第三十七話(169) ミルヴァの結婚
滅んだ後のカイドル帝国の旧都を三十年振りに訪れたけど、初見のビーナの感想は、再訪した私と同じだった。やはり帝国とは名ばかりで、パルクスやデモンも所詮は地方の有力な豪族の家長にすぎなかったということを改めて実感したわけだ。
それでも人間の力だけでは正確に史実を残せないので、大陸から移住してきた年代が大きく異なるのに、歴史の資料には単一民族による権力争いがあったとしか書き残すことができないかもしれない。ビーナはそのことを残念がっていた。
原住民から土地を奪ったガルディア系のフェニックス家と、同じガルディア系でも原住民と平和的に婚姻関係を結び、現地民と共に侵略者と戦ったジュリオス家だけど、この対照的な違いですら歴史に残すことができないのが人間社会なのだ。
更に歴史を複雑にさせるのは、その侵略者の家系からユリス・デルフィアスという辺境地へ自ら志願して赴き地方官長に就く変わり者が現れたことだ。歴史が進んで中央と戦争が起これば、歴史は彼を『逆賊』とか『流刑者』などと、平気で嘘を書き記す可能性もある。
そんな歴史家を悩ませる存在のユリスだけど、州都官邸の応接間に現れた彼は典型的なガルディア系カグマン人の容貌をしていた。茶色いサラサラの髪を見れば原住民の血が一滴も入っていないことが分かるのだ。
「以前どこかでお会いしませんでしたか?」
それがミルヴァを見た時のユリスの第一声だった。彼女は十五年前に王宮に出入りしていたので間違いではないが、魔法で記憶を消されているので既視感のような感覚に陥ってしまうわけだ。
「殿下とはお初にお目に掛かりましたが」
これがミルヴァによる止めの暗示魔法で、この瞬間に記憶を完全消去した形だ。
「それでも夢の中でお会いできていたのなら、それほど光栄なことはございませんわね」
ユリスと結婚するのがミルヴァの目的だ。
「夢で見たと言われれば、そう思えてしまうのが不思議ですね」
彼はパルクスと同じで根が優しいので簡単に暗示魔法が掛かってしまうタイプのようだ。それからマエレオス兄妹と挨拶を交わしたけど、茶会の席ではミルヴァから離れようとせず、母親に甘える子どものように、これまでの出来事を夢中で語るのだった。
ミルヴァには尋問魔法があるので、相手は自覚することなく何でも話してしまうのだ。それで相手は勝手にミルヴァのことを話しやすい人だと認識してくれるわけである。
それでも茶会に同席している補佐官のフィルゴ・アレスという男には注意が必要だった。ミルヴァに関わらず、客人全員を初めから疑っているので、こういう人は魔法が掛かりにくいタイプだからだ。
しかし王宮に入り込むことができるミルヴァに隙はなかった。会話を聞かれていることを自覚しつつ、苦労話には親身になり、自慢話には感心してみせて、決して出しゃばることなく、母親のように話を聞いてあげるのだった。
さらには、リンゴ園で『恋のハプニング』を演出しようと考えていたけど、それも自然な形でユリスから誘いを受けることに成功した。これで積極的なのはユリスの方だと印象付けることができたわけだ。そういう意味でも補佐官の監視は好都合だった。
それとは別に、他のテーブルではビーナがドラコ・キルギアスに取材を行っていた。ドラコは『モンクルスの再来』として有名だったため、彼に対しては積極的に質問攻めすることができるのが好都合だった。
ドラコは髪を剃り上げているので分かりにくいけど、黒い目をしているので古代ウルキア系の出自で間違いなさそうだ。濃い髭をしているので北方系原住民の血が多く混ざっているのだろう。
それでも立派な姓を持っているということは、先祖が王宮に尽くしてきたことを意味しているわけだ。それと土地持ちなので、貢献度が高かったことまで分かる。しかも王宮に献上される作物の畑を守り続けているので、忠誠心に疑いのない家柄ということだ。
「ドラコ、お話を聞かせてください」
ビーナがインタビューする。
「ザザ家の掃討作戦では見事に手腕を発揮されましたが、作戦そのものは越権行為で、国境警備の任を解かれて処分まで受けました。そのことについて現在はどのように考えておられますか?」
ドラコが誠実な態度で返答する。
「後悔はしていません。作戦は成功しましたからね」
「しかし、あなたの仕事は国境を守ることではありませんか?」
「悲鳴を聞いたら、それを聞かなかったことにはできないのです」
そこで思いを馳せ、それから説明を加える。
「権利が雪山の水のように裾野に広がっていくイメージがあって、いずれ個人にも行き渡るような流れを感じるんですね。現に豪族しかいなかったこの島にも豪商という存在が生まれています。ザザ家というのはその典型的な存在だったといえるでしょう。都市には豪商がいて、地方には大地主がいます。彼らはそれぞれ立派な役割を果たしていますが、だからといって治外法権をいいことに好き勝手やっていいはずがないんです。目の前で人さらいが行われているのに、それを見て見ぬ振りができるなら、兵士でいる資格はないということです」
ビーナが問う。
「しかしモンクルスは部下を一番に考えるような人で、自分が立てた作戦によって部下が処分を受けた事例は一つもありませんでした。百人隊を率いる隊長として、どのように責任を感じておられますか?」
そこでドラコが微笑むのだった。
「大陸から渡ってきたばかりだというのに、よくご存じだ」
インタビュアーというのは相手よりも知識で上回っていなければ務まらない仕事だ。
「お芝居の中で語られていたので」
「それはビナス・ナスビ―の『最後の戦い』ですね」
「あなたも観劇されたのですか?」
「はい。私はあの芝居を観て、いつかは自分もモンクルス隊に入りたいと思ったのですよ」
それを聞いた作者であるビーナが嬉しそうな顔をする。
「お芝居から影響を受けたということですか?」
「はい。特にビナス版の『モンクルス伝』は弟と何度も観ました」
さすがにその作者が目の前にいるとは思っていない様子だ。
「最近の剣聖の描かれ方というのはどれも完全無欠で神格化されすぎていますが、いえ、実際にその通りではあるのですが、ビナス版には『ひょっとしたら負けてしまうのではないか』という不安を覚えるんですね。現実には負けなかったという事実があるにも拘わらず、芝居を観ているとそう思ってしまうのです。しかも何度も観ているはずなのに、やはりその度に『負けるかもしれない』と思ってしまうのですよ。それほど夢中にさせてくれるのはビナス・ナスビ―の芝居だけです。最近は上演してくれる小屋が少ないと聞きますが、あの人間味溢れるモンクルスの姿は語り継がれてほしいものですね」
私が褒めてもムスッとしているビーナが、うっとりした顔でドラコを見つめていた。劇作家というのは本当に気難しくて我儘で性格が悪いのだけれど、特別な人に褒められると、ただの子どものようになるようだ。
「そう、質問は私の責任についてでしたね。幸いなことにデルフィアス長官のおかげで、こうして官邸で働かせていただけることになりました。副長のランバも教官職に就きましたし、実は作戦に参加した部下は漏れなく出世しているのです。だからといって責任逃れするつもりはありませんが、少なくとも隊員に関しては、隊を預かる者として死ぬまで面倒見ると決めていますので、責任を放棄したわけではありません。越権行為でしたが、それでも『この島には悪人が隠れられるような場所はないのだ』と広く周知させることができたならば、処分を恐れるべきではないのです。結局のところ、兵士というのは勇気を持って立ち向かうしかありませんからね。『勇者がバカにされる時代がきたらお終い』ですから。といっても、これもビナス・ナスビ―が劇中のモンクルスに言わせたセリフですがね」
そう言って、ドラコは子どものように無邪気な笑顔を見せるのだった。
近場のリンゴ園に行くだけなのに、官邸で会議が開かれたため、実際に行くことができたのは翌々日となった。それでも早かった方で、長官が外出するだけで会議が何段階にも分けて行われるそうだ。
ビーナが喋るインコを連れてきていたので、会議の様子は筒抜けだった。別棟の迎賓館の客室にいながらにして会話を聞くことができたわけだ。作戦を行う上で気をつけるポイントは、ドラコが護衛として同行することに注意することくらいだ。
しかし、いくらドラコでも私たちの作戦を阻止することは不可能だ。私たちには魔法の矢があるからだ。その矢で命を狙われたユリスに対して、ミルヴァが身を挺して守ることで、彼に責任を感じさせるのが今回の作戦だ。
これはユリスの両親の馴れ初め話の再現でもあった。もちろんビーナのアイデアだ。王宮に出入りしていたミルヴァから話を聞いて、使えそうなエピソードを作戦に応用したわけだ。ただし責任を感じさせてから恋をさせるのはミルヴァの腕次第だった。
作戦は簡単に成功させることができた。リンゴ園を散策するユリスとミルヴァに向けて、召使いである私の合図を受けて、隠れてついてきたビーナが遠くの木陰から魔法の矢を射るだけだからだ。
魔法を掛けた矢は人間界の物理法則を無視した矢道で飛んで行き、狙ったところに当てることができるので、弓矢の知識がある人ほど頭が混乱してしまうという仕組みだ。案の定、ドラコが見当違いの方向を警戒してビーナを取り逃がすのだった。
迎賓館に戻ると、ユリスは負傷したミルヴァを手厚く看病するのだった。食事というのは栄養だけではなく毒も一緒に摂取してしまう行為なので、魔法使いにとっては極力控えなければならないけど、この時ばかりは遠慮しなかった。
腕を怪我したミルヴァの代わりに、ユリスがリンゴの皮を剥いてあげて、それを手掴みで食べさせてもらうのだった。それを私や護衛の目があっても出来るのだから、貴族というのはつくづくおかしな人たちだと思うばかりだ。
ユリスがミルヴァとの結婚を決意するまで時間は掛からなかった。すべてはミルヴァによって導かれたわけだけど、本人は決してそのことに気がつくことはなく、すべて自分が決心したと思っているはずだ。
といっても、難しい言葉のやり取りをしたわけではなかった。母国に帰らなければならないことと、帰ってしまうと二度と会えなくなることと、それがとても残念なことだと、事実のみを伝えたのだった。
ミルヴァの方から好意を伝えるのは『会えなくなるのが残念だ』という一言だけで充分だ。それだけでユリスは自信を持つことができるからだ。そこから先はユリス自身が自己暗示を掛けたかのようにミルヴァを好きになっていった。
ユリスの結婚も会議室で話し合いが行われた。反対する側近に対して、ユリスが粘って説得しているというのがインコの言葉で分かった。そこで古参の兵士がミルヴァを試そうとしたのだが、話が筒抜けだったので問題なくクリアすることができたのだった。
アネルエ・セルぺスは死んだイワン・フィウクスの婚約者だったため、喪が明ける来春まで結婚できないということで、カイドル州からマエレオス領へと一旦帰ることとなった。次回はジマ国の両陛下を伴っての訪問が決まっていた。
その間にミルヴァは、結婚準備と称してマエレオス領を離れ、戦争に備えて幻覚キノコの実験と開発を行うため、魔法に適したキノコを探し求めて森を目指すのだった。人間からしたら『森の魔女』にしか見えないだろう。
それでもカグマン王国とオーヒン国で戦争が始まってしまったら、最前線で指揮するわけにもいかないので、どうしても魔法の力が必要となる。そこで戦局を左右させるアイテムとして実証済みの幻覚キノコを使おうというわけだ。
今回の幻覚キノコは、人間に幻覚を見せて心臓発作を起こして自殺させる魔法らしい。しかも口にするだけではなく、魔法を掛けたキノコを乾燥させて、粉状にした粒子を吸引させるだけで魔法を掛けることができるようだ。
私たちとしてもなるべく戦争は避けたいけれど、最終的に偽王のマクスに勝ってもらう必要があるので、オーヒンの王城に立てこもっているゲミニ・コルヴスを倒さなければならないというわけだ。しかも、敗北を味わわせてやりたいというのがミルヴァの望みだった。
一方、その頃ビーナは久し振りに舞台の台本作りに取り掛かっていた。三、四年前に書いた恋愛ものがヒットしなかったので、しばらく筆を置いていたけど、ドラコと出会って創作意欲が沸いたのだろう。
やはりファンの存在というのはありがたいもののようだ。それが相思相愛の仲ならば尚のこと結構だ。『ドラコ伝』を書くにあたり、わざわざ弟のケンタスに会いに行くほど、ビナス・ナスビ―先生はキルギアス兄弟に心酔するのだった。
官邸でも取材をしていたけど、ドラコの生涯を描くならば捨て子のジジとの関係をきっちり書いておきたいと言っていた。ジジというのは原住民の子孫で、町に捨てられていたところをドラコが声を掛けて引き取った子どものことだ。
ジジは大柄な体格と真っ黒な髪しか特徴がないように見えるけど、彼は異なる言語を理解する優れた頭を持っているのはあまり知られていないようだ。微妙に異なる北方原住民の言葉も即座に習得したと聞いているし、その能力を見抜いたのがドラコというわけだ。
モンクルスにもいえるけど、優秀な人というのは優秀な人材を見つける能力が高いので、必然的に優秀な成績を収めることができてしまう。というより、それが個人を成功者に押し上げる理由である。
オーヒン国建国から三十年が経過した。カグマン島に来てから三十七年にもなる。そこで初心に帰るつもりで、久し振りに私たち魔法使いだけで、街並みを一望できる丘に登り、そこで爆発的に人口が増えたオーヒン市を見下ろすことにした。
「ワタシたちが来た時は何もなかったんだもんね」
ビーナが感慨深げに呟いた。数十世帯しか存在しなかったオーヒン村が、わずか三十七年間で、都市部に限るが、人口五、六十万人まで増えたということになる。これは島全体の一割を占める割合だ。それが今後は更に増していくと予想されるのだ。
「百万都市も夢じゃないわね」
そう口にしたミルヴァの顔が希望に満ちていた。ただ、百万人突破は可能だけど、実質的にコルヴスが支配する現王政では難しい数字ではあった。なぜならコルヴスは原住民系の人間を人口に加えていないからだ。
王城のある城下町と港があるオーヒン市と旧チャバ町までびっしりと人が住んでいるにも拘わらず、奴隷として働かせることもできない人たちは国民として認められていないのだ。だから記録上は五十万人に届いていないことになっているというわけだ。
人間が残す記録というのは注意深く扱わなければならない。一万人の遠征軍をわずか五百人の兵で返り討ちにしたという記録があっても、遠征先には五百人の兵以外にも多くの地元住民がいることを書き漏らすからだ。
結局、人間というのは何度も編纂された歴史書をありがたがるので、魔法使いである私たちが公平に記録してあげなければ正確な情報を残すことができないということだ。そういう意味でも、人間が現在の時代をどのように書き残すか楽しみではあった。
「長くても四年ね」
ミルヴァが決意する。
「いえ、三年以内にオーヒン国をそっくりそのまま返してもらいましょう。というのも春先にコルバ王が死んで、夏にはわたしたちのブルドン王まで死んでしまいそうなのよ。そっちの能力には自信がないから断言はできないけど、今年は大変な年になるのは確かね」
魔法使いには死期を知る能力がある。
「今年はね、春にケンタスが新兵になるの」
取材帰りのビーナがワクワクした表情で伝える。
「あの子は将来大物になる予感がする。モンクルスと会った時と同じ雰囲気を纏ってるんだもん。ドラコよりも弟の方が『モンクルスの再来』と呼ばれることになるかもしれないわね。いや、ひょっとするとモンクルスの方が忘れ去られる時代が来てしまうかもしれない。だって、どうやったって知りようがない世界の真実を、想像力だけで言い当てることができるんだもん。もちろん可能な限り勉強はしているのよ? それでも人間には限界というものがあるでしょう? でも、ケンタスには不可能の文字がないの。人間社会にも天才が存在するとしたら、きっとあの子のことを指すんだと思う。それくらい新しい時代を呼び込む存在になれる男の子なのよ」
ビーナ先生は力説するが、私にはイマイチ理解できなかった。
「あなたのことだから、どうせ舞台映えするのが理由なんでしょうけどね」
ミルヴァも素っ気なかった。
「それよりも、わたしがお嫁に行ったらこうして三人だけで会えなくなる。マルンはわたしの召使いになるから逆に離れられなくなるけど、ビーナは近づくことも許可されないかもしれない。そこでだけど、何かあったらカラスを寄越してちょうだい。伝鳩なら怪しまれるでしょうけど、カラスならまさか喋るとは思わないでしょうからね。タイム・ラグが発生するから混乱することもあるでしょうけど、通信手段がないよりもマシだわ。危険を知らせる場合は三十年前の時のように白い鳩を飛ばしてちょうだい。逃げ出す準備はしておくから」
さらに計画を説明する。
「コルバ王が死んだら、すぐにユリスの元に伝令が送られてくるでしょうから、その時にわたしたちも王都に行く。その途中でブルドン王が死ぬと思うから、そこは想定通りゲミニの息子であるゲティスに二代目の国王を継いでもらいましょう。どうせ失脚させるのだから誰がなっても同じですものね。マークスの息子のオークスさえ幸せな暮らしをプレゼントできたらそれでいいわ」
ブルドン家だけは守ってあげる約束だ。
「王都に到着したら、誰が次の国王になるかで揉めることになるでしょうね。わたしはそこでマクスを強引にでも国王にするつもりなの。ユリスは反対するでしょう。なんたって、彼は大好きな母親をオフィウに殺されているんですもの。でも、同情するつもりはない。どちらにしてもフェニックス家とオーヒンの四悪人には滅んでもらわないといけないんですもの。そんな中、デルフィアス家の王様としてユリスが勝ち上がったとしたら、その時は彼をオーヒン島の王様にしてあげましょう」
ミルヴァは野生の動物たちのように、自分で狩りをする子どもだけを認めてあげる方針のようだ。それが偽王のマクスでも構わないと考えているわけだ。足の不自由なフィン王子にも勝ち上がる権利があると言っていた。
「さぁ、誰がオーヒン島の王様になるのか、お手並み拝見といきましょうか」




