第三十話(162) モンクルスとの対決
チャバの戦いが終わったお昼過ぎには、町中はすっかり静まり返っていた。それから遺体が腐ると虫が湧いてしまうということで、すぐに火葬作業が始まった。五千体もあったので、それが実に三日も続いたという話だ。
カグマン王国では土葬が一般的なので、彼らにとっては奇異な風習に映るが、これは敵への弔いでもあるそうだ。火葬は理解されないけれど、自然崇拝の強い部族にとっては、煙と共に天高くへと送り届ける厳格なる儀式の一部なのだ。
ビーナはカラス部隊からもたらされた情報を分析するために山籠もりを始めた。カラスが迷子にならないように、所定の場所で待たなくてはならないらしい。その間にミルヴァと私はオーヒン町に戻り、修道館で彼女の帰りを待った。
暴動が起こったにも拘わらず、町の中はそれほど荒らされた形跡がなかった。今回はコルピアスに扇動されて、皇帝を倒すことを目的として組織されていたので、その後の仕事や市民生活に戻ることを考えて、破壊活動は禁止されていたのだろう。
それとオーヒン町にはパルクス率いる皇軍とは別にザザ家の縄張りがあって、ワル・ザザが率先して暴動を抑え込んでいたということを後から知ることができた。ただし、帝国軍の在留兵と揉めて、互いに多数の死傷者を出したことには、ミルヴァも激怒していた。
チャバでの火葬作業が終わった四日後の晩に、ビーナが修道館に帰ってきたので、そのまま神官長室で会議を行うこととなった。真っ暗でも問題ないけれど、円卓の上に蝋燭を灯したのは、なるべく人間と同じ生活を心掛ける必要があるからだ。
「やけに嬉しそうね」
ニヤけ顔のビーナにミルヴァが指摘した。
「だって」
そこでビーナが言葉を引っ込めた。
「あっ、今はやめとく。まずは一週間前にチャバで何が起きたか説明するね。大ババ様と違って過去の出来事を見せられるわけじゃないから正確とはいえないかもしれないけど、大体のことは説明ができると思うんだ」
回想する。
「そう、あれはパルクスが凄かったとしか言えないわね。戦いが始まった明け方前には勝負がついていたのよ。オーヒンでの戦闘を終えて帰路に就いたパルクスは、部下から策謀の可能性があると報告を受けたのは話したよね? そこで負傷兵を休ませつつ、移動速度を落として、罠が仕掛けられていないか部下に単独で調べさせたの。それでセトゥス領に五千人の王国軍が潜伏していることを突き止めて、一つの決断を下したわけ」
物語を話している時のビーナはとても楽しそうだ。
「その決断というのが、自分を囮にして、チャバの住民を助けることだったのね。それには警戒することなく、予定通りにチャバの仮皇宮へと帰還しなければならなかったんだけど、それってつまり、他にも敵がどこかに潜伏しているかもしれないのに、パルクスは部下の報告を信じたということよね。彼は五千人ならば返り討ちにすることができる自信があったんだわ。ただし、リング領から弓兵を呼び寄せることは忘れなかったけど」
正確に心臓を射抜けるリング領の弓兵は、不老不死の私たちにとっても恐ろしい存在だ。
「眠りに就いたチャバの住民を夜中の内に脱出させて、代わりにリング領の弓兵を石壁の周りに配置させていたみたい。だからコルピアスの王国軍がチャバ町を包囲した時、実はすでにリング領の弓兵に包囲されていたというわけ。つまりあのバカオヤジの軍団は完全に包囲されているとも知らず、敵を包囲するために自分たちから包囲網の中に入って行ったっていうわけ。どう、絵面を想像してみてよ、これって傑作じゃない?」
私たちでもリング領の弓兵の動きを確認することができなかったのだから、普通の人間である王国軍の兵士が気づかなくてもおかしくはない。人間よりも感覚が鋭い野生動物を相手に狩猟生活を送っているので初めから勝てるはずがないのだ。
「王国軍の兵士からしたら地獄だったでしょうよ。数で圧倒する勢いをそのままに仮皇宮へ突進しようと思ったら、背後から正確無比な矢が飛んできて仲間が急所を突かれて死んでいくんだもん。人ひとりの命を奪うのにリング領の兵士はたった一本の矢で充分なんだもんね。苦痛を与えずに急所を狙って仕留めてあげるのが彼らの慈悲なんだってさ。野生動物と違って人間が全力で走ったところで、彼らにとってはスローにしか見えないのよ」
出口を塞ぐ作戦だったのに、それが却って狙いを絞りやすくさせてしまったようだ。
「矢から逃げるように石壁の向こうへ行こうとするんだけど、そこにはパルクスの皇軍が待ち構えていたのよね。そこは砦のようなものだから、迷路のような町の中で、地図を持たない兵士が勝てるはずがないのよ。町の至る所に飛び道具が仕掛けられているんだから。モンクルスがいても北部の部族には勝ち切れなかったというのに、よく五千人で勝てると思ったわよね。まぁ、結果論なんだけどさ」
そこでミルヴァが訊ねる。
「コルピアスはどうなったの?」
ビーナが渋面を浮かべる。
「それが消息を絶ったまま、今はどこで何をしているのか掴めてないの」
「死んだということじゃないの?」
「パルクスが捜しているから、死体の中にはいなかったんだと思う」
「コルピアスが首謀者だということは知っているのね?」
「うん、それは部下の報告を受けたから」
「コルピアスにとっては一世一代の大勝負だったけど、見事に失敗したわけね」
ミルヴァの言葉に、ビーナの表情が曇った。
「それがね、そうでもないんだ」
そこで首を振る。
「いや、違うか。まだ、どっちに転ぶか分かんないんだよ」
そこで今度はニヤニヤしだすのだった。
「ほら、さっき後で説明するって言ったでしょ? そのことだけど、ゴヤ町にコルピアスと仲のいい神官がいるでしょう? そのゲミニ・コルヴスが今回の敗北を受けて、王宮に行くから会議の用意をするようにと伝令兵を走らせたの。しかもその時にね、モンクルスも同席させるようにお願いしたのよ。ひょっとしたら、話し合いの流れによっては、剣聖モンクルスの戦いをこの目で見ることができるかもしれないんだ。つまり歴史的瞬間に立ち会えるかもしれないということ。どう? 凄いでしょう?」
そこで複雑な表情を見せる。
「ただ、そうなるとコルピアスのオヤジが延命しちゃう可能性も出てくるのよね。ウチとしてはモンクルスのご尊顔を拝めればそれでいいんだけど、コルピアスのオヤジを助けるために戦うというのは納得できないんだよね。ねぇ、ミルヴァ、もしもモンクルスが出征してくるとなったら、どうするつもりなの?」
賽はミルヴァに託された。
「今回のチャバの戦いの結果を受けて決めたことがあるの」
それはこの世界の未来を変えるかもしれない決断だ。
「わたしは皇帝パルクスを新たな時代のリーダーにするって決めた。初めはマークス・ブルドンをオーヒン国の初代国王にしようと思ったけど、彼をリーダーにするにはまだ時代の方が追いついていないように感じるの。現在の人間社会では、やっぱりパルクスのように自分の身は自分で守れるような人じゃないとダメなのよ」
それが北部の伝統でもある。
「それにこの島では、帝国に比べて王国は腐り切っているでしょう? フェニックス家の汚らわしい血のせいで、親類縁者というだけで特権が与えられるんですものね。まだ、力で勝ち取る帝政の方がマシじゃない。豪族の中には伝統的に女が族長を務める村がいくつも残っているし、本来あるべき姿を取り戻すには、やっぱり部族が多く暮らしている地域を守った方がいいの」
血統の優秀性を信じて疑わない人間は想像以上に多い印象がある。
「間違った信仰をしている人を全滅させることなんて出来ないんだし、だとしたら大昔の記憶を今も忘れずに残している部族の力になってあげる方がより賢明ということになるでしょう? フェニックス家の血は伝染病のように広がってしまうから、できるだけ早いうちに絶つというのも大事なことなの。早めにカグマン国の王宮をぶっ壊してしまいましょう。遺跡すら残さないようにしてしまうのよ。そのためには何だってしようと思う。たとえ相手がモンクルスだとしてもね」
「えっ!」
ビーナが大きな声を出した。
「いま何て言ったの?」
「パルクスを殺そうとするなら、当然モンクルスも敵になるわよね」
「それって剣聖を殺しちゃうっていうこと?」
「場合によっては、それも辞さないけど」
「ダメダメダメ」
ビーナが泣きそうだ。
「ダメったらダメ!」
「あなたの好き嫌いで政治はできないの」
「モンクルスは無敗の剣士なんだよ?」
「わたしたちの妨害をするなら殺すだけよ」
「無敗の剣聖が訳の分からない死に方をするというの?」
「突然死しても不自然ではない年齢でしょう?」
ビーナが駄々っ子のように首を振る。
「ダメだよ、それは絶対にダメなの。剣聖モンクルスがパルクスとの決戦を前に心臓発作で死んじゃうっていうことでしょう? ウチらが介入するということは、そういうことになるんだよね? そんな肩すかしのお芝居がある? あまりに無様すぎない? そんなエンディングを書く劇作家なんて最低最悪だよ。お芝居の美学に反するでしょう? 剣聖の最期に相応しくないよ。せめて正々堂々と戦わせてあげて。みんなそれが見たいんだし、私も二人の対決が見たいの」
ビーナにとっては芝居が映えるような演出が一番のようだ。
「悪いけどそんな余裕はないの」
ミルヴァは現実的だった。
「モンクルスは高齢のハンデがあるから必ずしも勝つとは限らないし、だからこそあなたも興味が惹かれているんだと思うんだけど、仮にモンクルスが勝ったとしても、芝居小屋が儲かるだけで、この島の未来はよくならないのよ? カグマン王国がパルクスを悪者にして一気に天下統一に向けて動き出すだけじゃない。ここでパルクスを死なせるわけにはいかないの」
ビーナは不貞腐れているが、反論はしなかった。
それから一週間後、王宮での臨時閣議で正式にチャバへの出兵案が可決されて、新国王はモンクルスにその指揮を執ることを命じて、本人は全権を委ねてもらうことを条件に了承するのだった。
まだ正式に戴冠していないとはいえ、国王陛下の勅命に条件を出せるのは、カグマン王国においてモンクルスただ一人だろう。『小官に命令を下せるのは陛下お一人でございます』と言われたコルバ・フェニックスは、返す言葉がなかったそうだ。
早速モンクルスは戦争孤児として育てていた二十歳のエムル・テレスコを、王国軍では最小単位の部隊である百人隊の隊長へと抜擢して、彼を同行させる形でチャバへと向かうのだった。百人隊を厳選するにも様々な条件があったとビーナが言っていた。
例えば、伝言を正確に記憶してそのまま伝えられるかという試験があり、この場合、省略してもダメだし、余計な言葉を付け足しても失格となるそうだ。後は聴覚が鋭くないとダメだし、夜中でも目が見えていないと試験に受からないそうだ。
退役していたモンクルスが久し振りに現場復帰して一から軍隊を鍛え始めたので、軍閥貴族にとっては目障りだったらしい。出兵に備えて厳しい訓練を課せられたので、兵士からも弱音ともいえる愚痴がこぼれたそうだ。
七政院の貴族にとっても不満の声の方が大きく、一気にカイドル帝国を攻め落とすつもりで閣議決定したのに、モンクルスはパルクスとの対話を選択したので期待外れだった様子だ。『老いぼれ』とか『ボケた』と口にする貴族もいたようだ。
そんな王国側の様子をビーナは修道館の会議の席で説明してくれたけれど、彼女は一貫してモンクルスを擁護し続けた。剣聖を庇っては『だから王国はダメなんだ』と言って、腑抜けた貴族社会を批判するのだった。
「それでパルクスはモンクルスの対話に応じるつもりなの?」
ミルヴァの問い掛けにビーナが答える。
「うん。剣聖は一対一での対話を望んでいて、会談の場所もパルクスに任せて、尚且つ会談を行う場所が、仮に帝都であっても百人以上は連れて行かないと明記してあるっていうんだもん。これにはパルクスもビックリしていた。だから、ひょっとしたら平和的に解決するかもしれないよ」
ミルヴァが首を傾げる。
「でも、モンクルスには帝国側と約束するだけの権限はないでしょう? 全権を委ねられたといっても、それは軍事指揮権であって安全保障とは別なのだから。領土問題について話し合うつもりなら七政院の官僚を会議のテーブルに同席させなければならないだろうし、そもそも会って何を話すつもりなのかしらね?」
ビーナも首を捻る。
「それは本人に聞いてみないことには分からないよ」
「そうね」
そこでミルヴァが何やら思いついたようだ。
「だったら、こちらから会いに行ってみましょうか」
「会ってどうするつもり?」
そう言って、ビーナが不審な目を向けるのだった。
「わたしたちの脅威になるようなら殺すまでよ」
「でも、まず会うことすらできないと思うけど?」
「では、パルクスに同席できるようにお願いしてみましょう」
ところがモンクルスはミルヴァを名指しして会談を申し込んできたのだった。
モンクルスがオーヒン町の大聖堂を訪れたのは、同じ場所でパルクスと会談を行う三日前のことだった。百人隊をゴヤ町の兵舎に預けて、ミルヴァとの面会は二人の部下を従えての訪問だった。
一人はエムル・テレスコという二十歳の若者だ。赤紫色の髪をした南方先住民の戦災孤児ということは、つまり二十年前の戦争で親を亡くしたということだ。穏やかそうな顔をしているけれど、周囲への警戒を怠らないので、それだけで優秀な護衛だということが分かった。
もう一人の方はサッジ・タリアスという名のガルディア系カグマン人だ。三十歳前後の若さで副指揮官に任命されているので、それだけで優秀な軍人であることが分かった。というより、モンクルスは優秀な人物しか側に置かないので能力は折り紙付きだ。
そして、二人の間にいるのがモンクルス本人だった。大聖堂の扉から姿を現した瞬間、なぜか膝が震えてしまった。一切の感情が感じられない表情で、心がないような目をしており、人間というよりも、フクロウが歩いているように見えた。
五十歳前後という話だけれど、筋力に衰えは見られなかった。古代ウルキア人らしく、黒紫色の髪が今もって艶やかとしているのだった。礼儀として剣が鞘から抜けないように紐で固く結ばれているが、それでも怖くてたまらなかった。
今回の会談に使用する円卓は特注で、ブルドン町長がこの日のために急ピッチでこしらえた品だった。そこにモンクルスとタリアスとブルドン町長とミルヴァの四者が座って、ビーナと私は背後に立った。テレスコだけは挨拶を済ませると扉の外に出るのだった。
「著名な閣下にお目に掛かれる日が来るとは思ってもみませんでした」
ミルヴァの言葉にモンクルスは一切表情を変えなかった。
「貴官が小官をここへ呼び寄せたのではありませんかな?」
地の底から聞こえてきたかのような低い声だった。
「さて、それはどういった意味でございましょう?」
「コルピアス公の聴取は済んでおるのですよ」
「あの裏切り者が何を語ったというのです?」
「裏切り者と申すか」
「共存共栄を望む皇帝陛下に刃を向けたのですからね」
「そのように仕向けた者がおるのではありませんかな?」
「それがわたくしだと仰りたいのですか?」
「未来が予言できたのならば話は別ですがね」
「何を仰っているのか、まるで意味が分かりません」
顔には出さないが、イライラしているのが分かった。
「町長」
そこでモンクルスがブルドンに訊ねる。
「暴動が起こった日、貴方はどこにおられましたかな?」
「ゴヤ町です」
「それは何のために?」
「商談があったのです」
「貴方はベントーラ領の建築現場で仕事をされていると聞いているが?」
「資材取引で接待を受けられるというので誘いを受けたのです」
「そういったことは頻繁に行われているのですかな?」
「いえ、とんでもない。そういったことはコルピアス公に任せてありますので」
「では、なぜ今回に限って貴方の下に話が回ったのですか?」
そこでブルドン町長は隣に座っているミルヴァの顔を確認した。
「待ってください」
ミルヴァが割って入る。
「それだけで、わたくしが策謀に関与していたとお疑いになられたというのですか?」
「では、無事に避難できたのは神のお導きとでも申すか?」
「コルピアス公がブルドン町長の不在を利用したとも考えられるんじゃありません?」
「そうであっても、貴官らが避難していた説明にはなりませんぞ?」
「わたくしたちが首謀者であると仰りたいのですか?」
「否」
モンクルスの疑問の持ち方は、ここまですべて正しかった。
「そうではなく、なぜ見過ごしたのか、その訳を知りたい。コルピアス公から、皇帝に遷都を進言したのは貴官であったと聞いておる。ならば、それが望みであるはずなのに、皇帝が謀殺されるかもしれぬ企てがあることを知りつつ、あえて見殺しにしようとした貴官の狙いが分からないのだよ。ところが、その不可解な行動に一つだけ整合性のある答えを導くことができるのだ。それは両国の共倒れを狙った場合だな。貴官にとって此度の戦いは、どちらが勝利しても構わなかったのだろう。皇帝が倒れた場合、次は弔い合戦として皇軍の兵士を焚きつけたのではありませんかな?」
完全に見抜かれてしまった。




