第十六話 州都ハクタ
州都ハクタは海岸警備の拠点だったハクタ町と漁業が盛んなチョーキ村が合併してできた都である。人口が王都の倍以上になりそうだと前述したが、実際に遷都されたら倍どころではなくなるだろう。やはり貿易港の有無は大きい。
基本的に町人の九割以上は半漁(半農)半兵や商人で占められているそうだ。また造船工場もあるので製造業を生業としている技術集団も存在しているとのこと。
実際に足を踏み入れるのは三人とも生まれて初めてだった。町外れのはずなのに町人の往来が多くて、それだけで戸惑ってしまう、というのが俺の第一印象だ。
気後れしているのは俺だけではなかった。ケンタスも同じように町の圧力に飲まれているようだ。ボボはこの場でも無表情だが、口が半開きになっていることから、彼も州都が持つ独特の雰囲気に圧倒されていることが見て取れた。
ケンタスが馬を止めて馬上でずっと考え事をしているので話し掛ける。
「王都とは雰囲気が違うよな」
ケンタスが小さな声で答える。
「まだ町の入り口しか見ていないから何とも言えないけど、決定的に違うのは、王都よりも貧富の差が激しいということだ。でも、だからといって格差が少ない王都が優れている、という単純な話ではなさそうだな。王都における格差是正は、直接的に極貧者を町から追い出しているにすぎないんじゃないかって、この町を見て感じるんだ。そりゃあ貧しい者を排除していけば、他の地域に比べて生活水準が高くみえるわけだし」
ケンタスは気後れしていたのではなく、ショックを受けていたようだ。
「それがオレには数字のからくりにしか見えないんだよ。不潔な人を都から追い出しているだけなのに、民衆は王朝の政治運営が素晴らしいと称えるんだろう? それでハクタの貧乏人を見て、この町は汚らしく、王都よりも洗練されていないと思い込むんだ」
人口の差に違和感があったが、そういう理屈なら頷ける。
「先進的な都市から順番に廃れていく、というのには歴とした理由があるんだと思う。長い視点を持つと揺り戻しのような現象は起こるが、もし遷都が起こるなら、もう二度とカグマン州の州都が王都と呼ばれることはないような気がするな。現在ですら王都の民は国策事業の恩恵を受けて潤っているだけだと言われているんだ。オレやペガの家だって、兵糧や騎兵隊の脚のために仕事をしているようなものだろう? 新しいアイデアなんて必要としない環境なんだ」
俺も他の人と比べて恵まれていることは充分理解している。
「既得権益を有する富裕層にとっては王都ほど住みやすい場所はないだろう。王家も暮らしているので町の警備も万全だ。不潔な人もいないので、都は清潔を保たれているし、誰だっていつまでも変わらないことを願うはずだ」
そこで疑問を投げかけてみる。
「ケンよ、それはおかしくないか? 現在の王都で満足なら、どうしてわざわざ遷都しようと思うのだ? 国王の独断でもなさそうだし、多くの貴族が反対しているなら、遷都の流れにはならないはずじゃないか」
ケンタスが自信なさげに答える。
「はっきりとは断言できないけど、ひょっとして遷都の流れを知らないのは、王宮に引きこもっている現・国王のコルバ・フェニックスだけかもしれないな。オレたちの知らないところで政争が起こり、もう決着が付いているかもしれないんだ」
そのとばっちりでケンタスの兄貴が左遷された可能性もあるわけだ。
「王家の継承問題も複雑だし、貴族の行動も目で追うことができない。オレたちは現代を生きてはいるが、生の情報を得られることなんて、これまで一度もなかったんだ。知った時には過去になっていて、都合よく変わっていたりするから、それが悔しくてな」
兄貴の力になれなかった己の非力さに対する思いだろうか。
「オレたちにも様々なタイプがいるように、貴族にも色んなタイプがいると思うんだ。ひょっとしたら現・国王の清潔すぎる町づくりに対して、肌が合わないと感じている貴族もいるかもしれないだろう? この遷都計画には強大な改革者の意思が感じられるんだ。それも根回しを怠らない用心深さや、機が熟するまで待てる忍耐力も感じる。敵対すれば恐ろしい人物だが、今のところオレたちにとって害はないが、やはりこれまでと同じように、気がついた時には手遅れになっているんだろうな……」
ケンタスの話からヒントをもらったので俺も自分の頭で考える必要がある。こうして馬上から河原で生活している生活困窮者を見ると、自分がその者たちよりも優れていると錯覚してしまうが、それではケンタスが警鐘を鳴らした意味がない。
俺だって下手をすれば彼らと変わらない生活を送ることになるのだ。平民として生を受けただけであって、貧乏人にならないという保証はないのだ。そもそも保障というのは王族に対する信頼で成り立つのが現在の社会制度なのだから信用できるはずがないのである。
極貧というと僻地の農村にしか存在しないと思っていたが、どうやらそれは間違いのようだ。現にハクタの村外れでは、こうして全裸に近い格好の男女が生活しているからだ。子どもの姿が少ないのは、すぐに死ぬか、買われるか、殺されてしまうからだろう。
都会の格差は、その激しい差を目の当たりにするため、地方より厳しいように感じられる。もしも俺が貴族に生を受けたら、差別意識をもたないために、彼らを存在しないものとして、目に見えないと思い込むかもしれない。目を覆いたくなる、という逃げの意識だ。
身体が弱く丈夫ではないから、山賊や海賊になる体力もないような人たちだ。比較的温暖で水産資源が豊富だから生き存えることができているだけだ。といっても、手を差し伸べることができるほど余裕がある者はいない、というのも紛れもない現実だ。
こういう時だけ宗教でなんとかならないか、と都合よく考えてしまうが、そもそも絶対的な王制が存在するということは、絶対的な弱者も存在しているということで、宗教が招いてしまった歪な社会構造でもあるのだ。
宗教は人間に救いを与えるが、同時に命を奪う装置にもなり得るというわけだ。それこそが万物に共通する諸刃の剣ともいえるだろう。困った時だけ神頼みするという行為も、いかにも人間らしい営みである。
「ぺガ、あれを見て、どう思うよ?」
ケンタスが指差した方向を見ると、丘の上に建造中の王宮が見えた。まだ完成まで数年は掛かりそうだが、そもそも完成形を知らないので、建造中かどうか断定できないのだった。
「新しい王宮かな? あの丘から海を見下ろせるというのは最高のロケーションだろうな。いや、ちょっと待てよ、それより丘の上まで石を運ぶ作業が大変そうで、そんな呑気な感想は言ってられないや」
ケンが尋ねる。
「ボボはどう思う?」
「山の手は住みやすそうだが、王都の方が攻めるのは難しいだろうな」
「オレも同じことを思ったよ」
腹が立つことに、ケンタスは時々こうして俺を試すことがあるのだ。
「まだ完成していないから言い切ることはできないが、王都にある王宮は町全体が要塞都市としての役割があるということを、この町と比較してよく分かった。民家や工場が砦のような役割を果たしていたんだな。それに比べてハクタの新しい王宮は山の手で孤立していて、外敵に攻め込まれることを一切考慮していないように思われる。遷都の話が持ち上がったのは数年前だから、やはりハクタの都市計画は戦争を知らない世代が設計したのだろう。そう考えると、どうも遷都を導いている改革者の実像に違和感を覚えるんだ。とても冷静な頭を持つ人物というイメージを持っていたんだが、新王宮の設計には腰を据えた計画性が感じられないんだ。ということは、改革者は一人じゃないのかもしれないな」
言われてみれば違和感だらけだ。山の手には王宮の他にも役人の家と思われる家屋が幾つも点在しているが、町人と生活を共にしていた王都の役人とは大違いである。どこか別の国に来てしまったかのような錯覚に陥る始末だ。
もしも有事が起こったらどうなるのだろうか。山の手に役人街を作ってしまったら、いざという時、町の貧乏人は略奪者の側に回ってしまうかもしれないのだ。格差社会の恐ろしさは、敵が膨れ上がり、自国民が自国を滅ぼしてしまう可能性があることだ。
これではモンクルスが生きていたとしても、彼一人で新王都を守り切るのは不可能ではないだろうか。防衛戦に定評のあるジェンババが生きていたとしても三日で陥落してしまうような気がする。
そもそも彼らのような一流の将は、兵隊となる平民にわざわざ生活格差など見せつけたりしないと聞く。名を残す名将は人心掌握術にも長けているので、自ら民衆の反感を買うような真似は絶対にしないのだ。
王都の王宮が厳重なのは世継ぎを守るためであって、新王宮のように民衆を見下ろすためではない。まだ遷都されたわけじゃないというのに、今から乱世を招きそうな気配がして憂鬱になるのだった。
しかし石造りに拘っているということは、数十年、更には数百年スパンで新王宮を残そうとしている意思は感じられた。平和呆けしているが、一族の繁栄を後世まで残していきたいという欲はしっかり持っているようで、それがまた余計に腹が立つのである。
「今日は王都札が使えるから好きな物が食べられるぞ」
ケンタスの言葉に馬上のボボが鼻をクンクンさせる。
「この匂いがする食い物がいいな」
ケンタスも通りの真ん中で煙を吸い込む。
「やはりハクタといえば焼き魚だな」
川魚はよく食べるが、海の魚とは立ち込める煙の味までまるっきり違った。いや、川魚や湖の魚にも色んな種が存在するのだろうが、俺が口にしてきた中で一番美味しいと思ったのはサバなので断言せざるを得ないのだ。
夕飯時の日没前ということもあり、町の至る所から煙が上がっていた。その煙を見ているだけでも腹が締め付けられる。とにかく腹が減って仕方がなかった。もう少しすると空腹が収まってしまうので、今すぐ口に食い物を詰め込みたかった。
路上で酒を酌み交わしている者もいれば、何やら賭け事に興じている者もいた。木造のあばら家とレンガ造りの家屋が混在しており、散らかった町という印象だ。それでも水源のある一等地には立派な石造りの家が建ち並んでおり、きれいな場所も同居している。
幅の広い街道には宿屋が立ち並んでいた。それと同じ数だけ酒場が存在しているのは、そこが貿易商にとって交易を行う職場にもなっているからだろう。荷馬車を見張るだけの仕事があったり、貴重品を預かるだけの仕事もあったりするようだ。
王都の街並みと決定的に違うのはギャンブルが黙認されていることだ。店の看板に堂々とギャンブルを誘う文句があるというのは、王都では考えられないことである。賭け事自体は存在するが、路上で堂々とやる人はいなかった。
偶に見掛ける町の警備兵も、ギャンブル店での揉め事には干渉しないようだ。騒ぎが起こっても素通りしたのは、流石に眼を疑ってしまったが、おそらく揉め事が日常茶飯事なので、彼らにとっては普段通りの行動なのだろう。
「ここにしようか」
とケンタスが食事をする店を決めた。賑やかな広場まで来た時、王都札が使える店が一軒しかなかったので、その食事ができる酒場で夕飯を食べることにした。町を歩いて分かったのは、どうやら王都札を使える店では必ず馬を繋げる厩舎があるらしいということだ。
「王都から来ました。三人分の食事と水をお願いします」
と言って、ケンタスが店主に王都札を見せた。
王都札を見た店主が顔を顰めた。
それから俺たち三人の顔を順番に確認してから軽くため息をつく。
「食事は用意させてもらうよ。こっちだって仕事だからな。ただしだ、飯は外で食ってくれ。出来上がったら持って行ってやるから、それまで大人しく厩舎の方に引っ込んでいてくれないか? サインの交換は食器を洗ってからにしようや」
ぞんざいに扱われているように思われるが、これが普通なのだろうか?
ケンタスが丁寧に尋ねる。
「王都札を使うのが初めてなので決まりがよく分からないんですが、店の中で食べさせてもらうことはできないんですか? 空いているテーブルもありますし、店内が賑わうようなら移動しますけど」
店主が濃い眉毛をかく。
「いや、そういうことじゃねぇんだよ。つまりだ、俺だって言いたかねぇけど、店内で揉め事を起こされたら迷惑なんだ。大した金にならないし、嫌なら他を当たってくれよ」
「揉め事なんて起こしませんよ」
ケンタスの言葉に店主は首を振る。
「まったく、王都の奴らは世間知らずだから参るよ。お前さんはいいとしても、一緒に連れてる大男の方は問題だ。そいつは北方系の混血だからな。つまり兄ちゃんらを店のテーブルに座らせて飯を食わせるわけにはいかねぇってことだ。おれは良くても客が黙っちゃいないからな」
ケンタスは動じない。
「そういう理由でしたら、こちらとしても引くわけには行きません。ここで引いてしまったら、オレたちは起こってもいない差別に尻込みして屈したことになりますからね」
店主が呆れてニヤニヤする。
「子どもだから格好のいい御託を並べたがるのは分かるがな、少しは俺の身になって考えちゃくれないかね? お前さんにとっては一生に一度しか利用しない店かもしれないが、俺はここで死ぬまで働かなきゃいけねぇんだ。北部からの移民をテーブルに着かせる店だって思われたんじゃ、これから客が寄りつかなくなっちまうんだよ。王都札が利用できるっていうのもな、親父の代に始めた慈善事業みたいなもんなんだ。それで貧乏してる俺の身になってみろってんだ」
ケンタスに迷いはない。
「それでも、どんな理由があろうとも、オレたちは引くことができないんです。ご主人が嫌々ながらも続けている慈善事業と同じかもしれません。お父上の意思を継ぐことが大事だと考えているから続けているんじゃありませんか?」
「ったく、親父の話を出すんじゃなかったな」
わざわざ忠告してくれたのだから、もともと悪い人ではないのだ。
「仕方ねぇな、座って待ってな」
そう言うと、店主は調理場の方へ行ってしまった。
「すまないな」
ボボが謝った。
「やめてくれよ、お前の人生はオレの人生だったかもしれないんだ」
ケンタスはキツイ口調で言い聞かせるのだった。
ボボが微笑む。
「なるほど。自分自身のためでもあるわけか」
ケンタスも微笑む。
「そういうことだ。だから気にするな」
ケンタスは昔から人の気持ちが分かる男だ。今回もボボを助けたのではなく、自分自身を救う行為だと強調することで、ボボに負い目を背負わせなかったわけである。相手に負担を掛けず、常に対等な気持ちでいさせてくれる、最高にいい奴だ。
六つのテーブル席があり、そのうち四席が埋まっていた。とりあえず椅子に座って料理が運ばれてくるまで、さっきの店主とのやり取りを、自分だったらどうするか頭の中でシミュレーションしてみた。
きっと俺の場合は店主に「大変ですね」なんて調子のいい顔を見せつつ、厩舎に引き揚げた後で「あの店主は酷い野郎だな」なんて陰口を叩いてボボを慰めていたに違いない。それくらいケンタスの行動は勇気がいることなのだ。
「おい、どうして猿が椅子に座ってんだ?」
奥まった席にいる三人組の一人が俺たちに向かって野次を飛ばしてきた。
「ここは猿にエサをやる店じゃないんだぞ?」
三人の格好は、どう見てもハクタ州の新兵だ。
「旧都の新兵は猿でもなれるらしいな」
そこで店内にいる他のテーブル客にも笑いが起こった。
「目障りだから出て行けと言っても、猿だから言葉が分かんねぇか」
そこでケンタスが発言者を睨む。
「不愉快なのはオレも同じだ。だからお前たちが出て行けばいい」
挑発に応じてしまった。
「新兵の分際で舐めた口利いてんじゃねぇぞ」
「その言葉は一人前の兵士になってから使うものだ」
「なんだと!」
ハクタの兵士が勢いよく立ち上がった。
「手合せしてやるから、表に出ろよ」
とケンタスは立ち上がり、落ち着き払った様子で外に向かった。
「上等じゃねぇか」
とハクタの兵士も表に出る。
ケンタスのバカ野郎が、州都に到着して早々決闘を始めやがった。
ボボに続いて表に出ると、既に二人を囲んで人だかりができていた。
通行人も立ち止まり、見物人の数が膨らんでいく。
夕陽に照らされて分かったが、相手の兵士もまだ子どもだった。
「一つ尋ねるが、オレは友のために戦うが、お前は何のために戦うんだ?」
ケンタスの言葉に答えないのは、考えているからだろうか?
「まさか戦う理由もなしに生き死にを懸けるわけじゃあるまいな?」
「その生意気な口を塞ぐためじゃ不足か?」
「そんなくだらない理由なら剣を抜く価値もないな」
兵士が笑う。
「ハハッ、逃げるのか?」
ケンタスは笑わない。
「素手で相手してやろうって言ってんだ」
その言葉に兵士の顔つきが変わった。
「気にするな。お前は剣を抜けばいい」
「とことん舐めやがって」
と兵士が剣を抜いて両手で構えに入った。
あちこちから囃し立てる言葉が飛び交っている。
しかし勝負は目に見えていた。
明らかに兵士の方は大剣を充分に扱えていないからだ。
緊張も相まってか、両腕がプルプルしている。
「来なければ、こちらから行くぞ」
ケンタスの言葉に兵士が大剣を振り上げる。
が、剣に振り回されているのは兵士の方だ。
俺の目にも兵士の動きが止まって見えた。
ケンタスに向かって突進を試みるも、簡単に避けられる。
その瞬間、ケンが相手の鳩尾に膝を入れた。
そこで相手は蹲り、地面に突っ伏してしまった。
ケンタスが兵士の大剣を拾い上げる。
そして片手で兵士の喉元に剣先を向けた。
兵士が小便を漏らしているのが分かった。
その事に気がついた衆人から笑いが起こるのだった。




