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ロマン・ストーリー 剣に導かれし者たち  作者: 灰庭論
第三章 公子の素養編
108/244

第二十話(108) 王都からの脱出

 時間がなかった。


「さぁ、急ぎましょう」


 ドラコに先導されて、王族の居住区へと足を踏み入れた。

 出迎えてくれたのは三人の老兵だった。

 そのまま王の間へと案内された。

 玉座に生きたパヴァン王妃陛下が座っておられた。

 その膝の上にはパナス王太子の御姿もある。

 ハドラ神祇官が運んできた子どもの死体を寝かせる。

 そして、王妃陛下の前に進み、膝を折った。


「大変お騒がせいたしました。暗殺計画が進行中故、今しばらくご不便をお掛けしますが、この命に代えてでもお守りいたします故、王妃陛下と王太子殿下の御身を預からせていただきたくお願い申し上げます」


 パヴァン王妃が微笑む。

 カグマン島で一番美しい貴族の子女として王宮に召されたのが王妃陛下だ。


「閣下にお任せいたします」


 話はついているようだ。


「つきましては、王宮を出る前にお召し物を着替えていただきたいのです」


 そう言って、ランバが持ってきた服を差し出した。


「こちらに着替えればよいのですね」

「はい。脱いだ服はこちらで預からせていただきたいのですが、よろしいですか?」

「閣下にお任せいたします」


 そう言い残して、王太子様を連れて隣の間へ移動するのだった。


 改めて、王の間を眺めてみる。

 ここで三百年近く歴代の王様が暮らしてきたわけだ。

 フィンスをここに連れて来るために、僕がいる。

 ここで心に誓うことができただけでも戦って良かった。

 そんなことを考えている間に、死体の着せ替えが終わっていた。


 首の切断は回廊内で行った。

 他の死体の血だまりに寝かせることで検死を誤魔化すためである。

 ドラコと三人の老兵が念入りに打ち合わせをしていた。


「貴君が殿下の命に従って反乱を起こしたことにすれば良いのだったな?」


 ドラコに確認を求めたのは王太子様の警護をしているカラロス・フィロスだ。


「はい。実際にユリス・デルフィアスの名前を出すことが重要です」


 それに対して料理番のピチェス・ピクタが不安げだ。


「しかし、此度の暗殺に関わっていない殿下のお名前を口にするというのは、心が痛みますです、はい」


 ドラコが丁寧に説明する。


「暗殺は阻止しました。王妃陛下も王太子殿下もご無事です。ですからユリスが処罰を受けることはありません。殿下のお名前を用いる理由は、あのお方ならば公正にして公明なる捜査を行っていただけると信じているからです。私を贔屓にし、疑惑を持つことすら禁じてしまうと、敵営に今回の作戦を信じさせることはできませんからね。まだまだ王宮の危機は去っていないのです」


 説明を受けてもピチェス・ピクタは申し訳なさそうな顔をしていた。

 これが王宮に奉仕してきた人間の、生涯変わらぬ心の有り様なのかもしれない。

 馭者のアバス・ボレアスがドラコを安心させるように説明する。


「心配はいらない。もうすでに供述内容は決めてあるのだからな」

「ちなみに、どのように証言なさるおつもりですか?」


 そこでアバス・ボレアスが喉の調子を整える。


「こう言うのだ。『我はユリス・デルフィアスを擁する者なり! 天も我に味方している。我の力を見よ! 大義は我にあり!』とお前さんが叫んでいたとな」


 ドラコが冷静に諭す。


「私はそんなことを言うタイプの人間ではありません。せっかくの計画が台無しにならぬように細心の注意を払っていただくようお願いします。セリフは、ユリスを擁していることと、大義があることの二点でいいでしょう。他は記憶を曖昧にしていただけると助かります。実際に意識不明の状態で発見されるのですからね」


 そこでドラコが作戦内容を確認する。


「お三方には、我々を隠し通路へ逃がした後、入り口を塞いでもらいます。そして、この場に戻っていただき、互いの頭を傷つけ合ってもらわねばなりません。このような無理をお引き受けいただき本当に感謝しているのです。ですが、深手を負うような傷を作る必要はありません。王宮を密室に戻すということは、お三方が我々の仲間であると見做されるでしょうからね。誰が捜査に当たるのか分かりませんが、誰であっても皆さんを疑うのは間違いないでしょう」


 ドラコは捜査方法も熟知している。


「それでも密室を作らなければならない理由は、逃走する時間を稼ぐためです。ですから、お三方も我々を逃がすために記憶を曖昧とし、時間を稼ぎつつ、それでいて疑惑を確信に至らせないような芝居を心掛けてもらいたいのです。共犯を疑われるということは、皆さんのご家族にも迷惑が及ぶかもしれません。ユリスは疑惑だけで断罪するような人間ではありませんが、そこはどうなるのか信じるしかありませんけどね。私が言える確かなことは、このようなリスクを承知で引き受けていただき、本当に感謝しているということです」


 それに対して、カラロス・フィロスが毅然とした態度を見せる。


「勘違いされては困りますな。私どもは貴君のためではなく、王宮の為、いや、亡くなられた陛下の御為に引き受けたのですからな」


 ドラコが頷く。


「そうでした。これは失礼いたしました」


 それから三人に裏切られることなく、無事に王宮から脱出することができた。

 狭い地下道を一本の蝋燭だけで歩くのは滅多に経験できることではない。

 隠し通路の出口は城壁の外にある墓地に続いていたようだ。

 そこを管理する教会の中に出入り口があったというわけだ。

 出入り口を見張っていたドラコの部下に出迎えられた。

 神牧者の格好をしている警備兵は、すでに捕縛されている。

 ドラコとランバが拘束したのだろう。

 暗殺に関係のない兵士は殺さないという方針だ。

 兵士も上級者になるには、殺さずに生きたまま捕縛する能力が求められるのである。

 目隠しはしているが、耳は塞ぐことができないので声を出すことを禁じられていた。

 王妃陛下と王太子様の存在を知られないように外へと連れ出す。

 馬車蔵の前でジンタと再会した。

 しかし、のんびり会話をする暇さえも与えられなかった。

 そこで二手に分かれる計画だからだ。

 僕はランバと一緒に二人で峠を目指すことになっていた。

 ジンタはドラコたちと一緒に商用馬車に乗り込む予定だ。

 つまり偵察能力を買われ、王族の警護を任されたというわけである。

 王妃陛下と王太子様とジンタが荷台に乗り込む。

 馭者はドラコが務める。

 とにかく慌ただしいお見送りとなった。


「隊長、どうか、ご無事で」


 ランバはパヴァン王妃やパナス王太子よりも、ドラコのことが一番なのだ。


「行き先は告げない。隠れ家を知る者は、今のところダリス神祇官と私の二人だけだ。他の者を使って命令を出すようなことはしないので、こちらから会いに行くまで待っていてくれ。順調に行けば、ひと月も掛からないだろう」


 それから僕の方を見た。


「公子、今しばらくお付き合い願いますが、よろしいですね?」

「はい。王宮に恒久の平和を取り戻すためですので構いません」

「あなたには人を見抜く力がある。ジンタを連れて来てくれて感謝しています」

「彼はお酒が好物です」

「憶えておきましょう」


 そこで着替えを済ませたハドラ神祇官が走ってきて、荷台に乗り込んだ。


「ドラコ、出してくれ」


 それを合図に馬車が出た。これから別の場所で待機している二人の召使いを拾って隠れ家へ向かうこととなる。王宮で働いていた他の者たちは首都官邸でユリスを出迎える用意をしているので、救出作戦のことは何も知らない。


 実際は生きているが、死んだと聞かされたら多くの者がショックを受けるだろう。責任を感じないようにと別の仕事を命じたそうだが、それでも悲嘆に暮れるよりも己を罰するのが王宮で働く者の特質だ。


 それでも安心できるのは、現在王宮で働いている者はすべてユリスが集めた人材である点だ。彼が王都に凱旋し、七政院不在の状況で王政に復帰すれば、王宮の立て直しは思ったより早く進むかもしれない。だからドラコも黒幕捜しに専念できるわけである。



「さぁ、我々も参りましょう」


 そこでランバが僕の全身を確認する。


「その前に公子も着替えて顔を洗った方がいいでしょうな」

「そらよ」


 濡れ布巾を渡してくれたのは、ドラコの部下のジャンジャジだ。名前と濃い目鼻立ちから大陸の南方民族をルーツに持つことが分かる。年齢は成人を迎えた二十歳前後だと思うが、濃い無精髭を生やしているので二十代後半かもしれない。


 飄々としているが、周りのことをよく見ており、先回りして考える頭も持っているようだ。隠し通路の出口を一人で見張らせるのだから、腕が立ち、信頼もされているのだろう。ミントの葉を口の中でクチャクチャさせているが、気になるのはそれくらいだ。


「これに着替えるといい」


 着替えまで用意してくれていたようだ。


「ありがとうございます」


 そこでランバが服を取り上げる。


「これは貴族のお召し物ではないか。平服を用意しろと言ったのだぞ」


 ジャンジャジが表情を変えずに説明する。


「いや、立派な短剣を持ち歩いてるっていうんで変えたんです。平民が持ってたら目立ちますからね。盗品だと思われたら厄介でしょう? その点、貴族のお坊ちゃんなら心配いらないってわけです。隣に顔の怖い用心棒もついてますからね」


「貴殿はいつも最後の一言が余計なのだ」


 と言いつつ、ランバは納得したようだ。兵士は命令を受けたら、間違っていると思っても従わなければならない。それが規律だからである。しかしドラコが彼に今回の、しかも大事な仕事を任せたということは、臨機応変に動ける人物こそ適材と考えたからだろう。



 教会の敷地から出ると、市内が混乱している様子がひと目で見て取れた。非常事態宣言が発動されてからまだ一時間も経過していないので、ドラコの部下はまだまだ工作活動を続けているはずだ。


 道端に新しい死体が転がっているが、それも今回の作戦で用意した死刑囚のものだ。市内にいる商人に荷馬車で一斉に逃げ出してもらうための作戦である。ドラコの馬車を紛れ込ませるために渋滞を起こしたわけだ。


 新しい火の手が上がる中、僕たち三人は危なげなく王都から抜け出すことができた。何人もの市警が横を通り過ぎたが、誰一人として僕たちに気を留める者はいなかった。すべてはギリギリまで工作活動を続けてくれているドラコ隊のおかげだ。


 市街地から出ると避難民で溢れていた。避難しているのは家の中に盗まれるような物がない人たちばかりである。消火活動すらしないのは、被災する心配がいらない家のない人たちだ。



「おっ、カイドル長官の凱旋だ」


 ジャンジャジの見つめる視線の先を見たが、僕には何も見えなかった。


「目がいい奴がいるかもしれない。早めに隠れておきましょ」

「ここは貴殿の判断に任せよう」


 ジャンジャジの提案に素直に従うランバがすごいと思った。軍閥出身の上官なら、求められるまで意見することすら許されないものだ。重臣でもない限り、部下の提案を採用することなどないのである。


 これがドラコの言っていた、無能な判断をしないための極意でもあるのだろう。地位を得たことで、その地位を守るために、有能な部下の判断を見送れば、無能な判断を犯すことになり、結果的に組織の利益を損なうだけではなく、損害を被ることとなる。


 名将に有能なる部下が集まっているように見えるのは、部下の有能な判断を潰さずに、しっかりと採用するという判断を下すことができているからなのだろう。優秀な人の元に優秀な人材が集まるのは、そういった理由があるわけだ。


 その一方で、凡将の元で部下が一丸となる場合もある。マクス・フェニックスがその典型的な例だ。彼には特技と呼べるものは何もないが、衛兵の心を掴むのが上手いと聞いている。ハクタの魔女が厄介なのは、マクス王子の人柄が善すぎる点である。



「副長、このままではマズいですね」


 川辺で夕陽を見ながらジャンジャジが報告した。


「まずいとは?」

「公子の足が想像以上に遅いので、明日の今頃には捕まってしまうかもしれませんよ」


 日没までにハクタに到着する予定だったそうだが、僕に走力がないばっかりに、その半分にも到達していないと言っていた。少し走っては歩くようにお願いしていたので、それが積み重なって大幅にタイムロスしてしまったというわけだ。


「公子をお連れするのが隊長から命じられた我々の仕事だ」

「連れて行く方法を授けてほしかったな」

「それを考えるのも隊長から受けた仕事ですぞ」

「では副長、ご教示願えませんか?」


 そこでランバが、うむと唸って考え込んでしまった。副長は与えられた仕事を完璧にこなす実務能力には長けているが、アイデアを必要とする仕事は苦手としているようだ。しかしジャンジャジも為す術がないといった感じだったので、僕が考えなければならなかった。


「馬を調達することはできますか?」


 僕の言葉にランバが首を捻る。


「馬での移動は隊長から禁じられておりますからな」


 馬が走ることができる道は決まっており、エサや水も必要になるので、足がつきやすいという理由から禁じられているわけだ。それは僕だって百も承知なのだが、走るどころか、歩き続けることができない以上は馬を利用するしかないのである。


「僕に秘策があります。まずは生家に行きます。判断はそこで決めてください」


 ランバは慎重なのか、返事をしなかった。


「まずは行ってみましょうや。ここにいてもらちがあきませんからね」


 そこでランバはジャンジャジの判断を採用した。



 峠を目指していた時は苦しくて仕方なかったが、ハクタの生家に目標を切り替えた途端に身体が軽くなった。当初は明け方までに着けばいいと考えていたが、東の空が明るくなる前に目的地に辿り着くことができた。


 ケンタスがクミン王女を連れてきてからフィン正妃とフィンスは隠れ家を移したので、生家は現在無人となっていた。見張る兵士も存在しない。立ち入り禁止区域で、見回りも厳しかったので、不審者がうろついているということもなかった。


「これに着替えましょう」


 客間で待たせていたランバが驚く。


「これはハクタの軍服ではありませんか」


 ロアンの小屋の床下に隠してあったものを持ってきたのだ。


「それと、これをお渡しします」

「ハクタの上級士官用の州都札ですな」


 隠れ家に危険が迫った時に、フィンスを逃がすために用意した変装するための品々だ。州都札は身分証にもなるので、それを用途に合わせて何枚も偽造して隠し持っていたわけである。迷惑が掛かるので父上には内緒にしていた。


 ジャンジャジが問う。


「これでどうなさるおつもりかな?」

「これを見て下さい」


 僕が見せたのは未開封の信書だった。

 それを見て、ジャンジャジがニヤっとした。

 ランバが問う。


「これは、いつ渡されたものですかな?」


「いえ、これは官邸にいる時に自分で作ったのです。中の文面は適当です。もちろん、父上はこのことを知りません。後でバレたら大変なことになりますが、でも、その時にはもう峠を越えていると思います」


 ジャンジャジが補足する。


「つまり公子はこう考えたわけですよ。ハクタの伝令兵に成りすまして、街道に設置された検問所を堂々と馬に乗って突破しようってね。これだけのものが揃っていれば充分だ。オレは公子の案に乗ります。といっても、判断は副長にお任せしますがね」


 ランバが頭をかいた。


「では、この白髪頭を剃った方が良さそうですな」


 僕のアイデアを採用してくれたということだ。


「父が使っている油と剃髪用のナイフも用意しています」


 ジャンジャジが感心する。


「遅い足は頭で補えるんだ。オレは公子、アンタのことが気に入ったぜ」


 まだ作戦を成功させていないので、褒められたからといって喜んではいけない。


「峠を越えるまでは安心できません」

「そういう慎重なところは隊長そっくりだ」


 そこでランバが指示を出す。


「馬に乗る前には充分な睡眠が必要ですぞ」

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