第六話(138) イーラ・ラアスの場合
「ねぇねぇ、見て見て、ウチの魔黒石も光り出したよ」
それから四か月かけて次の目的地であるラアス領に辿り着いたのだが、旅の道中、光る魔黒石を見せびらかしては自慢するビーナだった。これで魔黒石が黒いままなのは私とマホの二人だけだ。このままでは魔法士の資格を得られる可能性は極めて低いと思われる。
とはいえ、ちょうど旅の行程も半分を終えたところなので、私とマホにもまだまだチャンスはある。主要な都市は残り四か所なので、そこで魔法を使って人助けをすることができれば、私たちの魔黒石も光らせることができるだろう。
ちなみにコーネリア領からラアス領に行くまで四か月も掛かったのは、ウルキア帝国の中心にガイア山が鎮座しているからだ。その山を越えるために悪路を使用したので、今までの倍も時間が掛かったわけだ。
この山だが、西側の人間はガイア山こそが地教の聖地だと思い込んでいる人が多いようだ。どうやら人間が残した資料に間違って記述されているため、それがそのまま何百、いや、何千年も伝わってしまったようだ。
だからといって、私たちはその間違いを訂正しようとは思わない。それは人間社会の問題であり、私たちには何も関係がないからだ。正しい場所を書き残すことができないというのは、人間社会ではよくあることだし、そもそも初めから期待してはいけないことなのだ。
「ラアス女王にご挨拶をしたいのですが」
ミルヴァがお城の衛兵に声を掛けた。これまでと違って、黒猫を連れた私たちを見てもお城に招待されるということはなかったが、ご挨拶するのが礼儀なので、こちらからお城に出向いて衛兵に謁見を申し込んだというわけだ。
「巡礼者の方ですか」
山を越えただけで、『修行者』から『巡礼者』と呼び名が変わった。
「現在、城内は立て込んでおりまして、女王陛下への謁見は原則見合わせているところなのです。わざわざお越しいただき恐縮ではありますが、ここはお引き取り願いまして、町の教会で寝食を頼まれてはいただけませんか」
そう言われると、引き返すしかなかった。
山を越えただけなのに、目に見えて私たちへの関心が下がったように感じた。確かに城下町を見渡せば、ガイア山へ向かう巡礼者の姿が多く見受けられる。おそらく、私たち一行もその中の一組としか思わなかったのだろう。
それでも山登りする巡礼者の絶対数が多いということもあり、泊まる宿には不自由しなかった。黒猫を目印に声を掛けてくれた地元の牧者がいて、それで私たちを教会まで案内してくれたのだ。
どうやら私たち後発組が宿に困ると思って、先発した先輩らが教会に頼み込んでいたらしい。それが伝統のように続いているようだ。大事なのは、私たちも後発組のためにも迷惑を掛けてはいけないということだ。そこで、たっぷりと奉仕活動をすることにした。
それから三日後の夕方、それぞれ別の場所で町の清掃などの奉仕活動を終えて、お世話になっている教会の狭い泊まり部屋で全員が揃った時、お城の補修工事の手伝いから戻ってきたビーナが話を切り出した。
「お城で噂話を聞いたんだけど、なんでもラアス女王の娘、イーラ王女の娘さんだから、王孫ね。その六歳になるお嬢さんが行方不明になってるらしいんだって」
ミルヴァが訊ねる。
「それは確かなの?」
「いや、噂だけどね。でも、毎日欠かさず城内の教会でお祈りしていたんだけど、三日前から姿を見せていないのは本当だから」
三日前といえば、私たちがお城を訪れた日だ。
「でも六歳の王孫なら、お付きの人がいるでしょう?」
これはミルヴァが指摘した通りだ。生まれた時から監視も含めて常に複数の召使いが交代しながら一日中お世話しているからだ。互いを見張る役割もあるし、衛兵に守られている状態なので行方不明になることなど有り得ないというわけだ。
「それは知らないけど、アヴァリティア王女は自由に一人で散歩してたし」
「あれは例外中の例外よ。こことは治安というか、意識が違うんだもの」
これもミルヴァの言う通りだった。山を越えてから、私も身の危険を感じるようになったからだ。巡礼者の数が多いのは、少数で行動するのが危険だからというのもある。巡礼団を結成して、護衛をつけなければ移動できないのだ。
「ウチらで行方不明の王孫を見つけてあげることはできないかな?」
「無理よ。人捜しの魔法なんて聞いたことがないもの」
「アイデア次第でどうにかならない?」
「顔だって知らないのよ? それでどうやって捜せというの?」
「あっ!」
突然閃いて、思わず大きな声を出してしまった。
「何よ、マルン。びっくりさせないでよ」
ビーナに怒られたが、驚いているのはこっちの方だ。
「どうしたの?」
ミルヴァが優しく問い掛けてくれた。
思いついたことを話してみる。
「うん。コーネリア領にいた時のことだけど、ビーナはメラ王女の若い時の視覚情報を記憶として引き出すことができたよね? だから鏡に映った若い時の自分の姿を、現在のメラ王女に記憶を現実として見せることができたわけでしょう? それを応用できないかなって思って。ほら、私たちは王孫の顔を知らないけど、お城にはお世話していた人がいるじゃない? その人たちの記憶を呼び覚ますの」
ビーナが呆れる。
「あのね、三日前の出来事なのよ? 全員が記憶喪失になったわけじゃないんだから」
「いや、ちょっと待って」
異を唱えたのはミルヴァだ。
「試してみる価値はあるかもしれない。人間というのは見たものをすべて記憶できるわけじゃないの。わたしたちと違って、意識的に焦点を絞った部分しか憶えられないでしょう? でも人間の頭の中には、目の端に捉えた瞬間もちゃんと頭の中に収まっているものなのよ。ただ、それを自力で引き出すことができないっていうだけでね。魔法を掛けてあげれば、その記憶を引き出すお手伝いができるかもしれないわね」
これにはビーナも反論しなかった。
「マルン、やったじゃない。お手柄だよ。これでウチらと同じように魔黒石が光るかも」
「うん。でもまだ解決したわけじゃないから」
「よゆう、よゆう」
そこでビーナがマホを気遣う。
「マホも一緒に来るよね? お手伝いすれば、その働きが認められるかもしれないし」
「私は何もしない」
「行くだけでも勉強になるんだよ?」
「明日も教会の補修工事を手伝う約束をしているから」
「それじゃあ、仕方ないか」
ということで、三人でお城に行くことにした。
「現在、城内は部外者の立ち入りを禁じておりますので、大変失礼ではありますが、また日を改めてお越し願えればと思っております。尚、開城される時期については未定ですので、各自ご考慮願います」
この日も衛兵に城内への立ち入りを禁じられた。
「上官に『わたしたちならば、お城で起きている問題を解決できる』と伝えていただけませんか? お城に神官か神牧者か牧者がいるならば『黒猫を連れた修行者が来た』とお伝えください。これはあなた一人で判断できることではありませんので、よろしくお願いいたします」
ミルヴァの強気な言葉に気圧されるように、衛兵が上官の元に走って行った。
「『解決できる』って言っちゃったけど、大丈夫なの?」
心配したのはビーナだけど、私も不安だった。
「六歳の子どもが行方不明なのよ? のんびりしている暇はないの」
ミルヴァの言葉を聞いて目が覚めた。大事なのは行方不明の子どもを見つけることであって、魔黒石を光らせることではない。基本的にして一番大事なことが抜けていたということだ。今回はちゃんと反省しないとダメだ。
それから先ほどの衛兵が急ぎ足で戻ってきて、イーラ王女から『すぐに連れてくるように』と強く命令を受けたとのことで、びくつきながら、慌てて私たちを城内の教会へと連れて行くのだった。
教会に行くと、神官らしき人物と、護衛官を従えたイーラ王女が出迎えた。
「ようこそお出でくださいました。これが二度目の来訪だそうで、先日は衛兵に失礼があったようですね。代わりにわたくしから皆さまに非礼をお詫びします。追い返すつもりはございませんでしたので、どうか、お許しくださいませ」
キツそうな顔をしている印象通り、周囲の者に対して厳しそうだ。
「先日は名乗らなかったわたしたちの不手際ですので、どうか、お気になさらないでください。ラアス領は職務に忠実な衛兵をお持ちのようで安心いたしました」
ミルヴァが気を利かせて衛兵をフォローした。
「修行者様は何でも『城内の問題を解決できる』と伺いましたが、それは真でしょうか?」
イーラ王女は早速本題を切り出した。
「手遅れでなければの話です」
「あぁ」
そこでイーラ王女は顔を手で覆ってしまった。
「娘はどこにいるのでしょう? 捜し出していただけませんか?」
それからミルヴァにすがるのだった。
「一刻の猶予もなさそうですね。それでは早速始めてみましょう」
「お願いします。どうか、娘を」
手始めに取調室を用意してもらうようにお願いして、貴賓室が空いていたので、そこを使わせてもらい、事情聴取を始める段取りを整えてもらった。イーラ王女がいると他の者が萎縮してしまうので、ミルヴァが体よく追い払った。
背もたれのある革張りの長椅子に三人で腰掛け、テーブルを挟んだ正面に椅子を一つ用意した。魔法を掛ける前に、まずは関係者から一人ずつ話を聞かなければならないからだ。一人目は神官だ。神官といっても、どこにでもいる普通のおばあちゃんだけど。
「それでは王孫がいなくなった当日の様子をお聞かせください」
質疑応答はすべてミルヴァの仕事だ。
「三日前のことでございますね、はい。あれはいつもと変わらぬ朝でございました。朝晩が肌寒い季節になってまいりましたから、ベッドから抜け出すのも億劫でございますが、孫姫殿下はとてもお元気で、夜明けと共に誰よりも早くお祈りしに見えられるのです。そこへお父上である婿殿がいらしたので、一緒にお祈りをして、馬車蔵までお見送りに行かれたのです。ええ、婿殿は狩猟がお好きなので、鴨を狩りに行かれたと聞いております。孫姫殿下をお見掛けしたのはそこまででございます」
そこで今度はイーラ王女の夫である王婿を呼んでもらって話を聞いた。とても優しそうな若い旦那さんで、怖そうな奥さんとは正反対の印象を抱いた。でも、そう見えるのは気落ちして弱り切っているからなのかもしれない。
「私がいけないのです。こんなことになるなら、狩りになど出るんじゃなかった。狩りはいつでも出来ますけど、娘はすぐに大きくなってしまいますからね。おまけに世話をしてやっても、赤ん坊の頃の記憶というのは憶えていられるものではありません。押しつけがましいくらい遊んでやらないといけないんですよ。そう、当日の様子でしたね。といっても、馬車蔵で見送ってもらって、それきりですからね。お力になれなくてすみません。いや、私も明日にでも城の外に出て捜しに行こうと思っているのです。出入りはなかったと聞いていますが、子どもというのは目を離した隙に勝手にいなくなると聞きますからね。やるだけのことはやろうと思っているのです。見送りには婦長もいらしてたので、彼女に聞くといいかもしれません」
そこで『婦長』と呼ばれている教育係の召使いを呼んでもらって話を聞いた。召使いの中でも最古参の人物で、イーラ王女が生まれる前からお城に仕えている人だそうだ。おばあちゃんの年齢だが、言動はパワフルだ。
「だから目を離すなと言ったんですよ。若い者に仕事を任せるようにって言いますけどね、一人前の仕事も満足にこなせない者に任せても仕方ないじゃありませんか。それなのに人を年寄り扱いして追い出そうとするんです。それで人任せにした私が悪いって? 冗談じゃありませんよ。私はね、基本的なことは全部教えてあるんです。なにが、かくれんぼですか。いくら孫姫の命令だってね、付き合っちゃいけないって言ってあるんですよ。私たちはラアス女王陛下にお仕えしているのであって、子どもに雇われているわけじゃないんですからね。イーラ王女のご命令だって、女王陛下が反対されれば従っちゃいけないんですよ? それが宮仕えというものなんです。私は、全部教えてありますからね」
それから延々と愚痴や不平不満をぶちまけるのだった。
続いて王孫とかくれんぼをした若い召使いを呼んで話を聞いた。どうやら謹慎中だったようで、見張りつきで軟禁されていたようだ。もうすでにイーラ王女からクビを宣告されているらしく、彼女の顔は酷く憔悴しきっていた。
「すみません。お話できることは何もないのです。孫姫殿下をお預かりしたのは私ですので、婦長は何も悪くありません。はい、私がすべて悪いのです。他の三人の同僚も悪くありません。四人の中で孫姫殿下のご命令の可否を判断する立場にあるのは私ですので、婦長が仰られた通り、『それはできない』とお伝えすべきでした。しかし、どこへ行ってしまったのでしょう? 『お城からは出ない』と約束したのですよ? いつまで経っても見つからないから、それで大事になりまして、城を封鎖して、全員で手分けして捜したのです。門兵は『出入りした者はいない』と言いますし、消えていなくなるはずがないのです。かくれんぼはこれまでにも何度もしていましたし、イーラ王女も幼少の頃にされたことがあると伺っております。いえ、それで自分を正当化するつもりはございません。しかし……」
そこでミルヴァが私に話し掛ける。
「マルン、始めるけど、お願いできる?」
この場面で魔法を使えということだろうか?
一応、閃いた私に気を遣ってくれたのだろう。
だけど何をどうすればいいのかさっぱり分からなかった。
「それで、どうやったらいいの?」
ミルヴァが即決する。
「ごめん。今は教えている時間がないから、わたしがやる。それでもいい?」
子どもの命が懸かっているので仕方がない。
「うん。ミルヴァにお願いする」
そこでミルヴァが召使いを凝視した。
「今からあなたの記憶を引き出します。いいですね? すべてわたしの言う通りにしてください。そうすれば孫姫殿下を見つけられるかもしれません。手掛かりは、あなたの頭の中にあるのです」
その言葉に召使いは無言で頷くのだった。
「まずは目を閉じて、かくれんぼをした時の場面を思い出してください」
召使いは言われた通り、目を閉じた。
「そこはどこですか?」
「玄関ホールです」
「何をしていますか?」
「扉に向かって百数えて、振り返ったところです」
「それでは、ここで思い出した景色を鮮明にします」
「えっ?」
召使いが興奮する。
「どうして? 靄が晴れたようにはっきりと見えるようになりました」
「次に、立ち止まったまま視点を動かしてみてください」
「え? 階段の上や別館に続く廊下の先まで見えます」
「では、当日歩いたルートを思い出してください」
「四人の同僚と二手に分かれて、私たちはダイニングホールへ向かいました」
「それでは、その時よりも速度を落として歩いてみてください」
「すごい。前を歩く同僚の結った髪までゆっくり揺れています」
「見てほしいのはそこではなく、曲がり角や、物陰です」
「はい。はっきりと見えています。特に変わったところはありません」
「道が二手に分かれている時は、進まなかった方の廊下の先まで目を凝らすのです」
「はい。人影はありません」
「それでは、先に進んでください」
「ダイニングホールに入りました」
「そこで立ち止まり、視点を動かしてみてください」
「あっ!」
「何が見えました?」
「その時は気づかなかったんですが、窓の外に王婿殿下のお顔が見えました」
彼は狩りに出て、そのとき不在だったはずだ。
召使いの証言から、父親である王婿に再度の事情聴取を行い、そこであっさりと自白し、娘を城の外へと連れ出したことを認めた。動機はイーラ王女にクビにされた乳母係の召使いに、成長した娘を会わせてあげるためだったという。
その日はお城に泊めてもらい、翌日、王孫が無事に城へと帰ってきたのを見届けてから、その場を後にした。帰ってきた王孫の様子を見ると、どうやら父親と共謀していたらしく、無理やり連れていかれたわけではないというのが分かった。
それでもイーラ王女はカンカンで、夫を罵倒する声がしばらく城内に響き渡り、私たちに感謝する余裕も見せてくれず、結局は顔を合わせることなく別れてしまった。その後はどうなったのか知らないし、知りたいとも思わなかった。
翌日になっても私の魔黒石は光らなかった。ミルヴァの魔黒石が以前よりも白くなったので、やはりアイデアを出すだけではなく、実際に魔法を使わないといけないようだ。でも、今回ばかりは仕方がなかったので、すぐに切り替えることができた。




