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ロマン・ストーリー 剣に導かれし者たち  作者: 灰庭論
第三章 公子の素養編
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第二十一話(109) フィンスの即位

 ハクタの伝令兵に扮装したことで、検問所に立ち寄るごとに馬を乗り換えることができたので、エサやりや給水をさせる必要がなくなり、駈足で峠の麓にあるオザン村まで高速移動することができた。到着したのは日没前という驚きの早さだった。


「副長、一つ提案があるんですがね」


 宿屋街に入る前にジャンジャジが口を開いた。


「なんですかな?」

「いえね、公子は偽造した上級士官用の州都札だけじゃなく、本物の州都札も持っているので、それを実際に使ってみてはと思ったんですよ」


 そう言って、ミントの葉を口に放り込んだ。


「名前が記録されるではないか」

「ええ、それが目的なんですよ」

「どういうことですかな?」


 ジャンジャジが僕の方を見た。


「公子のおかげで予定よりも二日早くここまで来ることができました。でも、王都でオレたちを逃がしてくれた奴らは、これから峠を目指さなくちゃなりません。だったら、今度はオレたちが借りを返す番じゃないですか。今日、ここで名前を残せば、捜査の目はオレたちの方に向きます。馬で逃げて、襲撃の翌日には峠に来ていたと思わせることができれば、連中も楽に移動できますよ。さらに海路で逃げている隊長に対しても意識を遠ざけることができますしね。どうせオーヒン国に逃げ込むと考えるでしょうから、隠すのではなく利用した方がいい」


 ランバが問う。


「しかし、捜査陣が公子の名前をどのように受け止めるのか、こちらが思うように考えてくれるとは限りませんぞ?」


「確かにそうですね」


 と認めつつ、すぐに閃く。


「では、明日の朝、発つ前に、宿屋の主人に副長の顔も一緒に拝ませてやりましょうや」

「承知した」


 ということで、宿へのチェックインは僕とジャンジャジの二人で行い、僕が州都長官の息子だと知ると、一番大きなロッジを貸し出してくれて、豪勢な食事で最上級のもてなしを受けた。


 何が嬉しかったかというと、村の宿泊客が誰一人として、王宮が襲撃されたことを知らなかったことだ。つまり捜査陣はおろか、非常線を張るための伝令兵すら到着していないことを意味しているからである。


 そのことをよく理解しているので、ランバはジャンジャジにお酒を飲む許可を出したのだろう。その二人が交代で見張ってくれると言ったので、僕は安心して眠ることができた。不思議な感覚だが、これほど気持ちよく眠ることができたのは生まれて初めてだった。



 翌日、宿屋の主人にランバの顔を見せて、念のために、ジャンジャジが主人の前で「副長!」と呼び掛け、それにランバが応えるように挨拶をしてからオザン村を出た。僕はなぜか二人に誘拐されたように見える芝居をお願いされていた。


 おそらく調べに来た捜査陣に、僕が暗殺事件と無関係であると思わせる狙いがあるのだろう。失敗した時のリスクを最小限に留めるための策でもある。あらゆる状況に対応しなければならないのがドラコ隊で活動する条件だ。


 この日は馬を休ませながらの移動だったので、峠越えに一日掛かり、麓にあるダバン村に到着した頃には、もうすでに日が沈みかけていた。この日も本物の州都札を使って、前日と同じように広いロッジに泊まることができた。


 しかし、この日のジャンジャジはお酒を一滴も飲まなかった。オザン村の宿屋の主人にランバの存在をバラしたばかりなので警戒を強めているわけだ。『あの時、酒を飲まなければ』と後悔しない選択をするのもドラコ隊の条件のようである。



 翌日、宿屋に馬を残してダバン村を出た。軍馬にはすべて焼き印が押されているので、乗り続けるとそのまま足がついてしまうからである。加えて、ここまで来ると歩いて三日か四日でオーヒン国まで行けるというので、先を急ぐ必要もないというわけだ。


 この日はオーヒン国の手前にあるゴヤ村の安宿で泊まった。そこでハクタの軍服から、街で売っている平服に着替えることも忘れなかった。軍服のままではオーヒン国で帯剣できなくなるからである。


 ハクタの軍服を着て買い物をしたので、相場よりも高い価格を吹っかけられたそうだが、店主に顔と声を覚えられないように言い値で購入したそうだ。歴史は浅いが、オーヒン国は外国なので、目立つよりも目立たないようにする方が難しいと言っていた。



 翌日、日が高いうちにオーヒン国へ入国することができた。街に活気があり、港は穀物船や貿易船で溢れ、市場には見たことのない食べ物でいっぱいだった。同じ港町でもハクタとは大違いである。人口密度が上がるほど熱気を生み出すのかもしれない。


 お芝居をする者や、弁論で競い合う者や、闘技場で力自慢する者や、犬を走らせて賭け事に興じる者や、広場で膝をついてお祈りする一団など、王都やハクタにも存在するのだが、圧倒的に違うのは、それを見ている観客の数である。


 演者や競技者にならなくても、お酒片手に一日中楽しんでいられるのだ。そんな毎日が休日のような社会システムを可能としているのが、ハハ島から運ばれてくる穀物なのかもしれない。至る所にある配給所が市民を管理する役所の役割を果たしているわけだ。


 ハハ島を植民地化することで国民に最低限の暮らしを保証し、富を求める者は商売を始めて、王都やハクタ州やカイドル州で物品を売り捌き、外貨を獲得するというわけだ。この社会システム相手では、カグマン国の商人など勝てるはずがない。


 我々の国で商売するには、関税という名の手数料を高く釣り上げてやらなければ、自国の商人を守ることはできないだろう。オーヒン国の繁栄を見ると、その関税の税率が低すぎると思わざるを得なかった。


 両国に新しい国王が即位し、七政院を殺してきたばかりなので、王政が生まれ変わるのは確実である。そうなれば税率の見直しを交渉のテーブルに上げる必要があるはずだ。そういった仕事をするのも面白そうだが、僕の身分では参加できないのが残念でならなかった。



「さて、そろそろ参るとするか」


 日が沈む前に宿を決めるものだが、僕たちが向かったのは宿屋街ではなかった。日中、僕に観光させるためにオーヒン市内を歩き回っていたわけではなかったわけだ。ランバは日没を待っていたのだ。


「公子に気をつけてもらわねばならないことがあります」


 町の外れに向かって歩きながらジャンジャジがアドバイスする。


「いいですか? 今から渡る川の向こうは、オーヒン国の領土ではありません。リング領といって、まぁ、そこも外国みたいなもんなんですがね、とにかく人の気配を感じても、決して剣を抜かないでもらいたいんです。なにしろ山賊より怖い連中が我々を見張っていますからね。余計な口を利かずに、向こうから話し掛けてくるのを待つんです。副長やオレは大丈夫でも、公子は初めてですからね」


 川を渡ると無駄口を利けないので、その前に訊ねておいた方がよさそうだ。


「どういった人たちが住んでいるんですか?」


 ジャンジャジがミントの葉を食べながら答える。


「カイドル帝国の兵士だった者たちで、その子どもや孫たちが暮らしています。ジュリオス三世と一緒に戦った者たちが今も生きているんですよ。国は滅んで王城まで取り壊されましたが、このリング領だけは死守して、自分たちの歴史を途切れさせずに、受け継いでいるわけですね。彼らの中では、まだカイドル帝国は生きていて、滅亡していないのかもしれません。ただ、皇帝と呼ばれている人はいませんけどね」


 三十年前に戦争をしていた人たちがいる場所に行こうとしているわけだ。


「勝手に領地に入っても大丈夫なんですか?」


 ランバが答える。


「ザザ家との戦いで領主と知り合いましてな。それから隊長が認めた者に限りますが、領地への立ち入りが許されたわけです。しかし、ジャンジャジ殿の言葉通り、通行の許可はいただいておりますが、不審な動きを見せれば命の保証はございませんので、充分に気をつける必要がありますぞ」


 リング領? マリン……。

 どこかで聞いたことのある響きだ。


「マリン領の領主の名は何というんですか?」

「マリン・リングでございます。マザー・マリン、マザー・リングとも呼ばれていますな」


 完全に思い出した。


「ということは、ドラコの細君ではありませんか?」


 それを聞いて、ランバとジャンジャジが立ち止まった。

 振り返ると、二人とも驚いていた。


「隊長からお聞き及びとは、公子はよほど高く買われているようですな」


 ジャンジャジが笑みを湛える。


「ミクロスやジジやデルフィアス殿下だって知らないんだぜ?」


 それほどすごいことを打ち明けられたとは、その時は思いもしなかった。


「赤ん坊もいると聞いています」

「公子にはすべてを知ってもらいたかったのでしょうな」


 ドラコが信じているのは父エムル・テレスコに違いない。

 ジャンジャジが問う。


「マザーの出自については知ってるかい?」

「いいえ。それは聞いていません」


 そこでランバが唸った。


「うむ。隊長殿の真意が分かりませんな」


 ジャンジャジが思い出す。


「そういえば、マザーが生まれた時には父親が死んでたって話でしたよね。それで歴史の証人である公子には、はっきりとした事実以外は伝えなかったのかもしれませんよ。確実なことしか伝えないっていうのは、いかにもドラコらしいでしょ?」


 ランバが何度も頷く。


「そうかもしれませんな」


 その内容が気になるところだ。


「参考までに聞かせていただけませんか?」


 ジャンジャジがランバの方を見る。

 ランバがコクリと頷いて見せた。

 許可が出たのでジャンジャジが説明を始める。


「いや、ドラコが伝えなかったから確証は持てないんだが、何を隠そう、マザー・リングの父親っていうのがパルクス・ジュリオス・アクアリオス、つまりジュリオス三世って話だ。だからドラコはジュリオス三世の孫の父親になったというわけだ」


 ドラコの子どもはカイドル帝国・皇帝の血を引いているということだ。なんとも複雑な話である。ドラコは皇帝の血を引く子を授かりながら、同時にフェニックス家の王妃と王太子を救ったわけだ。


 歴史はどこへ向かおうとしているのだろうか? その歴史の未来はドラコが決めているのではないだろうか? 彼の決断次第でフェニックス家の王政を終わらせることも、カイドル帝国の皇帝を復活させることもできるだろう。


 彼がモンクルスやジェンババと同じく、何十年、何百年と語り継がれてゆく偉人になるのは間違いない。僕はそれをこれから何十年にも渡って、証人として目撃しなければならないのだ。それがドラコ・キルギアスから託された僕の仕事だからである。



 橋を架けていないということで、ずぶ濡れになりながら川を渡り、マザー・リングのいる邸に向かう途中の森で、巡回中の私兵に声を掛けられた。ランバやジャンジャジとは顔馴染の様子だが、相手は僕を警戒していた。


「見たことのない顔だ」


 ランバが説明する。


「ハクタの長官のご子息で、ほんの数日前に隊長の作戦に加わったのだ」

「それは聞いておらんな」

「五日、いや、六日前に決まったことですからな」

「ドラコから直接話を聞くまで邸に案内することはできない」


 兵士にとって又聞きを鵜呑みにするのは危険な賭けになる。


「当然の判断でしょうな」


 ランバは納得済みだったようだ。


「別の場所へ案内するので、ついて参れ」


 そこで身を潜めてドラコの到着を待つ予定だ。辺りは闇に包まれていたのではっきりとは分からないが、隠れ家となる場所は人里から離れた山の中にあるようだ。山頂付近まで登り、森を分け入ったところで八軒の平屋が立ち並んでいるのが見えた。


 どうやらそこは練兵所の一つらしく、そこで領地にいる新兵に鍛錬を積ませているようだ。規模は小さくなったが、滅亡したカイドル帝国がそっくりそのままリング領に遷り変えたということなのだろう。



 翌朝、十五、六歳の新兵だけで五百人を超える兵士と顔を合わせ、しばらく滞在するとの説明を行った。王都の新兵と違って舐めた態度は見られず、みなザザ家を討伐した英雄の二人を神聖視する眼差しを向けていた。


 長旅を終えたばかりだというのに、その日から僕も新兵に混ざって、ジャンジャジの指導の元、厳しい練習に参加させられることとなった。剣術や投石や柔術の練習は苦にならないが、とにかく石段の上り下りがキツかった。


 すぐにジンタほどの脚力が身につくわけではないが、それでもモモ上げなど必要な筋肉を必要なだけ鍛えるのが効果的だと実感できて、走り方のフォームを矯正してもらうことで、背中に羽根が生えたかのように身体が軽く感じられるのだった。



 翌日以降も厳しい練習は続いたが、到着から五日経ってもドラコが姿を見せることはなかった。それに対してランバは焦りを感じていたが、待機するように命令を受けているので、周りの者が必死に落ち着かせるようにしていたのが印象的だった。


 練兵場には二日前から王都で工作活動をしていたドラコ隊の兵士が続々と集まってきていた。潜伏場所を二か所に分けているらしく、この日までに集まった総勢五十人の到着をもって、予定していた定員が無事に辿り着けたことが確認できた。


 その五十人のドラコ隊との共同生活は、ヘトヘトになるまでしごかれたので苦しかったが、とにかく刺激的だった。その中でも一番印象に残る言葉は『武器を持たない相手と戦う時は目を潰せ。屈強な男でも瞼だけは鍛えることができないからな』だった。


 他にも金的は当たり前として、身体にある急所という急所をすべて教えてもらった。打撃だけではリーチの差や体重差で負ける可能性が高いので、死なないためには正攻法だけでは不十分だと言っていた。そこは父上の教え通りでもあった。



 さらにそこから十日経っても、ドラコは姿を見せなかった。その間に、カグマン州やハクタ州に残してきた偵察隊から伝達された情報によると、国が三つに分国統治されることが正式に決まったとの報せを受けた。


 我が従弟であるフィンス・フェニックスがカグマン国の王となり、これで幼少の頃からの夢が叶ったが、意外とあっさりと決まったことで、万感の思いが溢れる、とはならなかった。それよりも時期尚早ではないかと不安が先立つほどである。


 しかし、すでに王宮に母親のフィン正妃陛下も戻られて、なによりも父上がカグマン国の首都長官に就任したので安心することができた。なぜなら父上が要職に就いたことで、息子である僕が容疑者扱いされていないことがハッキリとしたからだ。


 また、サッジ・タリアス国防長官の存在も心強い。国防長官は平民出身者が簡単になれる役職ではなく、かつて師事したモンクルスでも副長官止まりだった。長きに渡ってキンチ家が独占してきたポストだが、ハクタ国に新王宮ができたことで空いたわけだ。


 さらにユリスが王族復帰して、国王に就任し、七政院の人事を自らの手で任命したとの情報も入った。しかも帰国の準備を始めているとのことで、つまりは安心して帰れるくらい、すべてユリスの思い通りになったというわけだ。


 ただし、一点だけ気掛かりなことがあった。それはハクタの独立と、マクス王子のご即位を認めたことだ。なんでも、先王の亡霊を見たという話だが、そんなものはハクタの魔女によるペテンに決まっているのだ。


 一時的だとしても、生まれ故郷が信用ならない者に支配を受けるというのは気持ちのいい話ではなかった。生まれも育ちもハクタ州で、そこにはエリゼとの思い出もあるわけで、それを思うと悔しくて、悔しくて堪らなかった。



 それと、計画通りではあるが、ユリスの発令によってドラコに逮捕命令が出たようである。ハドラ神祇官に同様の命令が出ないのはハドラ領の領民に配慮してのことだろう。家族全員で姿を隠しているので出頭命令くらいは出せたはずだからである。


 ドラコが姿を見せないのは逮捕命令の影響があるのかもしれない。ここに来れば、ランバやジャンジャジなどドラコ隊の隊士まで一斉検挙される恐れがあるからだ。ひと月を目安としていたので、まだまだ様子を見て、機を窺っているのだろう。


 用心深いドラコのことだから、絶対に王都の兵士や国境警備隊に捕まることはないと断言できる。不安があるとするならば、ハドラ神祇官のご子息が余計なことをしでかさないか、それだけが心配だった。

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