第三十六話(124) 作戦前夜
その日の夜のうちに一旦マリン領を出て、森の中で野営をしていたマヨルとミノルの二人と合流した。僕たちが戻ってくるまで交代しながら休んでいたらしく、合流した時にちゃんと一人が起きて見張りを続けていたことに感心した。
それから少しだけ仮眠を取り、別ルートから再びリング領へ入って、ドラコ隊が潜伏している練兵場へ向かった。ハドラ神祇官が亡くなったことを知らないので、事態の急変を説明する必要があったからである。
「やぁ、公子ではありませんか!」
兵舎の指令室へ行くと、基地を預かる守備隊長のジャンジャジが笑顔で出迎えた。
「心配しましたぞ」
諜報部隊を率いる強面のロニー・キングも珍しく笑顔だった。
「挨拶をしている時間はありません」
僕の言葉に事態の深刻さを悟ったようだ。
場所を会議室に移して緊急会議が開かれた。参加者は僕の他にジャンジャジとロニー・キングとパウルス・コールスとマヨルとミノルとガレットの七人だけである。ガレットとは全員が既知の間柄であることは事前に聞かされていた。
本来ならばこの場にランバ・キグスが同席していなくてはならないのだが、不在ということは、彼がまだハクタ国から帰ってきていないことを意味している。そのことについて会議の冒頭でジャンジャジから説明を受けた。
「――いや、オレもロニーから聞かされた時は耳を疑ったよ」
「本当にハクタ国の首都長官に任命されたのですか?」
僕の言葉にロニーが頷く。
「間違いない」
ランバに代わって教官職に就いているパウルスが補足する。
「考えてみれば、まるっきりデタラメな人事というわけではないんですよ。あのオッサンはガサ村の演習地で教官をしていましたからね。ハクタの兵士全員の顔を知っているというわけです。出世してもいい年齢だし、放っておく方がおかしいくらいだ」
パウルスの言う通りだが、逮捕命令が出ていたドラコの腹心として、峠を越えてハクタに入れば直ちに捕まることも覚悟していたのだ。それなのに捕まらないだけではなく、出世してしまうとは、どんなカラクリがあったのか気になるところだ。
「もうすでに任命されたわけですか?」
僕の質問にロニーが答える。
「ああ、だから首都官邸に、いや、公子のお父上がいらした旧・州都官邸ですがな。そこで公務を行っているので、こちらから接触することはできなくなってしまったのだ。側近が信用できるか現段階では判断できない状況だろうから、副長から使いを出すことも期待できないでしょうな」
疑問が浮かぶ。
「でも、ランバ自身もその人事を受け入れたわけですよね?」
それに関してジャンジャジが説明する。
「いや、基本的に五長官職の拝命は命令です。オレたちには拒否する権利なんてありませんよ。これで副長も貴族になれたわけですが、所詮はその地位がいつ剥奪されてもおかしくない下級貴族ですからね。大貴族様とは絶対に越えられない壁があるんですよ。そして、その壁を軽々と乗り越えてしまったのがハクタの神祇官になったデモン・マエレオスというわけです。あの男が副長を推薦したんだ」
僕が知らないところで更に信じられないことが起こっていた。
「どうしてデモンが神祇官に……」
ロニーが僕を試すように問う。
「公子はデモン・マエレオスについて、どのように考えておられるかな?」
悪魔という言葉が思い浮かんだが、流石に口にするわけにはいかなかった。
「彼は旧カイドル帝国の最後の皇帝で、それから独立国の財務官になり、その後にフェニックス家所縁の荘園を治める領主になって、今度は分国した王政の七政院にまで上り詰めました。まるで歴史は彼を主人公として動いているかのようではありませんか。僕には分かりません。一度だけですが、直接会って話したというのに、実像がさっぱり掴めないのです。あの男の本心がどこにあるのか、本当に何も見えてこないのです」
ロニーがニヤッとしながら頷く。
「正直でよろしい」
ドラコ殺しの容疑者であることを忘れてはいけない。
「あの男はオフィウ・フェニックスと、むしろ敵対する間柄だとばかり思われていましたからな。それが今頃になって手を組むとはドラコでも予測していなかったことだ。どちらがどちらを利用しているのか、または初めから水面下で手を組んでいたかは知らぬが、厄介な取り合わせになったことは確かでしょうな。我々も心する必要がある」
話題を移す前に、どうしても言っておくことがあった。
「こんなことを言うのは心苦しいのですが、こうなってしまった以上はランバから接触があっても、こちらの内情を伝えるわけにはいかなくなりましたね。また、ランバからもたらされる情報にも精査が必要です。伝令兵が送られたとしても、極力、いえ、絶対にこちらの様子を探らせるわけにはいきません。移せるものなら練兵場を移し替えていただけますか?」
基地を預かるジャンジャジが頷いた。
「我々は事実上、副長も失ってしまったということですね」
デモン・マエレオスは僕を含むドラコ隊が王宮の救出作戦を遂行していると知っている。しかし王妃陛下と王太子様、それから金の王冠の在処は知らないはずだ。それを強引にではなく、ランバを懐柔して聞き出すのが目的かもしれない。
もっといえば、すべてはハクタの魔女による策略かもしれないわけだ。デモン・マエレオスも利用されている可能性もあるわけで、悪魔すら魔女の手の平で踊らされていることも考えられるのだ。想像すると、なんとも不気味な絵面だ。
「それではこちらからも報告します」
追い打ちをかけるような事実を伝えねばならなかった。
「数日前にハドラ神祇官がご子息のリュークに殺害されました」
「なんということを」
ジャンジャジのみならず、ロニーやパウルスも驚きを隠せない様子だ。
「よくご無事でしたね」
そう言って、身を案じてくれた。
「ここにいる三人のおかげです。ガレットには命を救ってもらいました」
ロニーが彼女を労う。
「ご苦労であった」
「アタシは自分の仕事をしたまでだ」
ジャンジャジが僕に訊ねる。
「しかし、あの慎重な男に何が起こったというのです?」
そこでこれまでの経緯をすべて話すことにした。
「――ルシアス。言われてみると納得せざるを得ませんね」
ジャンジャジの方が僕よりもハドラ兄弟のことを知っている。
「奴は自分の手を決して汚そうとしませんでしたからね。マクチ村を襲撃した時もルシアスが現場で勝手に作戦を変更したから犠牲を出したんだ。リュークは見掛け倒しではあるが、一度決めた作戦には忠実でしたからね」
ロニーが補足する。
「ルシアスといえば、ドラコが死んでから妙な動きをしていたが、今にして思えば父親を売るための算段を立てていたのだろうな」
それは詳しく知る必要がある。
「妙な動きとは、どういったことでしょうか?」
「部下の報告によると、父親のダリス猊下とは別行動で何者かと会っていたという話だ。オーヒン国の貴族街へ行ったらしいが、あそこは警備が厳重なので容易に近づくことができないのだ。ま、もっとも、それを公子に伝えようにも不在だったので未然に防ぐことはできなかったでしょうがな」
馬を堂々と走らせるわけにもいかないので、伝達が遅れるのは致し方ないことである。
「いや、しかし貴重な情報をいただきました。これからルシアスと会うのですが、兄のリュークに父親殺しを命じたのは彼でしょうが、単に命じただけでは自分が追い込まれるだけですからね。父親を王族殺しの黒幕に利用された被害者に偽装して、尚且つ、それを既成事実と証明し得る権力者の存在が必要なわけです。卑怯で狡猾な男ですから、強力な後ろ盾がなければ、これほど大それた計画を実行しようとは思わなかったでしょう」
僕が見つけたいのは、そのルシアスの背後にいる人物だ。
「しかしというべきか、やはりというべきか、デルフィアス陛下の妃が誘拐され、ドラコもオーヒン周辺で殺されましたし、オーヒンの貴族街に真なる犯人がいたわけですね。セトゥス家がマエレオス家と懇意にしていることも無視できなくなりました。裏切りが裏切りを招いた結果やもしれませんので、まずはその線で捜査していきたいと考えています」
ジャンジャジが驚いている。
「公子はいま『ルシアスと会う』と言われましたか?」
「はい。ヘビの毒にやられないためには、こちらも同じヘビになる必要がありますからね」
そこでこれから実行する作戦を説明することにした。
「――デルフィアス陛下にお任せするわけには参りませんか?」
ジャンジャジが不安そうだ。
ここは丁寧に説明する必要がある。
「ユリスは信用できますが、陛下の周りの者は信用できませんからね。現にアネルエ王妃陛下は何人もの護衛がついていたにも拘わらず誘拐されてしまいました。死に至らしめることも可能ならば、玉体を人質にして利用することも可能なのです。陛下のお命との交換ならば、どんな物であろうと無条件で差し出さねばなりません。ユリスが無事にご帰参していただくように取り計らうことが、現状では最も望ましい判断といえるでしょう」
そこで同席者に木箱の中身を見せた。
「なんですかな、これは?」
諜報員のロニーですら木箱の存在は知らなかったようだ。
「王家に伝わる三種の神器です」
ロニーが眉を顰める。
「こんなものが?」
「いえ、これは青銅製のレプリカです。本物は持参しませんでした。つまり我々はこれを守り、そして多くの者が命を落としてきたというわけなんです。反対にいえば、僕がこれを所持している限りは、相手も手を出しようがないということです。なにしろ隠し場所に繋がる情報を持っているのは僕たち四人だけですからね。さらに言えば、ルシアスには『僕しか知らない』と言うつもりです。ですから皆さんも決して口外しないでほしいのです」
もっと細かく指示を出した方がいいだろう。
「今日を限りにマヨルとミノルも作戦から外そうと考えています。なぜなら二人はパヴァン王妃とパナス王太子の隠れ家の場所を知っていますからね。二人は死んだことにして、生きていることも秘密にしてほしいのです。彼らを作戦に参加させたり、情報を聞き出したりしないでください。二人の存在が明るみになると、捕らわれて拷問される危険性がありますからね」
警護の数を最小限に留めるには、ちゃんとした理由があるわけだ。
「ガレットや二人から情報を引き出すのは、僕が死んだ場合に限ります。それも死亡が確認された場合に限定させてください。僕を拉致監禁しつつ、死んだことにして皆さんの元に近づいてくる者がいるかもしれません。でも、絶対に情報源の二人を渡してはダメです。デルフィアス陛下やフィンスが人質に取られて、僕自身が許可を出しにくる可能性もありますから、後であらゆる事態を想定して合言葉や暗号を決めておきましょう。とにかく僕が死んだ場合でも半年、いや、一年は僕の帰りを待っていただきたい」
ジャンジャジが確認を取る。
「では、マヨルとミノルを保護するとして、代わりの護衛を用意すればいんですね?」
「いいえ、護衛はつけません。護衛を同行させると、こちらは何も知らないと分かっていても、あちらが同じように考えてくれるとは限りませんからね。事故を装って拉致されて、情報を引き出すために拷問を受けることになるでしょう」
ジャンジャジが頭をかく。
「そこまでお考えとは……。もう、止めても無駄なのでしょうね?」
「心配いりませんよ。僕にはガレットがいますから」
全員が彼女の方を向いたが、ガレットは無反応だった。
「それに僕の警護はルシアスに用意してもらおうとも考えているんです。それだけではなく、皆さんが心配しているお金のことですが、それもこれまでと同じようにルシアスに支払わせるつもりです。ですから、これからも今まで通り調査を続け、軍備を拡大してください。すべては駆け引きが上手くいけばの話ですが、ルシアスは頭の悪い人間ではないので、僕を一目見て敗北を知ることになるでしょう」
その夜、宴が開かれた。ドラコ隊とリング領の新兵全員で焚き火を囲み、歌を歌いながら羊を食すのだった。酒を飲んで踊る者や、即席でレスリング大会を開くなど、楽しい余興は夜半過ぎまで続いた。
ガレットはここでも人気で、本人の意思とは別に兵士たちを笑顔にするのだった。中にはその場で即興の詩を詠んでプロポーズする者も現れたが、結果は言うまでもなく、冷たい言葉を浴びて撤退を余儀なくされるのだった。
ランバの昇進祝いも兼ねており、彼の武勇伝も聞くことができた。ドラコを貶す者はいないが、ドラコの考えた作戦を、現実に再現できたのはランバがいたからだとする見方が多く、そこに父上と重なる部分を感じて、途中から郷愁にかられてしまった。
翌朝、ガレットと一緒にセトゥス領へ向けて出発した。前にジンタらと同じ目的地に行った時は到着が夜になったのだが、ガレットに案内された今回は日没のかなり前に到着することができた。しかも、その間に人に見つかるということもなかったのだから驚きだ。
「本当に一人で行って大丈夫なのか?」
ルシアスのいる別荘の近くまで来てから、ガレットが訊ねた。
「僕は大丈夫。それよりこれからのことなんだけど」
ガレットには別の仕事をしてもらう必要があった。
「身の回りの仕事はジンタに任せる。だからガレットはこれからソレインと合流して、デルフィアス陛下が無事にカイドル国へ帰参するのを見届けてほしいんだ。到着したらソレインには留まってもらって、デルフィアス陛下のご不興を買わない行動を心掛けてもらいたい。ドラコの紹介だから関係を危惧する者も出てくるだろうしね。そこで彼の代わりにガレットに連絡役をしてもらいたいんだ。カイドル国内の情勢を見極めてから、陛下が無事に到着したことを僕に報せにきてほしい。寒い時期の移動になるから今よりも大変になるだろうけど、頼めるかい?」
ガレットが叱る。
「そんなことわざわざ聞かなくても、命令すればいいだろう?」
「分かった。命令する」
珍しくガレットが笑った。
「お前は本当に変わった男だな」
最後の挨拶。
「春にまた会おう」
そう言うと、ガレットが真顔に戻った。
「半年先になるはずがないだろう?」
「え? でも、これから雪被りの季節になるし、あっちは積もるって聞いたよ?」
「山の中で暮らしている部族もいるんだ。移動は楽ではないが、無理ではないぞ」
「そうなのか」
「うん、じゃあな」
感傷的な別れになると思ったら、ドライな別れとなった。
その足で別荘へ行くと、玄関前で待ち構えるルシアスの姿を見つけた。近づいてくる僕を見て、警備兵が報告したのだろう。二人の屈強な警護兵を引き連れてはいるが、夕暮れ時だというのに顔が真っ青になっていた。
ルシアスは僕が手にしている木箱の存在を知っているということだ。彼の反応がそれを物語っている。中を検めるまで危害を加えない、というのも僕の予想した反応だ。潜入捜査は入り方が肝心だが、この時点でほぼ潜入に成功したことを確信することができた。
「公子、よく無事に戻られましたね」
笑顔が引きつっていた。
「これが何かお分かりのようですね」
「何のことかな?」
「ここで蓋を開けさせるつもりですか?」
ルシアスの顎の下の肉からポタポタと汗が落ちる。
「兄上はどちらに?」
「お父上と同じ場所へ旅立たれたと言えばお分かりでしょうか?」
そこで完全に表情を失うのだった。
別荘の中に招かれて、そこでハドラ夫人とエリゼに出迎えられたが、挨拶どころか、目を合わせずに地下室へ移動した。ルシアスがその時間を与えなかったからだ。無駄だと分かっているはずなのに、必死で主導権を握ろうとしている感じだ。
「さぁ、そちらの席へ」
テーブルにランプを置いて、向かい合わせで座った。
「中身を検めさせてもらっても?」
「構いませんよ」
ルシアスが木箱の蓋を開けて中を確認する。
「これは偽物じゃないか」
「本物を持ってくるはずがないだろう」
「目的は何だ?」
「お前を殺すことだよ」
そこでルシアスの首元に短剣を突き立ててやった。




