第三十一話(163) パルクスの死
生まれて初めて死を覚悟した。モンクルスの指摘はすべて正しく、私たちの計画がすべて見抜かれていたからだ。モンクルスを殺すかどうかで言い争っていたが、私たちが殺される可能性を考慮しなかったのは、本当にバカだった。
「なぜわたくしが申し開きをせねばならないのか理解に苦しみますが」
ミルヴァは努めて気丈に振る舞うのだった。
「春まで大陸にいたのですが、帰島後は一度もコルピアス公と話をしていないのですよ? 顔を合わせたのも皇帝陛下の御前の前だけで、それも一年振りだったのです。それでどうして策謀を知り得たというのでございましょう? あの領主様は常に大勢の護衛をつけているのですから、その者たちにも聴取なさればはっきりするでしょう」
ミルヴァが勢いづく。
「それよりも皇帝陛下の御命を狙われたことを、もっと重く受け止めていただきたく願います。わたくしを問い質す前にやるべきことがあるのではありませんか? 貴国は皇帝陛下殺害を企てた首謀者を匿っておられるのですよ? いえ、失礼。まだ首謀者であると決まったわけではないのですね。チャバへ出征した兵士はゴヤ町の兵士だったというではありませんか。これでは国家ぐるみの策謀と判断されても致し方ない状況なのです。まさか閣下ともあろうお方が、そのことをお分かりになられぬはずがございませんわね?」
形勢が一気に逆転したようだ。
さらに続ける。
「先日、皇帝陛下と相談したのですが、こちらとしてはコルピアス公の身柄の引き渡し、及びゴヤ町での捜査権の行使、さらにはベントーラ領の領有権の移譲を最低条件として話し合いに臨むつもりでございますので、公式の会談までに良い返事がいただけることを願っております。くれぐれも両国が無駄に争うことのなきよう、ご配慮願います」
モンクルスは偉大な剣士だけれど、何も権限がないので、神官長のミルヴァが相手では何も約束することができない凡百の兵士に成り下がってしまうのだ。二十年前に大遠征で失敗した時からカグマン王国は何も変わっていないということだ。
それでも娘ほど年の離れているミルヴァが身分違いを嵩に一方的に条件を突き付けているというのに、顔色一つ変えないのだからやはり恐ろしい男だ。特にカグマン王国は女が政治に参加できないので免疫がないはずだからだ。
「それが貴官の望みと申すか?」
「いいえ。これはわたくしの望みではなく、皇帝陛下が望まれておられるのです」
「ならば貴官の望みを聞かせていただきたい」
「わたくしは神にお仕えしているだけで幸せでございます」
「望みが、ないとな?」
ミルヴァが頷く。
「大陸を旅して分かったことがあります。それはこの世の中にとって最も大事なことは、子どもたちの為に学び舎を増やしてあげることだと思ったのです。それは教会と呼ばれることもあれば、寺院と呼ばれることもあります。または軍隊と呼ぶ人もいるでしょう。道徳や規律を学べるならば、呼称などはどうでも構いません。必要なのは子どもたちが安全に教えを受けることができる場所なのですからね。望みは何かと強いて挙げるならば、学び舎を増やしていくということでございましょうか。大陸では修隠者といって、表立って祈りを捧げることもできない者たちがいましたからね。当たり前のように学び舎が存在している、そんな世の中をわたくしたちは望んでいるのです」
私もミルヴァの理想に賛同する者だ。教会でなくてもいい。とにかく子どもたちが友達同士で笑って過ごせる教室をたくさん作りたいと思っているのだ。喜びと悲しみを一緒に感じられる瞬間を共有できるような場所を作ってあげることが私たちの理想だ。
「うむ」
モンクルスが深く頷く。
「では、初めからカグマン人とは手を取り合うつもりはなかったのではあるまいか? 太教と地教の教義や戒律はさほど変わらぬが、双方は男教と女教とも呼ばれる、似て非なるものではござらんか。貴官はいずれ袂を分かつと知りつつ、コルピアス公と手を組んでいたとも考えられる。これでは利用していたと思われても仕方あるまい。その点について第三者を納得させられるような説明はできますかな?」
理想を語っただけなのに、そこですぐに矛盾点や綻びを見つけて指摘してくるのだった。偉人ではあるけれど、底意地の悪さを感じる嫌な男だ。はっきり言うと、モンクルスは性格が悪い。正直、私は幻滅した。
「そうですね……」
即答できないミルヴァを見るのは随分と久し振りだ。
「互いの理想は違っていても、協力して目的を達することができるならば、『利用する』という言葉をネガティブな意味で捉えなくても良いのではありませんか? 先ほどは『学び舎が最も大事だ』と申し上げましたが、それはわたくしの理想であって、お腹を空かせた子どもたちの理想ではありません。ブルドン町長が学び舎を建てる人ならば、コルピアス公はパンを与える人なのです。それで理想的な社会を築けたのならば、もはや『利用した』とか、『利用していない』とかは、どちらでも構いません。この世には女と男がいて、共存することで成り立っているのですから、どちらか一方を排除するなどという考えは現実的ではありませんからね。コルピアス公とは共存共栄の道を目指していたと思っていたのですが、わたくしどものことを利己的だと思われていたとしたら、残念でなりませんわね」
ミルヴァは太教を認めていないはずだけれど、嘘と分からないほど真実味があった。
「では、やはり貴官らにとってはどちらに転んでも構わなかったということですな。策謀を事前に知っていたにも拘わらず、それを皇帝に伝えず黙認したということは、貴君にとってはカイドルの皇帝もまた、ただの道具にすぎなかったということではござらぬか。仮に此度の戦でジュリオス帝が倒れても、コルピアス公との関係が維持することで本懐を遂げられるのですからな」
いい加減、しつこく感じてきた。
「それは、わたくしが策謀を事前に知り得たら、という話でございますね。しかし重臣を持たぬわたくしが、奇襲を企てて、それを悟られぬように警戒しているコルピアス公の策謀を、いかにして知り得たというのでございましょう? それがいかに容易ならざることであるか、閣下ならばよくご存知なのではありませんか?」
モンクルスが真顔で答える。
「町長は神の声を聞いてオーヒンに聖堂を建てたというではござらんか」
ミルヴァは微笑むが、あまり上手なお芝居ではなかった。
「それで今回も啓示を受けたと仰りたいのですか?」
「貴官が声の主というならば、すべての辻褄が合う」
図星だが、人間とは思えない、ありえない発想力だ。
「まさか、閣下ともあろうお方が、わたくしを神と混同なさるとは思いませんでした」
「皇帝を見殺しにしたという判断は誤魔化せませんぞ?」
「そんな証拠はございませんわね」
「町長父子と貴官ら三人が揃って同じ日に町を出るのは、皇帝に謁見する以外になかったと調べがついておる」
「調べって、まるで取り調べを受けているみたいですわね」
「問われて困ることでもおありか?」
「尋問を受けるべきはコルピアス公の背後に存在する者なのですよ?」
「皇帝を黙殺しようとしたのならば、貴官も容疑の対象だ」
「ただの推理ではございませんか?」
「偶々暴動が起こった日に揃って避難できたと?」
「この世に偶然が存在する以上は、そんなものは証拠になり得ません」
「よろしい」
「証拠もなしに、何が良いというのですか?」
「構わぬのだよ」
そこでモンクルスが私たちの顔を順番に見渡した。
「このワシが疑っていると思っていただければ、それで結構」
そう言って、席を立った。
隣のサッジ・タリアスも追従した。
「お待ちください」
ミルヴァも立ち上がって声を掛けた。
「最後に一つだけお聞きしたいことがあるのですが?」
モンクルスは構えた様子がなく、自然体で向かい合った。
「お答えしましょう」
「わたくしにされた質問と同じことを知りたいのです。つまり閣下のお望みは何でございますか?」
モンクルスが即答する。
「部下を生き存えさせて、食わせていくことだ。それ以外に望みはない」
夢も希望もない、つまらない答えだ。
「閣下は『剣聖』とも呼ばれているのですよ?」
「死んだ部下にとっては、愚かな上官の一人にすぎない」
「町では閣下の生涯を描いたお芝居が上演されています」
その言葉を受けて、初めてモンクルスの顔に影が差したように見えた。
「英雄が犯罪人となることもあれば、犯罪人が英雄に祭り上げられることもあるのが芝居の本質ではござらんか。立場を変えて見ることができなければ、影のない人物像となりましょう。立体であることでしか、影を浮かび上がらせることはできぬのですからな」
ミルヴァがモンクルスの目を見つめる。
「それでは、わたくしが閣下の石像を作って差し上げましょう」
これはモンクルスを石化させる詠唱魔法だ。
「いや、結構」
「大陸に腕のいい彫刻家がいるのです」
ミルヴァが強引に魔法を掛ける。
「そのままのお姿で石像にしてみせましょう」
モンクルスが首を振る。
「そういったものには興味がないのですよ」
そう言って、扉の方に歩いて行ってしまった。ミルヴァはそれを茫然としたまま見送るしかなかった。それも仕方がないことだ。なにしろモンクルスには暗殺魔法が効かなかったのだから。
その日の夜、修道館の官長室に籠って私たちだけで話し合うことにした。円卓を囲むミルヴァの顔は酷く怯えていて、お化けを怖がる幼子のように見えた。魔法使いが人間を怖がるなど聞いたことがないが、実のところ私も同じような心境だった。
「しばらく姿を消しましょう」
それが長考して出したミルヴァの結論だった。
「消すって、どういうこと?」
当然のようにビーナが訊ねる。
「島から出るの?」
「あなたも見たでしょう? 今のわたしたちには、あの男は殺せない」
「これまでの苦労はどうなるのよ?」
「命には代えられないの」
「六年も費やしたんだよ?」
「新しい魔法のアイデアが必要なの」
「コルピアスのオヤジを見逃すというの?」
「あんな男のためにリスクを負う必要はないでしょう?」
ミルヴァが冷静な判断をしてくれて嬉しかった。
「人間というのは魔法使いでもない普通の女を『魔女狩り』と称して火あぶりにしてしまうような野蛮な種族なのよ? チャバの戦いで皇帝パルクスが狙われたけど、わたしたちが先に狙われてもおかしくなかった。その点はコルピアスに感謝した方がいいかもしれないわね。もう少し目立つような活動をしていたら真っ先に狙われていたでしょうよ」
大昔からあるにも拘わらず、まだ『魔女狩り』という言葉は定着していない。しかし『魔女』という言葉は一人歩きしているので、いつ『魔女殺し』が起こっても不思議じゃないのが現代社会だ。
「しかもモンクルスはわざわざ警告してきたんですもの。あの男の場合は人間の女を『魔女』と疑っているのではなく、本物の魔法使いであるわたしたちのことを『魔女』だと思っているの。間違っていないのだから、ここは逃げるしかないのよ。逃げるチャンスをくれたのは魔法使いの存在など信じていないという、ただそれだけね。他のバカな兵士や貴族なら『魔女』と称して捕まえようとしていたでしょうよ。そういう意味では、賢者でもあるモンクルスが来てくれて良かったけどね」
貴族社会だけではなく、農村や家庭でも起こりえるのが魔女狩りの怖さだ。モンクルスで良かったというのは、他の者だったら問答無用で火あぶりにされていたかもしれなかったからだ。
その翌日、皇帝パルクスが死んでしまった。モンクルスとの会談に臨むために大聖堂に来ていたところ、その夜に応接室で休んでいるところを、アント・セトゥス夫人に背中を刺されて死亡してしまったのだった。
捜査に当たった警備主任の推理によると、持ち物検査を受けたセトゥス夫妻は、手土産のパンケーキの中にナイフを隠してパルクスに会いに行き、三人だけで大事な話があると言って、パルクス自ら人払いしてしまったとのことだ。
温和なセトゥス夫妻に殺意があるとは思わなかったのか、パンケーキを小皿に取り分ける作業を行っていた夫人が、ケーキの中からナイフを取り出し、夫と話し込んでいるパルクスの背後からナイフを突き刺したのではないかと状況から見て推理していた。
何事もなかったかのように部屋から出てきたセトゥス夫妻は、戸口の護衛兵に『機嫌を損ねてしまったようだ』と愚痴をこぼし、少しの間、そこで雑談を交わし、『しばらくは声を掛けない方がいい』と言って、その場を去ったという話だ。
大聖堂の中には百人を超える衛兵と、中庭には五百人の警備兵が野営をし、外には三交代制で見張りを立てており、更には隣接する兵舎には千人以上の警備兵がいたにも拘わらず、チャバの戦いでかすり傷一つ負わなかった英雄パルクスが殺されてしまったのだった。
「やっぱり人間というのはお城に籠らないと長生きはできないものなのよ」
ミルヴァがパルクスの死に顔を見下ろしながら呟いた。
「でも、信じられないんだけど」
ソファに座っているビーナは首を傾げたまま固まっていた。私は死体が見えない位置に移動して、壁際から二人の様子を見ているところだ。ちなみに皇軍の兵士は警備主任の命令で必死になってセトゥス夫妻を捜しているという話だ。
「チャバの戦いに勝利した英雄がセトゥスみたいな小物に殺されちゃうなんてさ」
「パルクスは人を信用しすぎるところがあるから」
「衛兵の責任でしょう?」
「期待しても無理よ。カイドルは地方の豪族にすぎないから」
「しかも領主じゃなくて、その奥さんに殺されちゃうんだもん」
「お芝居の筋書としてはどうなの?」
「ダメダメ、モンクルスと差しで勝負させなきゃ面白くはならないんだから」
「それは残念ね」
「逃げるにはいい潮時かもしれないけど」
「うん」
と頷きつつ、ミルヴァは悔いが残る感じだ。
「悔しいけどね。だってコルピアスだけではなく、セトゥスにまで美味しいところを掻っ攫われてしまったんですもの。わたしたちがいなければオーヒンはここまで発展することはなかった。この六年間でどれくらい歴史を加速させてあげることができたというの? 単純に加法したのではなく、乗法させてあげたのよ。それをどれだけの人間が気づいているというのかしら? この六年間の礎が、後に大陸からの侵略を防いだと位置づけられるはずだったのに、そのことを知り得る人間は一人もいないんですもの」
歴史を加速させたのは事実だけれど、パルクスを早死にさせた気がするのも確かだ。
「それにしても何でセトゥスのおじさんたちはパルクスを殺しちゃったんだろう?」
ビーナの疑問にミルヴァが答える。
「ひょっとしたらパルクスとわたしの間で交わした会話の情報が漏れていたのかもしれないわね。ベントーラ領の土地の移譲を求めたから、自分たちの領土も奪われると考えたんじゃない? ほら、コルピアスが奇襲を仕掛ける時、セトゥス領で待機させていたでしょう? それを問題視していないにも拘わらず、パルクスを殺したということは、やっぱりセトゥス家はコルピアス家に協力していたのよ。積極的ではないにしろ、少なくとも作戦を了承したのは確かだと思う」
ビーナがイライラする。
「ということは、ウチらがここで手を引くということは、結局はコルピアスやセトゥスのオヤジたちが賭けに勝ったっていうことになるんじゃない? なんか納得いかないんだけど。まるでウチらがアイツらのために頑張ってきたみたいじゃない。ねぇ、ミルヴァ、それでいいの? せめてアイツら二人を殺してしまおうよ。もっと言うと、恐怖を味わわせてやらないと気が済まないんだけど」
ミルヴァは落ち着いていた、というよりも、落ち込んでいた。
「わたしたちのことを信じてさえくれれば、コルピアスとセトゥスの二人を決して悪いようにはしなかったのにね。そもそもベントーラ領に大きな城と機能的な城下町を作ることができたのは、一体誰のおかげだと思ってるんでしょうね? セトゥス領の酪農や畜産が島で一番になれたのも自分の力だと思っているのかしら? わたしたちが上手く売り捌けるようにしてあげたからでしょう? たくさんのヒントを与えてあげたじゃない。アイデアを思いつくようにわたしたちが優しく誘導してあげたの。それを自分たちで思いついたと自惚れるんですもの。どうして感謝できないのかしら? わたしたちとの雑談の中から思いついたのなら、わたしがヒントを与えたと気がついてもいいじゃない。謙虚な気持ちで真似るなら許せるけど、知らんぷりして盗む奴は許せないわ」
怒っているはずのミルヴァの顔は悲しげだった。
「でも、もうそんなことどうでもよくなっちゃった。人間たちに期待したわたしたちがバカだったのよ。身に染みて感じたことなんだけど、人間に対して善行を施してあげるというのは、本当に虚しい作業なのね。わたしたちは無償でやってあげているんだけど、自分勝手な人間は文句ばかり言うんですもの。『もっとちょうだい』とか、『ここはこうして』とか、『早くしろ』とか。最近になって、なぜマホが人間に対して沈黙を貫いたか分かるようになってきたの。あの子はキリがないって知っていたのね。人間の欲には底がないって分かっていたのよ。だから神と同じように沈黙を守った。まぁ、わたしの場合は完全に愛想が尽きたんだけどさ」
不意にマホの名前が出てきたので、懐かしさのあまり胸が苦しくなった。
翌日、最後に朝のお祈りを済ませてから、誰にも何も告げずにオーヒン町から去ろうとした時、大陸に渡っていたデモン・アクアリオスが帰島したとの報せが入った。そこでミルヴァは彼とお別れの挨拶をしておきたいと言うのだった。




