第十四話 ミャーコン町
ヤソ村へ行ったことで新たな武器を手に入れることができた。それはボボが長年に渡って愛用してきた弓矢だ。狩猟の腕も確かなようで、少なくとも今後はボボがいれば食いっぱぐれることはなさそうである。
戦場における死因のトップが弓矢による被矢だと聞いたことがある。剣や槍や斧でまともに戦えるほど屈強な人間が揃っているわけではないということだ。常に関節や腰の痛みを抱え、腹を下すのもしょっちゅうで、兵士など体調すら万全ではなかったと聞く。
「遠回りするようだと、王都に戻る頃には日が暮れているんじゃないのか?」
不安を口にしてみた。
「王都に入るのも避けた方がいいだろうな」
昨日出立したはずの俺たちが王都に姿を見せたら、その時点でクビになるかもしれない。
「実家には寄れないってことか?」
「ああ、今日はなんとしてでも王都より先に進んでおきたいんだ」
「王都札を使うと記録が残るし、今夜から早速野営になりそうだな」
「いや、ミャーコン町まで辿り着けたら宿屋に泊まれるさ」
「ああ、その手があったな」
ミャーコン町は王都に隣接している宿場町のことだ。交易ついでに行商人が宿を取ることで潤う町だ。王都よりも監視の目が緩く、酔っ払い同士の喧嘩があってもわざわざ警備兵が飛んでくることはないので気兼ねなく滞在できるらしい。
王都よりも治安が落ちるので、町中を高官がうろつくことはなかった。だから俺たち三人が泊まるには都合がいいのである。雑多でガヤガヤしているが、警備兵が目につく王都よりも行商人に好まれるのは、そんな理由もあるからだ。
また、ミャーコン町で交通網が整理されているという点も重要だ。南に行けば漁村があり、東に行けばハクタ州の州都があり、北に行けばオーヒンの首都にも繋がっている。北路は旧道となってしまったので道路の舗装は後回しだが、現在もちゃんと繋がってはいた。
俺の家から歩いて行ける距離だが、悪いことを覚えて帰って来るということで、親にとってはあまり遊びに行かせたがらない町でもある。おそらく芝居や博打があり、街角には娼婦が立っているから、子どもには近付けさせたくないのだろう。
ミャーコン町には一人だけ同い年の友達がいる。宿屋の次男なので徴兵に行く予定で、その時はケンタスと俺とベリウスの三人がトリオを組む予定だったが、長男が病気で死んでしまったので友達が宿を継ぐことになったのだ。
つまりベリウス・スカタムの兄貴が死んでいなければ、ケンタスと俺はボボに出会うことはなかったわけだ。こういうところに人と人との巡り合わせの不思議を感じてしまう。
「やっと着いたな」
ヤソ村からシャクラ村や王都を迂回して、ミャーコン町に辿り着いた時には既に日が沈みかけていた。太ももが痛くなっていたが、それよりも馬を歩かせ続けてしまったことの方が心配だった。
「なぁ、ケンよ、宿屋だけど、今夜はベリウスの所に泊めてもらわないか?」
「ああ、オレも同じことを考えていたよ」
やっぱり考えることは同じか。
「ベリウスとは二か月振りだな」
再会したベリウスは以前よりも太っていた。いや、元々太っていたので気のせいかもしれない。比較的裕福な暮らしをしているので栄養が充分といった感じの容貌をしている。一家揃って似たような体型をしており、妹のメルンもふっくらした美人で有名だ。
「ケンおにいちゃん!」
早速メルンがケンタスを見つけて飛び跳ねるように駆け寄ってきた。子どもの頃からメルンはケンのことが大好きなのである。俺の方には見向きもしなかったが、いつものことなので気にしても仕方がなかった。
「おにいちゃん、遊びましょ」
とメルンがケンタスの腕を掴んで家の中へ連れて行ってしまった。どうせいつものように、飯事のようなお芝居の練習でもするのだろう。町では大衆演劇が流行しており、上手な人は祭事で代表者にも選ばれるので、メルンも芝居に夢中だった。
「ベリウスよ、メルンは幾つになった?」
「二つ違いだから十三だな」
「今でもケンと結婚したいと思ってるのか?」
「そりゃあ思ってるだろうな」
宿屋の厩舎で馬にエサをやっているところだ。ボボは夕食をご馳走になった後、すぐに眠ってしまった。客室は満室なので、厩舎の横にテントを張って休むことにした。それでも今夜は三頭の馬をしっかり休ませることができるだけでも充分ありがたかった。
「メルンもそうだが、ウチの親もケンに貰って欲しいと思っているからな」
「ケンにはカレンがいるんだぞ」
ベリウスが頷く。
「そのことはそれとなく伝えてあるよ。でも、カレンは王宮の娘だからな。結婚できるはずがないんだ。特にケンの兄ちゃんが左遷された後だからさ。だからメルンも両親も諦めてないんだよ」
一応、確認してみる。
「俺の話は出たりしないのか?」
「ああ、そういえばメルンが言ってな」
「どんなこと言ってた?」
「なんか嫌なんだって」
「なんか嫌か、それなら仕方ないな」
「ああ、それなら仕方ないよ」
くそっ、聞くんじゃなかった。
「あっ、そういえば話は戻るけど、カレンのことだがな、ちょっと前にケンの方から絶縁したんだった。だからメルンとの縁談もないことはないかもな。貧乏農家なんだから、ケンの家族だって、メルンと結婚した方が嬉しいだろう」
ベリウスが深刻な顔をする。
「いや、ウチだっていつまで景気が持つか分からないよ。遷都の話があるだろう? それで一気に町が不景気になるかもしれないんだ。そうなったら生き残りも厳しくなるだろうからさ」
「そんなに厳しいのか?」
ベリウスが落ち込む。
「うん。想像以上に商売って難しいんだ。宿屋にしても親戚付き合いが大事になってくるんだな。半商半農で客に提供する料理の原材料を安く仕入れられる者が最後に生き残ると思う。それくらいシビアな世界なんだ。ケンタスの受け売りだが、これからは婚姻関係を広げつつ、農地をたくさん所有して、さらには漁業権や交易権を保有するというのが、時代の流れになるんじゃないかな?」
それは俺も聞いたことがあった。
「ああ、確か、王家が優雅な暮らしをしている間に、別のファミリーが勃興するんじゃないかって予想してたな。となると土地の証明なんてなくなるだろうし、ウチの牧場や農場だってどうなるか分からないよ」
ベリウスが溜息をつく。
「でも、ペガの実家はまだマシな方さ。なにしろ現物で税金が納められるからな。それに比べて商家なんて何の保証もないからさ。三十年前の戦争で負けていたら、それまでの貯金が全部ゴミ屑になっていたかもしれないんだ。想像しただけでも恐ろしくなるよ」
「商家も大変なんだな。平時だから結婚相手を選べるわけか」
自由恋愛が許されているだけでも恵まれているということだ。
「でも、戦争をしたがる商人もいるからね。同じ商人として恥ずかしいけど、戦火を見て興奮し、災害を自ら望む奴だっているんだ。商魂たくましいとは言うけれど、屍の上で銭勘定するのは許せないな」
これは決して綺麗事などではなかった。俺たちは戦争が無になることを知っている。きれいさっぱりこの世から消えてしまった家族も存在するのだ。そういう現実を知っているのに、だからこそ、自分の身には起きないとは言い切れないのである。
「ただね、自分が商人だから擁護するわけじゃないけど、起きてしまった戦争で、そこで金儲けをするなって言うのは無理があるんだ。商人だってきちんと税金を納めないといけないわけだし、物はタダじゃないわけだからね」
これもまた商家の現実だ。
「だからこそ葛藤を抱える商人と、武器商人なんかを一緒にして欲しくないんだ。あいつらは戦地が一番儲かる市場だって思っているような連中だからね。今だってたっぷり在庫を抱えて、一気に儲けようとしているんじゃないか」
誰しも不穏な空気を感じている時代でもある。
「ごめん、ちょっと前に変な夢を見てさ、それから嫌なことばかり考えてしまうんだ。どんな夢だったっけな? ああ、そうだ予言者が出てきて悪魔を目覚めさせるような言葉を言うんだ」
驚いた。
「それ、俺たちも見たぞ」
「えっ? どういうことだ?」
「記憶が薄れているけど、ああ、なるほど、確かに悪魔を目覚めさせる言葉のようにも解釈できるな」
「俺たちって、ケンも同じ夢を?」
「ああ、ボボも見た」
ベリウスが興奮する。
「それは不思議な話だな。しかし戦争が起こる前って必ず前兆というか、世の中に異変が起こるって言うよね。でも、複数の人が別々の場所で同じ夢を見るなんて、しかも、こんな変わったことが起こるなんて、今まで聞いたことがないよ」
気にはなるが、この話に答えが出るとは思えなかった。
「行きつけの酒場ができたんだ。ケンを誘って一緒に行かないか?」
ということで、場所を変えて三人で話をすることにした。ケンタスを呼びに行くと、メルンと懲りもせずに芝居の練習をしていた。またその二人を見守る両親も終始ニコやかな顔をしているのだ。それを見て心の底から、俺はケンじゃなくて良かったと思った。
ケンタスを連れ出した時、メルンが邪神のような顔で俺の事を睨んでいた。町で一番の美人かもしれないが、性格は世界一悪い女だ。「邪魔しないでよ」と言われたが、「子どもはさっさと寝ろ」とちゃんと言い返すことができたので今夜は満足だ。
「ここなんだ」
と紹介された酒場は、まるで書庫のようなお店だった。聞くところによると、どんな紙でもいいので文字さえ書いてあれば、それと酒を交換してくれるお店なんだそうだ。店主は黒紫色の髪が後退した老人だ。確実に七十は過ぎていそうだ。
店内には蝋燭の明かりで本を読んでいる客が何人かいて、それとは別に仲間内で酒を酌み交わしている酔っ払いがいた。全部で十人前後といったところだ。年齢層は高めで落ち着いていた。
「注文いいですか?」
ベリウスが声を掛けると、フクロウのような出で立ちの店主が顔を上げて俺を見た。よく分からないが、すごく怖かった。親父世代を怖いと思ったことがないが、戦時中に大人だった、いわゆる戦中派世代の爺様には言いようのない怖さがあるのだ。
酒を頼んだのはベリウスだけだ。俺たちは新兵なので十七歳になるまで酒を飲むことができないからだ。十五歳で飲めるのはベリウスのように徴兵に行かずに仕事をしている者だけである。時代や地域によって法律は違うだろうが、俺としては特に問題はなかった。
ベリウスとケンタスは酒と草茶を傾けながら近況を話し合っていた。俺にとってはどちらも知っている内容なので聞く必要はなかった。それより俺が興味を持ったのはカウンターで酒を飲んでいる三人の警備兵の話だ。仕事が終わって完全に寛いだ顔をしている。
「しかしジェンババは過大評価されてるよな」
「ああ、モンクルスと対等に評価するのは無理があるよ」
「いや、でも停戦合意の立役者だからな」
俺やケンタスだけでなく、みんな二人の偉人の話が大好きなのだ。
「いやいや、それは現在の状況と当時の状況を混同しているよ」
「そうそう、五十年前はカイドル国の支配力の方が強かったからな」
「うん。だから停戦に持ち込んだモンクルスの方が優れているって話だ」
「でも結局は対等の条件しか引き出せなかったわけだからなあ」
どうやらモンクルス派が二人で、ジェンババ派が一人だけのようだ。
「ハハッ、結果論ならモンクルスの圧勝だろう」
「ああ、カイドル国は滅んだんだからな」
「内政手腕だって停戦合意から二十年後に暴君を生み出した時点で疑問が残るしな」
「で、その暴君を殺したのがモンクルスなんだから対等な評価はありえないんだ」
ジェンババ派には、もっと頑張ってほしいと思った。
「戦略家っていうのもどうかと思うぞ」
「うん。単純に自陣に敵を引き込んで、繰り返し撤退させるだけの作戦だからな」
「その得意の戦略で負けてジュリオス三世に処刑されたんだろう?」
「ああ、結局は処刑しても惜しくはないと判断されたってことだ」
それは初耳だ。
「しかしそれが事実なのにどうしてジェンババが持ち上げられるんだろうな?」
「モンクルスが認めた男だからだろう」
「そうじゃないって」
腹立つことに、ジェンババ派は完全に劣勢だった。
「つまり王宮の軍閥がそういう教育を垂れ流してるんだよ」
「ジェンババはカイドル国の軍人だぞ?」
「そこは大陸の偉人と同じ扱いなんだと思う」
「それで軍閥とどう関係してるんだ?」
「だから、ひ弱なお坊ちゃんが軍事指導者になるにはジェンババの方が都合がいいんだよ」
「ハハッ、なるほどそういうことか」
「アウス・レオス大王やモンクルスのような剣豪にはなれないからな」
「それで力がなくても指導者になれるようにジェンババを持ち上げるわけか」
イライラする会話だ。
「笑える話だな」
「ああ、自分たちの地位を守るために自国ではなく敵国の軍人を立てるんだもんな」
「でも、それは悪くない話じゃないか?」
ジェンババ派の遅すぎる反論だ。
「モンクルスが内政に興味を持っていたら、彼が暴君になっていたかもしれないんだ」
「ジュリオス三世と一緒にするなよ」
「いや、だから教育としては悪くないって話だ」
「敵国の軍人を持ち上げる教育は駄目だろう」
「違うよ。アウス・レオス大王に憧れを抱く教育からジュリオス三世が生まれたんだ」
「まぁ、それは聞いたことがあるな」
「だから防衛戦の天才を称えるのは悪い流れじゃない」
「そういう見方もあるか」
「大陸の動きが活発だし、巻き込まれないためにもジェンババに注目すべきなんだ」
「なるほど、島が統一された今、敵は海の外にいるってわけか」
「それでジェンババの戦略が重要になってくるわけだな」
「そういうことだ」
いつの間にかジェンババ派がモンクルス派の二人を納得させてしまった。
「話は変わるけど、全盛期のモンクルスとジュリオス三世ってどっちが強かったんだ?」
これもよくある会話だ。
「ああ、五十歳のモンクルスが勝てたのも黒金の剣のおかげだもんな」
「うん。武器が同じなら分からないぞ」
「いや、同じ条件ならモンクルスだろう」
「俺もそう思うけど、黒金の剣ばかり注目されるからさ」
「それは確かにそうだ。剣は使いこなせないとどれも一緒なのにな」
「でもモンクルスが黒金の剣を封印するくらいだから、やっぱり特別なんだろう」
「その行為が剣を特別な物にしているという見方もあるぞ」
「でも褒賞として黒金の剣を望んだのは封印するためだろうし」
「ああ、他人の手に渡ると危険だと思ったんだろう」
黒金の剣が失われた今、やがて神話になりそうな話だ。
「話は戻るけど、同じ青銅の剣ならどちらが強いんだ?」
「経験の差でモンクルスだろう」
「いや、手足が長いと言われているジュリオス三世の方が有利だ」
「青銅の剣なら刃こぼれを起こして決着が付かないんじゃないか?」
「ハハッ、だったらやっぱり黒金の剣を持っていた方が勝つってことか」
「まさに『勝負の行方は流星に尋ねよ』ってことだな」
「爺さんはどっちが強いと思うよ」
そこで酔っ払いが酒場の店主に尋ねた。
「爺さんならモンクルスの全盛期も知ってるだろう?」
「会ったこともあるんじゃないのか?」
呼ばれた店主がおもむろに答える。
「その二人は剣を交えたことはない。よって勝負は付いておらん」
「出たよ、これだもんな」
「だったらどうやって殺したんだって話だ」
「実際に死んでるのにな」
「最近多いよな、こういうの」
「ジェンババを持ち上げるのはいいよ。でも剣聖の功績を無にするのは駄目だろう」
「爺さん世代に多いんだ、戦いに勝利したのは自分たちだってヤツな」
「いや、俺たちも兵士だから分かるけどさ、偉人を称えないのは駄目だって」
「でも国から恩給を毟れるだけ毟るには悪くない論調じゃないか?」
「なるほど、そういうわけか」
「これが年寄りの知恵ってヤツか」




