第四話(136) アヴァリティア・グリドの場合
それから二か月後にグリド領に辿り着いた。そこはこれまでの領地と違って圧倒的に人の数が多く、城下町もひと目で都会という印象を受けた。ウルキア帝国の人間が『東の都』と呼んでいるのも納得だ。
まず目についたのは、市場に流通している作物の種類が豊富な点だ。異なる地域の特産品が出会うので、ここで組み合わさり、調理法として確立され、新たな食文化が生まれるわけだ。木の実や植物など種類は優に百を超えている。
良質な鉄が産出されるようで、見事な仕上がりの鉄工品が並んでいた。金・銀・銅の産出量もバランスが良さそうで、それがそのまま貨幣の価値となり、安定した経済を支えているというわけだ。
農業が盛んな町と工業が盛んな町の人間が互いに支え合うことで発展し、強固な経済基盤を維持してきたのだろう。自分たちの仕事に誇りを持ち、その一方で、他人の仕事にも敬意を払っているので、多くの人が豊かな表情を見せていた。
それでも中には血気盛んな人もいて、他人と争うこともあるのだが、それを戦争ではなく、スポーツなどの娯楽で競うところが、この地域に住む人の知的水準の高さといえるだろう。走ることや跳ぶことや力比べなど、ありとあらゆるものが競技となっていた。
他にも絵や民芸品の出来不出来を比べたり、音楽や踊りですら楽しむだけではなく、競技の一つにしたりと、文化水準の高さが窺えた。それらはすべて私たち魔法士の歴史に既に存在しているものだが、グリド領の領民ほど真似が上手な人たちはいないかもしれない。
私のお気に入りの競技はウサギのレースだ。手懐けたウサギをコースに並べ、誰が一番にゴールさせられるかという単純な競技だけれども、犬と違って言うことを聞いてくれないので、そこで悪戦苦闘する人間を見ているのが却って面白いというわけだ。
ビーナは人間とトラの決闘が気に入ったようだ。武器を持たずに戦わされているのは罪人だからで、もしもトラに勝つことができたら、それで無罪放免となり、勇敢なる者として鉱山を守る兵士として雇われるそうだ。
罪の重さによって戦う動物も変わるみたいで、トラの他にライオンや闘犬と戦う場合がある。特に母親殺しは重罪で、その場合はクマと戦わせるらしい。また、殺人の被害者が複数の場合は動物の数も増やすそうだ。
「ビーナ、行くよ、バカバカしい」
ミルヴァはお気に召さなかった様子だ。
「あれ? マホがいない」
観客で埋め尽くされた闘技場から出た時、姿が見えないことに気がついた。
「迷子になっちゃったのかしらね?」
ミルヴァも心配そうだ。
「どうして見てなかったのよ」
ビーナはいつものように私のせいにした。
ミルヴァが人でごった返している広場を見渡す。
「この中から小さなマホを見つけるのは大変そうね」
「迷子を見つけ出す魔法なんてあったっけ?」
ビーナが自問するが、思いつかない様子だ。魔法というのはアイデアと工夫次第で様々なことを可能にするが、肝心の閃きがなければ何も起こせない。私はこれまでミルヴァやビーナの真似をして魔法を会得してきたので、二人が閃くまで何もできなかった。
「ビーナ、あなた動物に魔法を掛けるのが得意なんだから、犬にでも捜してもらったら?」
「いくら魔法を掛けたって、マホの匂いを嗅がせなければ見つかりっこないよ」
「それもそうね」
元々鋭い嗅覚を持つ犬に魔法を掛けて、更に嗅覚の能力を高めることは可能だ。しかし、普通の犬がそうであるように、元の匂いを知らなければ、匂いの元には辿り着けないわけで、そこが魔法力の限界点でもあった。
「っていうか、ネコもいないんだけど」
そう言って、ビーナはしゃがんで地表を見渡した。
「ということは、わたしたちの方が迷子になったということね」
ミルヴァはどんな状況でも常に冷静だ。
「ネコと一緒なら、これまでと同じようにお城に連れていかれたのかも」
「でもこの町って、そのお城も見当たらないのよね」
それは私もミルヴァが指摘する前から気になっていた点だ。丘にはびっしりと住居が立ち並んでいるが、お城らしき建物はなかった。平地でも二階建て以上の建築物はなく、お金持ちの存在すら感じられないのだ。
更に言うと、お金持ちもいないけど、貧しい人も見掛けなかった。働けない身体の人も堂々と暮らしているといった具合だ。すべては気候や天候によるけれど、食べ物に不自由しないというのが、平和な暮らしを維持させているのだろう。
都の歴史ある建物に戦争の爪痕が残っていないというのも大事な点かもしれない。外敵の侵攻を受けたことがなく、気にする必要もないから、町全体が古い建物で覆い尽くされているわけだ。
それでいて着ている服は派手で、身に着けている装飾品も変わった物が多かった。古い町並みでありながら、領民の趣向は新しいという、そのアンバランスな景色こそ、東の都の特徴といえるだろう。
「宮殿だけど、王立公園の中だってさ」
ビーナが地元の人間に聞いてきてくれたようだ。
「じゃあ、とりあえず行ってみましょうか」
ミルヴァを先頭に王立公園を目指した。
居住区とは別の丘の上に王立公園があるらしいが、その公園の敷地に入っても宮殿らしき建物は見つからなかった。見えるのは森林浴をする人たちや、野ざらしの石像を鑑賞する観光客の姿だけだ。
観光客といっても近隣の領民が訪れているだけだろうが、それでも旅行ができるということではなく、住んでいる家を留守にできるということが、グリド領の治安の良さを表していた。
「あれ? マホじゃない?」
公園内の散歩道を宮殿のある方向に向かって歩いていた時、ビーナが一番にマホを見つけた。一枚岩の長椅子の上でネコが日向ぼっこをしていて、その隣で礼服を着た小さな女の子と話をしているのだった。女の子は手乗りのウサギを大事そうにしている。
「マホ、勝手にいなくなったらダメじゃない」
ビーナが注意した。
「私はネコの後をついて歩いてきただけだよ」
これは娯楽に夢中になっていた私たちの方が悪い。
「次からはちゃんと声を掛けてよね」
ビーナはそれだけ言うのが精いっぱいだった。
ミルヴァが訊ねる。
「こちらのお嬢さんとはお知り合い?」
マホが小さな女の子を紹介する。
「さっき知り合ったの。アヴァリティアっていうんだって」
「こんにちは。わたしはミルヴァっていうの。よろしくね」
「よろしくお願いします」
この子も信仰心を持つ礼儀正しい子だ。
「お嬢さん、おいくつ?」
「九歳です」
「お母さんかお父さんは一緒じゃないの?」
「お家が近くなので」
「でも、一人でお外を出歩くのは危険でしょう?」
「大丈夫です。毎日欠かさず、こうして散歩をしているので」
「しっかりしているのね」
「しっかりしているのは領民の皆様です。一人一人が治安の維持に努めていますので」
「あなた、家名はお持ち?」
「はい。グリド家です。アヴァリティア・グリドと申します」
「では、グリド領の王女ということ?」
「そういうことになります」
そこでビーナが口を挟む。
「王女が一人で出歩くなんてことがあるの?」
「ここはお庭ですので」
「護衛の人はいないの?」
「領民の皆様がわたくしを守ってくださっています」
同じ人間社会でも、宗教の原点でもある母神崇拝が守られている地域では明らかに犯罪率が低いというデータがあるそうだ。ウルキア帝国の東部が平和なのはすべての領民に地教が浸透しているからなのだろう。
「皆様はガリヤ山からお越しの修行者の方々でございますね?」
九歳とは思えない口調だ。
「相違ありません」
調子を狂わされたのか、ミルヴァの口調も硬くなった。
「それではお母様のところへ案内しますのでついて来てください」
アヴァリティアが公園のことを庭だと言っていたが、本当に目と鼻の先に宮殿が広がっていた。見えていたはずなのに、そこを宮殿と認識できなかったのは、それがあまりに質素な建物だったからだ。
教会を本館として、後は別館として平屋が立ち並んでいるだけだ。これでは王宮というよりも、教会を管理する牧者の住まいといった感じだ。地方にはここよりも立派な教会がたくさんあったので余計に貧相に見えた。
「ようこそ、お越しくださいました」
貴賓室ではなく、一般家庭の居室のような場所に通されて、そこでグリド女王と対面した。娘と同じように女王も黒衣の礼服を纏っており、着飾った様子が一切見られなかった。まるで修行院に帰ってきたかのような居心地の良さだった。
「何もご用意できませんが、心ゆくまでお寛ぎくださいませ」
そう言って客室に案内されたのだが、本当にサービスの類は一切なかった。ベッドは硬く、掛布団は薄っぺらい。でも、それが故郷を思い出させてくれたので、この日は久し振りに気持ち良く眠ることができたのだった。
翌日、朝っぱらからビーナが一人で駄々をこねていた。
「ねぇ、ミルヴァ、いいでしょ? 一日だけでいいから、ね?」
どうやらビーナはグリド領の滞在を一日だけ延ばしたいらしい。
「わたしたちは気ままな旅行をしているわけじゃないのよ?」
「一日だけでいいって言ってるでしょ?」
「魔法士の試練より大事なことでもあるというの?」
「ここにだってウチらが役に立てることはあると思うんだ」
「みんな幸せそうじゃない」
「半日の滞在で何が分かるというの?」
「半日で充分よ。ここの人たちは申し分がないんですもの」
「だったら泊めてもらったお礼に奉仕活動をしましょ。これまでもやってきたでしょ?」
「調子のいいこと言って、本当は何か企んでるんじゃないでしょうね?」
「そんなこと考えてるはずないでしょ」
そう言って、ビーナはミルヴァを客室の外へ追いやる。
「ほら、ミルヴァとマホは教会の掃除をしてきて。ウチとマルンは居室を掃除するから」
二人がいなくなると、ビーナが悪だくみをするような顔つきに変わった。
「よし、行ったわね。これで準備よしと。ウチらも負けないように頑張らないと」
「負けないようにって、何のこと?」
「鈍いな。ウチらも魔法力のレベルを上げるのよ」
「えっ?」
「このままだとミルヴァだけが魔法士になっちゃうわよ?」
確かに魔黒石が光っているのはミルヴァだけだ。
「だからミルヴァがいない時に魔法で人助けしないと追いつけないんだから」
ビーナの言ってることは尤もだ。
「ミルヴァがいると一人で問題を解決しちゃうんだもん」
「でも、その問題って、どこにあるの?」
「それをこれから探すのよ」
ということで、ビーナと一緒に王女のいるお部屋に向かった。
アヴァリティアのお部屋に行くと、小さな女の子は机に向かって算数のお勉強をしているところだった。教える先生はおらず、進んで自習ができるという賢さだ。そんな彼女に問題があるとは思えなかった。
「一人でお勉強してたんだ。偉いわね」
「偉いわけではありません。学べるということは、とても恵まれたことですので」
のっけからビーナはペースを奪われた感じだ。
「ウチらね、王女の悩みについて相談に乗ろうと思ってきたんだけど」
「悩みはありませんので、他の人の相談に乗ってあげてください」
「でも、悩みの一つくらいはあるでしょ?」
「ありません」
「将来に対する不安とかは?」
「ありますが、それは誰しもが乗り越えなければならない試練だと思っています」
「じゃあ、不満はないの?」
「ありません。これだけ恵まれているのに、不満を口にすれば罰が当たります」
「でも、何かあるでしょう?」
「ありません」
「他の領地の王族はみんな贅沢な暮らしをしてるんだよ?」
「外は外、内は内ですから」
「可愛いドレスや素敵な宝石を身に着けたいと思わない?」
「興味ありません」
無欲な子だ。
「でもね、贅沢することや着飾ることや宝石を持つことって、決して悪いことじゃないの。それは分かってるでしょ? それを罰する法律なんてないもんね。あるのはせいぜい贅沢税くらいでしょう? だから考えてほしいの。あなたが贅沢をしない暮らしをすると、ドレスを着たい女の子たちが母親から『アヴァリティア王女も着ていないのよ』って我慢させられるのよ。それは可哀想だと思わない? あなたに不満はないかもしれないけど、あなたのせいで『我儘だ』と叱られている女の子はたくさんいるかもしれないじゃない。だから、少しくらいは世間に興味を持ってもいいんじゃないかな?」
もはや悩みの相談ではなかった。
「考えておきます」
「お友達はいるの?」
利発な子が初めて質問に答えなかった。
「お友達がいるとね、今まで知ることのなかった価値観に触れることができるの。煩わしく感じることもあるんだけど、悩みがないまま一生を送るよりは有意義だと思うんだけど――」
「ヨル」
そこでビーナの声を遮るようにアヴァリティアが小さな声で呟いた。
「わたしのお友達。公園で動けなくなっていたところを拾ったの。でも、エサを食べなくて、だから身体が大きくならなくて、今にも死んでしまいそうなの。元気になってほしい。元気になったら、町で開かれているウサギのレースに参加できるし、そこで優勝できたら、職人さんから立派なウサギ小屋をプレゼントしてもらえるから」
やっと子どもらしい話が聞けた。
「分かった。お姉ちゃんがヨルを元気にしてあげる」
その後ビーナはアヴァリティア王女の飼っているウサギに魔法を掛けたが、結局変化らしい変化が見られず、特に礼を言われることもなくグリド領を後にすることとなった。奉仕活動をしていたミルヴァとマホの方が感謝されていたぐらいだ。
これがミルヴァと私たちの間にある才能の差なのかもしれない。ビーナは行き当たりばったりで、ミルヴァのように調べものをしたり小道具を用意したりすることもないので、それがそのまま結果に表れてしまったわけだ。
舞台セットを考えて、小道具に気を配り、セリフまでしっかり決めないと、初期の詠唱魔法は効果を発揮しない。分かってはいるけど、私のような平凡な修行者にはそれが思いつかないのだ。悔しいけど、それが才能のすべて。




