけのお供となったわけだ。どういった作戦で私たちを護衛から引き離すのか分からないけど、ビーナが演出している舞台に立つ役者のような心境になり、とてもワクワクした。
ビーナの作戦はこうだ。まず彼女はデモン・マエレオスとコルピアスの間で中古の絨毯を安値で売買する取引を見つけて、私たちがオーヒン国に到着するタイミングと重なったので、それを利用することにしたわけだ。
前日、搬入業者に偽造した計画変更書と報酬を支払って、丸ごと荷馬車を受け取って、新たに馭者を雇って当日に備えたのだった。ビーナも業者に成りすまして、正規の通行証と取引許可証を持参して、私たちの前に堂々と現れるのだった。
コルピアスの飼い犬に魔法を掛けて、ミルヴァの服を汚したのもビーナだ。その前に古代語の暗号でカラスに鳴かせて指示を送っていたので慌てることはなかった。それから着替えのために客室へ行って、そこで絨毯に巻かれて運び出されたのだった。
コルピアス邸のある旧ベントーラ領から脱出して、マエレオス領に向かう道の途中で巻かれた絨毯の中から出してもらった。そこで馭者に報酬を支払って、念のためにと私たちの記憶を消去させてから、歩いて帰るようにと暗示魔法を掛けた。
「完璧ね」
約半年ぶりに王族暮らしから解放されたミルヴァが明るい笑顔を見せた。
「当たり前でしょう」
と言いつつ、ビーナの表情は冴えなかった。
「でも、ミルヴァを護衛していたローマンは大丈夫かな?」
「大丈夫よ」
「カイドル国の王妃が建国されたその年に誘拐されたのよ?」
「彼に落ち度はなかった」
「やっぱり事故に見せ掛けた方が良かったかも」
「何を気にしているの? 上手くいったんだからウジウジしないでちょうだい」
ビーナが憂う。
「誰も傷つけずに目的を達するというのは本当に難しいことなんだね。護衛官のローマンはユリスがカイドル州に赴任してからずっと守り続けてきた男なの。今回利用した出入り業者だって、何年も掛けて信用を築いてきた人たちだし、作戦を立てたワタシが言うのもなんだけど、どうもスッキリしないんだよね」
人間を主人公にして本を書くようになってから、ビーナは本当に変わってしまった。
「あなたが気にすることではないの」
ミルヴァの信念はブレることなく揺るがない。
「わたしたちには崇高な理想があるのだから、その理想のために勝ち続けるだけよ。仮に事故に見せ掛けたとしても護衛が処分されることに変わりはないでしょう? かといって足の遅いマルンを連れて逃げ出すこともできないし、場合によってはその護衛官らを殺していたかもしれないの。そう考えると最善の方法で脱出できたと考えるべきなんじゃないの? わたしたちの理想を実現できたら、その時に改めてローマンや協力してくれた業者を優遇してあげればいいじゃない。わたしだって彼らを利用したいだけじゃないのよ? ほら、マークス・ブルドンのように、いい人はちゃんと報われるようにしてあげたでしょう? そういう世の中にするのが、わたしたちの理想なんだから」
ミルヴァは約束を破らない女だ。オーヒンの裏社会を仕切っていたザザ家を見放したのも、街の治安に努めてくれたワル・ザザが死んで、その息子たちの世代に引き継がれて腐敗してしまったからだ。
「そうだ!」
そこでミルヴァが閃く。
「だったらこうしましょう。アネルエ・セルぺスの誘拐をデモンのせいにしちゃうの」
「なにそれ、おもしろそう!」
ビーナの声が弾んだ。
「でしょう? そうすればローマンが責められることはないと思うの」
「うんうん」
ビーナが意地悪そうな顔をする。
「護衛隊長のミクロスなら出入り業者が怪しいとすぐに当たりをつけるでしょうし、そうすれば二、三日中にデモンを捕まえて事情聴取を行うはず。そうすれば厳しい尋問が待っているだろうし、どんなに本人に心当たりがなくったって、あのジジイの言葉を信じる者なんていないんだから、拷問から逃れることはできないわよね。無実を訴えれば訴えるほど拷問が長引くことになる。カイドル帝国を滅ぼした最後の皇帝が、新生カイドルの国王に殺されるのだから、それこそ国賊に相応しい死に様といえるわね。問題はアネルエとエルマの死体が用意できないことだけど」
ミルヴァが回答する。
「さすがに幻を見せるわけにはいかないから、この絨毯を積んだ荷馬車をマエレオスの本邸に置いてくるのが限界ね。それでもまともな取り調べにはならないでしょうから、後はユリスに期待しましょう。わたしのことを大切に思ってくれていたなら、デモンを処刑してくれるでしょう」




