第十三話(145) 八つの大罪 (虚飾 傲慢)
「それでは次の場所へ行こうかね」
そう言って、大魔法士様が杖を振った。
すると場面はバニタス領にあるお城の王の間へと変わった。玉座にはヴァナグロリア王女が座っていて、城内にいるすべての宮仕えや衛兵が、といっても千人にも満たないのだが、彼女を取り囲み、歓喜の輪ができているのだった。
察するに、どうやらアリアン・ヒュース王子との婚約が決まった直後のようだ。それを祝福するために使用人らが集まっているというわけだ。よほど慕われているのか、多くの者が涙ながらに喜んでいるのだった。
「皆さん」
ヴァナグロリア王女が立ち上がった。
「皆様の気持ちは大変ありがたいのですが、まだ喪が明けておりませんので、慶びを表すのは、また半年後といたしましょう。それまでは、これまでと変わらず、慎ましく生きていくのです。これからも、わたくしと共に歩んでくださいますね?」
その言葉を受けて、使用人らは口々に誓うのだった。
そこへ衛兵が走ってきて、王女の正面に膝をついた。
「ご報告申し上げます。間もなくヒュース公爵がご到着するとの報告を受けました」
宮内長官のおばあちゃんが指示する。
「それでは丁重にお出迎えして、お連れするように」
「はっ」
返事をすると、すぐに持ち場へと戻って行った。
それを見届けてから、宮内長官が臣下の者らに呼び掛ける。
「間もなくアリアン王子が、うちの姫様に正式に婚約を申し込みにきますから、それをみんなで見守りましょうね。余計な声を掛けてはいけませんよ? でも、歓声くらいは大目に見ましょうかね?」
その言葉に場内が沸いた。
「なんだ。上手くいったみたいじゃない」
ビーナの声は周りの者に聞こえていない。
「それはどうだかね?」
ルキファ様が冷めた口調で言い放った。
「だって、みんなこんなに喜んでるじゃない?」
「すぐに分かるよ」
無言のミルヴァには、何が起こるのか予想できているようだ。
そういう私も、流石にここまでくると嫌な予感しかなかった。
間もなくして、アリアン王子が十人の従者と共に姿を現した。
しかし王女に跪くことなく、怒りの目を向けるのだった。
「よくも、この私を、いや、我々を騙してくれましたね」
場内が騒然とする。
「あれは何だったのですか?」
そう言って、場内を見渡した。
「すべてがまやかしだった。そう、あなたは私を騙したのだ」
ヴァナグロリア王女には何が起こったのか分からない様子だ。
「どういうことでございましょう?」
「まだ白を切るおつもりですか?」
「本当に分からないのです」
「正直に話してくだされば良いものを」
「わたくしには何が何だか」
「もう結構です。正式に婚約を申し込む前で良かった」
と言いつつ、表情は悲しげだ。
「もう二度とお目にかかることはないでしょう」
そう言って、従者と共に立ち去るのだった。
「待って!」
叫んだのはミルヴァだが、その声は届かなかった。
場内が騒然としている。
「みなさん、仕事に戻るのです」
宮内長官が取り仕切るが、このような事態に納得する者はいなかった。王子に怒りの声を上げる者や、王女を慰める者が大半だ。しかし、王子の言動を説明できる者は、その中に一人もいなかった。それが事態の混乱を招いていた。
「しばらく一人にしてください」
ヴァナグロリア王女のその言葉で、使用人らは仕事に戻るのだった。
「分かっただろう?」
ルキファ様が失意のミルヴァに声を掛ける。
「今度は魔法の効き目が弱かったのさね。加減が分からないと、こういうことが起きちまうんだよ。いや、こんなことは初めからしちゃいけなかったんだったね。そう、お前さん方はヴァナグロリアに『虚飾』の大罪を背負わせてしまったのさ」
そこでいつものようにマホに意見を求める。
「マホや、この思慮の浅い二人に、お前さんの行動を説明してやるんだ」
小さな魔法使いが答える。
「はい。ヴァナグロリア王女は大変立派なお方です。メイネイ王女と比べれば貧しく、ユティ王女と比べれば美貌は劣ります。しかし王女自身が比べなければ、優劣など存在しなくなるのです。そして王女は、まさに他人を羨んだり、妬んだりするお方ではありませんでした。そのようなお方を金持ちに見せ掛けたり、絶世の美女に見せ掛けたりすることに、何の意味があるのでしょう? 貧しさを苦にせず、外見に劣等感を抱いていないのならば、わざわざその価値観を、他人が無理に変えてやる必要はありません。だから私は王女に何もしなかったのです」
大魔法士様が補足する。
「マホのように、余計な口出しをしないことの尊さを、お前たちはもっと理解すべきだったね。何でもかんでも自分の価値観を押し付けることはないんだよ。何様のつもりなんだい? そりゃ、お前たちにとっては生きやすい社会になるかもしれないけどさ。でもね、それによって苦しむ者がいるということを忘れちゃいけないんだ」
私にとっても耳が痛くなるようなお言葉だ。母神ガリヤが沈黙を守られているように、私たちもマホに倣って、人間に対しては沈黙を守らなければいけなかったのだ。分かっていたけど、それができないのがマホとの違いだ。
「飾ることは何も悪くないんだ。美醜の価値観というのは文化の発展にも繋がるからね。それは人間が退屈を紛らわす人生のスパイスになるだろうさ。生きていく上で、それこそが不可欠だと考える者だっているさね。だからこそ虚であってはならないのさ。どこにでもある物を高価な美術品に見せ、粗食を馳走として振る舞ったお前たちの行動は、まさに『虚飾』の大罪だ。アリアンが騙されたと怒るのも無理のない話さ」
先を知るのが怖かった。ミルヴァとビーナの二名は先輩たちが守ってきた道を、たった一回の試練でぶち壊しにしてしまったかもしれないわけだ。私も加担してしまった部分があるので無関係とは言い切れない。それが堪らなく怖かった。
「それでは最後の場所へ行こうかね」
そう言って、大魔法士様は杖を振った。
すると場面はプリード領にあるお城の御前広場へと変わった。そこは何万という兵士でびっしりと埋め尽くされており、広場に入りきれなかった兵士たちも城の周りに詰めかけていた。おそらくそれがウルキアの三十万兵だ。
御前広場を望む見張り塔の途中にある突き出しにスパビア王女が姿を見せると、兵士たちから地鳴りのような歓声が響いた。それから自然発生的にシュプレヒコールが沸き起こるのだった。
「我らは神軍なり!」
「異端者を殺せ!」
「玉砕あるのみ!」
この三つのフレーズを何度も何度も繰り返し叫ぶのだった。見えている範囲だけでも、口を動かしていない者は一人もいなかった。スパビア王女も同じように拳を振り上げながら叫んでいるのだった。
兵士たちにとっては三つのフレーズだけで充分のようだ。神軍という言葉が浸透しているということは、ミルヴァの魔法が兵士たちに届いたということなのだろう。おそらく彼らの中では、王女の言葉が神の声に聞こえたのではないだろうか?
異端者を殺すという明確な理由を意識へと刷り込むことによって、兵士たちの顔から迷いや不安が消え去ったように見える。自分たちは完全に正しいことをしていると思い込ませることに成功したようだ。
玉砕を覚悟させることで、死の恐怖も取り除かれたように見えた。怖がっている人が一人もいない。まるで自分たちは絶対に死なないような、いや、死んでも神のところへ行けるという安心感だろうか、そんな恍惚の表情があるのだった。
「うるさくて敵わないね」
そう言って、大魔法士様が杖を振った。
すると真っ暗闇の洞窟の中へと場面が戻った。闇と静寂が心地よかった。一生、この中で暮らしていたいとも思えるほどの安堵感。人間社会を旅してきた後だけに、余計にそう思えた。
「ミルヴァや、今の兵士たちを見て、どう思うね?」
ルキファ様の問いに答える。
「最後に掛けた魔法に関しては、後悔はしていません」
「あんな姿を見てもかい?」
ミルヴァが力強く頷く。
「はい。どのみち戦争は避けられない状況でしたから、士気を高めてあげる必要がありました。その方が生存率は高くなると考えたからです。すべては兵士たちの命を守ってあげるためにしたことで、己を利するためにしたことではありません。願わくば、修行院のあるウルキア帝国のためにしたと思っていただければ幸いですけどね」
ルキファ様が鼻で笑う。
「お前はいつからウルキアの国民になったんだ」
「男神を崇めるガルディア人に征服されるよりマシではありませんか?」
「私の知ったことではないね」
「ガルディア帝国では不当に女たちが虐げられているのですよ?」
「それが私とどんな関係があるというんだい?」
「知っていて、見て見ぬ振りをするというのですか?」
「知ったことではないと言ったろう?」
「あなたは間違っている」
私も、どちらかというと、ミルヴァの気持ちの方が理解できる。それだけに、ルキファ様のお言葉がショックでならなかった。ビーナも反抗的な目を向けているので、私たちと同じ心境なのかもしれない。
「マホや、私の代わりに答えてあげておくれ」
ルキファ様がマホに頼った。
「はい」
戸惑いを見せた。
「といっても、ルキファ様のお言葉以外に付け加えることがないのですが」
大魔法士様が笑顔でマホの頭に頬ずりするのだった。
「そうなんだけど、この、分からず屋に説明するのが難儀でね」
ミルヴァがマホに問う。
「あなたもガルディアの苦しんでいる女たちを見捨てるというの?」
「私は何もしない」
「自分さえ良ければいいと考えているのは、あなたたちの方じゃない?」
「私は何もしない」
「あなたたちには安全な場所があるものね?」
「そんな場所はない。あるのは信仰する心だけ」
「修行院がなくなっても、同じことが言える?」
「それが戦争に介入した理由だというの?」
「人間に原初神を忘れさせてはいけない」
「違う」
マホがミルヴァの手を取った。
「私たちは神にお仕えすることしかできないの。たったそれだけの存在よ。あなたがしていることは、神の御心を勝手に推し量り、神に成り代わって、自分本位に行動しているだけ。それは信仰ではなく、あなた自身が教祖になりたいという願望の表れじゃない。人間が神になれないように、私たちも神にはなれないの。どうして、そんな当たり前のことを忘れてしまったの?」
大魔法士様が補足する。
「ミルヴァや、お前さんはスパビアに『傲慢』の大罪を背負わせちまったが、それはお前自身の姿でもあったんだね。神に成り代わるなんて、『傲慢』以外の何ものでもないのさ。兵士に神の声を錯覚させるということは、神を戦争の道具にしたことになるんだよ? 『兵士が勝手に錯覚したんだ』なんて言い訳は聞きたくないね。それが分からぬ、お前じゃないんだからね。マホが言っていた通り、もう、とっくの昔に信仰心を忘れちまったんだろう。忘れていなければ、マホのように神にお仕えすることだけで精一杯なはずさね」
これも私にとって耳の痛い話だった。毎日のお祈りだけで、何となくお勤めを果たしているような気になって、マホのように身も心も神に捧げるという基本的な意識が希薄になっていたからだ。
「自分に自信を持つというのは大事なことさね。過信はいけないが、自信は生きていく上で力になり、助けにもなるだろう? だから否定はしないんだ。だけどね、自分以上の何者かに成り代わるのは大罪だ。神を名乗るのはもちろんだが、職業を偽って悪さをする者もいるだろうさ。人の功績を、さも自分が成し遂げたかのように偽る者もいるね。とにかく『傲慢』の大罪というのは、人間を犯罪者にしやすいんだよ」
ミルヴァの前で、これみよがしにマホの頭をなでる。
「その点、お前と違ってマホは謙虚だよ。私が意見を求めるまで一切口を開かないのだからね。それでいて、いつ意見を求められてもいいように、答えはちゃんと用意してあるんだ。賢くて、自分を弁えていて、おまけに私の若い頃のように可愛いんだ。魔法士というのは、こうでなくちゃいけないのさ」
なんだかミルヴァが可哀想になってきた。本当に彼女は『傲慢』というだけなのだろうか? 彼女の中には虐げられている人々を助けてやりたいという思いがあるはずだ。それなのに、その慈悲深さを否定して良いのだろうか?
マホは完全に殿上人のような思考で、感情らしい感情がなく、まさに神殿にお仕えするに相応しい魔法士だけど、私はどうしてもミルヴァに同情せずにはいられなかった。そんな私が魔法士の資格を得て大丈夫なのだろうか?
「さて、それじゃあ、そろそろお終いにしようかね。久し振りに身体を動かしたんで疲れちまったよ。ミルヴァとビーナはここでお別れだ。二人はどこの教会に送ってやるのが一番だろうね? ミルヴァは政治家に向いているから、どこかのお城の教会へ行くというのはどうだい? 上手くやれば神官長くらいにはなれるだろうさ。ビーナは堅いところだと続きそうにないね。適度に軽口が叩けるような、世話をする子どもが多い教会へ送るとしようか」
そこでミルヴァが口を開く。
「大魔法士様、一つだけ願いを口にしてもよろしいでしょうか?」
「何だい?」
「眠り続けているアセディア王女を、この手で目覚めさせてはもらえないでしょうか?」
「今さらそんなことをして何になるというんだい?」
「分かりません」
こんな弱々しいミルヴァを見たのは初めてだ。
「本当は初めからやり直して、いいえ、それは決して魔法士になりたいからではありません。わたしの魔法で迷惑を掛けた人たちに謝りたいからなのです。でも、それすらお許しにはならないでしょう。それは自分が楽になりたいだけの行動ですからね。謝って、謝罪が通じれば、それだけで気持ちが楽になり、救われた気になれます。結局は、自分の利になるための行為で、そう受け取られても致し方ありません。ですが、アセディア王女、彼女だけは自分の手で目覚めさせなければいけないと思ったのです。永遠の眠りは、人間に耐えられる境遇ではありません。だから、どうしても目覚めさせてあげたいのです。どうか、お願いします。わたしに時間をお与えください」
ルキファ様は自分で考えることなく、マホに訊ねるのだった。
「お前さんが私の代わりに答えるんだ」
マホとミルヴァが見つめ合う。
そして、告げる。
「私は何もしない」
深い溜息をついたのは大魔法士様だった。
「マホや、苦しい決断をさせてしまったね」
私にはその意味が分からなかった。
「ミルヴァや、そういうことだ」
「では、よろしいのですね?」
「ああ」
「ビーナとマルンも一緒に連れて行ってもよろしいですか?」
「それもマホが答えてくれるよ」
大魔法士の後継者が答える。
「私は何もしない」
ということで、なぜか私もミルヴァとビーナに同行することとなった。




