第三話(135) ラクスリア・ルストーの場合
それからネコに導かれて、幾つかの村と町の教会に寄り、奉仕活動をしながら宿泊させてもらい、人手不足が深刻な教会では補修工事のために何日も逗留し、二か月掛けてやっとルストー領に辿り着くことができた。これでもまだ全体の四分の一の行程だ。
ルストー領のお城でも『黒猫を連れた修行者は厚遇を以って接するように』との慣習があるようで、目の前にお城の入り口が見えているというのに、わざわざ馬車を用意して私たちを城内へと案内してくれるのだった。
ルストー領では国教である地教の教えが徹底されているようで、町中では普段から礼服を着用している人が目についた。周りには異教徒や異国人もいないので信仰を根付かせることができたのだろう。私たちにとっては有り難い話だ。
王の間でルストー女王とお会いして、形式的な挨拶を済ませると、すぐに城内の教会へと連れていかれた。そこでお祈りをした後、女王は急に深刻そうな顔になり、私たちに悩みを打ち明けるのだった。
「修行者様に娘のことで、ご相談したいことがあります」
ルストー女王もまた年頃の娘を持つ悩める母親の一人だったようだ。
「娘のラクスリアは半年前に十七となり、その時に伴侶を得たのですが、それが現在に至るまで、まだ初夜を迎えていないのです。夫のベニスは生まれた時からの許婚で、子どもの頃から仲良くしていたのですが、結婚した途端、ラクスリアはベニスを拒むようになってしまったのです。夫はこの半年もの間、毎晩欠かさずに妻の寝室に通い続けておりますが、娘は一度もそれを受け入れたことはありませんでした。どうしてそのようなことをするのか、わたくしにもさっぱり分からないのです。修行者様、どうしたらよいのでしょう? このままでは世継ぎを儲けることができません。どうか、お知恵をお貸しくださいませ」
応対するのは、いつものようにミルヴァの役目だ。
「ラクスリア王女と、この件について直接お話をされたことはございますか?」
「この半年、その話題を避けるように目を合わせようとしないのです」
「夫ベニスが妻を怒らせるようなことをしたのではありませんか?」
「いいえ。昼間の内は仲良く食事をし、不和を目撃したことなど一度もありません」
ミルヴァが親身になって考えている。正直、私にとってはどうでもいいことだったので、考える気にもならなかった。この世で人間の色恋ほどどうでもいいことはない。一緒に話を聞いているビーナもあくびを噛み殺すことの方に集中しているくらいだ。
「ルストー女王は何が原因とお考えですか?」
ミルヴァの言葉に、女王が過去を振り返る。
「親のわたくしが言うのもあれですが、ラクスリアは非の打ちどころのない娘です。頭が良く、容姿端麗で、何よりも篤い信仰心を持っております。彼女ならば、今すぐにでもわたくしの代わりとなって領地を治めることができましょう。ですから、娘に問題があるとは思えないのです。そこで夫のベニスに不満があるのだと思い、領内に門を構える名家から子息を城に呼び集めたのですが、その勝手な行動を娘は気に入らなかったのか、腹を立て、それ以来、口も利いてくれなくなってしまったのです。それからですかね、わたくしに抗議するように、ベニスとの良好な関係を見せつけるようになったのです」
ミルヴァが提案する。
「そういうことでしたら、わたしの方から王女に話を伺ってみましょうか?」
母親が安堵の溜息を漏らした。
「そうしていただけると助かります」
ミルヴァが忠告する。
「ただし、あくまで話を伺うだけです。相談に乗るわけではありませんから、初夜を取り持つ約束はできません。それでもよろしいですね?」
ルストー女王が何度も頷く。
「ええ、もちろんですとも。娘がいま何を考えているのか、それを知るだけで充分です」
教会を出たその足で、ラクスリアのいる居室へと向かった。
「まぁ、黒猫を連れた修行者様ではありませんか」
居室にはラクスリアの他に夫のベニスもいた。
「ようこそお出でくださいました」
女王の言葉と違って、ラクスリアは平凡な容姿をしていた。母親にそっくりで、特に印象に残らない風貌だ。夫のベニスもこれといった特徴のない男で、似た者同士といえばそれまでだった。
「少しだけお話をさせていただいてもよろしいですか?」
積極的なのはミルヴァだけで、私たちは適当に付き合ってあげている感じだ。
「もちろんですとも。願ってもないことでございます」
そう言うと、私たちに八人掛けのテーブル席を勧めてくれて、召使いに草茶を用意するように命じて、ミルヴァの向かいの席に夫と並んで仲良く腰掛けるのだった。傍から見ている分には幸せそうで、二人とも新婚生活を満喫しているように思われた。
「この草茶は自家栽培しておりまして、わたくしが直接摘んだものなのですよ」
召使いが草茶を運んでくると、そこからラクスリアによる長い蘊蓄話が始まった。どうやら薬学に興味があるらしく、野草による効能なども研究されているそうだ。それを何度も聞かされたであろう夫のベニスも初耳のように聞くものだから話が長くなる。
はっきり言って、私たちには一切興味のない話だ。この不老の身体には薬など関係ないからだ。肉体疲労は魔法力を使った時に感じるくらいなので、ここで知識を得ても、どうせ魔法士になれなかったら記憶を奪われるのだから、彼女の話は苦痛でしかなかった。
「話をさせていただいてもよろしいですか?」
ラクスリアが不浄から戻ってきたタイミングでミルヴァが切り出した。
「あら、すみません。わたくしったら自分の話ばかりで」
ミルヴァが微笑みながら首を振る。
「お茶の話は大変興味深く聞かせていただきましたので、お気になさらぬように」
私もミルヴァのように社交的な会話を身に付けた方がよさそうだ。
「それとは別の話になりますが、聞くところによりますと、王女様はご結婚されてからまだ初夜を迎えておられないと伺いました。よければ、その理由をお聞かせ願えませんか? わたしでよければ相談していただきたいのです」
その言葉にラクスリア王女は怒りを露わにするのだった。
「お母様から聞いたのですね?」
そこで立ち上がる。
「いいえ、お母様以外には考えられませんわ」
両手の握りこぶしに力が込められているのが分かる。
「もう許せない。今日という今日は許さないんだから」
そう言うと、断りも入れずに部屋から出て行ってしまった。
夫のベニスが頭を抱える。
「ああ、やっと機嫌が直ったところなのにな……」
とりあえず、用意してもらった貴賓室に場所を移すしかなかった。
「だから人間の色恋はメンド―なんだって」
そう言って、ビーナはふかふかのベッドに飛び乗り、寝転んで肘を立てた。
マホも無関心といった感じで、いつものように絨毯の上でネコと遊んでいる。
私も関わりたくなかったので、ミルヴァと距離を置くようにベッドの縁に腰掛けた。
ミルヴァも堪えたらしく、椅子の背にもたれて天井を見上げていた。
「ミルヴァ、あなた調子に乗ったんでしょう? ギュラ・グルトンの問題を上手く解決できたものだから、今回も何とかなると思ったのよ」
ミルヴァに軽口が叩けるのはビーナだけだ。
「わたしの心を勝手に推し量るのはやめて」
堪えてはいるけど、弱気にならないのがミルヴァだ。
そこへノックもしないでルストー女王が入ってきた。
ビーナが慌てて居ずまいを正す。
「修行者様」
酷く狼狽している様子だ。
「娘のご無礼をお許しくださいませ。いいえ、ラクスリアが悪いわけではありません。すべてわたくしの責任なのです。今しがた娘にも『勝手に醜聞を垂れ流すな』ときつく言われてしまいました。それから『もう、放っておいて』とも言うのです。娘には怒られてばかりで、ラクスリアが何を考えているのか、母親のわたくしにも分からなくなりました。もう、結構でございます。これ以上は、皆様方にも迷惑を掛けるわけには参りません。どうか、娘のことは聞かなかったことにしてください。それでは、お休みなさいませ」
そう言うと、返事も聞かずに部屋から出て行ってしまった。
「あちゃ、こりゃまずいね」
なぜかビーナが嬉しそうな顔をする。
「ウチらが来る前よりも親子仲が険悪になったんじゃない? ミルヴァが悪いとは言わないけど、所詮は家族の問題でしょ? それも人間の。だったらやっぱり余計な口は挟まなかった方が良かったんだよ」
ミルヴァが反論する。
「関係ない口振りだけど、あなたにとっても他人事じゃないのよ? 魔法士になれなかったら人間社会に放り込まれて、結婚だってするかもしれないの。そうすれば子どもの問題で悩むこともあるでしょう? その時、誰が力になってくれるというの? 試練というのは魔法士の資格を得ることだけではなく、人間社会とどのように向き合うのかも試されているんだと思うの。王女ラクスリアやルストー女王は、あなたの未来かもしれないじゃない。それでも見て見ぬ振りをするつもり?」
ビーナが矛先を変える。
「今の聞こえたでしょ? マホも遊んでないで、何か考えてあげたら?」
「私は何もしない」
ネコを膝の上で寝かせているマホは目を合わせようともしなかった。
そこでビーナが私の方を見る。
「マルン、あなたはどうなの?」
「私も何もしない」
その答えにビーナが笑う。
「あなたは『何もしない』んじゃなくて、『何もできない』んでしょう?」
事実だけど、ビーナの性格の悪さが出た。
「もう、いいわ」
ミルヴァが話をまとめる。
「言い出した手前、わたしが何とかしてあげなくてはならないようね」
私たちとしても彼女に任せるしかなかった。
翌日になってもラクスリア王女の機嫌は直らず、母親と顔を合わせるのも嫌とかで、食事の席にも姿を見せなかったそうだ。お祈りのために城内の教会へは訪れたようだが、それ以外は居室に閉じこもって、夫のベニスにも入室を禁じてしまった。
その日、ミルヴァはルストー女王から城内の書庫に入る許可をもらって、朝から晩まで書物に目を通していた。手に取った書物は、主にラクスリアが学者に命じて書かせた薬草の本ばかりだった。
次の日、ミルヴァとビーナは二人きりでどこかへ出掛けて行ってしまった。夜になっても戻らず、ミルヴァが帰ってきたのは明け方過ぎであった。そして眠っているマホを部屋に残して、その足で教会へと向かったが、ビーナの姿は見当たらなかった。
「ラクスリア」
ミルヴァが朝のお祈りを終えた王女に背後から近づき声を掛けた。
「修行者様もお祈りにいらしたのですか?」
ラクスリアは穏やかな顔をしていた。
「いいえ。わたしは王女と話をするためにここへ来たのです」
「また母上に何か言われたのですか?」
「いいえ。お母様からは沈黙を守るようにとお願いされました」
「では、もう放っておいてください」
そう言うと、出入り口の扉へ向かって通路を歩き出した。それを制するように、ミルヴァが彼女の前に立ち塞がった。その位置は、ちょうど色ガラスの窓から光が差し込む場所だったので、ミルヴァに天から光が降り注がれているように見えた。
「ラクスリア」
ミルヴァの、なんて神々しいお姿。
「あなたは神にも隠し事をするというのですか?」
ラクスリアがミルヴァの前で跪く。
「いいえ。とんでもございません」
「では、夫を受け入れない理由を話してみるのです」
「それは、穢れないためなのです」
「あなたは『穢れ』をどのように解釈しているのですか?」
「それは、淫らな行為をしてはいけないということです」
「淫らな行為とはどのようなことですか?」
「それは、性的な感情の全てを指します」
「しかし、ベニスはあなたの夫なのですよ?」
「ですが、結婚したからといって教義が変わるわけではありません」
「あなたがこの世に存在している理由を考えてみるのです」
「ですが、わたくしは母上よりも信仰心が篤いと自負しております」
「ルストーの国民は、あなたが世継ぎを授かることを望んでいるのですよ?」
「ですが、神々の中には性交渉を持たずに子どもを産んだ女神もいます」
そこでミルヴァが、足元の床をドスンと踏み鳴らす。
「あなたは神ではありません!」
畏れを抱いたのか、見上げるラクスリアの目から涙が流れた。
「お赦しください」
「神を名乗るのは、神への冒涜ですよ?」
「そんなつもりはないのです」
そこへビーナがやって来て、ミルヴァの元に歩いて行った。
ビーナの手には赤い液体の入ったグラスが握られている。
そのグラスを受け取って、ミルヴァは王女を見下ろしながら告げる。
「ラクスリア王女のために今回だけ特別にご用意しました。人間のあなたが性的な興奮を覚えても何も悪くないのです。これを飲めば、胸につかえた無用な罪の意識など、一緒に洗い流してくれることでしょう。さぁ、グラスを受け取りなさい。そして、一気に飲み干すのです」
ラクスリアが神のお導きに従うようにミルヴァからグラスを受け取った。
そこでいつもの癖が出たのか、まずはにおいを嗅ぐのだった。
ミルヴァが説明を加える。
「それは一般的に『惚れ薬』と呼ばれるもので、身体に害はありませんよ」
私は臭いと見た目から、それが爬虫類の生き血だということが分かった。
意を決したラクスリアが、グラスの液体を一気に飲み干す。
「あれ? どうしたことでしょう? 身体がポカポカします」
その日の夜、ついにラクスリアは初夜を迎えたのだった。
またしてもミルヴァによる初期の詠唱魔法が完璧に決まった。今回も道具立てが見事で、信心深いラクスリアに対して、教会を劇場の舞台にすることで説得力を持たせたのだ。他にも対話の中で、神を騙ることは罪であることを言い聞かせて暗示に導いたわけだ。
爬虫類の生き血を小道具として用意したのは、ラクスリアが薬学に精通しているということもあり、そこら辺に生えている薬草では偽薬の効果が出ないと考えたからだろう。現に爬虫類の一部は精力がつく食材とされているので、すんなりと魔法に掛かったわけだ。
魔法レベルが上がれば、呪文を唱えるだけで魔法を掛けることが出来るようになるだろう。ミルヴァにはそれだけの素質がある。それは私が何百年生きても到達できない領域だ。改めて彼女の才能に感服するしかなかった。
今回も王女が初夜を迎えた翌日には城を出た。母親のルストー女王だけではなく、父王まで大喜びして私たちを見送ってくれるのだ。ラクスリアとベニスはすっきりとした顔をして、イチャイチャしながら別れを惜しむのだった。
長居は無用ということで、次の土地を目指す。
「あれ? ミルヴァのだけ色が変わってない?」
川のほとりで休んでいる時、ビーナが小さな変化に気がついた。
「なに?」
「それだよ、それ」
ビーナが指差しているのは、ネックレスの先にぶら下がっている魔黒石だ。
「変わってるって、何が?」
ミルヴァには分からないようだ。
「ほら、ウチらのと比べてごらんよ」
そう言って、ビーナは自分の魔黒石を横に並べるのだった。
「あら、本当ね。わたしのだけ光ってる」
「これって魔法レベルが上がると石が変化するんじゃない?」
ビーナだけが興奮していた。
「そうなの?」
「絶対そうだよ。だってジア様も『身に着ける者を表す』って言ってたでしょ?」
「じゃあ、わたしレベルが上がったんだ」
「うんうん、魔法士に近づいたってことだよ、きっと」
ビーナの仮説が事実なら、私は魔法士になれそうにない。




