第十八話(150) 西側諸国への旅
真夜中の墓地での会議は続いていた。
「その前に」
ミルヴァが現状確認する。
「プント家を失墜させる目論見がどのような決着を迎えるのか見届ける必要があるわね。わたしたちが目指すのはジス家の根絶やしだけど、それがプント家との共通の目的とは限らないでしょう? 現にジス家と同じ兵力をウルキア帝国に差し向けたんですもの。西側で絶えず戦争をしていたというし、ジス家の打倒がプント家をより巨悪なものにしたんじゃ元も子もないじゃない。ここは慎重に調べる必要があると思う」
ということで、お世話になった修隠者の方にご挨拶を済ませてから西に向かった。
帝都ガルディアを内包するジス家の広大な領土の隣に位置するのがヘパス領だ。山脈が連なっているのが有名で、そのまま山の都と呼ばれている。山岳信仰の少数部族も数多く存在しており、他民族国家を形成していた。
しかし海辺の暮らしやすい低地の都では大陸南部からの入植者が多い印象で、ミルヴァによると、ルーツはアウス・レオス大王と同じアステア人という話だ。古都アステアが征服されたので、海を渡って大移動したのではないかと推察していた。
アステア人の大移動が、西側地域を発展させたのではないかという見方をする人もいる。種の改良や文化を進展させてきた血を受け継いでいるので、その技術があったからこそ、未開の地に都を造営できたわけだ。
現在は同じ帝国人となっているが、南部地域を治めているアストリヌス家とは、土地から追い出した側と、追い出された側の関係にある。片や名家として皇帝一族と血を分かち、片やその一族のご機嫌を取らねばならないのだから、おもしろいはずがないだろう。
ビーナが言っていた帝国宰相に媚びへつらう外交官というのは、おそらくヘパス国の外交官に違いない。西側の脅威となっている隣国のプント家を牽制する意味でも、帝国の一部になって最も恩恵を受けた国といえるだろう。
「カラス部隊から得た情報の報告をするね」
海岸から山の中腹にある王城を眺めながらビーナが説明する。
「この国の人たちというのは本当に強かなの。ガルディア人からの侵攻があった時は、プント家と組んで一緒に戦うはずだったのに、対抗できないとみるや、あっさりと寝返ってしまうんだもん。つまり一番強い人の下に就くというのが、この国の人の信条みたいね。今回の大規模遠征でもまったく損害がなかったみたいよ。帝国宰相に根回ししていたみたいで、駆り出された兵もいなければ、持ち出された武器や防具の類も一切なかったみたい。その代り帝国本隊に十人以上の学者を同行させたみたい。でもこれはヘパス国にとって願ってもないことよね。同じ帝国内とはいえ、自由に他国の領土に入ることなんてできないんだから。大遠征に参加することで、護衛付きで他国の文化や技術に触れることができるわけでしょう? つまり、結局はヘパス国が一番得をした形だったのよ。もちろん、そうなるように外交努力したんでしょうけどね」
ヘパス国に動きはないということで、すぐに隣国へ移動した。
プント家が支配する地域は南東にヘパス国、南西にマアス国、北西にセイバーン国、北東にカスエフ領と、四つの国に囲まれた非常に緊張感のある位置関係に存在している。それでも大国を維持しているのは、ウルキアからの大量入植があったからだ。
いわゆる『忘れられた民』と呼ばれている人たちのことだ。もうすでに改宗させられたというが、ガルディア帝国成立以前、それも学者によって説が異なるが、少なくとも二百年前までは確実に地教を国教としていたとのことだ。
帝国成立時期に諸説あるのは、帝都に対して度々反乱が起こるからだそうだ。それをどの時点で内戦とするかで意見が分かれているというわけだ。それは対立する両国で見方が変わるのでやむを得ないことでもある。
ガルディア人にとっては戦争で初めて勝利した時点から帝国歴が始まったという認識で、それ以降は内戦という認識だが、プント家はその後の反乱で勝利を収めたことで独立を勝ち得たという認識になっている。
ただ、はっきり言えることは、二十年以上前に前王のレオ・ジス一世が大規模な反乱を鎮めたため、現在は確実に帝政の支配下にあるということだ。他にも国同士で戦う戦争以外にも、少数民族同士が争う場合もあるので、歴史認識が難しくなっている。
ルーツはウルキア人ということになるが、すでに改宗させられているため、王城のある城下町の教会には男の神牧者しかいなかった。隣国を牽制するように四つの地方都市があるけれど、そこも同様とのことだ。
プント国は人々から『闇の都』とも呼ばれているが、はっきりとした理由は分からなかった。魔女が住む森があるとか、龍が眠っている湖があるとか、山の上には天馬がいるとか、ミルヴァが地元の人から話を聞いたところ、そんなことをよく耳にしたそうだ。
しかしそういったものは、ただの言い伝えにすぎない。深い森で不気味な体験をすれば『魔女がいる』と言い、神秘的な体験をすれば『妖精がいる』と言うのが人間だ。特にウルキア人ならば、そのように直感が働いてもおかしくはない。
帝国人にとって魔法使いという存在は、すでに創作上のキャラクターとなっているようだ。本気で信じているような人もいるだろうけれど、そういう人は大抵、周りの者から奇異な目で見られることとなる。
幻覚キノコで二十万の人間が死んだというのに、誰一人それが私たち魔法使いの仕業だとは思っていないということでもある。辛うじて信じているのはプリード領のスパビア王女くらいだろう。その彼女にしても、魔法使いではなく、神の使者とでも思っているはずだ。
それくらい人間の認識とは不確かなものだ。また、忘れやすいというのもある。プント国の人間など既に自分たちがウルキア人だったことを完全に忘れているようだ。これではウルキアに『忘れられた民』というより、ウルキアを『忘れた民』といえるだろう。
それでも王城のある城下町に入ると、男の神牧者よりも女の修行者の方が多く目についた。幾つかの教会を訪問したのだが、そこでは女と男でしっかりと教会運営がなされているのだった。
話を聞くと、確かに国教は太教であるが、女を神職に就かせないような原理主義的な変化は起こらなかったらしい。同じガルディア帝国、また同じ太教でも、地域が異なると、その土地で異なる宗派が生まれてしまうという、分かりやすい例なのかもしれない。
そもそも太教が地教から派生した異なる宗派みたいなものなので、太教を新興宗教のように考えるのが間違いなのだろう。母神ではなく男神を崇めているという違いだけで、戒律にそれほどの差は見られないからだ。
「失礼ではございますが、ウルキアからお越しの修行者様ではありませんか?」
あまりにも治安がいいので、城下町を三人で歩いていると、馬に乗った警邏隊の兵士に声を掛けられた。一瞬だけ警戒したが、捕えられる心配はなさそうだったので、ミルヴァが平然とした態度で応対する。
「相違ありませんが、なにかご用ですか?」
正直に答えても問題ないと判断したのだろう。
すると三人の警邏隊は顔を見合わせて驚くのだった。
「おぉ、まさしくご命令通りのお方のようだ。陛下からお連れするようにとの勅命を受けておりますので、お手数ではございますが、ご足労願えますか?」
あちこちの教会に顔を出したので王城にまで情報が伝わったようだ。
「承知しました」
ミルヴァは即答したが、ビーナは心配そうな目で見ている。
「それではご案内いたします」
ミルヴァがビーナに頷いて、警邏隊の後に続いた。
王城に連れて行かれ、通されたのは王の間ではなく、城内の教会だった。
「ようこそお越しくださいました」
護衛つきの神官長とは珍しい。
「私が国王のクニトス・プントです」
礼服を着た男がプント国王と名乗った。これには私だけではなく、ミルヴァやビーナも驚いている様子だ。護衛がついているので不自然ではあったが、この蚊も殺さないような優しそうなおじさんが、まさか国王だとは思わなかったからだ。
「これが私の娘です」
そう言って、傍らに立っていた修行者を紹介した。
「初めまして、ハーテルと申します」
私たちと同い年くらいの少女だ。こちらも優しそうな微笑みを湛えていた。黒紫色の髪と黒い瞳が美しく、私たちがいた修行院にいてもおかしくない見た目をしているので、かなり濃くウルキア人の特徴を残しているといえるだろう。
「いや、驚かれるのも無理はありません」
クニトス国王が、これまた優しい声で私たちを気遣うのだった。
「会う人みな驚かれますからね。我が国では古くから国王が神官を兼務するのです。いや、神官が国王を兼務していると言った方がいいかもしれませんね」
そう言って、優しく微笑むのだった。
「此度はハーテルが是が非でもと言うので兵士に命じて捜して連れて来てもらったのです。色々とお話を伺いたいことがあるそうですが、まずは貴賓室へとご案内いたします。確か、断食中ということでしたね。白湯を用意しておりますので、そちらで渇いた喉を潤すとよいでしょう。その前に、祈りを捧げていただけますか?」
まるでウルキアに帰ってきたような居心地の良さを感じた。修行者を王城に招くのに慣れていて、いちいち武器などを所持していないか調べられることもなかった。ハーテル王女とは友人であるかのような感覚を抱くことができた。
「それにしても、わたしたちがウルキアから来たと、よく分かりましたね」
貴賓室でプント家の父娘に旅の思い出を語った後、一息ついたところでミルヴァが訊ねた。すでに人払いしており、部屋の中には私たち以外にはいなかった。そこもウルキアにいた頃のような懐かしさを覚えた。
「それは黒衣の仕立てを見て分かったのです」
ミルヴァの話し相手は娘のハーテルだ。
「いえ、そのように報告を受けたものですから、もしやと思って、連れて来て下さるよう、お父様にせがんだのです。ウルキア産の黒衣はとにかく生地が丈夫で、染色がしっかりしているから、ひと目で分かると言っていました。修行者様をお招きする機会は少なくないのですが、ウルキアからお見えになることなど滅多にありませんからね。これは逃してなるまいと思ったのです。しかし、三人だけでよく旅が続けられたものですね。護衛付きの商人でも盗賊に襲われるというではありませんか。手前どもの恥をさらすようですけれども、城下町から国境の町へ行くにも命懸けだと聞いております」
ミルヴァはどう答えるのか?
「もちろん三人だけで旅をしてきたわけではありません。たまたま別行動をしていた時に声を掛けられたのです。それだけ貴国は治安が良いと感じることができました。ですが、旅の道中も多くの教会から支援を得られたことで、ここまで辿り着くことができましたので、多くの者に感謝せねばなりませんね」
嘘をついたが、それも仕方がないことだ。修行者が越境するには神官の信書が必要だし、女三人で旅をするなど有り得ないからだ。巡礼者や旅商に成りすます盗賊団もいるので、旅人に対する監視の目は特に厳しいというわけだ。
「そうですわね」
ハーテル王女がミルヴァの答えに納得する。
「他の信徒の方はどちらにいらっしゃるのですか?」
「怪我人も多く、未だ山中に留まっているという状態です」
「それは心配ですね」
と言いつつ、ハーテルは隣に座る父親の顔を覗き込むのだった。
クニトス国王が進言する。
「大体の場所を教えていただければ、兵士を迎えに行かせますが、いかがですか?」
ミルヴァが即刻否定する。
「お心遣いには感謝いたしますが、これもわたしたちにとっては大切な修行ですので、どうかお捜しにならないでいただきたいのです。無事に王都へと辿り着きましたら、信書を携えて、改めてご挨拶に上がりますので、ここはお気持ちだけ頂戴いたします」
嘘に嘘を重ねている状態だが、これも仕方がなかった。
クニトス国王が頷く。
「そうですか、それならば修行者様のお言葉に従うといたしましょう。ですが、治安が良いといっても、警邏隊の目が届く範囲に限られますので、くれぐれもお気をつけいただきたい。ここへ来るまでの道のりでは偶々危険を避けられただけかもしれませんからね」
そこでクニトス国王が首を振る。
「いやいや、出征から帰還した兵士と同じ速度で移動できる皆様方に忠告するのは烏滸がましい行為でしたね。これは大変失礼いたしました。娘と同じ年頃ですので、親心と思って受け取ってくだされば幸いです」
優しい父娘を騙しているので段々と嫌な気分になってきた。
ミルヴァが言葉を返す。
「出征した兵士がいつ帰還されたのかは存じ上げませんが、大規模な遠征があったから、山賊に遭遇することなく、大陸を横断できたのかもしれませんね。そういった意味では、わたしたちウルキア人にとって、此度の出兵は認めがたい行為ですが、無事に巡礼ができたという意味では、恩恵を受けたことは否定しません」
ミルヴァも会話を続けるのが苦しそうだった。見てきた出来事に対して、時系列に矛盾があってはならないからだ。移動速度に関しても『大河や渓谷を軽く飛び跳ねただけで越えることができました』などと口にしてはいけないので説明に苦労するわけだ。
「心に留めていただきたいのは」
クニトス国王が苦渋の表情を浮かべる。
「我が国としても決して本意ではなかったということです。修行者様に弁明しても仕方のないことなのですが、可能であるならば、『我々に侵略の意図はなかった』ということを文書で認め、信書として預かっていただき、ウルキアに届けてもらいたいくらいなのです。ですが、もしも途中で奪われでもしたら謀叛義を証拠として残してしまいますからね。ですから、今は耐え抜くしかないのです」
質問を受ける前にミルヴァが訊ねる。
「しかし今回の出兵で、貴国は帝都と同数の兵力を用意したと噂で聞きました」
詳しい事情を知っていても不自然なので、情報の出し方が難しそうだ。
「それは何度も協議を重ねた結果、そのようになったのです。帝国府としては、我々にもっと負担を与えたかったことでしょう。しかし帝都を留守にするわけにもいきませんから、最大公約数として十万人という数字が決まったわけです。それが遠征の勝利と、内乱を未然に防ぐという、限界値でもあったのでしょうね。重ねて申し上げますが、今回の遠征は我々が立案したものではないということです。結果は北軍と南軍、そして我らが西軍の全滅で終わりました。その結果を見れば、これが帝国内の地盤を強化するために初めから仕組まれた策謀だとお分かりになるではありませんか。外敵を利用して、国内を盤石なものとしたのでしょうね。多少の弱体化は問題ないと判断したのでしょう。その策謀はまさに正しく、これで我が国の独立も三十年から五十年は遅れたに違いありません。私が生きているうちに叶えるのは不可能となりました」
そこで深い溜息をついた。
「上手く苦戦を演じながら、後衛として優雅に戦況を見守る帝都の本隊を釣り出して、前線で主力部隊として交戦させるという作戦がありましたが、すべて失敗に終わったようです。おそらくウルキア軍が誘いに乗ってくれなかったのでしょうね。全滅したことをいいことに、我々が裏切ったなどと難癖をつける始末です。結局は最初から仕組まれていたのですよ。我々の作戦も見抜かれていたのかもしれませんね。ひょっとしたら、ウルキア軍と帝軍によって挟撃されたのかもしれません。そうじゃなければ、一人くらいは戦列から戻ってこられるはずです。やはり最初から一人残らず生きて帰さないと、謀殺を企んでいたのでしょう。半年後でも一年後でもいいから、一人でも帰ってくるとよいのですが……」
なんということだろう。私たち三人が幻覚キノコで戦死させたのは、帝都に対抗する仲間たちだったわけだ。ウルキア帝国に対する侵略の意図はなく、むしろ帝都を陥落させるという共通の目的があった人たちだ。
これにはミルヴァとビーナも明らかに意気消沈していた。まさか自分たちが使った魔法が帝国を支配する皇帝の役に立つとは思いもしなかったはずだからだ。抵抗勢力を自らの手で弱体化させてしまったので、これでジス家は少なくとも二、三十年は安泰ということとなる。
「修行者様」
ハーテル王女が懇願する。
「どうかご理解ください。お父様はウルキアの地を征服するつもりなどなかったのです。わたくしたちの願いは、この地にもう一度、地教を根付かせることにあるからです。暴力によって何度も奪われて、その度に記憶を失っていくのですが、プント家は決して忘れることはないと、心に留めていただきたいのです。ウルキアの修行者様ならば、わたくしたちの告白に、どれほどの勇気が必要だったかはお分かりなられることでしょう。同じ神を信仰する者として、信じていただけるよう願っています」
私たちが余計なことをしなければ、大陸の最西端まで地教の勢力圏が拡大していたはずだ。よく調べもせずに戦争に参加したから、味方だった敵まで殺してしまったわけだ。結果論だけど、遠回りさせてしまったのは、間違いなく私たちの責任だ。
用意してもらった客室に引き揚げた後も、ミルヴァは落ち込んでいた。
「ねぇ、ミルヴァ、今度はこの国の人たちのために頑張ろうよ」
ビーナが励ました。
「何を頑張るというの?」
「次はこの国を勝たせるんだよ」
「しばらく戦争はないでしょう」
「でも、帝都軍が攻めてきたら滅ぼされるかもしれないよ?」
「ああ、そうだったわね」
気のない返事だった。
ビーナは攻撃的な姿勢を貫く。
「様子を見つつ、進軍してきたら遠征中に全滅させるというのはどう? 自然災害を装うの。そうすればこの国の人たちのことだから、勝手に神様のおかげって思ってくれるでしょう? 馬を暴れさせるか、谷底に身投げさせるか、とにかく全滅させましょう」
そこで以前から感じていた違和感の正体がはっきりした。
「あの、ちょっといい?」




