第三十四話(166) ミルヴァの報復計画
それから私たち三人はマエレオス領の『カラスの森』を隠れ家として、オーヒン国の奪還作戦を開始した。といっても気長に待つ必要があったので、ビーナはカラスに仕事をさせて、本人は芝居の台本を書くことに没頭していた。
大きな木の上にある小屋が彼女の仕事場だった。観劇に出掛ける以外は、いつもその小屋に籠って創作に励んでいた。夏場に三人で協力して建てた小屋だけど、私はビーナ先生の目障りにならないように近づかないようにしていた。
私に与えられた仕事は隠れ家を人間たちから守ることだった。人間が森に入ると動物たちが教えてくれるので、それをビーナに伝えて、彼女が幻覚を見せたり、幻聴を聞かせたりして追い返すわけだ。
ミルヴァは島中を移動しながら情報収集を行っていた。彼女には会話する相手から聞きたい話を引き出す誘導魔法があり、被験者が忘れていることも思い出させることができるので、どんなことも知ることができるのだった。
教会を転々としながら多くの人の悩みを解決してあげているそうだが、評判になりすぎないように注意をして、噂が広がる前に姿を消すらしい。彼女の場合は別れ際に『すぐに忘れるでしょう』と声を掛ければ、相手の記憶を消すことができるとのこと。
また、以前どこかで会ったことがある相手には『はじめまして』と声を掛けるだけで、その相手に初対面だと思い込ませることができるそうだ。その一言を浴びせただけで、以前の記憶を消去させたり曖昧なものにさせたりできてしまうというわけた。
記憶を消された方は、その場で記憶喪失になることもなく、脳の中で勝手に過去の記憶が再構築されるらしい。勘違いで済ませる人もいれば、物忘れで済ませる人もいたりと、そこら辺は個人差があるようだ。
マークスやデモンなど親交の深かった人たちの記憶もすでに消去されていた。再会を装って、会話をしながら記憶を消す魔法を掛けるのだ。すると別れの挨拶をする時には、すでに初対面という認識にさせることができるという。
ただしモンクルスとカグマン王国のコルバ新国王には近づくことができなかったので、そこで魔法と現実の齟齬が生まれないか懸念しているのは確かだった。勘のいい人間ならば、掛けた魔法が解けてしまう可能性があるからだ。
それでも念のためにと修道館に私たちの名前を名乗らせた三人の修行者を用意していた。その彼女たちが何事もなく修行に励んでいるので、魔法を掛けた人たちで勝手に過去を都合よく作り替えてくれたようだ。
オーヒン国の建国から一年後の秋、久し振りにミルヴァが帰ってきたので木の上の小屋で会議を行うことにした。丸テーブルを囲んで顔を突き合わせた形での話し合いだ。島にやって来てから七年半が経過したけれど、当然ながら外見に変化はなかった。
「現在の状況を簡単に説明しておくわね」
ミルヴァがカグマン王国とオーヒン国の情勢について教えてくれるみたいだ。
「まずはオーヒン国からなんだけど、わたしたちのマークスは立派に国王の仕事を頑張ってくれているみたいね。建造中の王城があったでしょう? その王城を完成させるために現場監督を続けているの。労働者と一緒に食事をして、現場の声に耳を傾けながら労働環境を改善させているのよ? まさにわたしたちが選んだ王様に相応しい仕事ぶりじゃない。ただ、心配なのは豊作続きで恵まれているけど、不作になって食糧不足に陥った時に落ち着かせられるかということよね」
マークス・ブルドン国王は満点評価のようだ。
「次に神祇官のゲミニ・コルヴスだけど、この男が実質的にカグマン王国の国政を裏から操っているって分かったの。現国王のコルバ・フェニックスは本当に何もできない男なのよ。行政は七政院に丸投げで、その七政院の人事も異母兄のゲミニに任せきりなんですものね。食べ物に執着していて、それで農学者を大陸から招いたのはいいけど、コルバ王の功績は生涯通してもそれだけになるかもしれないわね。とにかく現時点では事実上ゲミニが島の実権を握っている感じかしら。気掛かりなのはガルディア系純血主義者だから、いつ血の粛清が始まるか予想できない点ね」
ゲミニ・コルヴスは要注意人物のようだ。
「次に財務官のデモン・アクアリオスだけど、この男はカイドル帝国を自らの手で滅ぼした時にアクアリオス家の家名も捨てちゃったのね。現在はデモン・フィウクスに改名しているの。家臣の話では未だに夢の中で父親の亡霊にうなされているみたい。彼の破滅的な行動というのは父親の亡霊から逃れたいがための行動なのかもしれないわね。それでも仕事は精力的にこなしていて、旧カイドル帝国領で、現在はカイドル州と呼ばれているんだけど、王国側の税務処理の手伝いもしてあげているのね。島をカグマン王国で統一したことで徴収がやりやすくなったのよ。心配なのは、表面上は協力し合っているゲミニとは完全に反りが合わないということかしら。いつ両者が対立してもおかしくないということね」
デモン・フィウクスの破滅的な生き方も注意が必要だ。
「次に軍務官のカイケル・コルピアスだけど、この男がオーヒン国の軍隊を預かることになったみたい。パルクスに惨敗したけど、王城がある土地の領主だし、領民は彼のことを慕ってもいるし、移民だって彼の奴隷みたいなものですものね。デモンが連れてきた兵士も多くいるからゴタゴタしているみたいだけど、外敵が存在しないのだから誰がやっても同じなのよ。現に練兵場の中で兵士に囲まれて安心して暮らしているけど、やっていることは訓練を指揮するわけではなく、貿易事業の仕事なんですものね。この男は自分の財産を管理させるために軍政の長になったようなものなのよ。ただし油断してはいけないのは、彼の財力を侮ってはいけないということ。コルピアスが誰に味方するかで状況が変わってしまうんですもの」
カイケル・コルピアスの動向にも注意する必要がありそうだ。
「次に法務官のアント・セトゥスだけど、意外にもこの男が人と人を繋ぐ役割をしているみたいね。ネズミみたいな見た目通り、どこにでも姿を現しては、ちゃっかりおこぼれをいただくような男なのよ。カグマン王国の王宮に入り込んだかと思えば、ハクタ州の官邸にも顔を出す。それでいて西海岸を縄張りとしている豪族にも顔が利くんだから大したものだわ。でも、この男にだけは二度と背中を見せてはダメよ。パルクスを手に掛けたように、味方を簡単に売るのもお上手なんだもの。ガルディア系純血主義のゲミニは、いずれアステア系のセトゥス家を要職から追い出そうとするでしょうけど、いつ、そのことにセトゥス本人が気がつくかよね。このネズミオヤジを上手く利用することができれば、案外と楽に内部崩壊させることができるかもしれないわね」
アント・セトゥスは良薬にも劇薬にも成り得るということだ。
「カグマン王国側の人事で気になるのは、ハクタ州の州都長官にエムル・テレスコが異例の若さで抜擢されたことかしら。モンクルスの置き土産とも言われているわね。しばらくはガサ村の練兵場で教官として軍隊を指揮するみたいだけど、これは終戦したとはいえ、まだまだ治安が安定していないから任されたのよ。国防副長官のサッジ・タリアスが未だにゴヤ町で遠征部隊を指揮しているんですもの」
王都の兵士たちはしばらく故郷へ帰ることができないようだ。
「リング領ではマナン王女が無事に女の子を産んだみたいね。マリンと名付けられたそうよ。彼女がこの島の希望になるのか、それとも争いの火種になるのか、今は分からないけど、わたしたちが求める理想を具現化させる象徴にすることはできるかもしれないわね。カグマン王国は太教を国教と定めているから、いずれは滅ぼさなければならないでしょうし、その時に彼女が希望の光として表舞台に立たせることができれば最高だと思う」
マリン・リングがキーパーソンのようだ。
「わたしたちが目立つとすぐに『魔女』だと騒がれるでしょう? だから今回は予め『魔女』の役を用意しようと思う。その魔女役にピッタリなのがオフィウ・フェニックスなのよ。彼女は現王の兄であるオルバの子どもを産んだばかりなの。しかも殺されるのを恐れてか、どうやらそのことを知る者は限られているのよね。彼女の子どもはマクスっていうんだけど、その男の子には第一王位継承権という絶対的な正統性があるの。オフィウ母子を利用すればゲミニと対抗することができるというわけ。わたしたちでゲミニの反対勢力を大きくしてあげれば、王家を内部崩壊させることも可能なのよ。とりあえず、オフィウには自分が特別な存在であると思い込ませてあげようと思うんだ。目安としては、下級貴族の間で『魔女』だと噂話が流れるくらいが丁度いいのかな」
王宮こそがカグマン島の急所である心臓というわけだ。
それから時が流れ、オーヒン国建国から五年が経過した。オーヒン市内の劇場ではビナス・ナスビ―が書き下ろした舞台『ブルドン王一代記』が大ヒットしていた。内容は病気の子どものためにたった一人で教会を建てる物語で、多くの観客の涙を誘うものだった。
もちろん劇作家ビナス・ナスビ―の正体は私の友達でもあるビーナだ。本当は舞台の演出も手掛けたかったそうだけど、ミルヴァに反対されて架空の劇作家を生み出したわけだ。台本の使用料は修道館に支払われる仕組みのようだ。
物語は戦争で親と妻を亡くし、財産をカグマン王国に没収されても、耐えながら一人息子を育てたマークスが、その子どもまで病気になるという不幸の連続に見舞われ、それでも諦めずに、神に祈りを捧げるために大聖堂を建てるという筋書きだ。
作者であるビーナが言うには、これは建国したばかりの国民に我慢の大切さと、カグマン王国に暴力で復讐しないことと、神への祈りは通じると刷り込む意味があるのだそうだ。実際にオーヒン国周辺における暴動が減少したというデータもあった。
その一方で、州都ハクタの劇場では別の作品を上演していた。それは『モンクルス最後の戦い』と銘打ったアクション大作だ。現実にはなかったパルクスとの戦いを、ビーナは創作で実現させたのだった。ただしパルクスの役どころは架空の人物となっていた。
筋書きは暴動を起こした敵将を倒すべく、老境に入ったモンクルスが国王に呼ばれ、二十年ぶりに剣を手にして立ち上がるのが最初の見せ場だ。それから敵を倒しつつ、昔の勘を取り戻し、ついに敵将と対決するのだった。
しかし一度の対戦では勝負がつかず、諦めかけるが、国王への忠誠の言葉を思い出したところで星が降り、地に刺さった伝説の剣を抜いて、それによって敵将を倒すのだった。物語としては完全なる勧善懲悪だ。
作者のビーナによると、ハクタでは娯楽性の高い作品が人気なので、とにかく最後は気持ちよく終わる物語が好まれると語っていた。特にモンクルスを主役にする場合は、苦戦を強いられても無敗であることが重要なポイントなのだそうだ。
ただし、娯楽の中にもメッセージがあり、国王の命令に逆らってはいけないということと、忠誠を誓う場面と、兵士は民衆を助ける存在であることと、星、つまりは天も味方しているということを必須として描かなければいけないようだ。
これはオーヒン国と違って厳しい検閲があるからだ。ハクタには多くの兵士がいるので、彼らの士気を高める目的もあるというわけだ。他にも貴族を悪く描いてはいけないし、漁師町なので海難事故を描いてもいけないのだそうだ。
ただ、カグマン国の王都ではビーナとは別の劇作家が書いた『ジュリオス三世』という舞台が大ヒットしているとのことだ。それは芝居好きのゲミニ・コルヴスの指示によって書かされた作品らしく、王宮主導で上演されているのだそうだ。
中身はパルクスが暴虐の限りを尽くすというもので、チャバの大虐殺では子どもを焼いて食べたというデタラメな話まで描かれていた。デタラメだけど、観客の反応は悪くないらしい。芝居の最中にパルクスを演じた役者が襲われる事件まで起こったほどだ。
しかし遠出をして観に行ったビーナはこれを酷評した。プロパガンダ作品の中でも憎悪を植え付ける最低最悪の台本だと。自由に創作ができない王国でも、作家が絶対に守らなければならないルールがあるそうだ。それが登場人物の尊厳を踏みにじらないこと、らしい。
ビーナが言うには、一瞬の斬られ役にも尊厳があるという。それはその役を一生懸命に演じる役者の尊厳でもあるというのだ。描かれ方が悲惨であったり、無残であったりしても、決して尊厳を踏みにじって書いてはいけないと言っていた。
舞台『ジュリオス三世』を見に行って以来、ビーナは『あのオヤジ、ぶっ殺してやる』と言って、舞台プロデューサーであるゲミニ・コルヴスをライバル視するようになってしまった。そこで奮起して書き上げたのが『パパ』という市場を通さない作品だった。
これはカイドル市民を助けるために最期まで戦ったパルクスの実話作品だ。しかしオーヒン国で検閲に引っ掛かってしまうため、地方の教会の中だけでしか上演できなかったらしい。
ヒットはしなかったけれど、それでも教会に集まった人たちの心は掴むことができたようだ。特に子どもを身籠った妻との別れが見ていて辛くなる場面だが、だからといって、ビーナは敵に恨みを抱かせるようには描かなかった。
和平を望んだパルクスを、そのままの考え方で描き切ったのだ。それがビーナにとって、作家として最低限守らなければいけないルールなのだろう。また、ゲミニが生み出す創作物に対する抗議でもあるわけだ。
ただ、気になってしまうのは、ビーナが台本を書くようになってから人間社会に入れ込むようになって、度々ミルヴァと口論を起こすようになったことだ。どうしてもミルヴァのやり方が文化を軽視した破壊的活動に見えるらしい。
オーヒン建国から十年が経過した時、ミルヴァの計画に問題が起こった。通常はカグマン王国内の教会で奉仕活動をしながら目立たぬように諜報活動を行っているので、ミルヴァが私たちの前に姿を見せただけで嫌な予感を抱くようになっていた。
「どうしよう? オフィウ・フェニックスの子どもが死んじゃった」
一年振りに木の上の小屋に帰ってきたミルヴァが報告した。
「確かなの?」
書斎と化した小屋の主人であるビーナが念を押すように訊ねた。
「うん。十歳の誕生日に馬をプレゼントしてもらったんだけど、練習中に落馬して死んじゃったの。人間というのは打ち所が悪いとあっさりと死んでしまうものなのね」
ビーナが注意を喚起する。
「ウチらだって油断できないよ? 死ぬ時は死ぬんだから」
「それより今はマクス王子が死んでしまったことの方が問題なのよね」
マクスはフェニックス家直系の長子だ。
「正室の嫡男として担ぐ準備をしてきたのに、衛兵の不注意で一瞬にして潰えてしまったんですもの。あと五年もしたらゲミニ・コルヴスの息の掛かった七政院の官僚を一掃する予定だったのよ? でもそれはマクス王子がいてこそなの。正統なる後継者が死んでしまっては誰もオフィウなんて支持しないわよ。ただでさえ妄想が激しいと思われているのに」
マクスの父親である暗殺されたオルバ王は小さくて可愛らしい少年にしか興味がなかったらしく、ビーナですらオフィウの妊娠に疑念を抱いていたくらいだ。それでも正妃が他人の子を妊娠できるはずもないので、オルバが実父であることは事実だ。
「マクスの存在を掴んだコルヴス一派が手を回したんじゃないの?」
それに対してミルヴァがビーナに嫌味を言う。
「あなたがちゃんと仕事をしていたら、コルヴスがオフィウの生存を知らないって分かっているはずよ?」
すかさずビーナが反論する。
「あのね、カラスの盗聴は完全じゃないの。拾ってくる会話だけですべてが分かるわけじゃないんだから。情報分析がどれだけ大変か理解してたら、そんな言葉なんか出てこないはずなんだけどね?」
一年振りの再会なのに、またケンカが始まった。
「どうせ、くだらない遊びに夢中になってたんでしょう?」
「くだらない遊びって、本を書くこと?」
「それ以外にある?」
「くだらないって言うんだ?」
「言ってあげられるのは、わたしだけだから」
「舞台は遊びじゃないの」
そこでビーナが首を振る。
「違う。遊びは遊びだけど、舞台人は本気で遊んでいるの」
「そういう言葉遊びは、もうたくさんよ」
「なんで認めてくれないの?」
「認めさせるような代物ではないからでしょう?」
これはミルヴァの言う通りだった。劇作家は王様の愛玩具にすぎない。王家を批判する弁論家や、自由な創作を求める劇作家は犯罪者として処刑されて消されるだけだからだ。そこでどれだけ隠喩を用いるか、という愉しみ方もあるけれど、普通の人には理解できないのだ。
「でもいいの。こういうのって高尚になったら終わりだから」
ビーナは日頃から子どもを夢中にさせなければ意味がないと言っている。
「楽しませてあげたり、勇気づけてあげたり、励ましてあげたり、メッセージを届けたりしたいのは、高尚ぶってる貴方たちにではないというのに、そういう人に限って非生産的な言動を繰り返すようになってしまうんだもん。黙っていた方が世の中のために役立つというのに、何でもかんでも批判しないと気が収まらないのよね。つまらない人って産業を縮小させる方に頑張ってしまうから性質が悪いのよ。しかも自分はそのことに気がつかないのよ?」
ミルヴァが嫌味を続ける。
「それ、わたしに言ってる? 舞台のお客さんが、あなたの底意地の悪い性格を知ったら驚くでしょうね? だって作風とあまりにかけ離れているんですもの。素性を晒せない覆面作家で良かったわね。だって、あなたが表舞台に出ていたら、あなた自身が作品の足を引っ張る存在になっていたでしょうからね」
ビーナの舞台をしっかりチェックしているところが彼女の優しさだ。
「舞台がおもしろければ、作者の中身なんてどうでもいいのよ。私は王様に雇われているわけじゃないんだから。それより自分の心配でもしたら? 書きかけのシナリオが途中で破たんしたから困っているんでしょう? 素直に相談してくれればいいのに。大体、ミルヴァって着想はいいんだけど、その最初のアイデアだけなのよね。ウチらがいなかったら、今頃ワル・ザザがオーヒン国の国王になってたんだもん。他にもモンクルスを殺そうとしたり、パルクスを見殺しにしたりさ、登場人物の処理の仕方が下手なんだよ」
ここまで言われても、ミルヴァの嫌味な態度は変わらなかった。
「だったら、ビナス・ナスビ―先生にはこの状況を打開するアイデアがあるというの?」
「ないこともないけど」




