第十七話 ヴォルベとフィンス
夕陽の決闘は初めから勝負になっていなかった。ケンタスの相手をしたハクタの兵士は剣を扱う練習を一切してこなかったのだろう。両手で構えるのが精いっぱいで、武器が武器として機能しておらず、自分の動きを封じる重しになってしまっていたのだ。
剣を扱えないならば、まだ素手で戦った方が勝機は見い出せていたはずだ。素直に短剣で戦うのもありだ。いずれにせよ、ケンタスにダメージを負わせることは不可能だが、少なくとも衆人を楽しませることはできたはずである。
それにしても、ハクタ兵は優秀だと聞くが、それ以前に、全国的に兵士のレベルが低下しているという話の方が本当だと分かった。
「頼む、その剣だけは返してくれ」
ケンタスの前に跪き、兵士が両手を組んで懇願した。
「返すのは構わんが、これだけは約束してくれ」
「ああ、約束する。何でもするさ」
「ならばオレたちの代わりに、これからあの店で揉め事が起こった時、店主を守ってやるんだ。それがオレたち兵士、本来の仕事だからな」
そう言って、剣を返すのだった。
「それでは食事をいただくとしよう」
ということで、俺たちは店に戻って夕飯を食べることにした。
「何が『揉め事は起こしませんよ』だ。約束が違うじゃねぇか」
と店主が抗議しつつも、本気で腹を立てている感じではなかった。
「いい宣伝になったじゃないですか。ほら、さっきよりも客が増えてる」
とケンタスが微笑んだ。
「バカ野郎。忙しいのは好きじゃねぇんだよ」
店主は怒った振りをしつつ、別のテーブルへ注文を取りに行くのだった。店内を眺めると、確かにカウンター席までびっしりと新しい客で埋まっていた。食事中も声を掛けてくる人がいたので落ち着くことはできなかったが、悪い気分ではなかった。
皿洗いをしてからサインの交換をして店を出た。サインの交換をしなければ店主の懐に金が入らないからだ。俺たちも店主のサインを持って、町を出る時に役所に持って行かなければならなかった。
店を出て裏の厩舎に戻ると、俺たち三人を待ち構えている者たちがいた。先ほど決闘した兵士の上官が仕返しに来るパターンを予想していたが、そうではなくて、見るからに年下の少年二人組だった。
「君たちの中にドラコの弟がいるんだってね」
生意気な言い方をする子どもだ。
「まぁ、どう見ても先ほど決闘した君だろうけどね」
当たっているが、なんか腹の立つ言い方だ。
「ほら、こちらが訊ねているんだ。ちゃんと答えてくれたまえ」
ケンタスが片膝を突いて答える。
「その通りです。私がドラコ・キルギアスの弟で、名をケンタスと申します」
「顔を上げてくれ。堅苦しい挨拶は苦手なんだ。で、他の二人の名前は?」
問われたので俺とボボも名前だけ答えることにした。
「なるほどね、ケンタスとぺガスとへルクスか。へルクスよりはボボの方がいいね。うん、憶えたよ。僕の名前はヴォルベだ。そして彼がフィンスだけど、家名の方は気が向いたら教えることにしよう」
この生意気な口を利く赤紫髪のヴォルベというガキは、見た目は俺たちと変わらないが、一緒にいる友達が幼いので二つか三つは年下のはずだ。服装は平民の格好を真似ているが、悔しいけど振る舞いから貴族の子どもに間違いないと思われた。
茶色髪のフィンスの方は身体が小さいのだが、兄弟という説明はなかったのでただの友達だろう。平服を着ているが、キノコのような髪型をしており、髪質がサラサラしているので、こちらも貴族であることは間違いないだろう。
今の時代、貴族社会も複雑なのだ。大衆から常に興味を持たれ、行動の一つ一つが噂の種になってしまうからだ。というのも、落ち目になりそうな貴族に借金を踏み倒されないないためにも敏感にならざるを得ないわけだ。
没落貴族の特徴は使用人が減っていくので簡単に見分けがつくと聞く。本物の貴族なら取り巻きを連れて外出をするので顔さえも拝むことはできないのである。それと貴族の方から平民に話し掛けることもないので、やはり落ち目の貴族というわけだ。
また、訳あり貴族は既に断絶していても家名を騙ることがあるので注意が必要だ。実際は処刑を逃れただけの者も、見知らぬ地方に行けば、その土地の名士が家名欲しさにチヤホヤするので、落ちぶれても騙し騙し生きることができるのだ。
つまり、貴族といっても千差万別というわけだ。この二人組の子どもも貴族には違いないが、子どもだけで外出が許されている時点で、貴族の中でも下の下で間違いない。ひょっとしたら、もうすでに家名を取り上げられている可能性もある。
これは町の噂だが、家名を取り上げられた貴族ほど悲惨な末路はないと聞く。血縁者が丸ごと粛清されることもあれば、先祖の墓まで掘り返されて、棺がゴミ処理場に移されて埋め立てられることもあるそうだ。貴族社会は本当に気味の悪い話が多いのである。
「僕はね、ケンタス、君のことがとっても気に入ったんだ」
ヴォルベの言葉遣いは生意気だが、気持ちは純情そうだ。
「だから今日は僕のお家に招待するよ。いいや、本当はフィンスのお家なんだけどね」
子どもが勝手に新兵を家に招待するということは、やはり没落貴族のようだ。
「迷っている暇はないよ。僕たちは日没までには帰らないといけないからね。こう見えて、父上の前では行儀のいい子どもで通っているんだ」
ものすごく不安だが、どうやら俺たちに選択肢はないようだ。
「お家は丘の上にある。さぁ、僕たちを馬に乗せてくれたまえ」
というわけで、俺たち三人は二人のガキを馬に乗せて丘の上へと向かった。この少年らが言うには、家は丘の上の役人街にあるという。金持ちの商人ではないので騙しているわけではなさそうだが、魂胆がないとも思えなかった。
ケンタスがフィンスを前に乗せて、俺が小生意気なヴォルベを乗せることになった。その組み合わせを決めたのはヴォルベだ。リードしているが、常にフィンスのことを一番に考えている節がある。ちょっとした差かもしれないが、位に違いがあるのかもしれない。
といっても名家の大事な跡取り息子ならば日没まで酒場をウロウロさせることなど有り得ないのだから、貴族の家に出入りしている使用人の子どもが貴族の振りをしているのかもしれない。使用人の子どもならば物真似も上手にできると考えられるからだ。
「ケンタスがドラコの弟だってよく分かりましたね」
と馬上で二人きりになったので、ヴォルベ少年に話し掛けてみることにした。
「店主に君たちの名前を聞いたからさ」
「名前だけで分かったんですか?」
偽物の貴族だと思うが、言葉遣いだけは丁寧にしておいた方が無難だ。
「キルギアスと言えばドラコが有名だからね。『モンクルスの再来』と呼ばれた男だ」
「よくご存じで」
「それでもケンタスが決闘を受けなければ、店主に声を掛けることはなかっただろうな」
「全部見てたんですか?」
「もちろんさ。君たちがあの店に入って来た時から見ていたんだぞ」
「まったく気がつきませんでした」
「それは注意力と記憶力が足りないな」
コイツが偽物の貴族だと分かったら、その時は目の前にある、この頭を殴ってやろう。
「どうかしたか?」
とヴォルベが振り返り、俺の顔を覗き込んだ。
「いいえ、なんでもありません」
誤魔化したものの、その端正な顔立ちが余計に憎らしく思えた。
「それならいい」
とヴォルベは前を向いた。
「それで、どうしてドラコの弟に声を掛けようと思ったんですか?」
「それは用があるからに決まっているだろう」
「用っていうのは?」
「それはケンタスに直接話す」
ヴォルベは俺の事をケンタスの家来とでも思っている感じだ。感覚の問題なので俺にしか分からないだろうが、位や階級に敏感なのは確かなようだ。生粋の貴族である可能性が高まったが、いずれにせよ、複雑な事情を抱えてそうな雰囲気がある。
「ここで下ろしてくれたまえ」
そう言って、ヴォルベはフィンスを連れて門を構えた邸宅へと向かって行った。門兵が見張りをしているような家で、そこに正面から入っていったということは、間違いなく名家の子息だということが判明したわけだ。
王都の貴族ならば考えられないが、ハクタ州では子どもを自由に遊ばせる貴族が存在しているということだ。いくら土地によって風習や慣習が違うからといって、貴族の決まり事が極端に変わるとは信じられなかった。
「さぁ、行きたまえ」
ヴォルベが合図をくれたので、俺たち三人は門を潜ることにした。見張りの門兵は警戒することなく通してくれた。この二人の少年は、どれだけ位の高い貴族だというのだろうか。私兵ではないということは、州の高官の家ということだ。
ところが門を抜けて見えてきたのは、どこにでもある、こじんまりとした石造りの二階建て家屋だった。見張りを立たせている割には簡素というか、質素な暮らしぶりを窺わせるような外観だった。
「それじゃあ、僕は急いで家に帰らないといけないから、この辺で失礼するよ。家人には事情を説明してあるから、君たちはゆっくり寛ぐといい。それでは明日また会いに来るから、僕が来るまで待っていてくれたまえ」
そう言うと、ヴォルベは走って門を潜り抜けて行ってしまった。
「ここからは僕が案内します」
初めてフィンスの声を聞いた。気が小さいだけの少年かと思っていたが、どうやら上品すぎるだけだったようだ。いや、正直なところ門兵を抱えている邸宅に暮らしていることが分かったから、急に上品に思えたのだ。
「今晩はこちらで休んでください」
と通された客間は、まるで住み込みの使用人が利用するような部屋だった。
「すみません、使用人のお部屋しか空いてなくて」
やっぱりそうだ。
「火の元だけは気を付けてくださいね」
部屋の中には一本の蝋燭の火だけがゆらゆらしていた。
「それと、僕は二階にいますが、用があっても二階へは上がって来ないで下さいね」
ケンタスが黙っているので俺が訊ねてみる。
「二階に上がってはいけない理由って何ですか?」
「それは母上が休まれているので驚かせたくないんです」
「そうですか」
と言ったものの、理解に苦しむ答えだった。
「それでは失礼しますね。用がある時は向かいの部屋に使用人がいますので、そちらにお願いして下さい」
フィンスが出て行って、俺たち三人は途方に暮れてしまった。
「どうしたものかな?」
「今日のところは眠るしかなさそうだ」
ということで俺たち三人は早々に寝入ってしまった。寝る前に色々と話したいことがあったのだが、ケンタスは拒むように布団を被ってすぐに寝息を立ててしまった。ボボも信じられないくらい眠りに入るのが早い男なので、俺一人がモヤモヤしている状態だ。
翌朝、目を覚まして改めて部屋の中を見渡してみたのだが、かなり傷みが激しいことが分かった。おそらくしばらく誰も住んでおらず、長い間放置されていたのではないだろうか。綿の詰まった上等な寝具だけが最近になって運び込まれたようだ。
「おめでとう、合格だ」
ヴォルベが急に部屋に飛び込んできて、そう告げた。
「本当は二、三日様子を見たいところなんだけど、君たちもそうだが、僕たちの方も時間がなくてね、いつまでものんびりしていられないんだ。でも、何日続けても、君たちのことだから疑われるようなことはしなかっただろうね。僕の目に狂いはないんだ」
「合格とは、何のことですか?」
俺もボボも寝ぼけたままなので会話はケンタスに任せた。
「それは朝食をいただきながら説明するよ。庭に用意させておいたからね」
ということで円卓を五人で囲みながら朝飯をいただくこととなった。貴族の子どもと食事を共にすることなど現実では起こり得ないことだ。といっても、ヴォルベとフィンスはすでに食事を済ませており、手にしているのは根菜を煮詰めたお茶だけだった。
その根菜茶は泥水を飲んでいるみたいで不味かったが、燕麦の牛乳掛けは今まで生きてきた中で一番美味しい食べ物かもしれないと思った。何より麦にまぶした砂糖が絶品だ。話には聞いていたが、砂糖以上の輸入品はこの島には存在しないのかもしれない。
砂糖はここより南にあるハハ島原産で、大陸への輸入が大半なので、我々の島には中々入って来ないと商人が言っていた。俺たちにとって甘味料といえば蜜なので、粒子で扱える砂糖は宝石のようなものなのだ。
「それで、私たちは何に合格したというんですか?」
世間話と食事を終えると、ケンタスが本題を切り出した。
ヴォルベが咳払いをする。
「君たち三人は昨夜、ちゃんとフィンスの言い付けを守ってくれたそうだね。家の中をコソコソ嗅ぎ回ったり、内緒話をしたりしなかったそうじゃないか。僕たちにとって余計な詮索はしない、っていうことはとても重要なことなんだ」
どうやら俺たちは昨夜からずっと見張られていたようだ。それでケンタスは俺の相手をしなかったわけだ。ケンのことだから、きっと見張り人の気配を感じていたに違いない。何はともあれ、俺の余計なおしゃべりで追い出されずに済んで良かった。
「改めて自己紹介をしておくよ。僕の名前はヴォルベ・テレスコだ。王都から来た君たちは知らないかもしれないが、ハクタ州の州都長官を務めているエムル・テレスコは、僕の父なんだ」
これまた微妙な役職だ。州都長官といえば五長官職の一つであるが、生粋の貴族しかなることができない七政院の官僚とは天と地ほどの差がある。陣営隊長の次男坊であるカニス・ラペルタが徴兵に取られている時点で、その地位の低さが推し量れるというものだ。
五長官職は縁戚関係を結べば平民でも成り上がることができるため、本物の貴族からは蔑まれることもしばしばだ。俺たち平民にとっては立派に見えても、貴族社会では差別を受けるという複雑な構造になっている。
腐り切った軍閥を形成しているのも五長官職の特徴だ。貴族社会の底辺で、同じ階級の者同士が争いを繰り広げているわけである。平民でも成り上がることができるため、民衆を苛め抜いているのも、実はこの階級だったりする。
また五長官職は七政院と違って終身制ではないので、任期を待たずに解任されることがある。国王が代わるタイミングや遷都が行われる時期に人事が刷新されてしまうかもしれないので、現職の長官でも落ち着いていられないのである。
「首都長官のご子息が、なんでまた州の違う私たちに用があるというのでしょう?」
とケンタスが尋ねた。
ヴォルベがケンタスのことを真っ直ぐ見つめる。
「それは僕たちに力を貸して欲しいからなんだ。それも協力とかとかではなく、本当の力をね。無敗のまま国に仕えたモンクルスのような剣士の力が、僕たちにも必要なんだよ。ただし、ケンタスがドラコの代わりというのは否定しないけどね」
そこでケンタスは深く考え込んでしまった。当然だろう、俺だって戸惑っているところだ。俺たちの目の前にいるのは十二、三歳のガキ共である。その子どもの口から腕を見込まれたところで意味がないからだ。
「その話だと、内戦が起こることを示唆しているように聞こえますが」
「はっきりとは断言できない。でも、起こってもおかしくない状況であることは確かだね」
本当だろうか? 子どもに社会情勢の何が分かるというのだろう。いや、少なくとも俺たちよりも首都長官の息子の方が情報速度は速いかもしれない。とはいえ、子どもの話を真に受けて良いかは、また別の話である。
それでもケンタスは真剣だ。
「しかし、今はもうすでにモンクルスのいた時代とは変わっています。人口も爆発的に増えましたし、一人の剣士の存在が世の中を変える時代は終わってしまいました。そんな時代に、私たちに何ができるというのでしょう?」
「それは、どうしても守ってもらいたい人がいるんだ」
ヴォルベの顔が儚げだ。
「いくら数の時代でも、最後のところでは絶対に個人の力が必要になるからね」
急に顔が幼く見えた。
「だからケンタスに彼のことをお願いしたいんだ」
そこで隣にいる友達の手を握り締めた。
「フィンス・フェニックスのことをね」




