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ロマン・ストーリー 剣に導かれし者たち  作者: 灰庭論
第三章 公子の素養編
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第二十九話(117) 乱心

 ハドラ神祇官はジンタとマヨルとミノルの同行も許可してくれたが、僕はエリゼのことが心配だったので、ジンタをこの場に残して彼女の警護に当たらせると決めた。いつ事態が急転しても、彼がいれば適切な判断をしてくれると思ったからである。


 ジンタは僕の判断に意見することはなかった。安全だと信じている場所が、いつまでも安全とは限らないと分かっているのだろう。彼がしかめ面になったのは、またしばらくの間、エリゼから嫌いなセロリを食わされることを憂いたからだ。


 出発する前にエリゼが見送りに出てくることはなかった。別荘の前にはハドラ夫人の姿も見当たらなかったので、二人とも未だに詳しい事情について聞かされていないということが分かった。


 僕としても、どうしてもエリゼの顔を見ておきたいとは思わなかった。それは、もう二度と会えないといった予感めいた感覚が一切なかったからである。それを吉兆と捉えることが出来たので残念に思わなかったのだ。



 パヴァン王妃陛下とパナス王太子様のいる隠れ家までは往復で五日から六日の距離にあるらしいが、歩き慣れない者にとっては倍の日数を要すると言っていた。前回は馬でお連れしても半月掛かったというので、今回も同じだけの覚悟が必要とのことである。


 今回ハドラ神祇官に同行しているのは長兄のリュークと僕とマヨルとミノルの他には、二人の護衛兵だけだった。そのうちの一人は前回もハドラ神祇官の護衛を担当していたということで道に迷う心配もいらなかった。


 リュークが同行する警護兵を増やすように願い出たが、それは父親に却下されてしまった。隠密行動なので人数を増やしたくないというのが理由である。実際に交代できる見張りが四人もいるのでそれで充分だった。


 持ち物は簡易テントと不浄用のスコップと食料として煎り豆を持ってきただけだ。僕は短剣の他にもドラコの大剣を背中に担いでいるので、それがやたらと重く感じられた。これでは馬なしで川を渡るのは不可能である。


 幸いにして、急流の川はないという話だ。しかし幅が広い川ではテントのように遠心力で川岸へ放るわけにもいかず苦労してしまった。それでも溺れそうになりながらも、何とか自分の力だけで渡ることができた。



 一日が終わった頃には、もうすでに方角が分からなくなっていた。分かっていることといえば、今いる森の中に一人で取り残されたら、自力でエリゼの元へ帰ることができないということだけである。


 奴隷制度とも呼ばれる徴兵制だが、生きていく上で基本的なことを学ばせてもらえる兵役生活というのは、改めて素晴らしいものだということを否応なく実感させられた。自由よりも知識をいただけることの方が遥かに有意義だからである。


 マヨルとミノルも徴兵に感謝をしていると言っていた。ジンタという例外も存在するが、多くの者にとっては教会へ行くことと同じくらい、兵役生活そのものが学び舎で教えを受けられるシステムとなっているわけだ。


 厳しい上下関係を学ばせるのも、退役後に仕事をする時に主従関係をしっかり植え付けておけば、斡旋された職場でトラブルを起こすことなく従事できるからである。『人間というのは自由を望む者よりも、管理を望む者の方が多い』と大昔の哲学者も言っている。


 大事なのは教会にしても兵役にしても、すべては良かれと思って始めたことで、それが実際に必要だから継続している点を抜きに語ってはいけないということだ。強制ではあるが、国民に義務を課すことは決して悪政とはいえないのである。


 しかし、奇跡ともいえる三十年の平和ですら不満を抱く者がいるのが人間社会で、実際に現在の王政を終わらせようとしている者が存在している。その者の正体を掴み、目的を知ることが今後のテーマになるだろう。そんなことを考えているうちに一週間が過ぎていった。



「あそこだ」


 ハドラ神祇官の言葉には力がなかった。僕だけではなく、他の者も返事をする余力が残っていなかった。平然としているのはドラコ隊のマヨルとミノルだけだ。二人の護衛ですら負傷兵のように足を引きずっていた。


「こんなところに……」


 リュークが驚くのも無理はなかった。オーヒン国からどの方角にどれだけの距離を歩いてきたのか定かではないが、辿り着いた所は人里から遠く外れた山の麓だったからである。こんな辺鄙なところで避難生活を送れるとは考えられなかった。


「王妃陛下と王太子殿下は、あの中にいらっしゃる」


 ハドラ神祇官が指を差したのは湖の畔にある山小屋だった。立派な造りをした丸太小屋で、古くはあるが朽ち果てた様子はなかった。おそらくずっと住み続けている人がいるのだろう。


 その家人か管理人らしき老人が僕たちよりも先に僕らの存在に気づいていたようで、最初は警戒していたようだが、相手がハドラ神祇官であると分かると姿を見せた。僕たちがその老人に狙われていたと知ったのは、姿を見せた彼の手に弓矢が握られていたからである。


「閣下、これは何事ですかな?」


 僕たちを出迎えた老人がハドラ神祇官に訊ねた。


「その様子ですと、お二人はご無事のようですね」

「平穏を破ったのは閣下ご自身ですぞ」

「それは失礼いたしました」


 ハドラ神祇官が恐縮しているように見えた。


「来訪のわけを話してくだされ」

「それが、ドラコが何者かに殺されたのです」

「まさか」


 老人は信じなかった。


「ドラコを殺せる者など、我が師以外におるまい」

「それが事実なのです」


 そこで老人が僕の方を見た。


「なんということだ」


 おそらく僕が背負っているドラコの剣を見て得心したのだろう。


「ですから、我々はこうして安否を確かめにきたというわけです」

「ここの所在までは漏らさなかったようだ」

「そのようですね。それを確かめられただけでも来た甲斐がありました」


 そこで老人は考え込んでしまった。そこで改めて観察することができたが、七十過ぎの老人に見えたのは頭頂部が薄く、小柄だったためで、年齢が出やすい喉元を見ると、実際は父上と変わらない五十前後の男だというのが分かった。


「閣下、中へお通しするのは構いませぬが、その前に他の者を紹介してくださらんか」

「それは気づきませんで」


 まずは僕たちに男を紹介した。


「こちらはカンザン領を守っているココマだ。記録には残っていないが、かつてモンクルスと共に戦った同志でもあるお方だ。ドラコが今回の作戦を立案できたのも、ココマに王妃陛下と王太子殿下を預けることが出来たからというのが一番の理由だ」


 そこで次にハドラ神祇官は順番に僕たちのことを紹介するのだった。


「テレスコ?」


 ココマはハドラ神祇官の長兄よりも僕に反応を示した。


「では、エムルの倅ということか?」

「はい。エムル・テレスコは私の父に相違ありません」

「言われてみれば、入隊した頃の副長にそっくりだ」


 父上を副長と呼ぶのはモンクルス隊の隊士だけだ。


「あのクソ真面目な堅物めがっ。結婚して子まで儲けておったとはな。師に倣って独身の誓いを立てたものだが、あの誓いは何だったというのか」


 そんな無意味な誓いをしていたから三十半ばまで結婚をしなかったわけだ。


「しかし、副長の倅がなぜドラコの剣を?」


 僕が話す前にハドラ神祇官が遮った。


「それを説明するのは、王妃陛下と王太子殿下にご挨拶してからにしましょう」



 丸太小屋の中へ入ることが許されたのはハドラ神祇官とリュークと僕の三人だけだった。残りの四人は外を見張るようにとココマに命じられたからである。普段なら側から離れることはないのだが、この時ばかりは神祇官も部下に従わせるのだった。


 二階建ての丸太小屋は高床式になっており、階段を上った広い玄関ポーチから南側のベランダに廊下が伸びていた。その奥に馬小屋と宿直小屋が隣接して建っていたが、馬の姿までは確認できなかった。


 丸太小屋へ入ると二人の召使いがハドラ神祇官を出迎えた。彼女たち二人で王妃陛下と王太子殿下の身の回りの世話をしているのだろう。彼女たちの他に人の姿を見掛けなかったので休みもなく働いているということになる。


 南側のベランダのある客間に行くと、王太子様が立派な犬とお戯れになっており、それを母親である王妃陛下が優しく見守っている姿が目に入った。平服姿ではあるが、気品を失わないのが王家の人間だ。


「ハドラ神祇官ではありませんか」

「お久し振りでございます」

「どうしたというのですか?」

「陛下の元気なお顔を拝見したく参りました」

「私はこの通りですよ」

「ご息災で何よりでございます」

「閣下もお変わりないようで」


 そこでパヴァン王妃が口ごもった。


「いえ、そうは見えませんね。とてもお疲れのようにお見受けします」

「言葉が通じぬ馬の気持ちを知ろうと思い、歩いてきたのです」

「まぁ、立たせたままではいけませんわね。どうぞお掛けになってください」


 それから召使いに声を掛ける。


「瓶の水ではなく、冷たいお水を閣下やお供の方に差し上げてちょうだい」


 すぐに召使いがその場を後にした。


「パナス、こちらにお座りなさい」

「はい。お母さま」


 素直で優しそうな王太子様は、子どもの頃のフィンスにそっくりだった。

 王妃陛下と王太子様が椅子に座ったのを見てから、ハドラ神祇官も腰掛けた。

 その後にリュークが父親の隣に座ろうとしたが、その前にココマが制止した。


「ご子息には窓の方を見張っていただきたい」


 テーブル席の椅子は六脚あるが、官職に就いていない者が同席してはいけないというのは宮中の礼儀作法としては基本中の基本だ。それを知っていたから、僕は戸口に立って見張りを続け、老兵から注意を受けなかったわけである。


「これは失礼いたしました」


 謝ったのはリューク本人ではなく、父親のハドラ神祇官だった。


「閣下、それよりも来訪したわけを話してくだされ」


 ココマが立ったまま議事を進行した。


「我々がこうして伺ったのは、作戦参謀を務めていたドラコ・キルギアスが何者かに殺されてしまったからでございます」


 それからハドラ神祇官はカグマン国が三つに分国されたことや、フィン王妃が生きていて、その息子であるフィンスが国王に即位されたことや、マクス王子がハクタ国の国王に即位されたことや、デルフィアス殿下がカイドル国の国王に即位されたことを報告した。


 そしてアネルエ王妃陛下が誘拐されて、その誘拐事件の犯人を追っていたドラコが殺されたことで、パヴァン王妃の身に危険が迫っている可能性が出てきたので、取り急ぎ来訪した旨を順序立てて説明するのだった。


「……フィン正妃陛下は生きていらしたのですね」


 それがパヴァン王妃陛下の感想だった。表情に憂いが帯びるのも無理のない話だ。愛妾は存在しても、側室や後宮を設けないのが我が国の王宮の在り方だからである。国教において、後妻は許されるが、第二夫人は認められないわけである。


 それはフィンスの母親であるフィン正妃陛下も得心していたことだ。今は亡きコルバ国王が後妻を迎えた時点で、ご自身の王族復帰はないと覚悟を決めていたのは僕も耳にしたことだ。それを承知で我が子を守ったわけである。


 それでもフィンスの即位に反対されなかったのは、ドラコの作戦によってパヴァン王妃とパナス王太子が死んでしまったと思い込んでいるからだろう。生きていると知っていれば、息子が国王になることに反対していたはずである。


 といっても、作戦を立てたドラコやハドラ神祇官もフィン正妃が生きているとは思っていなかったので、誰も責めることはできないのだ。今はフィンスとパナス王太子が生きていることを結果論として、フィン正妃やドラコの行動を肯定するしかないのである。


「しかるに、閣下は今後の展望をどのようにお考えですかな?」


 訊ねたのはココマだが、ハドラ神祇官はパヴァン王妃に向かって答える。


「判断に迷っていると正直に申し上げる他ございません。これは生前のドラコも同じでございました。まさかフィンス国王陛下が生きておられるとは思ってもみませんでしたから、これだけ早く王宮に平常を取り戻せるとは計算できなかったのです。不穏分子を排除した今、デルフィアス陛下の妃に大事が起こったことを考え合わせますと、王宮に戻られるのも一つの手でございましょう。よろしければ、王妃陛下のご心中をお聞かせ願えませんでしょうか。ご希望があらば意に添うように行動するまでにございます」


 即答する。


「閣下にお任せいたします」


 パヴァン王妃陛下は一切考える時間を持たなかった。ここに、これまでの王家と七政院の関係性が凝縮されていた。国政を官吏に任せきってしまうことで、自分の足で歩くことすらできなくなってしまったわけである。


 優秀な官吏がいるから国政が安定し、独裁者の輩出を抑止する装置にもなっているのだが、その官吏たちが暗殺を実行しようとし、自分たちに都合のよい国王を即位させようとしていた事実は無視できない。


 身分の入れ替えのない大貴族が君主を決める、といったバカげたやり方だけは制度化させてはいけないのだ。それを阻止できただけでもドラコ・キルギアスの一生は千年の価値があるといっても過言ではないはずだ。



 結局、この日は到着したのが夕暮れ時だったということもあり、旅の疲れを考慮して、日没のタイミングで辞去することにした。王妃陛下と王太子様はすでに食事を済ませていたので、早めに二階の居室へと向かわれた。


 ハドラ神祇官と長兄のリュークには一階の客室が用意されていたが、他に余った部屋はなかったので、僕はマヨルとミノルと同じように宿直小屋で休むこととなった。そこにはココマと交替制で警護している二人の若い兵士の姿もあった。


 聞くところによると、一日を三等分して、三人で交代しながら警護に当たっているという話だ。彼らもまた休みもなく職務に従事しているということになる。召使いを入れても五人だけで警護に当たっているというわけだ。


 どうしてここで王妃陛下と王太子様が匿われているのか、その経緯について警護をしている巨体のボーテス・タウロスに聞いてみた。長身のカメロ・パルダスは明日の警護に備えて就寝中である。


「ここカンザン領は、モンクルス領とも呼ばれているのですよ」


 湖畔でティップという名の淡水魚を焼きながら話を聞いているところだ。


「ここは五十年前に戦争をしていた時の前線基地で、モンクルス隊を中心に数千の兵士が駐屯していました。オーヒン国の北西に位置するこの場所は、北に進路を取るにも西に進路を取るにも絶好の位置にありますからね」


 タウロスが饒舌なのは僕の父が第二次モンクルス隊の副官を務めていたからだ。


「この位置に軍隊を逗留しておけば、まずカグマン国が負けることはありません。それだけ戦略的価値の高い場所なのです。五十年前にカイドル帝国との間で停戦協定が結ばれましたが、剣聖はこの場からモンクルス隊を動かしませんでした。土も良く、森の資源も豊富なので、戦争の功労者をまとめてここへ移住させたのですよ。モンクルス隊が常駐しているということもあり、盗賊や山賊など近づきやしませんしね。今日こんにちのオーヒン国周辺の発展は、少なからずその影響もあったでしょうな。縁も所縁もない剣聖の芝居がオーヒンで人気があるのは、そういった事情もあるのでしょう。ま、もっとも、商魂たくましい奴らのことですから、剣聖の名声を魔除けとして利用しているという側面も確かですがね」


 モンクルス本人は戦争が終わるとカグマン州の、それも自分の名を冠した正式な自治領の山中に引きこもったと聞いている。それでも隊士が停戦後も命令に従い続けていたのは、その二十年後に協定が破られることを予見していたからなのかもしれない。


 中央の政争とは別に、故郷を離れて島の保全に努めてくれていた人たちがいたわけだ。それを王家や官吏だけの手柄と考えるのは、島の情勢が見えていないということになる。地方に根を張る人間に平和を望む意志が存在していたから三十年の平和がもたらされたのだ。



「公子、起きてくだせい」


 翌朝、宿直小屋で眠っているところをミノルに起こされた。


「どうした?」


 久し振りの寝台だったので眠り過ぎて身体がだるい。


「目を覚ましたらヨアンがいなくなってるんす」


 ヨアン・ダッグスはハドラ神祇官が連れてきた警護兵だ。


「んで、マヨルが捜してるんですが、どうにも見つからないみたいで」

「ご子息はご無事か?」

「まだ確認していません」


 丸太小屋の中に入れるのは僕だけだ。


「じゃあ、確認してみるよ」

「お願いします」


 ということで、丸太小屋の正面に回った。

 朝日が反射して湖面がキラキラ輝いている。

 起こされなければ、最高の休日に思えていただろう。


「うあああっ」


 そこで頭上の方から叫び声が聞こえてきた。

 声の主は丸太小屋の中だ。

 入り口の扉を叩く。

 すぐに中から警護兵のヨアン・ダッグスが出てきた。

 振り上げた彼の手には手斧が握られていた。

 僕は身構えることすら出来なかった。

 そこで手斧が振り下ろされる。

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