第十三話 ヤソ村
ボボの故郷でもあるヤソ村は戦後に村として認定されたばかりだ。元々は南方のハハ島から移住してきた部族の活動地域だったが、暴君だったジュリオス三世が健在した時期に多くの難民が生まれ、それらの人々が開墾の進んでいない島の南西側へ入植してきたのである。
カグマン島の南西地域にはヤソ村のような戦争難民が作った村が幾つも点在していると聞く。それらの地域ではボボの家族のように混血が多いというのが特徴的だった。対立構造にある南方民族と北方民族も混在しているので異民族の坩堝となっている。
「空気がうまいな」
ケンタスによる感想だ。
「緑が濃いっていうのかな? まるで海の中の森にいるみたいだ」
意味が分からないが、本人は満足げな顔をしていた。
「木漏れ日が優しくて、太陽に微笑まれながら、森に抱かれているみたいな気分になる」
ケンタスは昔からこういう詩的な表現に陶酔することがあった。
「ここで生まれて暮らしていたら、鳥たちの言葉が分かったかもしれないな」
ボボは特に反応せず、相変わらず無口で無表情だった。
「馬も喜んでいるのが手綱から伝わってくるだろう?」
俺は何も感じなかった。
「ぺガ、見てくれ! 蝶々がオレたちを誘おうとしている」
それは身体に蝶がまとわりついているだけだ。
「森のみんなが歓迎してくれている。やっぱり来た甲斐があったろう?」
普段のケンタスは終始こんな調子で、幼い時は誰よりも幼くなるのだった。
「なぁ、ケンよ。そろそろ休憩しないか?」
「じゃあ、あそこにある天国の寝台で休もう」
ということで、小川のほとりにふかふかの原っぱがあったので、そこで腰を休めることにした。衣服を全部脱いで小川に飛び込んでしまいたいと思ったが、まだ水浴びが気持ち良く感じる季節ではないので諦めた。
ボボは俺の隣で仰向けになって目を閉じていた。久し振りに故郷へ帰ってきたので嬉しそうにするかと思ったが、村の近くまで来ても感情を表に出さなかった。といっても、故郷を出てからひと月も経っていないので、特別な感慨はないのかもしれない。
それにしてもド田舎である。小川の上流から下流の海辺に幾つかの集落があるというが、村と呼ばれているのは、今のところ上流にあるヤソ村だけとのことだ。それでも近いうちに海辺の集落も村に認定されて、王国の税制に組み込まれるという話だ。
戦後三十年で南北二つの民族は完全に統一されたといわれているが、そういうのは名目だけである。まだまだ支配が及ばない地域が数多く残っており、自治権を主張する領主とか村長とか酋長が存在しているのだそうだ。
その自治権を守り通して特区となったのが中立国と呼ばれているオーヒン国なのだが、ヤソ村が同じように自治区になれるほど現実は甘くなく、結局は多勢に無勢で、交易を認める代わりに、徴税を受け入れる形で、武力衝突を回避するしかないわけだ。
「そこにいるのは誰だい?」
突然、ケンタスが森の中に声を掛けた。
「出ておいで」
ケンタスのことだから、また動物にでも話し掛けているのだろう。
「ん?」
とボボがむっくりと上体を起こして、森の中に目を凝らした。
「べべか?」
「ボボ!」
と森の中で声が上がり、木立の陰から小さいボボが飛び出して来た。名前や見た目からひと目でそれがボボの弟だということが分かった。弓矢を持っているので、おそらく狩猟で近くに来ていたのだろう。
「紹介する。オイラの弟のべべだ」
警戒心が強いのか、それとも人見知りなのか、べべは口を利こうとしなかった。
「そっくりだな」
それくらいしか感想が出てこなかった。
「よく言われるが、べべの他にも四人の弟や妹がいる」
同じ顔が六人揃っている姿を想像して吹きそうになった。
「それにしても森の中で再会するなんて、すごい偶然だな」
「いや、オイラの家はすぐそこだからな、ここは庭みたいなもんだ」
それをケロッとした顔で言うのだった。
「おいおい、だったらこんなところで休憩してないで、さっさと家に向かえば良かったじゃねぇか。家が近いなら近いで、何で言ってくれないんだよ? 無口にも程があるぞ」
ボボは平然としている。
「オイラとお前たちでは時間の感覚や距離感に違いがあるからな。お前たちにとっての『遠い所』はオイラにとっての『すぐそこ』だし、お前たちにとっての『遅い』はオイラにとっての『早い』になるんだ」
これはボボの言う通りだった。『すぐそこ』って言っていたのに、結局は昼飯を食べてから小腹が空くまで歩かされてしまった。確かに一日掛かりの行程とは聞いていたが、それなら『すぐそこ』などと言わないで欲しかった。
「それにしても」
仕方がないから世間話を始める。
「ボボは兄弟が多いとは聞いていたが、まさか長男だとは思わなかったな。だって徴兵を受けているのは次男からで、場合によっては俺の家みたいに三男からだと思っていたからさ」
ボボは弟のべべを馬に乗せて、手綱を引いて歩いている。
「ああ、オイラの所みたいな離村ではそれが当たり前のようだ。ヤソの土地はみんな村長様の物だからな。個人で土地や山を所有している者は一人もいないんだ。だからといって村長様が何でもかんでも独占しているわけではないぞ? これは村民が知恵を振り絞って出した答えなんだ。一人で土地を持ってたって守れないからな。だからみんなで一つの大きな土地に住み、全員で協力して税金を納めたり、国へ奉公しに行くんだ」
首都圏と離村では同じ時代とは思えないくらい環境に差があるようだ。
「オイラの村の村長様は立派なお方だ。戦災孤児の面倒を見ては徴兵に送り出し、十年勤めさせてから恩給として土地の所有を貰い受けて、そうして村の土地を拡張させて発展させていったんだ。決められた法律の中でこれ以上できないことを成し遂げている」
これは頭で考えるほど楽なことではない。戦後三十年でしっかり村を発展させてきたということは、徴兵に行った村民が退役後にきちんと村に恩返ししているということだからだ。
しかし、このまま徴兵制によって土地の所有を認めるシステムを維持し続けていると、そのうち王家とは別に地方の豪族が幅を利かせるようになるのではなかろうか。
それはつまり新しい戦争の形が生まれるということでもある。これまでは大きく分けて南方民族と北方民族の争いだったが、これからは十から二十の地域に住む豪族同士で覇権を争う時代になるかもしれない。杞憂に終わればよいのだが。
「オイラの村が見えてきたぞ」
気がつくとボボの故郷に辿り着いていたようだ。意外なほど土地が開けていた。川の上流にあるというのは間違いで、盆地に集落があったわけだ。見たところ数百世帯の家屋が点在し、可能な限り平地を畑にしている感じだ。
「思ったより大きい村じゃないか」
これが素直な第一印象だ。
「オイラは別に小さい村だなんて言ってないぞ」
その通りだ。俺が勝手に離村には数十人しかいないと思ったのだ。
「畑では何を作っているんだ?」
「色々だけど、スイカが多い。王宮から専売特許を貰っているからな。夏場の収穫で一年分の税金を納めてしまうんだ。それさえ納められれば後は楽なもんだ。平和なもんだし、気をつけるのは山の噴火くらいなもんだな」
山の噴火というのも噂には聞いたことがあるが、実際はどのようなものか想像もつかなかった。噴火があるから活火山の多い島の北端や西側は栄えないと言われているが、それくらい恐ろしい災害として認識されているというわけだ。
「ここがオイラの家だ」
と、紹介されたのは比較的間取りの広い木造家屋だ。何でも父親が一人で建てて、毎年ちょっとずつ手を加えているのだそうだ。炊事場や厠にもこだわりがあって、ヤソ村全体にその独特な意匠が伝播しているようだ。
排泄物に関しては地域や時代によって風習が異なる。同じ村でも個人差があるくらいだ。俺たち兵士は基本的にスコップを常に携帯するというのが常識だ。これは有事の際、敵に存在を悟らせないために必ず埋めるように義務付けられているからだ。
都が不潔とか不衛生だというのも誤解で、確かに現代は馬車社会だから道は糞だらけだけど、感染病や悪臭や飲料水の問題があるので、排泄物の問題は、いつの時代も最重要課題として取り組まれているのだ。
それにも拘わらず都は不潔だと文献に記されてしまうのは、確かに一部に存在するからだ。それでも『一部を見て全体を語るな』という言葉があるように、それがすべてだと考えてはいけないのである。
大衆はゴシップや噂話が好きなので、どうしても大袈裟に書き立てられた話を信じてしまうが、それで大都市の役人による排泄物の問題に対する取り組みを無視していいはずがない。どの時代や地域にも真剣に取り組んでいる無名の人たちが大勢いるからである。
「これがオイラの家族だ」
と、次に紹介されたのはボボ一家の面々だ。両親共に戦災孤児のため祖父母はいないが、一家八人みんな揃って寡黙な性格をしているようだ。それはいいとして、六人の兄弟姉妹がみんな同じ顔をしているというのが驚異的だった。
ボボのお母さんがご馳走を作っている間、俺たちには暇ができたわけだが、どういう流れか知らないが、いつの間にか俺だけ遊びの輪から外されていた。いつもそうだ。気がついた時には離れた所から、ケンタスが子どもと遊んでいる姿を眺めているのだ。
最初はひょうきんな顔をしている俺のところに子どもたちは寄ってくるのだが、すぐにつまらなそうな顔をしてケンタスの所に行ってしまうのである。そしてケンは子どもが好きなので石遊びや指遊びや紐遊びなどを教えて楽しませるのだ。
まぁ、俺はケンタスの真似はできないし、そもそも、したいとも思わないので、強がりではなく、まったく羨ましいとは思わない。それなら一人で考え事をしていた方がまだマシで、それが有効的な時間の使い方だと思っている。
しかし、この日はボボのお父さんに捕まってしまって、独自の建築論を聞かされる羽目になった。ボボが退役したら二人で丸太を贅沢に使った家屋を作る構想があるようで、今からそれが楽しみで仕方がないそうだ。
俺は調子のいい返事をするのが得意なので、子どもよりも年配者に好かれることの方が多い。だから寡黙だと思っていたボボのお父さんも話が止まらず、相当気に入られてしまったわけだ。ボボもそんな父親に驚いていたくらいだ。
負け惜しみするつもりはないが、人望という意味では俺の方がケンタスより秀でているように思う。子どもに相手にされないからといって人気がないというわけではないのだ。きっとケンは子どもっぽいところがあるので同類と思われるのだろう。
「これがオイラのおっ母の手料理だ」
と、振る舞われた料理は義姉であるクルルさんの味付けとそっくりだった。やはりルーツが同じだと味付けが似るものだ。野菜を煮込んだスープはクセのある野草が多めで、焼いたマガモにも苦味を感じる薬草を使っていた。
「今度はスイカの時期にいらっしゃい」
その言葉でその日の晩餐は終わりを告げた。スイカは一度も食べたことがなかった。市場で見掛けたことがあるが、実際に口にできる人は限られているのだ。とても、とても甘いという話だ。
島には『王様が代われば市場の傾向も変わる』という言葉がある。まったくその通りで、次の国王が専売特許を取り下げたら、各地でスイカの生産が増えて、ヤソ村の経済基盤も変化せざるを得なくなるわけだ。
傍から見ると植民地そのものだが、専売特許を貰い受けているので、特区に指定されていると解釈することもできるわけだ。現に今のヤソ村は平穏そのものだからだ。ただし特区ほど政変の煽りを受ける地域はないので心配は心配だ。
「ここ最近、ヤソ村でおかしなことが起こったりしませんでしたか?」
一日の終わりに親父さんに聞いてみた。
「特に変わったことはない」
という返事が返ってきた。王宮でボボが聞いた『異変が起こった』というのは完全なデマだったわけだ。そうだ、噂のすべてが事実であるはずがないのだ。それが分かっただけでも来た甲斐があったというものだ。
翌朝、村に背を向けて旅立ったボボが語った。
「おっ母の父親は、突然村にやって来た兵士に殺されたんだ。母親の方は幼いおっ母を連れて逃げるだけで精いっぱいだった。でも、その後、夫を見捨てて自分だけ助かったことを後悔して死んだそうだ。今だから戦時中の出来事だと振り返ることが可能だが、当時の人間にすべてを見通せる力なんてあるはずがないんだ。離村で暮らしている者にとっては、統制の取れない兵隊なんて山賊と一緒だ。それならまだ畑の泥棒の方がマシなくらいだ。コソ泥は生産者を殺すと食えなくなることを知ってるからな。でも、タガが外れた兵士は違うな。高い志を持っていて、蛮族と見做した人間を皆殺しにしようとするんだ。中には先祖がやられたことをやり返すことに大義を抱く兵士もいる。そういう奴にとっては侵略も略奪も正義になってしまうんだな。人間が最も恐ろしくなる瞬間は、己の正義を疑わなくなった時だ。無抵抗の父親が殺され、母親や幼い妹たちが正義の兵士に暴行される。大人も子どもも関係なく乱暴されるんだ。戦争を望んでいる人がいる、というのが戦争の正体だ。だからオイラは思うんだ。戦争なんてさせてたまるものか、ってな」




