第三十八話(126) 第一容疑者
ルシアス・ハドラが母親のマナ夫人と妹のエリゼを客間の席に座らせると、召使いや警護を部屋の外へと追い出した。地下室を出ると日が沈んでいたようで、部屋の中には高価な蝋燭が灯されていた。
「親族会議だが、ヴォルベの同席を許可しよう。僕の隣に座るといい」
いつも通りのルシアス、という芝居だ。
「それではお言葉に甘えて、失礼いたします」
マナ夫人とエリゼの向かい側に座ったが、エリゼの顔は直視できないままだ。
「母上、心して聞いてください」
ルシアスのペテンが始まった。
「単刀直入に申し上げます。父上と兄上が、公務中に何者かに殺害されてしまいました」
それを聞かされても、マナ夫人は顔色を変えなかった。
「なぜそのような事態になったのですか?」
「母上は父上から、どこまで話を聞かされていましたか?」
ルシアスが質問返しをした。
「まずは私の質問に答えなさい」
身内を二人も殺されたのに、夫人は毅然としていた。
「兄上から聞いたところによると、父上は密命を受けていたといいます。それはパナス王太子殿下のお命に関わる問題で、七政院の官吏が連続して殺害された事件とも関連しており、それで父上と兄上も巻き込まれる形で命を落としたのではないかと考えます」
マナ夫人が僕の顔を確認する。
「あなたよりも公子の方が、その時の状況をよく知っているのではありませんか?」
ルシアスが僕に目で訴えかけた。
「あなたに報告したのは公子なのでしょう?」
ルシアス一人ではマナ夫人を騙し切れないようだ。
「発言の許可をいただければ、ご報告申し上げます」
「いいでしょう。許可します」
ルシアスに言ったのだが、許可を出したのはマナ夫人だった。
彼女に場の主導権を渡してはいけない。
割り切って、頭を切り替える必要がありそうだ。
「発言の許可をいただき感謝いたします。それは移動中の出来事でございました。敵兵の襲来を告げる報告があり、現場が慌てふためき、そうです、尾行には充分気をつけておりましたので、急襲を受けるとは思ってもみなかったのです。そこで臨戦態勢に入ったのですが……」
言葉に詰まる芝居を入れた。
「私は、怖気づき、味方を置き去りにして、逃げてしまいました。陛下や殿下をお守りしなければならないのに、我が身を犠牲にすることができなかったのです。どうか、どうかお許しください。いいえ、許しなど望みません。私は、取り返しのつかないことをしてしまいました。猊下をお救いできなかったのは、すべて私の責任です」
敵前逃亡は重罪だ。
それを承知で審判を受けることにした。
マナ夫人に対してはリスクを冒す必要があったからだ。
「公子はまだ徴兵に取られる年齢ではありません。ですからご自分を責めることはないのですよ。徴兵前のあなたを同行させたことに、主人も申し訳なく感じているやもしれません。あなたが無事に帰ってきたことを、神に感謝しなければいけませんね。あなた自身も、神に感謝するだけでいいのです。それ以上、私たちに何ができるというのです?」
どうやら問題をクリアすることができたようだ。
「母上」
呼び掛けたのはルシアスだ。
「ご不便をお掛けしますが、賊にこちらの居場所が知れ渡った可能性もございますので、エリゼと共に別の場所へ避難していただきたいのですが、よろしいですね?」
マナ夫人が頷く。
「仕方ありませんね」
賊から狙われる危険はないが、あると思わせておくに越したことはない。心苦しいが、隔離させておいた方が、僕が潜入捜査をしていることを疑われずに済むからだ。しばらくエリゼと会えなくなるが、それも国の安全を思えば致し方のないことだ。
翌日、別荘の客室で朝を迎えた。エリゼとの別れの朝でもある。ルシアスはリュークが生きて帰ってきた場合も母親と妹を別の場所に幽閉しようと思っていたらしく、すでに移動の準備が整っている様子だった。
「ダンナ」
かゆい頭を洗いに小川へ行くと、気配なくジンタが現れた。
「脅かすなよ。姿を見せないから殺されたかと思ったぞ」
「へへっ、冗談はよしてくだせえ。アッシを捕まえられる奴なんて、ここにはいませんぜ」
「どうして顔を見せなかった?」
「いや、アッシもずっと見張られてましたからね」
「ということは」
「へい、今はご覧の通りでさ」
どうやらルシアスは俺の機嫌を損ねないように気を遣い出したようだ。
「ならば今のうちに話しておこう」
そこでジンタと情報を共有した。
「――そりゃまた、たまげたことを考えなさったもんだ」
それがジンタの感想だった。彼はハドラ神祇官の死に唸り、兄弟の裏切りに驚きはしたが、それよりも僕の身を一番に案じるのだった。僕も僕で、多くの人と出会ったことで、よりジンタの存在がかけがえのないものだと考えるようになっていた。
「今後についてだが、これからエリゼと夫人が別の場所へ避難するんだ。ルシアスに警護を増やすように言ってあるから、もう見張る必要はないが、場所だけは把握しておく必要があるので一緒に来てくれ」
そこでジンタが報せる。
「お嬢様が来ましたぜ」
エリゼとは昨日から言葉を交わしていなかった。
「芝居をしている僕を見て笑うんじゃないぞ」
「ヘイヘイ」
そう言って、ニヤつきながらジンタは姿を消した。
「ヴォルベ」
召使いとお目付け役のホロムを引き連れたエリゼが声を掛けてきた。
この日も僕はエリゼの顔をまともに直視できなかった。
「すまない」
「何を謝っているの?」
「僕がいけないんだ」
「それは違うとお母様が言っていたでしょう?」
「いいから、謝らせてほしいんだ」
それが今の僕の正直な気持ちである。
「ヴォルベ……」
エリゼは父親と兄を亡くしており、僕よりもつらく悲しい気持ちであるはずなのに、それにも拘わらず僕のことを気遣ってくれている。彼女もまた、僕にとってかけがえのない存在だと感じられた。それだけにエリゼに対する偽りが苦しくて堪らなかった。
「お兄さんが心配するといけない」
一緒にいるのが耐えられなかった。
この時もまた、エリゼの顔を見ることができずに別れてしまった。
避難先はそれほど遠くないという話だが、馬車での移動となった。すでに許可証も用意してあったようで、馬車道で移動することができた。ルシアスが敵営に取り込まれたことで、過度な警戒は不要となったわけである。
「どこへ向かっている?」
移動中、馬車で合席しているルシアスに訊ねた。
「僕も初めてなんですが、こちらの人間は王族領と呼んでいるそうですね」
王族領? ということは、ルシアスが父親を売った相手は王族ということだ。
「午後に王城へ行くと伝えてありますので、今日中にお会いすることができると思います」
ルシアスは僕がその人物を知っていると思い込んでいるようだ。ドラコ隊から報告を受けたと言ったので、それで早とちりしたわけだ。ならば、特定していない、という事実を伝えることもないだろう。
避難先は王族の隠れ家として用意されている邸らしく、高い壁に囲まれた警備のしやすい小高い丘の上にあった。水源も確保してあるので衛生的にも申し分なかった。物資の運搬も約束されているので暮らしに不自由はなさそうだ。
ルシアスと一緒に任務を続けることをマナ夫人に報告し、特に反対されることもなく見送られた。帰りの予定も告げなかったが、それについても特にお小言をいただくこともなかった。
敵陣に乗り込むということもあり、ぞろぞろと警護を引き連れても意味がなかったので、身の回りの世話をさせる四人の警護兵のみ同行させることにした。ここまでくると、話が通じなければ殺されると腹を括るしかなかった。
城下町を見下ろす高台のお城に到着した時、どこの国に迷い込んだのかと思った。島の地理を完全に把握しているわけではないが、それでもオーヒン国に城を構える町が存在したなどという話は一度も聞いたことがなかったからである。
しかも、その城下町ときたら高い壁に囲まれた城塞としての機能が備わっているものだから、ルシアスですら開いた口が塞がらない様子であった。僕が知るオーヒン市は見せかけで、今見えているものが本物の城塞都市オーヒンなのかもしれない。
抜刀できないように固定器具を装着させることで帯剣が許された。帯剣を許されただけで最上に遇されていることが分かる。つまり僕が持ってきた三種の神器、もちろんレプリカだが、それにはそれだけの価値があるということだ。
また、僕らを招いた人物は三種の神器の価値を分かっているということでもあった。城の衛兵に貴賓室へと案内され、ルシアスと固い握手を交わした人物こそ、オーヒン国の財務官であるゲミニ・コルヴスだった。つまり現・国王ゲティス・コルヴスの父親というわけだ。
「公子、ようこそおいでくださいました」
そう言って、ゲミニが僕に手を差し出した。
「お招きいただき感謝いたします」
差し出された手を強く握り返した。
「さぁ、どうぞ、お掛けになってください」
僕とルシアスが並んで座り、ゲミニ財務官は僕の向かい合わせで座った。つまり話し相手が僕であることを理解しているというわけだ。三人が席に着くと、すぐに花茶が運ばれ、一瞬にして花畑で団欒している雰囲気になった。
後ろに立たせている警護の距離が近いので、それほど信用されているわけではないが、それでも室内に四人しか立たせていなかったので、じっくり話をしようという心意気は感じられた。
「しかし、リュークもツキのない男でございますな」
ゲミニは神祇官だったこともあり、礼服が様になっていた。
「ドラコに手柄を取られ、そのドラコが死んだと思ったら、今度はエムル・テレスコのご子息に出し抜かれるのですからな。人生というのは、ツキが感じられないようであれば、大人しく堅実に生きた方がよいのですよ。何人であろうとも、成功を収めるには多少のツキが必要というわけでございます。天を味方にせぬものに、勝利が微笑むわけがないではありませんか。リュークの場合は、初めに立てた作戦になかった、公子が現れた時点で、流れが変わったことを自覚すべきでございましたな」
そこでルシアスのことをギロリと睨んだ。
「その点、この男は強かでしたぞ。危ない橋を他人に渡らせ、上手く事が運んでいれば口を挟まず、ドラコが死んだと見るや、すぐにわしのところへ来て、お父上まで売ってしまったのですからな。『売れる物なら子でも売る』というのがオーヒン人の商魂ですが、親に高値を付けられるような商売人は滅多におりませんぞ。公子に出し抜かれたが、すぐにお零れに与ろうとするのだから、いやはや、逞しい限りではございませんか」
ゲミニの口振りでは、王族殺しの黒幕ではないような印象を受ける。
「しかし公子、気をつけねばいけませんぞ? この男はリュークとは真逆で風見鶏のような男ですからな。追い風の吹く方にしか顔を向けられんのですよ。いつ裏切るとも分からぬのが、このルシアスという奴にございます」
ルシアスがタジタジだ。
「いい加減なことを吹き込まないでいただきたい」
ルシアスの言葉にゲミニは大笑いするのだった。
「しかし、ハドラ猊下のご子息ばかりを批評してはいけませんな。このわしも十四の公子に出し抜かれてしまったのですから、無能の謗りを受けても仕方あるまい。だが、弁明はさせてほしいのですよ。かの有名なアウス・レオス大王が南征を成し遂げたのが二十歳の若さであったことは誰もが知るところでございましょう。遠征に六年掛かったと言いますから、公子と同じ十四で大志を抱いていたというわけです。ですから公子に出し抜かれたとしても、恥とは言えますまい。アウス・レオス大王に比べれば小さき事のように見えますが、未だかつて、かの大王と比べられた者がどこにいました? 少なくとも、わしは公子以外に知りませぬ」
もの凄い持ち上げられようだ。
「過分のお言葉、身に余る光栄にございます。しかし抗弁するつもりはございませんが、閣下を出し抜く気はもちろん、今をもって出し抜いたなどと露にも思っておらぬのです。その点は強くご留意いただきたい」
ゲミニが唸った。
「うむ。こちらの敗北宣言をわざわざ否定なさるとは、金の王冠一つでは足りぬということですかな? 降参を認めてくれぬということは、そうでございましょう?」
当たり前だが、ゲミニは三種の神器の存在を知っているということだ。
「交戦の意思はございません。先ほど閣下が仰っておられましたが、ただ単純に、私のところにツキが巡ってきただけなのでございます」
ゲミニが微笑む。
「それは、よほどの運でございますな」
僕は真顔で答える。
「誠に仰る通りでございます」
それにしても難しい相手だ。
「木箱を拝見してもよろしいか?」
「どうぞ、お手に取ってください」
ゲミニに持参した木箱を差し出した。
開ける前に外身を確認する。
その時点で微笑んでいる。
ということは、本物と偽物の区別がついている可能性がある。
ゲミニが木箱の蓋を開けた。
そして、大笑いするのだった。
「よく出来ていますな。公子がご自分で?」
「はい。私が作りました」
「お見事!」
からかっている感じではない。
「これはお返ししておきましょう」
そう言うと、丁寧に蓋を閉じて返してくれた。
それから僕の顔を見ながら何度も頷くのだった。
「本物の王冠の在処を知る者は限られているというわけでございますな」
「はい。私の他に一人しか知りません。それも意外な人物とだけ申し上げておきましょう」
それがどういう意味を持つのか、ゲミニは理解している様子だ。
「公子は何をお望みか?」
これは大事な答えになる。
「一つには、三種の神器のうち一つを得る機会が目の前に転がってきたことで、身の保証を得られると考えました。私以外に王冠の在処を知る人物がいないということで、私自身の価値と王冠の価値を等しくさせることができましたからね。もっとも、それは王冠の価値を知る人物に限られます。王冠がただのガラクタだと思っている連中にとっては、私自身もまたガラクタとなってしまいますからね。ですから、その王冠の価値を知り、自らご所望された閣下だからこそ、こうして会って話してみようという気になったのです。買い被りなどとは言わせませんよ。閣下は私に指一本触れることができないはずですからね」
金の王冠の持つ魔力が、僕を僕じゃない何かに変えようとしている感じがあった。




