第三十二話(164) デモンの妙案
デモン・アクアリオスが帰島したのは偶然ではなく、チャバで戦があったことをクルナダ国で知ったからだ。それで高速艇で帰ってきたというわけだ。そういった情報は島内の僻地よりも交易路の商人の方が早く掴んでいるものだ。
ゴヤ町の港から馬車を走らせて、大聖堂にやってくると、町長や私たちと簡単な挨拶を済ませて、すぐにパルクスの遺体をリング領に送るようにと指示を出すのだった。それから重臣を集めて会議を行った。
ゴヤ町の港に着いた時点で事情を聞き、町内の兵舎に逗留しているモンクルスに会談の延期を申し込んで、赤ん坊を抱いた奥さんをパルクスの遺体と共にリング領へ向かわせるのだが、そこまで手際が良いと、有能というよりも冷たさを感じた。
重臣らとの会議を終えて、帝都にいる高官らの承認を待たずに、デモンがカイドル帝国の皇帝になることが決まった。どうやら元々皇帝が死亡したら帝位を継承することで決まっていたようだ。
夜になって落ち着いたところで、改めて応接室で再会の挨拶をすることとなった。ミルヴァがお悔やみの言葉を述べつつ、帝位継承を祝う言葉は避けたので、私とビーナもそれに倣うことにした。それから勧められたソファに腰を落ち着けて話をすることとなった。
「話が終わるまで外で待っているように」
デモンが護衛を下げた。
「はっ」
二人の護衛は一瞬だけ躊躇したが、皇帝の命令に素直に従った。
「よろしいのですか? この部屋で陛下が亡くなられたばかりなのですよ?」
デモンの正面に座るミルヴァが訊ねた。
「護衛にスパイがいると聞いたものでね」
「それはわたくしの憶測で、念のためにと警備主任の方にお話ししたのです」
「そうでしたか。しかしセトゥス公を逃がした者がいるのは確かでしょうな」
「そうなりますと、護衛が皇帝を裏切ったことになりますわね」
「だとしたら、その程度の男だったということなのですよ」
「随分と辛辣でらっしゃる」
「再会の誓いを破ったのですから謗りを受けても仕方あるまい」
友人を亡くしたデモンは悲しいというよりも悔しそうだった。
「それにしても、どうしてまたセトゥス公はパルクス陛下のお命を狙ったのでしょうね?」
「それに関してはミルヴァ、貴女も無関係とは言えないのですよ?」
「さて、それはどういった意味でございましょう?」
ミルヴァは心当たりがないという芝居をするのだった。
「非公式ではあったが、モンクルスとの会談の際に貴女は『ベントーラ領の権利移譲』を求めたというではありませんか。カイケル・コルピアスは領主とはいえ、荘園の領地はフェニックス家の所有地なのですから、あの男が問題を起こそうとも権利が移るはずがないのです。貴女もそのことはご存知のはずだ。もちろんパルクスも知っていたはずですぞ? にも拘わらず、貴女は土地の権利を求めた。故に、それを聞きつけたセトゥス公が危機感を抱いても仕方がないというわけですな」
ミルヴァが弁明する。
「それは初歩的な交渉術の一つではありませんか。交渉の際に大きく吹っかけて、最大限の譲歩を引き出そうとしたのです。そうすれば曖昧なまま放置されてきた国境線などの問題を改めて議題に挙げることもできますし、さらにはこちら側にとって有利に話を進めることができるのですからね。それはセトゥス公にしても予想の範囲内だと思いますよ? なにしろあちらの陣営には商売を得意とするコルピアス公がいるのですから」
そこで険しい表情を見せつつ、続ける。
「ただし、損得勘定の得手不得手でいえば、セトゥス公も負けてはおりません。アステア人らしく他人に貸しを作ることで利益を上げるのを得意としていますからね。だからこそ疑問なのです。パルクス陛下を手に掛けるよりも、コルピアス公の首を皇帝陛下に差し出した方が利になるのですからね。コルピアス公の反乱は失敗に終わったのですから、時流に乗るならばそうすべきでした。どう見ても、乗る馬を間違えたとしか思えません」
新皇帝デモンが話を引き継ぐ。
「『アステア人の天秤に計れないものはない』と言うではありませぬか。セトゥス公はパルクスが生きている世界と死んだ後の世界を秤に掛けて、後者の方が利になると考えたのでしょう。もちろんフェニックス家による庇護が前提となりますので、決してお一人で決めたことではないでしょうがね」
ミルヴァが訊ねる。
「荘園地は治外法権でも、皇帝暗殺の実行犯を匿うことはできませんわね。かといって二つの荘園の領主を不在のままにするわけにもいかないでしょうし、こちら側の要求にも応じなければなりません。それを踏まえて、王国側はどのような落としどころを想定しているとお考えですか?」
カイドル帝国を背負うデモンが答える。
「カグマン王国には大陸の大帝国と同じ血が流れていることを忘れてはなるまい。ガルディア人には『法とは破るためにある』という言葉がありますからな。これは『約束をしても信用してはならない』という警句でもあるのですが、まさに現状に対する警鐘のように感じるのですよ。大陸の歴史がそれを物語っているではありませぬか。ガルディア帝国というのは、同盟を結んでは一方的に破って領土を拡大させてきたのですからね。それをそっくりそのままカグマン王国が真似をしても不思議ではないということです。国のトップが代われば、それは前政権が決めたことだと開き直ることができる者たちなのですからね。これからは、いつ停戦協定が破られてもおかしくはないでしょうな」
新皇帝が身を乗り出す。
「そこでミルヴァ、貴女にお願いがあるのです。どうか引き続き我々に力を貸していただきたいのです。パルクスの死に動揺するのは分からなくはないが、ここですべてを投げ出すというのは、それではあまりに殺生ではございませぬか。身の安全は保障いたす故、今しばらくお知恵を拝借願えないものか」
請われたミルヴァは乗り気じゃない。
「と申されましても、わたくしたちが陛下のお役立ちになれることなど、もう何もないのです。もともと遷都を見届けてから修行の旅を再開しようと考えておりましたが、このような状況では望めそうにありませんものね」
すると新皇帝デモンは腰を浮かせて、そのまま床に両膝を立てるのだった。
「その願いを共に成就しようではありませぬか。遷都の構想は大陸に渡った時に何度も話し合ったことではありますが、ジェンババの名声をお借りして兵士らを動かそうという発想は、私の中にはなかった。その独創的にして効率的なアイデアを是非ともお借りしたいのです」
アイデアを褒められたビーナは嬉しそうだが、ミルヴァが答える。
「それはパルクス陛下に具申したことですので、どうぞお好きにしてください」
「いや、そうは申されても一つだけ困ったことがありましてな」
「何か問題でも?」
デモンが胸の前で両手の指を組む。
「その、肝心のジェンババがどこにいるのか皆目見当がつきませんでな。ここ二十年もの間、消息が分かっておらんのです。それでどのように見つけ出せば良いのか、改めてお知恵を拝借したいと思ったのですよ」
新しい皇帝は他人に膝を屈することに抵抗がない人のようだ。それだけではなく、今の彼はミルヴァを仰ぎ見て願いを乞うている。おそらくだが、このような姿を衛兵に見せないために人払いしたのではないだろうか?
宰相の地位にある時は威厳があったのに、皇帝の地位になった途端に卑屈に見え始めたのはどうした訳だろう? 放っておくと足まで舐めそうだ。この人はナンバー2のポジションでなければ輝けないのかもしれないと思った。
「分かりました。最後の仕事を完成させてから旅立つとしましょう」
その言葉を受けて、デモンはミルヴァの手を取って額にこすりつけるのだった。
「ああ、これぞ、まさしく神のお言葉だ」
その気色の悪い光景にビーナは嫌な顔をして席を立つのだった。
ジェンババの居所については見当がついていた。これはビーナが操るカラス部隊の諜報活動によって得られた情報なのでほぼ確実なのだが、それをそのまま伝えると『魔女』だと思われるので、回答を先延ばしにしていた。
そこでミルヴァと私は新皇帝のデモンと一緒に一旦帝都に行くことにして、そこから地道な作業を経てジェンババに導くことにしたわけだ。ビーナはこのまま諜報活動を行うために別行動をしていた。
ビーナもジェンババに会いたがっていたけど、彼女は馬車での移動が苦手なので、一人で山籠もりすることを選択したのだ。自由を束縛されることを何よりも嫌い、動物や昆虫や植物たちと暮らすことを好むのだった。
島の北西にある帝都カイドルは、他よりも少しだけ大きなただの漁村だ。王国領にあるハクタ町やゴヤ町と違って、町に娯楽が一つもないのが特徴的だった。多くは古代ウルキア系移民だから狩猟生活が中心だった。
それでも土器の洗練されたデザインや、服飾の派手なセンスや、装飾品や刺青など、お洒落な人たちは王国よりも多い印象がある。これは女が差別されていないバロメーターともいえる分かりやすい指標でもあるわけだ。
しかしカイドル帝国が名ばかりの帝政であることは、皇宮をひと目見ただけで分かった。山の中にお城があるのだが、地震で半壊したまま補修工事が進んでいなかったからだ。どうやら建て直すだけの技術者を確保できなかったそうだ。
現在は街の真ん中に仮の皇居を建てて、そこを官邸としてアクアリオス家が暮らしているという話だ。といっても北西地域は多くの部族や豪族がいるので、アクアリオス家も豪族の中の一部族にすぎないという話だ。
デモン・アクアリオスがミルヴァの先導に従って向かった先も、言葉すら通じない部族が暮らす山の中だった。交流がなければ争うこともしないので、集落ごとに何種類もの言語が存在するようだ。
といっても古代ウルキアの北方移民が主なので、訛りであることを理解していればそれほど難しくはなかった。だからミルヴァが初めて対面した部族と会話することができても、カイドル人は感心しても、不可能だとは思わなかったというわけだ。
「河原で魚を焼いているのがジェンババだそうです」
話をつけてくれた部族の言葉をミルヴァが翻訳すると、デモンの護衛から『若い』とか、『実在したのか』などといった驚きの声が上がった。皇宮にいた頃から人前に姿を見せず、正体を偽っていたため、実像を知る者が少ないのだ。
ちなみに今回の面会で同行が許されたのは、ミルヴァと私の他には、皇帝デモンと四人の護衛兵のみだった。帝都の官吏を引き連れてくるなら会わないということで、その約束をデモンはしっかりと守った形だ。
「目と鼻の先におったとは」
デモンが驚くのも無理はなかった。伝説の軍師ジェンババは帝都から一日も掛からない距離にある山の中に暮らしていたからだ。少数部族に助けてもらいながら、岩窟の中に住んでいたというわけだ。
「ウルキアから来たというのは、そなたらのことか」
ジェンババは若き皇帝ではなく、ミルヴァと私に関心を示した。今回面会が許されたのも、皇帝の命令では断られたけれど、翻訳を請け負ったミルヴァに軍師が興味を抱いてくれたからだ。ミルヴァがいなければ伝説のまま世を去っていたかもしれないということだ。
ちなみに外見は片足を引きずる背の低い普通の中年男だ。それでも二十年前は十代後半で軍師となり、大軍勢の王国軍を降伏させたのだから、人間界では偉人に違いない。灰色の髪と目をしているので大陸の北方原住民をルーツに持つ先住民系の子孫だと思われた。
「料理を用意したが、一緒にどうかね?」
ジェンババが官邸料理人だったのは一部で知られている話だ。
「わたくしは断食中ですので結構でございます」
「女帝ウインも食事を摂らなかったと伝わっておる」
「大食を戒めるためでございましょう」
「若さを保つ秘訣でもあったそうな」
「美容も突き詰めれば健康のためでございますものね」
「そなたの言葉には説得力があるな」
「興を持たれて、こうしてお会いしていただけたのですから、断食も悪くありませんわね」
「失礼だが、お年は幾つか?」
「二十代の半ばとだけ申し上げておきましょう」
「その若さでウルキアから渡ってきたとな?」
「先達が歩んだ道を後から辿って来ただけでございますので」
「よければ大陸の話を詳しく聞かせてくださらんか?」
「喜んで話をさせていただきます」
それからジェンババはデモンら五人に食事を振る舞って、酒を飲みながらミルヴァの大陸話に耳を傾けるのだった。彼にとっては皇帝よりも、伝説の女帝ウインを彷彿とさせるミルヴァの方が興味深かったようだ。
結局、その日は夜更けまで語らいが続き、デモンは用件を伝えるどころか、横から口を挟むこともできずに面会を終えるのだった。岩窟の中で床を並べることとなったけれども、ミルヴァと私は同じ場所で泊まるのを遠慮させてもらった。
翌日、ジェンババが植物油で揚げたバッタや芋虫やクモをデモンに振る舞った。これは北方原住民にとっては最高級のおもてなしでもあった。身体にも良いので健康な体作りには最適な食材とされているからだ。
文化の違いや階級社会によっては、昆虫食に対して偏見を持つ人間もいるけれど、私たちにとっては哺乳類を食べるのも、昆虫を食べるのも、植物を食べるのも、まったく差がないので、偏見を持つ人に対しては、殊更差別的な人物に感じてしまうのが正直なところだ。
「ところで、帝国宰相ともあろうお方が、私に何用かね?」
ジェンババにはデモンが新しい皇帝だとは話していなかった。
「窮地の友をお救いしてほしいのです」
「友というのは皇孫のことですな?」
「左様でございます」
皇帝パルクスが暗殺されたことも伏せたままだ。
「うむ」
灰色の顎髭をさすりながら唸った。
「話だけは伺いましょう。しかし世事に疎い故、必ずしもお力になれるとは限りませんがな。それでも良ければ話してくだされ」
そこでデモンはオーヒンの人口が増えて、移民たちとチャバ住人の間で争い事が起きて、その反乱を鎮めるためにパルクスが討伐に向かい、それが侵犯行為に当たる領土問題に発展して、モンクルスとの戦争になりそうだということを端的に説明するのだった。
パルクスは既に死んでいるけれど、敵討ちの出兵には反対するだろうと予想して、デモンはあえてこのような妙案を思いついたのだった。ミルヴァが異を唱えなかったのは、彼女もジェンババを説得するには偽る必要があると考えたからだ。
「――という訳でございまして、今すぐにでも友を救いに挙兵せねばならぬのです」
ジェンババの決断は早かった。
「残念ながら皇孫のお力にはなれそうにありませんな。敵兵の数も分からず、オーヒンとやらがどこの場所を指しているのかも分からない故、どこをどのように守れば良いのやら、さっぱり見当もつかないのですよ」
最新の情報を上書きしていない軍師ほど役に立たない者はないということか。
「皇帝陛下の身を案じるならば、あまりご無理をさせぬことです。オーネ山脈がある限り、帝都を陥落させることなど叶わぬのですからな。北方部族を守りたければ、動かぬことが肝心肝要かと。もしも山脈を越えて侵攻してくるのなら、その時に改めてお力になりましょう。上手く引きずり込むことができればの話ですがな」
防御戦ではまだ自信があるようだ。
「しかし老兵のモンクルスを引っ張り出してきたということは、王国側も正面決戦は望まれていないのではないですかな? 剣士ならば和平を望むでしょうからな。移民の反乱で問題が起こったのならば、まずは皇帝陛下と協議をして、共に反乱を鎮める方法を模索なさるのではあるまいか。会談に至っていないというのならば、それを快く思わぬ者がいるということですな。強引な手段を用いて会談を阻止する者が現れるやもしれませぬ故、謀殺されぬように充分用心されることです。皇帝陛下のお命さえご無事ならば、事態は深刻な方へ流れることもないでしょうからな。まずはモンクルスと会談を行うためにテーブルを用意されてはいかがか? 努力すべきことがあるとするならば、まずは彼をテーブルに着かせることでしょうからな」
情報さえあれば、的確な判断をくだせるだけの頭脳は健在のようだ。
「モンクルスは実に分かりやすい男なのですよ。戦時中に生まれたから戦争を終わらせるために戦いましたが、終戦後の現在は戦争が起こらないように頭を切り替えることができるのです。まさに軍人の見本のような男ですな。商売人ではそうはなりませぬ。物資を貯め込むだけ貯め込んで、物価を吊り上げるために平気で戦争を起こしてしまいますからな。需要と供給を意図的に制限したり開放したりするのが商売人というやつなのですよ。この世のすべての者がモンクルスのように生きられたら、実に気持ちのいい世の中になるのでしょうが、残念ながら、煙たがられる存在というのが現実ですな」
それは戦中派だから実感できる思考なのだろう。
「このような不吉なことは考えたくもないのですが」
デモンが前置きしてから訊ねる。
「友が既に何者かの手によって謀殺されていた場合はどうすれば良いのでしょう? その時は、この私が帝位を引き継ぐ決まりにもなっております。それでも閣下は対話で解決せよと申されるのですか?」
ジェンババが即答する。
「対話を望む皇帝陛下の妨害をする者がいるということは、それは両国の仲を裂こうとする勢力が存在するという証左に他ならない故、ならば両国が協力して、そのような勢力が存在していないか突き止める必要があろう。まず手始めに既得権を持つ者に抵抗する勢力から洗ってみてはいかがか」
そこで改めてデモンが胸の前で両手の指を組んでお願いする。
「両国の和平に努めることをお約束します。しかし何事においても備えは必要だと考えております。そこでですが、かつて閣下が率いられた山岳部隊と騎馬兵隊をお借りしたいのですが、いや、もちろん万一のためではありますが、万事において後手に回るといけませんからな」
これにもジェンババは即答するのだった。
「もとより部隊は陛下のものであります故、好きになさるがよろしい。そのように皇孫にお伝えくだされ。と申しましても、現在の私に動かせる部隊はありませんがね」




