第十七話(149) ガルディア帝国の歴史
早速ビーナがカラスに魔法を掛けて、王城や、高官が泊まっている兵舎や、兵士の酒宴の場へと送り込むのだった。それから戻ってきたカラスに盗聴した会話を再現させて、情報の精査や分析を始めた。
その間にミルヴァは風を使って高速移動し、話が聞けそうな地元住民を見つけては直接話を聞きに行くのだった。これはいつものことで、私の持つ知識のほとんどは、ミルヴァのこうした努力のおこぼれにすぎないというわけだ。
私は一人だけ河原で黒衣を洗濯する仕事を任せられていた。食べ物や飲料水を身体に取り込むことはないので大量に汗をかくことはないけれど、時々お世話になった民家で白湯をいただくことがあるので、たまに汚してしまうことがあるわけだ。
でも、こうして当たり前のように洗濯を命じられると、ミルヴァは初めから私に雑用を押し付けるために同行させたのではないかと考えてしまうことがある。役に立っているから別にいいけれど、たまには感謝の一つも言ってもらいたいものだ。
「ビーナ、得られた情報を教えてちょうだい」
河原で黒衣を天日干ししながら会議を始めた。
「うん。分かった。酔っぱらっているっていうのもあるんだろうけど、とにかく今現在も混乱は続いている感じね。今回の遠征で、みんな前線で何が起こったのか分かってないの。それでウチらの思惑通り、味方を疑ってるみたい。というのも、ガルディア帝国も一枚岩ではなくて、ほら、四つの大隊に分かれていたでしょう? あれがそのまま帝国を構成する四つの勢力を表しているみたいね。東西南北それぞれ四つの地域を治めている名家が存在していて、先陣を任されたのが北軍で、第二陣が西軍、そしてその西軍に全滅させられたのが南軍で、魔法に掛かって反乱を起こした第二陣を返り討ちにしたのが帝都のある東軍というわけ。つまり生き残ったのは大本営である帝都軍だけというわけね。それで兵士たちや高官らは西側の奴らに裏切られたと思ってるの。『ウルキアと戦っている間に背中を刺されるところだった』と口にした者もいるわね」
会話を記憶したカラスは凄いけど、的確に分析したビーナも凄い。
「それで急いで帰ろうとしているわけね」
ミルヴァが考えながら話す。
「わたしが聞いた話とも辻褄が合う。もうすでに帝都へ帰る準備をしているみたい。その帝国軍が迂回してまでバクス領に寄ったのも、西側との戦争に備えさせるみたいで、全滅させた西軍の持っていた武器や防具を預けるのが主目的だったみたい。『また息子が徴兵に取られる』って嘆いていた農夫がいたわ」
幻覚キノコを食べた西軍がウルキア帝国ではなく、矛先を東軍に向けたのは、元々燻っていた不満や不平が存在していたからだろう。幻覚を見せる魔法も掛ける相手に依存するので、心に疑念がなければ味方を襲うこともなかったはずだ。
第一陣の北軍が同士討ちしたのは、それは北方地域では部族間争いが絶えないからだ。前方のウルキア軍や後方に控える西軍に対する悪感情よりも、同じ部隊にいる味方に対する疑念や鬱憤の方が強かったのだろう。
西軍の不平不満は第二陣を任されたことにあるのかもしれない。相手が半数ならば手柄を立てやすい序列かもしれないけれど、倍の戦力を前に地の利のない場所で戦わされるというのは明らかに負担が大きい。
人類の歴史の中でも今回ほど大規模な大遠征は過去になかったという話だ。それにしては餓死者もなく、上手く最前線まで行軍できたと思う。それだけでも戦史としては評価されるだろうけど、部隊の配置などの戦略部分ではやはり拙さが出たように思う。
といっても私たち三人がいなければ、第二陣の西軍が戦争をしたことのないウルキア帝国軍相手に歴史を変える大勝利を収めていた可能性もあるので、人間たちがどのように今回の事変を記録に残すのか興味は尽きないところだ。
「わたしたちも帝都へ向かいましょう」
ミルヴァに従ってバクス領を後にした。
「マルン、あなたはお世話になる人たちのお手伝いをしなさい」
ミルヴァの命令だった。
「わたしたちはその間に情報を集めてくるから」
「なんで私だけなの? ビーナはカラスに魔法を掛けるだけでしょう?」
「魔法を掛けるだけってどういうことよ?」
ビーナがムキになる。
「カラスが喋ってるところなんて人間に見せられないでしょ?」
そう言われると反論することはできなかった。結局、ミルヴァは帝都ガルディアで情報収集を行い、ビーナは町はずれの森に行ってカラスに魔法を掛けに行ってしまった。私だけ教会に残ってのお留守番だ。
ガルディア帝国の教会は地教ではなくて太教なので、神職に就けるのは男しかいない。その教会ですら『神牧者』による犯罪が多いので、女だけで生活する施設が存在するわけだ。当然、場所は秘密にされている場合が多い。
私たち三人がお世話になるのもその中の一つで、都心から離れた荘園の中にあった。皇帝の諮問機関に属する貴族の領地らしく、だから表向きは普通の教会として建立されていたりする。違いは管理者の意識の違いでしかないとの話だ。
ここの教会を私たち三人に勧めてくれたのは、人里から離れた僻地で暮らす『修隠者』と呼ばれている女たちだ。犯罪被害に遭った女を保護したり、農村で捨てられた老女のお世話をしたりする女性団体のようなものだ。
地教と太教との対立だけではなく、すでに太教の中でも新しい宗派の流れができているということだ。男神信仰があまりに強すぎた結果、行き場を失った者たちによって、必然的に生まれたのだろう。
争い事が苦手な人たちほど、ガルディア人のような盗人から野蛮と蔑まれ、迫害されてしまうのが人間社会の悲しさでもある。私が僻地で暮らす人たちに愛しさを覚えるのは、それが本来の人間の姿を留めているからなのかもしれない。
そんなことを考えながら、日中は教会でお手伝いに励み、夜になると人気のない墓地でミルヴァから歴史の講習を受けた。ビーナがじっくり話を聞くために木柵に腰掛けたので、私も真似しようと思ったけど、できなかったので仕方なく地べたに座ることにした。
ミルヴァは帝都に赴き、貴族街にある退官した司書のお家を訪ねて、その司書をしていたおじいちゃんに魔法を掛けて、神官の娘と身分を偽って話を聞き出したみたいだ。貴族街まで行くのも、警備兵に魔法を掛けて案内させたというから大胆不敵だ。
ただの勘違いというわけではなく、相手に人物を誤認させる魔法があるようだ。その魔法を掛けられると、ミルヴァの顔が実在の神官の娘に見えて、声までその娘の声に聞こえるらしい。勝手に認識してくれるのでわざわざ変装する必要がないというわけだ。
「表門から堂々と入ってやったわ」
修行院の先生のように振る舞うミルヴァが得意げに語る。
「でも、王城に入るのは不可能ね。帝都には巡礼者の一団もいるけど、ウルキアと違って城の中までは入れてくれないの。神職は男に限定されているし、ううん、神職だけじゃなくて、すべての役職を男が独占しているんですもの。皇宮に出入りできるのも身分の高い女だけでしょう? さすがに今のわたしの力では全員に魔法を掛けるのは不可能だわ。魔法を掛ける間に捕まってしまうものね。大ババ様みたいに杖だけで魔法を掛けることができれば楽なのだけど、今のわたしには出来ないし、皇帝一族を根絶やしにするなんて、今の段階では残念ながら夢物語でしかないわね」
そこでガルディア帝国の歴史の話になる。
「そもそも、その皇帝一族というのが複雑なのよ。ビーナが教えてくれたように、ガルディア帝国には四つの名家が存在するの。まず現在の皇帝レオ・ジス二世の直系として最も権力のあるジス家。この一族が現在のガルディア帝国の礎を築いたといっても過言ではないわね。現在のエルキュリー領の地域で王政を築いて、そこから南方地域を支配して、西に遷都、つまり現在の帝都ガルディアに都を遷して本格的な帝政が始まったというわけ。古都ウルキアの監獄から脱走して現在に至るまでおよそ五百年になるみたいで、人口は全域で五千万人以上はいるって言っていたわ。帝都だけでも郊外を含めれば五百万人はいるというから、現在における地球上最大の都市といってもいいかもしれないわね」
ウルキア帝国と同じくらいの人口だけど、帝都ほどの都市は一つもなかった。古都ウルキアですらその半分くらいではなかろうか。単純に古代文明があった場所から繁栄が広がっていったと考えた方が良さそうだ。
「ガルディア帝国の繁栄は、やはりアウス・レオス大王の存在を抜きにしては語れないみたい。古代文明が起こった南方地域を支配することができたから、後の発展に繋がったのですものね。でも、そのレオス朝も長くは続かなかったの。一族で殺し合って、結局は断絶してしまったから。そこで登場するのがガルディア帝国の南方地域を治めるアストリヌス家というわけ。レオス朝が支配していた地域を征服、というより、おそらく盗んだのでしょうけど、それからさらに支配地域を広げて、ジス家の支配領土への穀物船の輸送を始めたのよ。どうもこの辺にも歴史のからくりがありそうだけど、とにかくこの両家が強固な関係を築いたから西側諸国も支配下に収まるしかなかったというわけね」
純粋な『ガルディア人』というのは、ジス家の支配地域にいる人たちのことを指すようだ。そう考えると、かなり限定して使った方がいい言葉なのかもしれない。少なくとも西側諸国の人たちには当て嵌まらない呼び方だ。
「それで、その西側諸国の話になるんだけど、そこも複雑な歴史があるみたいなのよね。先住民がいたのはどの地域でも同じだけど、民族の大移動があって、争いがあって、根を下ろしたり、滅ぼされたり、その中で生き残った部族が、やがては豪族となり、そして現在は王国として存在するようになったわけ。とにかく部族間抗争が絶えなくて、国が誕生しては滅ぼされ、徐々にだけど、それぞれの支配地域が大きくなって、現在のセイバーン国、へパス国、マアス国、プント国という、大きく分けて四つの王国が成立したの。それでも緊張関係は変わらなくて、常に戦争が起こっていたみたいね。そこへきて東側からの侵攻、つまりジス家とアストリヌス家による侵略戦争が始まって、西側諸国が一致団結することなく、次々と支配されていったみたい。その西側諸国の中でも最大の国がプント国で、そこを治めるプント家が中心となって今回の大遠征に十万の兵を派兵したみたい」
ここにも歴史のからくりがありそうだ。東側の脅威は、西側諸国にとって団結する大きなチャンスでもあったはずだ。そうせずに東側の支配を受け入れたということは、そうせざるを得ない事情があったからではなかろうか。
「残りは北方地域を治めるカスエフ家だけど、ここは比較的歴史の浅い家系みたいね。西側諸国が降伏してから本格的な帝政が始まったわけだけど、それから国王として任命したみたい。というのも、北方地域は豪族支配が強くて、わたしの見立てでは、本当に存在しているすべての豪族を支配下に収めているのか疑わしいんですもの。思うに、豪雪地域の支配というのは形だけのような気がしてならないのよね。海の向こうにカグマン島があるけど、そこも支配下にあるとは思えないんですもの」
ミルヴァがまとめる。
「つまり、ガルディア帝国はウルキア帝国ほど挙国一致しているわけじゃない。ウルキアには信仰という絶対的な核があるけど、ガルディアには信じられるものが何一つないんですもの。宗教すら戦争の道具にしてしまう、どうしようもない国ばかりよ。放っておいても、いずれは崩壊するでしょうけど、それをわたしたちの手で早めてあげるのも人民のためだと思う。改めて、すべての元凶であるジス家は根絶やしにしないとダメだと思った」
今、不意にミルヴァの言葉に違和感を覚えた。
「それじゃ、ウチもカラス部隊から得た情報を報告するね」
ビーナが木柵に腰掛けたまま話す。
「残念ながら皇宮の中の会話までは拾うことができなかったみたい。でも皇帝のレオ・ジス二世だっけ? その皇帝だけどかなり頭にきているみたいで、今回の作戦を実行した軍事司令官や参謀長、つまり軍師だけど、みんな粛清しようとしたのよ。その軍事司令官は皇帝の実弟なんだよ? 信じられる? 実際に血が繋がってるの。軍師にしてもアストリヌス家出身の貴族だから親戚なの。それでも処刑しようとするんだから頭がおかしいのよ。でも、諮問機関の最高顧問である『宰相閣下』と呼ばれている人がいるんだけど、この皇帝の伯父にあたるおじいちゃんのおかげで粛清は免れたみたい」
諮問機関には血縁者しかいないので、国の歴史よりも複雑そうだ。
「ただ、このおじいちゃんも曲者でね、今回の失敗を西側最大の領主であるプント家だけに押し付けようとしているの。実際に西軍の反乱という事実報告があるから当然なんだけど、それをただの敗戦で終わらせないで、政治利用しようとしているのよ。というのも、西側が強くなることを心配していて、だって、国土も人口も西側の方が広くて多いから、自国の発展と安定は望むけど、繁栄のピークで帝都を乗っ取られたら元も子もないじゃない。だから弱体化も同時に行ってるんだって。同じ帝国人同士で何やってんだかって、関係のないウチらからしたら可笑しな話に聞こえるんだけど、今回の大遠征も西側に巨費を投じさせる目的もあったみたい。武器や防具を北軍の分まで準備させたのね。つまり大遠征という名目で、貯め込んでいた武器や防具を取り上げてしまったのよ。だからウルキアとの戦争も、単に宗教戦争というだけではなく、国内の安定を図るためのものでもあったというわけ」
すべてはジス家のためというわけか。
「ただね、曲者はおじいちゃんだけじゃないんだ。プント家の失墜を望んでいるのは、それ以外の西側諸国も一緒なの。プント国以外の西側諸国からしたら、ガルディア人による西側侵攻は渡りに舟だったのかもしれない。他の三カ国からしたら、ガルディア人による支配の方が、隣国の脅威よりもマシなのよ。帝政下では国境を拡大することができず、国王の任命権も失うから、プント国もそれまでと同じようにはできないでしょう? 他の三カ国にとっては休戦するいいチャンスだったのね」
西側には三対一の構図があるということか。
「ただね、その西側三カ国もそれぞれ異なる立場があって、三人の外交官が信頼し合っているという感じでもないの。領土の拡大を求めて媚びへつらう人や、プント家にもいい顔を見せる人や、腹を見せずに公平を貫く人もいる。三者三様で、外交上のやり取りだけでは真意を測れないわね。問題はプント家の外交官だけど、今回の敗戦で窮地に陥ったのは確かなのよ。処刑されるということはなかったけど、城から出ることは許可されなかったみたい。前線で何があったのか、自軍による調査を求めてるけど、それも許可されなかった。外部、つまり自国への連絡が一切取れないわけね」
ビーナがまとめに入る。
「これからどうなるかは、皇帝のみが知るという感じね。西側諸国で起きた反乱を鎮めたレオ・ジス一世はそれなりに尊敬されていて、あちこちに石像が立てられているんだけど、現在の皇帝である息子の方は評判が悪いもの。父親は前線で指揮を執る人だったみたいだけど、息子は皇宮から一歩も外に出ないんだって。暗殺を怖がる小心者らしいよ。こういう人が一番怖いのよね。周りがみんな敵に見えてるんだもん。小心者のクセに攻撃的で、反撃がないと分かっているうちは調子づくクセに、ちょっとでも脅威を感じると、あっさりと降伏するのよ。ただ、それだけにレオ・ジス二世が戴冠しているうちに内部崩壊させないといけないんだけど」
そこで、またしても違和感を覚えた。
「う~ん」
ミルヴァが唸った。
「皇宮に近づけない以上、現時点で考え得る一番の得策は、その帝国宰相を魔法でコントロールしてしまうことでしょうね。そうすれば帝都、この場合は朝廷のことだけど、帝政そのものを牛耳ることができる。これはそのプント家が狙っているであろう策謀そのものでしょうけど、それを私たちの手で行うのが最も望ましいことだといえるわ。そうすれば次の皇帝を決めるのも思いのままだし、上手くいけば半永久的に大陸を平定させることができる。私たち三人だけでそれが可能なのよ?」
人間にとっては年を取らない不気味な存在でしかない。
「でも肝心なのは、その帝国宰相に近づくことも叶わないということなのよね。しかし、路線は間違っていないと思う。これだけ人口が多いと、前線で兵士を殺して防ぎ続けるのは無理があるんですもの。行政機関に潜入できれば、その出征させられる兵士に、軍人ではなく、警備兵として名誉ある生涯をプレゼントすることもできるでしょう? うん。だから政変を起こすのは間違っていないわ。そのためにはガルディア城に呼ばれるか、謁見を申し込めば許諾を得られるくらいの地位と身分を手に入れる必要があるわね。帝政下では男しか外交官になれないから、どこかの国の王様と結婚して妃として城に出向くのも悪くない方法だと思う。というよりも、それ以外に皇宮に入り込む隙なんてないんですもの」
そんな発想ができるのもミルヴァだけだ。
「ちょっと待って」
ビーナが不快感を示す。
「結婚するって本気? ミルヴァ、あなた結婚がどういうものか分かってるの? その、なんていうか、色んなことをしなくちゃいけなくなるんだよ? それも男に。それができるというの?」
ミルヴァは動じなかった。
「大丈夫よ、魔法を掛けてしまうから。身体には指一本触れさせるつもりはない」
「じゃあ、それはミルヴァの仕事ね」
「いいわよ。あなたたちは召使いとして雇ってあげるわ」
そこで苦慮する。
「でも、誰と結婚するかが問題ね。難しいからといって、安易にウルキアと通じているポロー王と結婚するのは止めておきましょう。失敗した時のリスクが大きすぎるものね。できれば、彼にはこれからもウルキア帝国に対する内防堤のような役割として、あまり目立たないようにしてもらいたいの。だからリスクを冒してまで東側に疑惑の目を向けさせることはないわ。それより西側諸国の混乱を私たちも利用させてもらった方がいいかもしれないわね。主要四カ国のうち、いずれか一つの王宮にでも入り込むことができたら、後はこっちのものよ。皇帝に挨拶することができれば、その一瞬の機会で魔法を掛けることができるんですもの」
ミルヴァなら難しくないはずだ。




