第十八話(106) 救出作戦
リュークと入れ違うようにやって来たのが次兄のルシアスである。
「兄上に何か言われたようだね」
「失敗したら責任を取れと言われました」
「責任を取るのはドラコだろう? 君に責任はないよ」
兄弟で性格が大きく異なるようだ。
「兄上はね、最初からこの計画に反対だったんだ。そして、今も納得していない。ドラコが立てた計画は無茶苦茶だよ。いや、これは僕の言葉ではなく、兄上の言葉だけどね。後で疑惑は晴れるとはいえ、一時的にもハドラ家が汚名を被るというのは領民を不安にさせることになる。兄上は長男だから人一倍責任を感じているし、誰よりも家名を守ることを大事にしている。しかし、今回の作戦から外したというのは正解かもしれないね。兄上が今でも反対していることをドラコも分かっていたのだろう。意思の疎通が取れない状態では、上手くいくものも上手くいかないかもしれないからね。うん。結果的にはこれで良かった。いや、まだどうなるか分からないから安心してはいけないか」
ルシアスが僕の肩に手を置く。
「分かってほしいのは、兄上には兄上の立場があるということなんだ。国王陛下に島民の命が託されているように、兄上には領民の命が託されている。そこには重圧もあり、不満のはけ口が向けられる怖さもある。多くの税収を確保するには横暴な振る舞いなどできるはずがないんだよ。領民の命を守り、安全な暮らしを保証し、治安維持に努めて、そこでやっと安定した税収が納められるようになるわけだからね。とにかく我々七政院というのは、一にも二にも領民の生活を守るということを最優先として考えるんだ」
それは彼自身の責務でもある。
「だってそうだろう? 悪いだけの人間に、戦後三十年も平和を維持し続けることなどできるはずがないじゃないか。中央の人間だけではなく、地方の治安を維持する者がいて、初めて国に平安がもたらされるんだよ。兄上は、そう、僕に教えてくれた。だから僕やドラコ、失礼だがヴォルベ、君もそのことを頭では理解できても、体現することはできないはずだよ。なにしろ背負っているのは、せいぜい身内くらいなものなのだからね」
そこで被りを振る。
「いや、ドラコはよくやっている。デルフィアス殿下に望まれ、面識のなかった父上からも全幅の信頼を寄せられているのだからね。名が汚れることを恐れず、ただ、純粋に忠誠を誓った王家のために戦っているんだ。人望があり、作戦を練るだけではなく、陣頭指揮を執るのだから『モンクルスの再来』と呼ばれるのも納得さ。ああ、うん、ヴォルベ、君も大したものだよ。新兵に満たない年齢だというのに、初対面でドラコに重要な任務を任されたわけだからね。今回の作戦に最初から一度も呼ばれていない僕なんかと君らを同列に語ってはいけなかった」
長男と次男では大きな差があるのもれっきとした事実だ。
「しかし僕が君にこんなことを言うのはね、兄上のことを誤解してほしくないからなんだ。ドラコから歴史の証人を頼まれているだろう? だから物事の事象を一面的ではなく、多面的に捉えてほしいんだ。だって、兄上は王妃陛下や王太子殿下のお命を軽視して作戦に反対しているわけではないのだからね。それは暗殺計画に加担している父上以外の七政院にもいえることなんだ。つまり彼らも彼らでマクス王子を支持しているわけだから、王族の存続を是としているんだよ」
王制そのものを否定しているわけではないわけだ。
「荘園を廃止しようとしているのは、治外法権を認めさせないためさ。峠を越えた北方のカイドル州を現在よりも強固に支配しようと思ったら、異なる法律は邪魔になるからね。ムサカ法務官にしても、マクス王子を擁立した方が国力を高めることができると考えてのことだろう。なによりマクス・フェニックス王太子は王家のご嫡男なのだから、王位を継承させるのが筋と考えるのが、より自然で常識的な判断となるわけだ。これに関しては兄上も理解を示していて、それで父上と意見が合わなくなってしまっているというわけだね」
そこで苦悶の表情を浮かべる。
「兄上ほど多くの悩みを抱えている人は見たことがないよ。政治理念ではムサカ法務官に共感しつつ、それでも王族の暗殺計画は重大だから、それを見過ごすことができないわけだね。ドラコは任務から外したけれど、僕は兄上ならちゃんと作戦を実行したと思っているよ。ドラコの作戦に不安を覚えるのは、兄上には他の者と違って先を見通せる力があるからだと思う。うん。兄上は心配しているんだ、裁かれることなく、七政院が処刑されることにね。つまり、そういった前例を残すことに反対しているわけさ。前例というのは我々だけではなく、まだ生まれてきてもいない赤子をも苦しめてしまうものだからさ、領民の命を背負うっていうことは、そこまで考えないといけないということなんだ」
世の中には色んな考え方があると思い知らされた感じだ。
「約束してほしい」
そこでルシアスが僕の両手を握り締めた。
「ドラコの救出作戦が成功したとしても、反対していた兄上を悪者にしないでくれ。作戦に参加した組織の一員として、反対意見を述べたまでなんだ。ドラコから任務を外されたことで能力を疑われるのは勘弁ならない。ドラコや君の功績を盗むつもりはないが、兄上の功を無かったことにするのは我慢ならないんだよ。いや、君はテレスコ長官のご子息だったね。だったら公平な判断ができるはずだ。それでドラコも君を歴史の証人にしたんだ」
ハドラ一家をまとめているのは、目の前にいる次兄のルシアスなのかもしれない。
それから先にカグマン州を脱出するハドラ兄弟をドラコと一緒に見送った。彼ら二人を峠の向こうまで連れて行くのは警護兵の中でも今回の作戦内容を知る者ばかりである。馬での移動なので明々後日には峠越えを果たしているという算段だ。
僕は翌朝ハドラ神祇官と一緒に王都へ向かうため、この日は別邸の客室に泊まらせてもらうことになっていた。僕たちを乗せた馬車が王宮に到着したタイミングでミッションが始まる。前乗りしないのは開始の合図を分かりやすくするためだ。
明日着て行く服装は決まっていた。返り血が目立たないように黒衣を纏うことになっている。国王陛下が亡くなられたので違和感のない服装だ。リュークと身体のサイズがピッタリということで、彼の黒衣を借りることとなった。
「あの兄弟に何か言われましたか?」
不浄に立った際、外に出て一人になった所でドラコに背後から声を掛けられた。
辺りを見渡すが、慣れない場所なので、見張りの気配が感じられなかった。
「大丈夫です。私の他に人はいません」
「どうして、ついて来たのですか?」
月明かりの中、ドラコの目だけが光っていた。
「兄弟と会ってから様子がおかしいですからね」
自分では理解できないことだった。
「言っている意味が、よく分かりません」
ドラコが顔を近づける。
「今のままでは死ぬぞ」
もうすでに生きた心地がしていなかった。
「公子、どうしたというのですか? まるでセミの抜け殻だ。昨日のあなたはどこへ行ってしまったというのですか?」
緊張しているわけではなかった。
「それが、その、自分でも、本当によく分からないのです」
「あの兄弟と何を話したのか聞かせてください」
そこでリュークとルシアスとの会話を正確に伝えることにした。
「なるほど。そういうわけですか」
ドラコは原因が分かったようだ。
「自分たちのやろうとしていることが、間違っているとまでは思わないにしても、正しいとも言い切れずに、それで心に迷いが生じたわけですね」
そこでドラコは改めて僕の目をじっと見つめるのだった。
「公子、そのような精神状態では死にますよ。それだけではなく、王妃陛下や王太子殿下もお守りすることはできません。私とランバも隠し通路の中に閉じ込められて、すべてが敵営の思うつぼとなるやもしれません」
作戦に参加するということは味方の命も危険に晒すということだ。
「しかし、裁きのない処刑を行うのは、どうなのでしょう?」
ドラコに表情の変化は見られなかった。
「平時ならば尤もです。しかし、有事ならば躊躇う道理はありません。これは、王宮の中の戦争なのですよ? しかも、その戦争を仕掛けてきたのは奴らなのです。どれだけ愚かなことを画策したのか、身をもって教えてやらねばなりません。陛下にお命を捧げても、奴らにくれてやる命はありませんからね。奴らの命を王宮に捧げてやろうじゃありませんか」
目が覚める思いだった。ルシアスとの会話で七政院という言葉が出てきて、それを耳にすることで必要以上にリスペクトしてしまったようだ。しかしドラコが言うように、奴らは王族の暗殺を企む逆賊でしかないのだ。
だからドラコはリュークを作戦から外したのかもしれない。ルシアスが言うように、彼も僕のように心の中に迷いがあり、それを見抜かれてしまったのだろう。任務から外したのはハドラ神祇官のご子息を守るための措置でもあったわけだ。
「明日の朝、もう一度様子を見ます」
翌朝、日の出から数えて砂時計を三回ほどひっくり返してから別荘を出た。
王都に前乗りしているランバも同じことをしているだろう。
前日に様子を見ると言われたが、ドラコは何も言ってこなかった。
予定通り決行するということだ。
作戦内容はすべて頭の中に入っている。
変更点は特にない。
次にドラコと会うのは、王宮内の議事堂の中となる。
再会することが成功の鍵だ。
行きはハドラ神祇官の乗る馬車に同乗した。
州都官邸で乗る馬車とは乗り心地が違った。
荷台の下に弾性のある素材を用いているのだろう。
ハドラ領は王都と隣接しているので時間は掛からない。
作戦開始を日の出から三時間としたのは人で賑わう時間帯を狙ったからだ。
それでも、もう少し遅らせたかったようである。
それは逃走に日没後の暗闇を利用したかったからだ。
そうしなかったのは理由がある。
ドラコが言っていた。
『今一番恐れているのはミクロスの足です。ユリスのことですから、彼を偵察に使うのはまず間違いありません。朝一番で出発すれば、昼には到着するでしょう。問題は同行者をつけるかどうかです。一人で行かせれば休むことなく王都を目指すが、同行者がいれば必ず休憩を取ります。私なら一人で行かせますが、ユリスはそんな命令を出したことがありません。日の出から三時間というのは、そういった理由があるのです』
王都の入り口にある商用門に到着した。
馬車で入る場合はここで調べを受ける。
通行許可証を持たない者は馬車を市内に乗り入れさせることができない。
すべては徴税のためである。
僕たちの馬車は止められることがなかった。
ハドラ神祇官の馬車なので荷物チェックを受ける必要がないわけだ。
商用馬車ではないので、人が勝手に避けていく。
轢かれて罪になるのは市民の方だ。
市場は盛況で、ニュースの泉も人で溢れていた。
丘の中腹にある王宮が目に入った。
「準備は出来ているな?」
朝の挨拶から口を閉ざしていたハドラ神祇官が久し振りに口を開いた。
「はい」
「よろしい」
会話はそれだけだった。
馬車が丘を駆けあがる。
御前広場では常駐している兵士が敬礼で出迎えた。
陣営隊長が恭しく出迎える。
王宮内は私兵の警護をつけてはいけない決まりだ。
一名の公設秘書だけが入場を許可されている。
警護兵と馭者とは表門の前でお別れである。
王宮に入った。
入り口に二人の警備兵が立っている。
挨拶は不要だ。
今頃ドラコ隊が動き出していることだろう。
もうすぐミッションが始まる。
「閣下、ムサカ法務官がお待ちです」
神祇官の到着を待ち侘びていたかのように秘書官が声を掛けた。
それから僕の方を一瞥したが、余計な言葉は発しなかった。
王宮内は教会と議事堂を取り囲むように回廊が続いている。
その途中に七政院の執務室があり、一番奥に王族の居住区があるわけだ。
後ろをついて歩きながら広い回廊内を観察する。
明かりは中庭から差し込む陽光だけなので薄暗い。
外側の横道にある部屋が誰の部屋なのか思い出しながら歩く。
内側の横道も見えてきた。
その先に議事堂の入り口がある。
歩きながら確認すると、やはり二人の警備兵が立っているのが見えた。
「ここで待っていなさい」
ムサカ法務官の執務室の前まで来たところで待機を命じられた。
秘書官の入室は禁止されていると聞いていたので指示に従った。
王族の居住区の方は不明だが、回廊内の方は思ったより警備の数が少なかった。
しかし反対側の回廊には衛兵の宿直室がある。
昼夜を問わず警護するため常時百人の衛兵が寝泊まりしているという話だ。
その衛兵を王宮の外に出すのが今回の作戦の肝となる。
しかし、そこは話をつけてあるから心配ないはずだ。
しばらくするとハドラ神祇官が部屋から出てきた。
その後ろにはムサカ法務官と秘書官の姿もある。
小柄で線は細いが、最長老のような風格と威厳が感じられた。
「おや、こちらのお子は?」
僕を見てムサカ法務官が訊ねた。
ハドラ神祇官が答える。
「別腹の秘蔵っ子にございます」
「うむ。本妻のお子も二人で一人ならば申し分なかったのですがな」
「まったくでございますね。ご子息が羨ましい限りでございます」
その言葉に秘書官が一礼するのだった。
法務官に嘘をついたということは、法務官を処刑する意思が固いということだ。
ハドラ神祇官の裏切りはない。
そこへ新兵を指揮しているカレオ・ラペルタ陣営隊長が小走りにやってきた。
「閣下にご報告申し上げます。現在、市内の方々から黒煙が上がっているのが確認されました。自然火災ではなく、何者かの手によって意図的に火が放たれた可能性が高いかと思われます。国防長官が不在ですので、閣下にご指示を承りに伺った次第でございます」
リアーム・キンチ国防長官はユリスと共に王都へ来ると聞いていた。
「ご苦労だった」
指示を出すのはムサカ法務官の役割のようだ。
「貴官は他の閣僚や衛兵にも伝え、速やかに回廊入り口に集まるよう動いてもらおう」
「了解しました」
王宮内は走ってはいけないのだが、陣営隊長は早歩きで誤魔化していた。
「さあ、我々も参りましょうか」
一方こちらは予定通りなので、ゆったりとした足取りである。
七政院が揃う前に百人近くいる衛兵が壁際に四列になって整列した。
規律正しい動きだ。
七政院とその秘書官が勢揃いしたところで、ムサカ法務官が口を開いた。
「協議に入る。しばらく待たれ」
そう言うと、七人で話し合いを行うのだった。
結論ありきの合議である。
ムサカ法務官がラペルタ陣営隊長に指示を出す。
「これより非常事態宣言を発動する。貴官は前列を除く、残りの衛兵を連れて持ち場へ戻り、全軍を以って王宮を死守するのだ。市中の鎮圧は首都長官に任せ、決して王宮警護が手薄とならぬように指揮を願いたい。解除はこれより一時間後とする。それまでに混乱を収めよ。何人たりとも侵入を許すでないぞ」
七政院の合議のみで非常事態宣言を発動させることはできない。
しかし国王陛下がご逝去されたので疑問を持たないのだろう。
切迫した表情を見るに、陣営隊長は暗殺計画に加わっていないようだ。
「了解しました」
そう言うと、四分の三の衛兵を連れて王宮から退去した。
見張りの門兵によって扉が閉ざされた。
王宮が密室となった瞬間だ。
屋上への入り口にも鍵が掛けられるので外部からの侵入は不可能だ。
法務官の手によって据え置きの砂時計がひっくり返されていた。
もうすでにミッションはスタートしている。
「それでは指示があるまで詰所で待機していなさい」
ムサカ法務官が衛兵に指示を出した。
その言葉に衛兵たちは忠実に従うのだった。
「閣下、衛兵を残すというのは聞いておりません」
ムサカ法務官に声を掛けたのはハドラ神祇官だった。
「非常事態宣言を発動しながら脱出に必要となる衛兵まで外に出すというのは不自然ですからな。作戦に変更点を加えさせていただいたのだよ。何かお困りでも?」
「兵を残した状態で作戦を決行すれば、彼らに処罰が下されるのですよ?」
絶妙な返しだ。
「領地での贅沢な暮らしを約束しておる。安心なされ」
「そういうことでしたら結構です」
会話の一つ一つが腹の探り合いだ。
衛兵を全員残せば手を引くかもしれない、と法務官は考えている。
しかし、ドラコを罠に嵌めるには衛兵の力が必要だ。
半数を残せば事前の約束と乖離しすぎている。
そこで四分の一の兵士を残したのだろう。
暗殺を実行させる絶妙な数というわけだ。
「それでは、我々は各々の部屋で待機しておりますので、後は任せましたぞ」
ムサカ法務官の言葉を受けて、七政院が散会した。
敵営は呼び戻した三人の退役軍人が証言者になると思っている。
リスクを取らず、安全な場所に逃げ込んだことを後悔するだろう。




