第二十五話(157) パルクス・ジュリオス・アクアリオス
急逝した父・ハルクスの後を継いで、二十歳という若さでカイドル帝国の皇帝に即位したのがパルクス・ジュリオスだ。祖父のガイクスと三代続けて皇帝職が受け継がれたが、これは有史以来はじめてのことだそうだ。
おそらくだが、約二十年前、ガイクス帝時代にカグマン王国と停戦協定が結ばれたことで、分かりやすく戦果を挙げる者がいなくなったので、それで血統で選ばれるようになったのではないかと考えられる。
二十歳という若さで皇帝に即位したわけだが、反対する声は一切なかったという話だ。カグマン王国からも『ジュリオス三世』という呼び名で認識されており、そのことからパルクスの即位が既定路線だったということが窺えるわけだ。
親しい者から『パパ』という愛称で呼ばれ、誰からも愛される皇子様だったようだ。それは皇帝になってからも変わらず、彼の悪口を言う者は一人もいなかったという報告も受けている。
停戦前の戦争を知る世代からは、『もう少し早く生まれていれば』と嘆く声もあるそうだ。手足が長いので剣聖モンクルスよりも強いのではないかと考える人がいるからである。
そのパルクスからブルドン村長の元に伝書が届けられたのは、肌寒さが残る晩春の昼下がりだった。文字の読み書きができない村長の代わりにミルヴァが代読したのだが、そこで正式な招待状であることが分かった。
リング領の古城に滞在しているらしく、そこへオーヒン村の村長として招待を受けたわけだが、私たちがオーヒンの地にやって来て丸三年、やっと初めてマークス・ブルドンが村長として認められた日でもあった。
それと前後してベントーラ領のカイケル・コルピアスの元にも招待状が届けられて、結局話し合いの末、コルピアス夫妻やブルドン父子と共に、私たちも揃ってリング領へとお呼ばれすることとなった。
カイドル帝国の政府機関には宰相のポストはなく、神官長が諮問機関の最高顧問でもあるので、ミルヴァが村の教会の神官として同行することに異論が起こらなかったわけだ。
神職に奉じているということで、私たちに対する扱いは格別のものがあった。弾材を使った馬車は乗り心地がよく、よく耳にする『お尻が痛くなる』という感覚は一切なかった。
「お待ちしておりました」
黄金が眠っているとされる山の中腹に建つ古城へ行くと、帝国軍の衛兵たちが私たちを出迎えた。三組いる招待客の中で私たちの優先順位が一番高かったことに驚いてしまった。リング領では王家の外戚よりも神官の方が単純に偉いということだ。
「あちらの間で陛下がお待ちでございます」
案内されたのは、かつての皇帝の間だが、もうすでに玉座はなく、社交場へと改装されていた。といっても、今は皇帝が逗留中なので、壁にびっしりと衛兵が張り付いている状態だった。明り取りもなく、蝋燭の火しかないので、とても不気味だった。
「今宵はお招きいただきありがとうございます」
訪問客の中で一番身分の高いミルヴァが起立したまま最初に挨拶をした。
「遠いところ、ようこそお越しくださいました」
仮の玉座に座るパルクスは彫刻のような男だった。座っているのに、傍らに立つ護衛兵が子どもに見えるほど逞しい肉体をしていた。胸元が大きく見えるラフな平服を着ており、そこから漂う色香は刺激的でありながら、とても甘美に感じられた。
黒紫色の直毛は古代ウルキア人の先祖から受け継いだものだ。しかしガルディア系のアクアリオス一族の血が混じっているはずなのに、その特徴が見た目に現れていないというのは気になる点だ。
それから一人ずつ挨拶をしたけど、コルピアスが膝を折ったのには驚いてしまった。彼はフェニックス家の人間なので、本来ならばカグマン王国の王様以外に膝を屈してはいけない人だからだ。
「いやぁ、陛下、お会いしとうございました。まさか私奴のことを承知していただけていたとは思ってもおりませんでしたので、書状を見た時には万感の思いが込み上げて、妻と二人で泣いて喜び合ったものです。陛下からいただいた招待状は、我が家の家宝とさせていただきます故、どうか一つ、これからもご贔屓にさせていただきたく、よろしくお願い申し上げます」
誰にでもいい顔をする厚かましい男だけれど、誰に対しても同じ態度で接するので、意外と人望があるのが、このコルピアスという賢しい男だ。それに負けないのが妻のケールで、うるさいくらい自分たち夫婦を売り込むのだった。
それに対して私たちの村長であるマークス・ブルドンは無口で口下手な男として知られており、黙々と仕事に打ち込むタイプで、仕事場でも大声を出すのは弟子たちに任せるような男だった。
「マークス・ブルドンと申します。お招きいただき、心より感謝します」
ミルヴァが教えてあげたセリフを頭に入れて、それを思い出しながら口にした感じだ。大工仕事ならば聞けば何でも答えてくれるらしいが、それ以外の知識はさっぱりとのことだ。でも、その愚直さが有能な弟子たちに慕われる理由でもあった。
「面を上げなさい」
パルクスの命令に従って、全員が起立した。ちなみに私たちは神以外に膝を折らないので最初から立ったままだ。カグマン王国では神職は政府機関の一つだけれど、カイドル帝国では独立機関でもあるので、郷に従ったわけだ。
「旅の疲れもあると思うが、先に用件を済ませておこう。呼び立てたのは他でもない。マークス・ブルドン、貴君をオーヒン村の村長に任命しよう。然る後、チャバ町との合併を直ちに行い、これをオーヒン町と命名し、ブルドン村長を初代町長に任命したいと考えている。引き受けてくれるな?」
事実上、二階級特進だ。
「謹んで、お受けいたします」
これも事前にミルヴァが教えた言葉で、村長の任命式が行われると予想できたので、予め仕込んでおくことができたわけだ。しかし、いきなりオーヒン町の町長に任命されるとは思わなかった。パルクスも若さに似合わず仕事が早そうだ。
「よろしい。それでは二、三、話し合うことがあるので、就任を祝う席で煮詰めるとしよう」
そこで一旦、解散した。
カグマン王国では王族や貴族が平民出身の役人と一緒に酒宴の席に並ぶことはないけど、カイドル帝国では地域支配の強い豪族との付き合いが多いことから、宴の席でも同列に並ぶ習わしがあるらしい。
移動した古城の中庭では、豚の丸焼き祭りが行われていた。ブルドン町長の就任祝いということで、彼が皇帝パルクスの横に座り、その隣にミルヴァとコルピアスが座り、私やビーナやオークスやケールや従者は後列に座った。
皇帝の逆隣にはデモン・アクアリオスが座っていた。パルクスと同じ血統のはずだけど、逞しい皇帝と違って、彼の方は虚弱な身体をしていた。髪色も系統違いの赤毛で、表情は暗く、なるべく心のうちを読まれないように努めている感じだった。
しかし才能は隠せるものではなく、前列にいる五者会談では、パルクスを差し置いてデモンが話し合いを進めていくのだった。その様子を見て、ひょっとしたらパルクスが皇帝になれたのはデモンのおかげではないかと、そんな風に思った。
といっても、こちらも質疑に応じるのは町長や領主ではなく神官のミルヴァだった。口が達者なコルピアスも、重要な会議では出しゃばるような真似はしないのである。
「陛下もご存知の通り」
デモンと話を詰めているが、ミルヴァは皇帝に申し上げる態で喋っている。
「ベントーラ領には自治権というものがございます。それはカグマン王国の七政院の官僚ですら侵せぬ領域でございます。停戦協定を結んで早二十年が経とうとしておりますが、彼の地は国境線上にある立地でありますが故、これまで幾度となく戦禍を被ってきました。然様な歴史を鑑みれば、彼の地を治めますベントーラ公が専守防衛に努めましたのも、至って自然な流れであったことと承知していただきたいのです」
皇帝に逆らわないというのがミルヴァの方針だ。
「では、なぜ忠誠を誓う対象が異なるブルドン町長と協力せねばならなかったかと申し上げますと、それは停戦後の境界線が曖昧に線引きされているからでございましょう。フェニックス家の荘園がカイドル帝国の地に、池の飛び石のように点在しているのが問題でございました。そこで解決策としてオーヒン村を発展させて、超法規的に手を携えることを選択したのです。商才に長けたベントーラ公が資産を永続的に守るには、知識や技術を流用させてでも、より広い地域を豊かにした方が、長きに渡っては利になると考えたからで、決してリスクがなかったというわけではございません」
ミルヴァはコルピアスが味方であることを強く印象付けているわけだ。
「コルピアス家は長年に渡ってゴヤ町で交易の仕事に携わっておりました。ですからケール夫人と結婚されて、ベントーラ領の領主となった時、領土を発展させるには貿易港の開港と、港や航路の安全が不可欠と考えたわけでございます。しかし、ベントーラ領というのは海岸線が含まれておりませんでしたので、そこで旧知の仲であったマークス・ブルドンと共同で都市化を進めたというわけでございます」
コルピアスが深く頷きながら、ミルヴァの話を聞いている。
「これはカイドル帝国にとっても願ってもない話でございます。ハクタ町とゴヤ町という二大貿易港を有するカグマン王国と比して、失礼ながら陛下の御国には、国際的な貿易港は一つもございませんでしたからね。半島にいたブルドン家が、カグマン王国との戦乱に巻き込まれる形で島へと渡り、奉じた国を追われて、カイドル帝国に救われたことで、町長は皇帝陛下に忠誠を誓うと心に決めたのです。そのような経験をしてきたからこそ、陛下をお守りするには、手薄な海岸線の防衛が不可欠だとの考えに至ることができたのです。ですから、移民の受け入れは、帝都へ向けた謀叛義ではなく、陛下をお守りするための施策であったことと、ご理解していただきたいのです」
デモン・アクアリオスが意見する。
「よくできた話ではございますが、ベントーラ領の資産を守るための政策であったことは理解できますが、そのためにオーヒンの周辺地域を発展させて、利益がベントーラ領の金庫にしか貯まらないというのは、ちと虫のいい話ではございませんかな? これでは土地を無償で貸し出しているのと変わらないではありませんか。いや、無償ならまだいい。オーヒン町の実態はチャバ町からの移転なのですからね。現実として貴君らは陛下の所有する土地建物を無断で拝借しただけなのです。まさか、そのことに我々が気づいていないとは言わせませんよ?」
ミルヴァが返答する。
「誓って申し上げますが、わたくしどもがチャバ町から住民を強制退去、もしくは強制移転させた事実は一件たりともございません。これはオーヒンの住民に確認していただければお分かりになることです。まさか、証拠もなしにわたくしどもをお疑いになられたわけではございませんよね?」
どうもこの二人はタイプが似すぎているのか、相性が悪そうだ。
「私は陛下の持ち物を無断で借用している事実を申し上げたまでであって、貴女を疑ったわけではございませんぞ? なにをそんなにムキになられているのかは存じ上げぬが、陛下は貴君らから土地や建物を盗もうとしているのではなく、貸したものを返していただきたいと仰っているのです」
いつかこうなる日が来ると計画当初から分かっていたことだ。
「借用の事実がない以上は、お返しすることなどできるはずがないではありませんか? オーヒンの地に存在するものは一切合切、抜けた髪の毛一本までパルクス皇帝陛下の持ち物なのですからね。支配権の及ばない西方の豪族たちと一緒にされては敵いませんね」
デモンがあからさまに腹を立てる。
「それは皇帝陛下に対する反逆と受け取られても仕方のない発言ですぞ?」
「アクアリオス閣下は味方を敵に変える才能がおありのようでございますね」
「失敬な!」
興奮するデモンを抑えたのはパルクスだった。
「あははははっ」
皇帝が楽しそうに笑った。
「デモンを怒らせた人を生まれて初めて見ました。さすがはウルキアから来た修行者様ですね。私と変わらぬ年齢で大陸を横断してきただけあって肝の座り方が違います。ミルヴァ、貴女を見ていると、ウルキアの血が流れている者は皆、躾の厳しかった母親のことを思い出すことでしょう。ウルキアの女は貴女のように知的で、強く、何よりも美しい。どうぞ、貴女が考える都市計画というものをお教えください」
ミルヴァは島を乗っ取る気だけど、どうやって話すつもりだろう?
「計画と申しましても、壮大な夢があるわけではございません。わたくしの仕事はオーヒンの聖堂を守り続けるために尽力する、その一点のみですからね。それはブルドン町長も同じなのです。『オーヒンの聖堂を守り続けるにはどうしたらいいのか?』という命題があり、そこを出発点として、防壁を作るには人手が足りないので、労働力を確保するために移民を連れてきたというわけです。そこに商売を成功させたいベントーラ公と利害関係が一致したのは、まさに僥倖でございました」
完全にミルヴァのペースだ。
「そのベントーラ公にしても、利益を独占しているわけではないのです。現在、私財を投じて販路の拡大や馬車道の整備に努めているのですからね。その馬車道はすべて陛下の御持物であることを、どうか心に留めていただきたいのです。先ほどアクアリオス閣下が『利益がベントーラ領の金庫にしか貯まらない』と仰っておられましたが、このような有様では、金庫を作るだけで終わるような、そんな中身のない空しい人生になりかねません。それでどうして、ベントーラご夫妻を欲の塊のように罵ることができましょう? オーヒンの聖堂は紛れもなく、ベントーラご夫妻のご厚意がなければ建てることが叶わなかったのですから、少しでも利益が出るならば、ご夫妻の老後の備えに当ててはどうかと、そのように考えるのが人情というものではございませんか」
ミルヴァの言葉に、私の隣で話を聞いていたケール夫人が涙を流した。普段は自国領で大陸からの交易品に囲まれて優雅な暮らしをしているが、この日はあえて地味な平服を着て古城へと来ていたのは内緒だ。
「言葉の数々は立派だが」
デモンに女の涙は通用しないようだ。
「主要路、並びに周辺地域の情報を相手国の人間に手渡すというのはいかがなものか? 販路の拡大とは世帯調査のことで、馬車道の整備とは進軍の準備ではありますまいか? いや、そのようなことがなくとも、そのように受け取られかねない、という行動が、すでに問題なのですよ」
ミルヴァが否定する。
「停戦協定は今からおよそ二十年前に結ばれました。その間にモンクルスや彼の門弟が何もしていなかったとお思いですか? それはあまりに楽観的すぎる考えだと言わざるを得ません。モンクルスが一度も負けなかったのは、負けるような戦には参加しなかったからなのですからね。それはつまり、戦を始める前に勝負が決まっていたということになります。モンクルスほどの剣士ならば、すでに島における地理上の利益不利益をすでに把握していることでしょう」
これはビーナの受け売りだ。
「それに対してジェンババが用いた策というのは、すべての局面において相手よりも数で上回るように講じるというものでございました。これが軍師ジェンババの神髄にして永久不滅の兵法でございましょう。つまり、わたくしどもが移民を連れてきたのには、兵力を増員することで、カグマン王国からの侵略に備えた抑止の意図もあったというわけでございます。オーヒン周辺の情報は、むしろ拡散すべきだと考えております。知れ渡れば、領土を拡大しようなどと、二度と思いますまい」
セリフを採用してもらったビーナが嬉しそうだ。
「カグマン王国の最大の弱点は、フェニックス家の血そのものにあります。血を汚さぬように先住民を排除して、労働力として連れてきた移民も、王都から遠く離れた峠の向こうにあるゴヤ町へと隔離させたのですからね。温暖な気候に恵まれているので人口は緩やかに上昇の一途を辿るでしょうが、急激に増えるということはないかと思われます。モンクルスが指揮した軍隊が優秀であることは認めますが、それも数の前では太刀打ちできるものではないのです」
ここら辺はすべてビーナの書いた脚本だ。
「しかしながら、こちらの想定に対して、形勢を逆転してしまうのが、モンクルスが剣聖と呼ばれている所以でもあります。停戦協定に至った戦でも、指揮権を軍閥貴族に奪われたから敗れはしましたが、モンクルスは戦略を戦術でひっくり返すべく単独で進軍していたのですからね。それはつまり、帝都を落とせるという算段があったからではありませんか」
すべてビーナが調べたことだ。
「当時、カイドルの帝国領には少なくとも二百万以上の市民がいたのですよ? それでも二万人以下の王国軍に進軍を許してしまったのです。すなわち無条件に降伏し、抵抗してでも帝都を守ろうとした村や町がなかったということではありませんか? そのためのオーヒンなのです。今は移民と呼ばれていますが、生まれた子が育てば、故郷を守るための戦士となりましょう。彼らはすべて皇帝陛下の御持物なのですからね」
きれいに決まったのに、デモンが余韻を打ち消す。大抵の人はミルヴァの話を聞いているうちに、相槌を打つことで自分の方から暗示に掛かるものだけれど、デモンは目を合わせることもないから魔法がすぐには掛からないのだ。
「貴女の言葉が将来的に現実となれば願ってもないことではあるが、現状を鑑みるに、理想とかけ離れた希望的観測にすぎないと言わざるを得ませんな。陛下の御為と口上してはおられるが、チャバ町では貴女の連れてきた移民が陛下の臣民を謀殺しているのですぞ? しかも移民の多くはフェニックス家の荘園であるベントーラ領で暮らしているというではありませぬか? これでは生まれてくる子どもがカグマン王国に里心を持つのではありませんかな? それでどうして陛下に忠誠を誓う兵士に育てられるというのです? これでは手前どもだけではなく、相手方にも謀叛義を疑われても致し方ありませんぞ? チャバの町長が殺されたのが軍事クーデターの始まりじゃなければいいのですが」
町長殺しには関与していないが、彼の読みは正しかった。いや、第三者の目から見ればブルドン町長のみならず、私たちも含めて全員がグルで、カグマン王国の手先だと思われても無理のない話だからだ。
その点をミルヴァが弁明する。
「始めからすべて上手くやれるはずがないではありませんか。それにマークスはフェニックス家にすべてを奪われた男なのですよ? それでどうして謀叛の嫌疑を掛けられなければならないのですか? マークスほど信頼できる男は他におりません。彼を疑うということは、町長に任命した陛下のご判断を疑うということでもあるのですよ?」




