第三十五話(167) ミルヴァ始動
ミルヴァの計画としては、マクス王子を擁立することで家父長絶対主義のオフィウ派と、現王コルバを擁するガルディア系純血主義のゲミニ・コルヴスを対立させることができると目論んだわけだが、マクス王子の死でそれがとん挫したわけだ。
そこでビーナ先生が思いついたのは、マクス王子の替え玉を見つけてくることだった。命を狙われていたので、王子の存在自体が一部の人間にしか知られていないので、町で拾ってきた子どもを替え玉にしても問題がないというのだ。
「さすが、大先生ね」
これにはミルヴァも目から鱗だったようだ。
「もっと素直に褒めてよね」
文句を言いつつも、アイデアを採用されたビーナは嬉しそうだった。
「やっぱり、あなたに相談して良かったわ」
「うん。王政が自由な創作の障壁になってるのは確かだから」
「まだ目的を見失っていないみたいね」
「当たり前でしょう」
「だって、あなたったら王家のために本を書いているんですもの」
「そりゃあ、時代に合わせている部分もあるよ」
「だったら、モンクルスが誓いを立てた王政を打倒してもいいのね?」
「当然よ、その時にはまた新しい主役を描くだけなんだから」
「よかった」
そう言って、ミルヴァは安堵の息を漏らした。
「ミルヴァったら、そんなこと心配してたんだ?」
「そんなことって、わたしよりも人間の味方をするから不安だったんだよ」
「モンクルスには、無様な死に方は似合わないと思っただけ」
「わたしに殺されるのが無様だというの?」
「決闘以外で殺されてはいけない人なの」
「結局、わたしたちの力をもってしても殺せなかったけどね」
「それを伝記の中に書けないのが残念」
言いたいことを言い合ったせいか、二人の表情がすっきりとしていた。ビーナの中では剣聖モンクルスを殺そうとしたミルヴァへのわだかまりがあったのだろう。それが十年に及ぶ不和の原因になっていたわけだ。
「話を戻すけど」
ミルヴァが仕切り直す。
「アステア系クルナダ人の血を引くマクス王子に似た十歳の子どもを探してくるのはいいとして、他にも気をつけておくことはある?」
ビーナ先生がアドバイスする。
「人間というのは信じたいものを信じる習性があるから、ミルヴァの暗示魔法に掛かればマクスの替え玉を本物と思い込ませることは比較的簡単だと思う。でもコルヴス派の人間は初めから疑うでしょうから、仮にマクスが生きていたとしても、本物にも拘わらずオルバ王の子どもだと信じてくれないかもしれない。しかも王宮の外に出て衛兵の目から離れてしまったから、その時点で側室として失格で、生まれた子は廃嫡扱いになるものね」
正室の女は年中監視されている、もとい、保護されているものだ。
「でも、その疑念自体は問題ないんだ。だって火種があった方が、対立構造が激化しやすいもんね。だから王家に内部分裂を起こすには最適な状況なの。でも、不信感が付きまとうオフィウ派を結束させるには説得力が必要よね? そこでキーアイテムとなるのが『オルバ王の石像』というわけ。カグマン州やハクタ州の至る所に『この石像の人物がオルバ王ですよ』って宣伝するの。その『オルバ王の石像』のモデルとなるのが、これからミルヴァが見つけ出すマクス王子に似た子どもなのよ。つまりオルバ王にそっくりであることを大衆の意識に刷り込むわけね」
本を書くようになってからのビーナの閃きは、ミルヴァを凌駕していた。
「成人を迎える七年後には顔が固まるでしょうから、そうなったら奮発して銅像を作ってもいいかもしれない。それからさらに数年後、オルバ王の銅像にそっくりなマクス王子が姿を現したら、みんなびっくりするでしょうよ。彼らにとっては父親と瓜二つの子どもが現れたことになるんだもんね。オルバ王の側近だった者にだけ暗示魔法を掛けておけば、マクスこそがオルバ王の忘れ形見であると信じるに違いないわ」
ミルヴァには腕のいい彫刻家の当てがあるはずだ。
「それくらい銅像の効果って高いのよね。人間って賢そうな人ほどバカだから、銅像の横に説明書きを記しておけば、勉強したつもりになって、間違ったことが書いてあっても正しいと信じ込んでしまうものなのよ。しかも知識を得たもんだから、得意になって広めちゃうのよね。『チャバの大虐殺』がそうでしょう? 戦争があったんだから、大量死があったのは事実だけど、それを大虐殺と呼ぶには無理があるのに、それでも信じてしまうのが人間なんだもん。銅像を建てる連中に碌な奴はいないけど、後世に辱めを受けさせるために、悪しき家父長制の象徴としてマクスの銅像をたくさん作ってあげましょうよ。魔法を解いた後に、いかに自分たちが愚かだったかと目覚めさせてあげるためにもね」
オーヒン国建国から十五年が経過した。ハクタ州の貧民街で見つけてきたマクス王子は元気に成長して、違和感なく王宮でお披露目されたとのことだ。コルバ王の驚く顔は見ものだったそうだが、私は残念ながら立ち会うことができなかった。
それでもミルヴァは目が不自由なオフィウ・フェニックスの召使いとして王宮に入り込むことができたので、最近は王宮内の事情も知ることができるようになっていた。老化しないので五年が限界だけれども、しばらくは王宮から出ないと言っていた。
ミルヴァとの連絡はビーナが操るカラス部隊の仕事だった。それによると、コルヴス派に牛耳られていた七政院の官僚を残らず追い出すことに成功したみたいだ。それがお披露目までの十五年間で積み重ねてきた下準備でもあった。
ただし順調とばかりではないようで、ミルヴァに操られているだけなのに、自分には特別な力があると思い込んでしまったオフィウ・フェニックスが勝手に策謀を練るようになってしまったようだ。
そのターゲットにされたのが腹違いの妹でもあるノバラ・フェニックスだ。彼女にはユリスという名の子どもがいて、それがマクス王子よりも出来がいいものだから、オフィウから目の敵にされたのではないかと見ていた。
オフィウ派が王宮を乗っ取ってしまうと、それはそれでコルヴス派が弱くなって、結局はオフィウの独裁政治になるので、そこのパワーバランスを上手く調整するのが難しいと言っていた。
それと前後してコルバ王とフィン正妃の間に子どもが生まれたけれど、女の子だったことでオフィウから命が狙われずに済んだとのことだ。最近は母を亡くした八歳のユリス王子と生まれたばかりのクミン王女を守ってあげるのに苦心しているようだ。
オーヒン国建国から二十年が経過した。その二年前にコルバ王とフィン正妃との間にフィンスという男児が生まれたけれど、オフィウが毒殺しようとしていることを知り、ミルヴァは母子を安全な場所へ避難させるのだった。
フィン正妃とフィン王子が生きていることは父親の国王も知らず、オフィウ派の貴族たちにも死んだと思わせることができたそうだ。現在はハクタ州の町外れにある立ち入り禁止区域で州都長官であるエムル・テレスコの保護下にあるそうだ。
ミルヴァの暗示魔法を神の啓示だと思い込んでいるオフィウの暴走は止まらず、替え玉であるマクス王子の出生地であるハクタ州を、一人で勝手に特別な場所だと思い込み、ついには『遷都する』とまで言い出したそうだ。
替え玉のマクスを本物の王子に仕立て上げるために暗示魔法を掛けたけど、肝心の偽マクスの記憶までは完全に消去することはできなかったので、訪れたことがないはずのハクタ市を見てきたかのように語ったため、周囲から『神の子』と称されてしまったようだ。
王宮に留まっていると見た目が変わらないので不審に思われるため、ミルヴァはすでに関係者の記憶を消去して王宮から退去していた。入退出の管理が厳しい王宮から一人の人間が消えたのに、それで問題が起こらないのだから、ミルヴァの魔力は確実にレベルアップしているということだ。
オフィウから命を狙われているユリス王子は、旧モンクルス隊の隊員らを預かっているサッジ・タリアスの元で護身術を学んだり、研鑽を積んだりしているとのことだ。その彼は二年後に家名を捨てて、下級貴族としてカイドル州に行くことが決まっていた。
これはビーナのアイデアでもあった。ミルヴァが王宮にいるうちに、ユリスが辺境地を治めるために志願するように誘導させたわけだ。オーヒン国にいるコルヴスを追い詰めるために、後々重要となるキーパーソンにさせる、というのが理由らしい。
オーヒン国建国から二十五年が経過した。この時、ミルヴァはオーヒン国の神祇官ゲミニ・コルヴスの息子であるゲティスの教育係としてコルヴス領に潜伏していた。もちろんゲミニは、かつてミルヴァのことを『魔女』と呼んでいたことを記憶していなかった。
奥さんを魔法で寝たきりにして、大陸から渡ってきた女医としてゲミニに近づき、魔法を解いてあげることで信用を得たわけだ。自作自演だけど、人間にとっては病気を治してあげることが信用を得られる一番の近道だといって、ビーナが考えたのだった。
名医が見つかると、あっと言う間に評判が知れ渡るところだが、強欲なゲミニは決して他人にミルヴァの存在を教えようとしなかった。この頃、六十歳を過ぎたマークス・ブルドンが病に臥せるようになっていたけど、それでも紹介しようとしないのだった。
ただし、これは初めからビーナが予想していたことでもあった。どのようにゲミニに近づいたらいいかと話し合っていた時、利用価値の高い人物を演じれば、秘密にされて大事にされるだろうと考えたわけだ。
コルヴス領に潜入したミルヴァは、ゲティスを手懐けることに注力した。すでにガルディア系純血主義である父親からの洗脳教育を受けていたので、オフィウ派やオーヒン国の高官らに敵愾心を持たせるのは難しくなかったそうだ。
ガルディア系純血主義も家父長制絶対主義も『どちらも滅ぼしてしまおう』というのが私たちのスローガンだ。そんなものがなくても、私たちだけで国政のみならず、この世界を平和に運営することができるので、何も困ることはないからだ。
私たちからオーヒン国を奪い、私腹を肥やし続けてきたゲミニやデモンやコルピアスやセトゥスから全財産を没収する時期が、もうすぐそこまで来ていた。みんな長生きしてくれて嬉しかった。その方が奪われた現実を知った時のショックが大きいからだ。
オーヒン国建国から二十七年が経過した時、いよいよミルヴァによる報復劇が本格的に始まった。それはコルバ王とブルドン王の寿命がそろそろ終わりを迎え、跡目争いが活発化したことで、戦争のにおいを感じるようになったからだ。
ゲミニ・コルヴスの記憶を消去して立ち去ったミルヴァは、今度はデモン・フィウクスに近づいて報復の機会を窺うつもりのようだ。つまりデモンこそ、彼女にとって最も許しがたい相手ということだ。その仕事に私も付き合うこととなった。
「これからの予定だけど」
ビーナの書斎と化した木の上の小屋でミルヴァが作戦を説明する。
「デモン・フィウクスの長男がお嫁さんを探していてね、もちろんわたしがゲミニからそうするように促したんだけど、大陸の貿易相手国から良さそうな相手を見つけるというので、近々海を渡るというから、わたしとマルンで先回りして迎える用意を始めようと思うの。もうすでに何年も前から準備していたんだけど、今日が始まりというわけね。だから、これからはわたしのことをジマ国出身のアネルエ・セルペスと呼んでちょうだい」
ビーナが心配そうに訊ねる。
「婚約者のイワンだけど、評判が芳しくないけど大丈夫なの?」
ミルヴァの顔に不安はない。
「二代目のオーヒン国の国王なんか誰がなっても同じよ。結局はブルドン家以外のコルヴス家とフィウクス家とコルピアス家とセトゥス家は戦争で何もかも失う運命なんですもの。助けてあげるのはブルドン家の親子だけね。マークスには本当に頑張ってもらったから、息子のオークスや孫のルークスを権力争いに巻き込まれないようにしてあげないと。彼らだけは戦争になっても守ってあげようと思ってるんだ」
ビーナはまだまだ心配そうだ。
「彼らから金と権力を取り上げるのはいいとして、その後はどんな世の中になっているというの? 戦争で誰を勝たせるのか? それがはっきり分かっていないと、また彼ら四人に出し抜かれることになるよ?」
ミルヴァがビジョンを語る。
「今度の戦争はかつてないほどの大規模な戦になると思うの。なるべく民間人を巻き込まないようにするけど、王都や州都やオーヒン市も戦場になるのは避けられないでしょうね。でも混沌は必要なのよ。そこからしか新しい秩序は生まれないんですもの。戦争が始まったらオフィウ派のマクス王子を勝たせようと思う。彼がわたしたちにとっての新しいマークス・ブルドンですものね」
ビーナがやっぱり不安げだ。
「マクスにオーヒンの四悪人を倒せると思う?」
「わたしたちでマクス坊やを勝たせるのよ」
「坊やって、あの子もう三十手前でしょう?」
「十歳で成長が止まった可哀想な坊やよ」
「そんな男を勝たせるというの?」
「マクスだからいいのよ」
ミルヴァが自信を持ってプレゼンする。
「マクスが戦争に勝つのも混沌の一つなの。フェニックス家の最後の生き残りの人物が偽者の王子様なんですものね。そこで魔法を解いてあげれば、島民たちはフェニックス家の呪縛から解かれるのよ。それにはマクスを生き残らせる必要があるわけ。彼の存在こそが最大の混沌をもたらすんですもの。そう、島民はフェニックス家による絶対王政という魔法が掛けられている状態にあるのね。その夢から目覚めさせてあげる為の混沌なのよ」
マクス王子を支持する者は、家父長制を信じる者たちだ。そんな彼らが『マクスは偽者』だと知ったらどんな顔をするだろうか? しかも知った時には、フェニックス家の血を受け継ぐ長子は既にいなくなっているのだ。それ以上の絶望はないだろう。
「それで」
ビーナが話を詰める。
「マクスの正体をバラした後、当然そこで王位が剥奪されるわけだから、そこで事実上カグマン王国は崩壊するわけよね? そうなると今度は誰がこの島を統治するわけ? あっ、違うか。統治者に誰を据えるというの?」
これに関しては、ミルヴァは慎重だった。
「ここでブルドン家に世襲させると、結局は同じことを繰り返すことになると思うのね。だから息子と孫にはそのまま退場してもらおうかと思って。そこで女権時代の復活を印象付けるために、リング領の王女にその象徴を担ってもらおうと考えてるんだ。でも、リング領には一歩も近付けないのよね。だけどオーヒン国、いずれはオーヒン島にするつもりだけど、この島の女王はリング家に任せていきたいと思うんだ」
結局は私もそれが世界平和への一番の近道だと思う。
「じゃあ、マリン王女が島を統一させる本を書けばいいということね」
ビーナも納得したようだ。
「それにはリング領を巻き込まないように、上手に共倒れしてもらわないとね」
ここからはミルヴァの腕次第ということになりそうだ。
天候が不安定になる前に海を渡ることにした。ミルヴァは何度も島と大陸を行き来しているけれど、私にとっては実に三十四年振りの航海であった。その間わずかだけれど、海賊対策の為か、造船技術が進歩していることが分かった。
私たちが目指す先はクルナダ半島の付け根にあるジマ国だ。半島で戦争が起こった時に沿岸部に追いやられて以来、周辺国と断交状態にある国だけど、オーヒン国とだけは貿易関係を継続しているので入国できたのだ。
それもすべてはミルヴァの地道な努力のおかげだった。これまで彼女は様々な人物に成りすましてオーヒン国の行政機関に入り込んでいたので、特使として外交にも携わってきた経験が活きたわけだ。
「王女さまだ!」
「アネルエさまが戻られましたぞ!」
「よくぞ、ご無事で!」
お城に行くと、ミルヴァを見て衛兵たちから歓喜の声が上がるのだった。
私には何が起こっているのか分からなかった。
「王女さま、お父上とお母上がお待ちでございます」
そう言って、私たちを王の間へと案内するのだった。
「アネルエや、元気そうで安心したぞ」
セルぺス家のニール国王は完全に魔法が掛かった状態のようだ。
「よく顔を見せてちょうだい」
セノン王妃は涙ぐんでミルヴァの頬に触れるのだった。
「お母様、ご心配お掛けしてすみませんでした」
どうやら久し振りの親子の対面という設定のようだ。
「でも、寄宿舎生活はとても有意義なものだったのですよ?」
ジマ国は古代ウルキア系の子孫によって構成されているので、修行院で地教を学んでいたという設定を考えたのだろう。娘の振りをするという大胆にして無茶苦茶な役どころだけれど、ミルヴァの芝居は三十年でさらに上達しているように見えたので安心できた。
私はこれからアネルエ王女の召使いとして芝居をしなければいけないということだ。ビーナの舞台作りのお手伝いをしていたので、お芝居をすること自体に不安はなかった。不満があるとすれば、召使いという端役を与えられたことくらいだろうか。
「マルン、あなたの仕事は重大よ」
私室に行って、中に誰もいないことを確認すると、ミルヴァが耳元で囁いた。
「あなたの仕事はアネルエ・セルぺスをより人間らしく見せることなの。例えばそうね、断食を続けるわけにはいかないから、用意された食事を処分したり、在りもしない排泄物を処理したりと、そういうお芝居をこれからずっと続けなくてはいけないの。呼べばすぐに駆けつける衛兵に一年中見張られてしまう生活になるから、一瞬たりとも気を抜くことのないように頑張ってちょうだいね」




