第三十九話(171) ケンタスとの邂逅
幽霊騒ぎが起こった王城跡の調査に向かった三人の兵士だったが、翌日になっても戻ってくることはなかった。そこで今度は十人のベテラン兵を向かわせたところ、一人を残して九人全員が帰らぬ人となってしまったのだった。
「死んだ者たちは、みな家族のようなものだった……」
そう言って、ベッドの中のユリスはミルヴァの胸に顔を埋めるのだった。
そんな彼をミルヴァは慰めるように包み込む。
「やはり賊の仕業なのですか?」
「うん。フィルゴはひと月前に起こった盗掘事件と関連付けている」
補佐官の思考をそのように導いたのはミルヴァだ。フィルゴと話している時に『王家の墓』という言葉を使い、それで彼が勝手に関係のない盗掘事件と幽霊騒動を結び付けたわけだ。これもミルヴァによる暗示魔法のテクニックの一つである。
「賊が相手というならば、キルギアス隊長にお願いされてはいかがなのですか?」
ミルヴァがドラコを調査に向かわせるように誘導した。
「ドラコには別件の調査を頼んだばかりなんだ」
「そうでしたか、隊長の代わりが務まる人が他にいればいいのですが」
そこでミルヴァは子守唄を歌い始めるのだった。
翌日、ビーナの予想通り、ケンタス・キルギアスが王都からカイドルの州都まで二十日もかからずにやって来た。普通の兵士なら倍の日数でも優秀と認められる速度なので驚異的なスピードだ。道に迷わなかっただけでも普通以上である。
「今日はドラコの弟が伝令兵として来たんだ」
この日もベッドの中でユリスが一日の出来事をミルヴァに報告するのだった。
「それで彼に王城跡を調べてもらうことにした。新兵だから心配だけど、彼はドラコの弟だから期待に応えてくれると思うんだ。ドラコの代わりが務まるのは他にいないからね」
部下に優しいユリスのことだから、ミルヴァに洗脳されていなかったら少年兵に危険な任務を頼むことはなかっただろう。ましてや長旅を終えたばかりだ。そんな子どもたちに続けざまに仕事を命じるはずがない。
昨夜ユリスが寝入る前にミルヴァが呟いた『隊長の代わりが務まる人が他にいればいいのですが』という言葉が効いているのである。たったこれだけのセリフを言うだけで、ユリスに暗示を掛けることができてしまうのだ。
問題は、ミルヴァがキルギアス兄弟を殺そうとしていることだ。モンクルスに魔法が効かなかったことで、ミルヴァの心の中には剣豪や英雄と呼ばれる男に対しての恐怖心が芽生えているのかもしれない。
この場にビーナがいたら幻覚キノコの実験を止めるだろう。私は彼女の代わりに意見すべきだろうか? もしもケンタスの身に不幸が起こってしまったら、ビーナはミルヴァのことを許さないような気がするからだ。
その一方で、ケンタスに英雄の素質があるのか見てみたい気持ちもあった。パルクスの時がそうだった。彼が窮地を脱したのを見て、パルクスを島の指導者にしようとしたからだ。
ということで、ミルヴァを信じて、彼女に意見するのは止めておくことにした。余計なことを言うとすぐに機嫌を損ねるし、ビーナ寄りの発言をすると結託していると思われるからだ。
その日の夜、ビーナからカラスの通信が入った。私とミルヴァはすでに居室で寛いでいるところだった。寝室で寝入っているユリスは朝まで目を覚ますことはない。なぜならミルヴァが起こさなければ自力で目を覚ますことができないからだ。
『これから話すことは事情が複雑だから注意深く聞いてね。どうやらオフィウ・フェニックスがコルバの息子を殺そうとしているみたいなの。パナス王子を殺してしまえば自ずとマクスが次の国王になれるものね。それで七政院のオフィウ派の官僚が全員で結託して暗殺しようとしているんだけど、そんな中、ハドラ神祇官がその計画を阻止しようと裏をかこうとしているのよ。その協力者がドラコ隊のランバ・キグスなんだ。おそらくドラコもハドラ神祇官の味方だと思う。彼らはパナス王子とパヴァン王妃を命に代えてでも守ろうとしているのね。荘園の領主殺しが各地で頻発しているけど、それもドラコ隊の仕業だったの。コルヴス派の領主を一掃したいオフィウの信頼を得るための行動と思ってちょうだい。領地で悪行三昧の日々を送っていた奴らだから、ワタシたちにとっても良かったかもしれないわね』
ドラコが七政院の大貴族と繋がっていることは、ミルヴァや私はもちろんだけど、直接の上司であるユリスですら知らないことだ。市外警備と称してブラブラしているだけかと思ったら、ちゃっかりと裏で行動を起こしていたようだ。
『ドラコがどうやって王宮の中で予定されている暗殺計画を阻止するのか分からないけれど、それが成功したらマクス王子に戴冠させるというウチらの計画が狂ってしまうかもしれない。場合によっては現職の七政院の面々が刷新されるかもしれないし、そうなって喜ぶのは王宮の支配権が弱まっていたゲミニ・コルヴスなのよね。ドラコは失敗するような男じゃないから、今度はゲティス・コルヴスとパナス王子擁するダリス・ハドラによる共存体制が生まれてしまうかもしれないの。そうなると幸せな状態でゲミニのオヤジが死を迎えちゃうんだけど、ねぇ、どうするの?』
四悪人を地獄送りにするのが正しい社会の在り方というものだ。
『それに関連しているか分からないんだけど、ケンタスに逮捕状が出ちゃったのよ。ハドラ神祇官が絡んでいるんだけどね、どうやら海外での強制労働が課せられるみたいなの。おそらくだけど、暗殺計画が失敗したらケンタスにも迷惑が及ぶから、それでドラコは国外に退去させたのね。といっても始めから意図したものではないから、行き違いが起こっている可能性もあるけどさ。処分が確定しても、ワタシはそれでも構わないと思ってるんだ。だってケンタスは戦乱から生まれる英雄ではなく、戦争が終わった後の混乱を収めるのに必要な英雄なんだもん。だから彼には今回のゴタゴタで死んでほしくないの。だからミルヴァも彼のことを守ってあげてよね』
ミルヴァはケンタスを幻覚キノコの実験台にしようとしているところだ。
『海外で思い出したけど、ゲミニ・コルヴスの元にガルディア帝国の外交官が来てるの。クルナダ国の特使と一緒にね。名前は、えっとね、……そうそう、ガルディア人の方がバドリウス・ジス・アストリヌスで、クルナダ人の方がウーベ・コルーナだって。前者はジス家を名乗れるくらいだからかなりの大物ね。ただし、本物かどうかは分からないけど』
王族を騙るペテン師は数千年前から存在する太古から続く職業だ。
『ワタシからは以上だけど、最後に一つだけ言っとくね。アタシは別にケンタスのことが好きだから贔屓にしているわけじゃないの。そういう次元の話ではなくて、将来ケンタスの生涯を舞台化させる時に、観客を熱狂させるような生き方をしてほしいのよ。だからミルヴァには余計な真似をしてほしくないわけ。いい? 間違っても魔法で殺そうなんて思わないことね。それだけは約束してちょうだい』
ミルヴァが伝令を務めるカラスに向かって反論する。
「ケンタスに限らないけれど、フェニックス家に忠誠を誓う兵士というのは、わたしたちにとって打倒すべき敵なのよ? そのことを忘れたわけじゃないわよね? 王族をこのまま存続させるということは、ガルディア帝国の支配地域が広がってしまうことを意味するんですからね。ほら、現に帝国の外交官が現れたって報告してくれたばかりじゃない。だからガルディア人のために戦うキルギアス兄弟がわたしたちの味方になることなんてないの。彼らが王族、つまりは国の為に戦うというのなら、わたしたちも新しいオーヒン国のために戦わなくてはならない。それを忘れないでちょうだい」
これはミルヴァが正しい。
「それと、わたしたちはこれから王都に向けて旅に出るから伝令は受け取れないと思う。途中でオーヒンに寄ると思うから、そこで直接会って話しましょう。でも、こちらは身動きが取れないから、あなたの方から会いに来てよね。会う方法はあなたに任せる。それじゃあ、その時にね」
それだけ言うと、カラスを飛ばすのだった。
明くる朝、新兵の三人が夜明け前に王城跡へ調査に出掛けたらしく、それからしばらくしてケンタスが瀕死の状態で運ばれてきた。ユリスから聞いた話によると、王の間でパルクスの亡霊と戦ったとのことだ。
カグマン人の新兵三人がパルクスの亡霊を見るのは、ジュリオス三世を暴君として刷り込むという、無理やりな歴史教育を施しているからだろう。国を挙げての歪んだ教育が幻覚を見せるわけだ。
今回の結果もミルヴァにとっては有益な実験データとなった。彼女はケンタスがパルクスの亡霊と戦って痣だらけの姿になったことに着目したのだった。それは物理攻撃を受けていなくても、身体は受けたように反応してしまうことが実証されたからだ。
ケンタスは夜になっても目を覚まさなかったので、心配になって様子を見に行くことにした。ミルヴァからは記憶を消去させるのが面倒だからと止められていたけど、好奇心には逆らえなかった。
「失礼します」
使用人の代わりに着替えを届ける役目を引き受けた。
「お着替えをお持ちしましたので、こちらに置いておきますね」
「あっ、どうも、わざわざすいません」
ケンタスを看病しているペガス・ピップルが返答した。彼はケンタスの幼なじみで、ただそれだけの男の子というのがビーナの評価だ。茶色の髪を持つのでガルディア系カグマン人だ。私も平凡な印象しか持てなかった。
「まだ、お目覚めになられないのですか?」
「あっ、気にしないでください。大したことないですから」
言葉の通り、ペガスに心配した様子は見られなかった。
「本当に大丈夫かしら?」
と言いつつ、ベッドで眠りに就くケンタスの顔を覗き込んでみた。瞳の色は分からないけれど、黒紫色の髪をしているので古代ウルキア系の先住民で間違いなかった。私には、髪があるけど髭のないドラコという、平凡な男にしか見えなかった。
でも、こうして見つめていると、ビーナが気に入る理由がひと目で分かった。もっともらしいことを言っていたけれど、彼女は可愛らしい顔をしている男の子、それも身体が大きくて強さを兼ね備えている勇ましい男の子がタイプだからだ。
ビーナは舞台人なので視覚に映える人間を好むのだ。ドラコもそうだけど、何よりも声が素敵だと言っていた。あとは所作もそうで、一挙手一投足が美しいという評価だ。でも彼女が言うには、それが人間界における偉人の定義ということらしい。
「他にご用はありますか? 遠慮なさらず申し付けてくださいね」
「いいえ、大丈夫です」
ぺガスが即答した。もう一人、ボボという男の子がいたけれど、彼は何も言わずに首を振るだけだった。暗闇なら気配すら感じることができないような、ちょっと怖い少年だ。リング領の領民がそんな感じだ。
髪は剃り上げているけれど、目は灰色がかっているので先祖が北方移民の先住民だ。陽気さがないのも特徴的だ。モンクルス領からの徴兵なので、三十年前の戦乱で島の南方へ移住してきたのだろう。
「ご用がなければ、これで失礼します」
ケンタスの顔を見ることができただけで、他は特に収穫がなかった。
コルバ王の葬式と新しい国王の即位式に列席するため、翌日の早朝に州都を出た。オーヒン国の手前まで行くのに二十日以上も掛かってしまった。風を使えば数日で往復できる距離だけど、そういうわけにもいかないので官馬車で大人しくしているしかなかった。
旅の途中の宿泊所には困らなかった。こういう時のために馬車道をならしたり、教会を建てたりしているからだ。渡し船が必要な大河では、向こう側に乗り換え用の官馬車を用意してあった。狭い島なので移動に困るのは峠越えくらいだろうか。
マエレオス領で二・三日滞在することになったので、ユリスがデモンと話し合いをしている間に、ビーナが潜伏している役場町の教会で彼女と密かに再会することができた。ミルヴァが結婚する前にお世話になった場所なので不自然な行動と思われることもなかった。
「相変わらずカビ臭いわね」
教会の書庫を訪れたミルヴァが顔をしかめた。
「掃除する暇もないほど忙しかったの」
教会で司書を務めるビーナが言い訳をした。
「忙しいって、あなたの新作の主人公が目を覚ましたっていうこと?」
つまりケンタスのことだ。
「そう、彼は完全に目覚めたんだと思う」
「何を言っているの?」
「ケンタスは悟りを開いたのよ」
「意味が分からないんだけど」
「そのうち嫌でも分かる時がくる」
私たちのマークス・ブルドンのような偉大な王様になるということだろうか?
「あの子は幻にすら勝てない子なのよ?」
「パルクスの亡霊を見たそうね」
「死にかけたらしいけど」
「それを彼の自伝の最初の山場にしようと思う」
「最後の山場の間違いじゃない?」
ミルヴァの言う通り、私もケンタスがそれほどの男には思えなかった。
「そうね」
ビーナが同意しつつ、説明する。
「歴史はケンタス・キルギアスの名前を後世に残さないかもしれない。同時代に生きる者ですら彼の才能に気づいてあげられないの。これから五百年先、いや、もっとね、千年先の未来を変えるかもしれないのに、誰もその可能性を予見する者がいないのよ。といっても、ワタシだから知ることができたというのがあるんだけどね」
多くの者にとってケンタスは『ドラコの弟』という認識だ。
「明日、ケンタスはハハ島に向けて航海に出る」
「あら、元気になったのね」
「あなたたちが官邸を出たその日に彼らも出発してるのよ?」
それは知らなかった。
「それどころか、王宮でクーデターが起こる情報を掴んで慌てて王都に帰って行ったんだから。それでクミン王女を避難させたの。ワタシもカラスの盗聴だけが頼りだから詳しい事情は分からないんだけど、今は死に別れたはずの母親と暮らしているみたいね。ほら、ハクタの州都長官がフィンス王子を匿ってるでしょう? これで本当に王宮が襲撃されたら、不思議な巡り合わせで、奇跡的に命が助かったということになるわね。そういう意味でもケンタスというのは不思議な少年なのよ」
ミルヴァはそういった芝居のような表現は好きじゃない。
「前にも話したと思うけど、ガルディア系の王族であるフェニックス家というのは、わたしたちにとって打倒すべき相手なのよ? ゲミニ・コルヴスにゲティスという息子がいるでしょう? 彼は父親の影響で近親者であるクミン王女との結婚を望んでいるの。ケンタスが余計なことをしたばっかりに、そんなことが実現したらどうするの? 今度はコルヴス親子に二代続けて出し抜かれる結果を招くかもしれないじゃない。モンクルスもそうだったけど、国王に忠誠を誓う者ほど厄介な存在はないって、いい加減、理解したらどうなの? キルギアス兄弟はわたしたちの足を引っ張る存在よ? というより、もうすでに状況をかき乱しているじゃない」
ビーナが冷静に反論する。
「ゲティスを洗脳したのはミルヴァ、あなたでしょう? 父親のゲミニに大切なものを奪われる苦しみを味わわせたくて、あなたがオフィウ派に対する敵愾心を植え付けたんじゃない。そのオフィウに陰謀を巡らせたのもミルヴァの誘導だし、フィンスを避難させたのも、すべてはあなたが導いてきた結果なのよ。それはワタシたちがいなくても起こり得たことだからいいとしても、国王に忠誠を誓っている兵士を目の敵にするのは止めましょうよ。だって彼らも王政の犠牲者みたいなものなんだから。むしろ彼らの精神を解放してあげるにはどうしたらいいかと考えてあげる必要があるんじゃない? オーヒン国を取り戻すことができたら、そこでもちゃんと国の為に働いてもらう必要があるんだし、ガルディア系国家に仕えていたからといって、すべての兵士を亡き者にする必要はないのよ」
これまで三十年間に渡って何百回と話し合ってきたことだ。
「わたしたちのオーヒン国を取り戻す気持ちは変わってないようね」
そう言うと、ミルヴァは意地悪そうに微笑むのだった。
「当たり前でしょう? ゲミニやデモンら四悪人を、そのまま悪人として描くには世の中を変えるしかないんだから。王政が存続しては、王族に連なる人物の悪行を世間に訴えても、上演禁止になってしまうものね」
ビーナは日頃から『表現の自由』こそが最も重要だと訴えていた。
「ただ、気になるのは四悪人をしっかり成敗できるか難しい状況が生まれているのは確かなのよね。というのも、オーヒンの二代目の国王の座を巡ってゲミニ・コルヴスとアント・セトゥスが完全に対立しちゃったんだもん。これまで欲を見せなかったセトゥスのオヤジが、息子可愛さに権力を奪いにきたのね。コルヴス家の独裁に危機感を抱いていた高級官吏を囲い込んで息子を擁立したの。それで選挙であと一歩のところまでいったんだけど、そこにガルディア帝国の高官が現れて、コルヴス家には強力な後ろ盾があることをゲミニが見せつけたわけ。近々二回目の投票が行われるでしょうけど、そうなるとゲティスで決まりね。ミルヴァがその結果を良しとしないならば変わる可能性もあるでしょうけど、どうするの?」
元々ミルヴァはゲティスを二代目の国王に据えるためにコルヴス家に潜入していたので、選挙結果は望むところだろう。誰が二代目の国王になっても短期政権になることが確実なので変更はないはずだ。
「選挙はどうでもいいけど、そのガルディア帝国の外交官というのが気になるのよね。本物の王族ならば利用しない手はないじゃない。その場合、フェニックス家との結婚が裏目になることもあるけど、魔法に掛かりやすい男なら、ここで仕切り直して、その男と一緒に大陸の帝都に行くというのもありなのよね。そうすれば一気に本丸を落とせるじゃない?」




