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ロマン・ストーリー 剣に導かれし者たち  作者: 灰庭論
第三章 公子の素養編
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第四十二話(130) 幻

 それから昼食に誘われて、僕のレシピ通りに作られた食事を三人でいただいた。しかし宗教上の理由で食事に対する感想を持ってはいけないということもあり、口に合ったかどうかまでは知ることができなかった。


 脂っこい食事を好んでいそうなウーベ・コルーナ特使も、公式の場であるということで黙って食事をしていた。それでも彼だけがタコの酢漬けをお代わりしていたので、相当気に入ったことが分かった。


 大陸でも内陸出身者はタコを食べないと聞いていたが、それはバドリウス・ジス・アストリヌス殿下も同じだった。彼だけがイカの衣揚げに変更されていたからだ。それでも栗餡かけの卵ケーキをお代わりしてくれたので、僕としては満足だった。


 お別れの挨拶の時に、バドリウス殿下から『今度は晩餐会に招待したい』とのお誘いを受けたことから、今回の訪問が成功に終わったことを確信することができた。コルーナ特使からは『郷土へご招待したい』とも言われたので大成功だ。



 その一方で、僕は困っていた。それは今後の身の振り方について大いに悩ませる宿題を課されたからである。僕の行動次第でユリス・デルフィアスの生死が決まる、それくらい大事な決断が迫られているわけだ。


 今すぐ伝令を送れば、二万の豪族といえども負けることはないだろう。作付の時期が終わるのを待ってからの蜂起ともなれば、ユリスにもたっぷりと戦に備える時間は残されているからだ。


 しかし、ユリスが予め豪族の反乱に備えていたとなると、僕が伝令を送ったことがバドリウス殿下に見破られてしまう。そうなった場合、潜入作戦はそこで終了し、敵営の情報も入手できなくなるというわけだ。


 いや、それよりも僕がスパイであることがハッキリとするため、フィンスかユリスを人質にして、金の王冠との交換を迫られるかもしれない。だからこそ今の僕には、特別な人などいないと思わせておかなければならないのだ。


 このまま黙っているということは、ユリスを見殺しにすることだ。そんな非情な決断が僕にできるのだろうか? 伝令役のガレット・サンの顔を見たら、カイドル国を救うため、彼らに伝えるようにお願いするかもしれない。



 そんなことを剣術の鍛錬に励み、書物を読みながら考えていたのだが、それから数日後、ルシアス・ハドラがそれとはまったく違う問題で僕を悩ませるために、青ざめた顔をしてセトゥス領の別荘へと来訪するのだった。これは予定にない行動である。


「おい、これでは足りん。代わりの水を多めに持ってこい」


 警護兵には横柄な態度を見せるルシアスだった。客間の椅子に腰を落ち着かせてはいるが、乗り慣れない馬を走らせてきたため、尻とモモの内側を痛そうにしていた。筋肉痛を訴えるだろうから、無理に追い出すこともできず、それが僕の気を滅入らせるのだった。


「それでご母堂様は何て言っている?」

「公子とは、もう会いたくないそうです」


 ルシアスによると、マナ夫人が夫であるハドラ猊下の死に不審を抱き、息子のリュークが父親の忠告を無視して雇った私兵が裏切り、それが原因で殺されたのではないかと推理し、それで周囲の者を信用しなくなり、食事を摂らなくなってしまったらしい。


 そこでルシアスが母親の健康を気遣って事実を認めて話してしまったそうだ。その話した事実というのが、兄のリュークではなく、僕が首謀者だったとするデタラメな嘘だった。この男は己可愛さのあまり、早速僕を裏切ったのだった。


「エリゼはちゃんとご飯を食べているのか?」

「はい。二人とも以前の生活に戻りました」


 それをまるで機転を利かせた自分の手柄だと言わんばかりに答えるのだった。


「何を笑っている?」


 軽く凄んだだけで、額から大量の脂汗を滲ませるのだった。


「エリゼに価値がなくなれば、お前に用などないのだぞ? エリゼの代わりなど、今の俺様には腐るほどいるのだからな。こちらから請わなくても、名家の令嬢が勝手に俺のところに差し出されるのだ」


 小賢しい相手には、自分の優位性を何度も言い聞かせる必要がある。

 それから警告も忘れてはならない。


「だからといって妙な気を起こすんじゃないぞ? 俺の破滅はお前の破滅でもあるんだからな。俺が死んだら、お前も命が長くないと思え。分かったら兄貴のように、エリゼも言いなりにさせることだな。三年やろうじゃないか。三年で妹に俺の前で股を開かせろ。それができなければ、お前はクビだ。文字通り、その首を斬らせてもらう」


 その時だった。

 外の廊下で大きな音がした。

 短剣を抜き、戦闘態勢に入る。

 急いで戸口へ向かう。

 そのまま扉を開けた。


「あっ」


 目の前に立っていたのは、エリゼだった。

 僕の愛しい人。

 その大切な女性が、僕のことを哀しい目で見ている。

 幻であってほしいと思った。

 こんな仕打ちは、現実であってはならない。

 その視線に耐え切れなくなり、視線を落とすことしかできなかった。

 割れた瓶に入っていた水で、エリゼの足が濡れている。

 次の瞬間、エリゼが玄関口へと駆け出していた。

 どうやら話を立ち聞きされたようだ。


「ルシアス!」


 呼びつけると、すぐに駆けつけた。


「いや、エリゼが公子に内緒で会いたいって言うから」

「言い訳は結構だ。妹が疵物にならないように、せいぜい頑張るんだな」


 そう言うと、ルシアスは急いで妹の後を追うのだった。

 ここで潜入捜査を終わらせるわけにはいかなかった。



 それから間もなくして、ルシアスが妹を連れて母親の待つ隠れ家へと帰って行った。結局、エリゼとは一言も会話をすることなく、追い返すように別れてしまった。確実に嫌われたと思った。


 それでもルシアスに対する注意は忘れなかった。それは暴力による服従の禁止だ。暴力による支配は容易であるがため、安易に用いられることが多いが、人格に問題が起こる可能性を無視できないので、良好な関係を育むためには固く禁じなければならないのである。


 その点においては、生き残ったのがルシアスで良かったと思っている。リュークの暴力によって服従させられた従順なエリゼなど、何の魅力も感じられないからだ。暴力でしか躾けられない人間は知能が極端に劣っているが、彼ならば心配無用である。


 いや、それ以前に、もうすでに悲劇が起こってしまったことを忘れてはならない。僕はエリゼを政争の道具にしてしまったのだ。人間以下の扱いをしたことを恥じなければならなかった。


 ルシアスに言った『三年』は、僕のリミットでもある。三年でエリゼを現在の苦しみから解放してあげなければならない。それまでに太平の世を実現させたいところだが、平和が訪れてもエリゼと笑い合える日は来ないような気がした。それでも、それが僕の選んだ道だ。



 翌日、デモン・マエレオス神祇官から、ご子息のハンスを通じて結婚式の招待状が届いた。その招待状には八日後にマエレオス領でランバ・キグス首都長官とご息女のアンナが式を挙げる予定だと記されていた。


 父上が同じ仕事をしていたのでよく知っているが、首都長官は官邸を留守にするようなスケジュールを組むことは滅多にない。今回は大貴族のご息女との挙式なので特例のはずだ。この機会を逃せば、ランバとは会えなくなると考えた方がいいだろう。


 デモン・マエレオスは信用できる男なのか、ランバ本人の口から聞いておきたかった。僕の中でデモンは依然としてドラコ殺しの容疑者の一人のままだからだ。だから、この機を絶対に逃すわけにはいかなかった。



 走り込みを日課とし、疲労した状態で剣術の稽古に取り組み、蝋燭の明かりで書物を読んでいると、あっという間に一週間が経過した。式の前日に出発して、夕方にマエレオス領の役場町に到着できる予定である。


 今回の挙式はマエレオス領の町の教会で、領民だけが列席するということもあり、宿がないため私邸の三人部屋しか用意できないと併記されていた。つまり護衛を二人しか連れて行けないということである。


 二人だろうが、二十人だろうが、ルシアスが雇っている私兵なので数は問題にならない。自分の身は自分で守るだけだ。雇い主は自分ではないので、なるべく親しくならないように、家族の話や出身地すら聞かないようにしているくらいだ。



 秋の長雨だった。

 身体が芯から冷える。

 それでも馬は文句も言わずに歩き続けた。

 身軽にするため、持ち物は王冠のレプリカしか持ってきていない。

 ランバに僕が守っている物を知ってもらうためである。

 ただし、ドラコの腹心であっても本物の保管場所を教えるつもりはない。

 それが守ってくれているマリン・リングへの務めだからだ。

 越境の手続きをする管理棟で休ませてもらった。

 領主から招待を受けているということもあり、馬のエサも恵んでもらうことができた。

 異変が起きたのは、役場町に続く林道に入った時だった。


 ――ヒィィィィィィィィ


 悪魔と目が合ったような馬の啼き声が雨空に響き渡った。


「うわああっ」


 前方を進む警護兵が暴れる馬の背で振り回されている。


「大丈夫かっ!」


 叫んだが、暴れ馬には聞こえていない。

 その時、頬を伝う雨に嫌な味がした。

 すると僕の馬も暴れ出すのだった。


「公子!」


 後方の警護兵が叫んだが、返事などしている余裕はなかった。

 手綱を握るだけで精いっぱいだ。

 影から逃げるように加速する。

 馬車道から逸れて、林の中へ入った。

 乱立している木々を避けられる速さではなかった。

 崖から落ちていくような錯覚に陥った。

 目の前に迫りくる大木を、寸でのところですり抜けて行く。

 正面から激突すれば、死ぬ。

 落馬しても、死ぬ。

 助かる選択は、ない。

 僕は、ここで死ぬ。

 眼前に急斜面。

 さらに加速して行く。

 その時、手綱が切れた。

 目の前で馬が空を飛んだ。

 いや、違う。

 僕が宙に舞ったのだ。



「――」


 気がつくと、雲の上にいた。


「……」


 宙に浮いたままだ。


「……ぃって」


 痛みがある。

 ここは天国じゃない。

 僕は生きている。

 枝木のおかげだ。

 斜面の崖の下に、宙に放り出された僕を受け止めてくれる枝木があったのだ。

 運だけで助かった。

 運だけだ。

 木から下りて、急いで背中の木箱を確認する。


「はぁ」


 弾材を詰め込んでいたのでレプリカの王冠は無事だった。


「ヴォルベ」


 懐かしい、その声。


「ヴォルベじゃないか」


 振り返ると、そこに――


「父上」


 どうして、ここに父上が?


「捜したぞ」

「あぁ……」


 言葉が出てこなかった。


「事情はすべて承知しておる」


 そこで肩の力が抜けていくのを感じた。


「よくやった」


 優しい、いつもの父上だ。


「お前は、よくやった」


 ん?

 僕は『よくやった』のだろうか?

 どうしてそういう評価になる?


「後のことは、私に任せなさい」


 任せる?


「三種の神器は私が預かり、王宮へ返すこととしよう」


 確かに、それが賢明な判断というものだ。

 が、しかし……。


「さぁ、早い方がいい。私を隠し場所へ案内するのだ」

「できません」


 そう言うと、父上が悲しそうな目で僕を見つめた。


「ヴォルベ」

「然るべき時が来たら、お返しに上がります」

「ヴォルベ」

「父上、これ以上、何も言わないでください」

「ヴォルベ」

「父上」


 永遠とも思える間。

 それも一瞬だった。

 その一瞬の間で、父上の首を切り落としたからだ。

 父上が剣を抜くよりも早く、僕はドラコの剣を抜くことができた。

 たった、それだけの差である。

 しかし、父上の遺体はどこにもなかった。

 幻のように消えてしまった。


 どうやら幻覚を見ていたようだ。

 それでも父上を斬ったことに変わりはない。

 しかし、僕は父上に勝ったわけではない。

 迷える己に打ち克つことができただけだ。

 僕はまだ『よくやった』と言われるようなことはしていなかった。

 父上はパヴァン王妃とパナス王太子の生存を知るはずがないからである。

 僕の頭の中で思い描く父上は、本物の父上ではないということだ。

 僕はもう、僕以外を信じられない人間になったのかもしれない。

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