第十七話(105) ドラコによる試験
兵舎での食事を終えると、収容所へ連れて行かれた。そこでドラコは見張りの兵士に声を掛け、建物内から拘留中の罪人を連れてくるようにお願いするのだった。それから建物の裏手に移動した。
薄暗かった朝方と違って、日が高くなったということもあり、改めて周囲の景色を見渡すことができたのだが、僕はいま高い壁に囲まれた内側にいるということが分かった。まるで監獄のような施設だが、あくまで王都で裁きを受けさせるための一時収容所である。
ジンタが敷地内で捕まったが、ランバが驚くのも無理のない話だ。大人三人分の高さのある壁を、あのモジャモジャ頭の小男はよじ上って侵入したことになるからだ。壁の下には警備兵が巡回しているため、どうやっても不可能に思えた。
「公子には、これから囚人を殺してもらいますが、準備はよろしいですか?」
実戦の前に殺人を経験させようというわけだ。
「武器は何を使えばいいのでしょうか?」
「お手持ちの短剣をお使いください」
父上から譲り受けた剣を使う時がきたわけだ。
ドラコが説明する。
「その短剣を見て、公子を作戦に加えるアイデアが閃いたのです。伸ばした腕の半分しかない長さの剣ですが、それが今回の作戦に最も適した武器となるのです。私と同じ長剣使いであったならば、閃くことはなかったでしょう。それは凶器としての特性が違うからです。大剣というのは、いわば鈍器みたいなもので、斬殺するのは非常に難しいのです。現代の製剣技術や鍛冶技能では、刃を研いでも、すぐに刃こぼれを起こし、首や関節に対して正確に打ち込まなければ切断することはできませんからね。骨というのは折れる時はあっさりと折れるのに、折ろうとしても折れぬものです。そうなると打撲か陥没を負わせるので精いっぱいとなります。刃に毒を塗って切傷を負わせる場合もありますが、その場で瞬時に致命傷を負わせるのはやはり難しいのです」
そういうドラコは大剣を利器のように使って斬首斬殺することで有名だ。
「今回のミッションでは、いかに静かに歩み寄り、油断した相手に致命傷を負わせるかに懸かっているのです。大剣を振り上げて、一撃で仕留めることができなければ長期戦となり、一人を相手にしている間に仲間を呼ばれて、気がつけば取り囲まれている状況になるやもしれませんからね。そのような危機的状況を避けるためにも、背後から喉の血管を断ち切る必要があります。そうすれば呻き声すら上げることなく絶命しますからね。だからこそ、公子の持つ短剣でなければならないのです。まさに暗殺剣と呼ぶに相応しい代物というわけですね」
そこへ二人の警備兵に両腕を掴まれた罪人が連れられてやってきた。手首を後ろ手で縛られているのは僕やジンタの時と同じである。口に布を噛まされているのは、外せば大声で喚くからだろうか。
見た目は成人前の十五、六で、大きな形をした男だが、目だけを見ていると小心者のように見えた。抵抗する素振りも見せないし、両脇の警備兵も手を焼いている感じはしない。素直に従って歩いてくるのだった。
「ご苦労だった。下がってよろしい」
ドラコに命令された二人の兵士は罪人の腕を放して、その場を後にした。両足首に歩幅を狭くするロープが結ばれているが、逃げ出すことは決して不可能ではない。それでも罪人はその場から動こうともしなかった。
「今からお前を処刑する。その前に神に祈りを捧げる時間をくれてやろう」
そう言うと、ドラコは罪人の口に縛られていた布を剥ぎ取るのだった。
「俺は何もやっていない。人違いで捕まったんだ」
罪人が真っ直ぐにドラコを見つめて必死に訴えるのだった。
「なぁ、頼むよ。まともな裁判を受けさせてくれ」
ドラコが罪人から距離を置く。
「それでは公子、お願いします」
その言葉を聞いた罪人が、反転して僕の方を見た。
「なぁ、新兵さんよ。聞いてくれ」
これは救出作戦のテストだ。
「俺には女房とガキがいるんだ」
正面から脇腹に短剣を突き刺しても即死させることはできない。
「俺は殺っちゃいない」
返り血に気をつけるようにと言われたばかりだ。
「誰かにハメられたんだよ」
背後に回り、声を漏らさぬように口元を押さえて、喉を一気に掻っ切る。
「ウッ……」
鮮血が勢いよくほとばしる。
十歩先、いや、二十歩先まで血滴が飛んでいったのではないだろうか。
正面から浴びれば、顔が真っ赤になっていたに違いない。
地面に倒れる音にも気をつけなければいけないようだ。
死体の処理に気を取られれば、確かに足の裏に血がつくことだろう。
すぐに刃先を確認したが、驚くことに血は付着していなかった。
「公子、お見事でした」
ドラコ・キルギアスからお墨付きが出た。
「位置取りや、刃の入れ方や、切り裂く速さなど、どれをとっても申し分ありませんでした。また、すぐに刃先を確認することが肝心で、それをよく理解されていた。次の瞬間には武器として役に立たなくなっている場合がありますからね。試し切りで何万振りに耐えた剣も、本番の一回で刃がこぼれることがあります。刃こぼれを起こすと切れ味が悪くなってしまいますし、そうなると血管まで届かないことがあるのですよ。血はもちろんですが、対象者の皮下脂肪の割合にもよりますが、皮を斬れば脂も付着しますし、使用後は表面を拭き取ることを忘れないようにしてください」
これは許可が下りたということだろうか?
「それは、つまり」
「救出作戦の参加を認めます」
ドラコと一緒に仕事ができるということだ。
「ただし、無理だけは為さらぬようにお願いいたします」
「はい。隠し通路の扉を開けることに注力したいと思います」
「結構」
それから警備兵を呼び、料理包丁を持ってこさせ、死体を解体しながら、骨や、臓器や、関節の強度や、筋肉や脂肪の抵抗力などを細かく説明するのだった。その後に大剣で頭を割ってみたが、僕の細身の短剣では亀裂を入れるのがせいぜいだと思われた。
さらに余談として、死んだ後に遺体が硬直することや、放置された遺体には死斑が出来ることなど、大昔から伝わる捜査の基本らしいが、それを入隊前の僕に惜しげもなく授けてくれるのだった。
「ところでドラコ、この罪人は無実を訴えていましたが、実際のところはどうなのですか?」
ドラコがバラバラになった死体を見下ろして説明する。
「まったくのデタラメですよ。この男が仲の良かった友人の妻を乱暴し、その後に百か所以上も執拗に刺し殺し、幼子を踏み潰して殺したのです。それを友人の目の前で行ったのですからね。その後に縛り付けていた友人を手に掛けようとしたところ、訪ねてきた別の友人に取り押さえられて逮捕に至ったわけです。罪人というのは、自分が助かるためなら平気で嘘がつけるのです。また、身勝手な男というのは、優しくされるどころか、異性から笑顔で挨拶されただけで自分に愛情があると勘違いしてしまうものなのですね。この男がそうでした。身勝手な罪人には優しくしてはいけないのですよ。それが次の被害者を生まないための防衛策ですからね。更生を期待する者というのは、次なる被害者に対しては無責任なものです」
ドラコはモンクルスと同じく盗賊討伐で名を上げた男だ。部隊を任せられるようになるまで多くの仲間を失ったことだろう。その経験が無傷のドラコ隊を生んだわけだ。安全なところにいる人ほど格好のいい言葉を言いたがるのは昔から変わらないみたいだ。
それから兵舎の会議室に戻り、王宮内部の平面図を見ながら作戦の細かい部分についてレクチャーを受けた。人員配置や、死角や、議事堂までのルートなどを重点的に教わり、平面図を見なくても正確に七政院の執務室の場所を思い出すことができた。
「公子に気をつけていただきたいのは、常に不測の事態が起こるかもしれないということです。分かりやすい例で言いますと、警備兵の数が多かった場合ですね。そうなると背後を狙うことも難しいでしょう」
安全であると幻想を抱かないのはモンクルスも同じだったと聞いている。
「その場合はどうしたらよいのでしょう?」
「それはご自分で考えてください」
そこでドラコが微笑みを湛える。
「と言いたいところですが、今回の場合は慎重になる必要があります。王妃陛下と王太子殿下のお命が懸かっていますからね。その時は当初のプランを未練なく捨てることです。固執すれば最悪のケースを招く恐れがありますからね。隠し通路の扉を開ける時に猊下や公子の他に人がいる場合、そのことを暗号化した合図で教えてくだされば結構です。そこからは私やランバにお任せください。王宮には三人の協力者がいますので、王妃陛下や殿下のお命はその者たちが守ってくれるでしょう」
コルバ国王陛下のご逝去に伴って、王宮から追い出された老兵を呼び戻してあると聞いている。その三人の老兵がいざという時、王妃陛下と王太子様をお守りし、居室の扉を固く閉ざしてくれるという話だ。
「肝に銘じなければいけないのは、我々が敵にしている相手というのは、決して無能ではないということを忘れないでいただきたい。大貴族の身辺警護を務める兵士はみな優秀で、その大貴族の面々も有能だからこそ現在の地位に就き、王宮に出入りできるようになったのです。誰もが各々の領地で激しい競争を勝ち抜いてきた者ばかりですので、決して侮ってはいけないということですね。盗賊団を相手にするのとは訳が違います」
ドラコは自分に対して戒めているかのように言い聞かせた。
「しかし、有能な人間が必ずしも有能な判断を下すわけではないのもまた事実です。有能な人間に無能な判断をさせるのが、戦に勝利する太古からの秘訣でもありますからね。その場合は、有能な人間に無能な判断をさせるように過程を積み重ねていく必要があるのです。結果しか見ない人は『どうして揃いも揃って無能しかいなかったのだ』と言いますが、敗北者に無能な判断をさせること自体が、勝利者の策謀だったとは気がつかぬのです」
ザザ家を襲撃する際に酒宴を開かせたのも相手を無能にする策謀だったのだろう。
「つまり何が言いたいかといいますと、我々が『バカを見ることも考えられる』ということです。救出作戦に参加しているつもりにさせて、クーデターを企てたテロ組織の一員という濡れ衣を着せられることもあるのですからね。作戦の実行を託されましたが、敵営が代案を考えていないとは思えません。いつ、どこで、誰に裏切られるのか、当分の間、警戒し続けないといけないということです」
そこで気になったことを訊ねてみることにする。
「いま、この時間、現在進行形で、王妃陛下と殿下が殺されている、または暗殺された後である可能性はないのですか? いま殺されたとしても、ドラコ、あなたを容疑者として指名手配できるではありませんか」
ドラコが否定する。
「敵営は自らの手を王族の血で汚したくないから私を利用したのです。その潔癖さがあったから替え玉作戦を計画することができました。なぜなら、途中で裏切られるにしても、私が暗殺を実行してくれるのを待ってくれるのですからね。ハドラ神祇官が汚れ役を引き受けてくれたおかげで、時間と行動に制限が掛けられたのです」
これだけ用心深く作戦が練られているのならば安心だ。あらゆる難局を想定しているので、何が起ころうともパニックに陥ることはない。時の権力者がドラコに任務を依頼するのは必然だ。
その夜、兵舎の泊まり部屋でドラコと一緒に眠ることとなった。これも試験に含まれており、集団行動で迷惑を及ぼすことがないかテストするわけだ。起こされる前に目覚めるのが理想だが、質の高い睡眠を取ることも兵士には重要なのである。
翌朝、食事の席でドラコに気になっていたことを質問してみた。
「弟君のケンタス・キルギアスのことなのですが、ハハ島への流罪が執行されたことはご存知ですよね? ハドラ神祇官がオーヒン国に滞在していたと聞いていますし、ドラコの口添えで何とかならなかったのですか?」
五十人以上が食事を摂れる食堂なのだが、今は僕とドラコの二人きりである。
「あれは、私がいけなかった」
弟の処遇にもドラコが関わっていたようだ。
「ハドラ神祇官への返答の中で引き受ける条件として、弟を王都から移動させるようにと願い出たのです。それは身内を助けるためではなく、理由はただ一つ、ケンタスが王宮にいると救出作戦に邪魔が入ると思ったからです。王宮が狙われていると知ったら、彼はどんな手段を講じてでも王妃陛下と王太子殿下をお守りすることでしょう。王宮内部に古くからの友人がいることも知っていましたし、ケンタスによる妨害が何よりも怖かったというわけです。ですから伝令兵が襲われたというのを口実に、いえ、これも猊下の工作なのですが、新兵のケンタスに伝令を命じるという異例の事態が起こったわけですね」
腑に落ちた。
「不自然ではありますが、私が暗殺計画に加わったことを敵営も知っていましたから、止める者などいなかったわけです。予想外だったのは弟たちの移動スピードですね。まさか山岳ルートを選んで旅の行程を短縮してくるとは思わなかった。それで我々の予想よりも早く信書が届けられたわけです。荘園の襲撃に時間が掛かると思っていたので、これにはランバも焦ったと聞いています。彼らの他にもユリスへの伝令を用意していたのですが、その必要はなかったですね」
そこで草茶を口に含んで顔をしかめた。
「しかし、弟らに逮捕命令が出たというのは予想できなかった。いや、何をするのか分からないから王都から引き離したのですが、こればっかりは、いくら私でもどうすることもできませんでした」
弟に山賊を差し向けるというのは無理のある話だ。
「ハドラ神祇官は判決に関わっていないのですか?」
「王都への移送が決まっていましたが、それを回避させるための判決だったのです。私が弟の移動を求めたばっかりに、このような結果を招いてしまったのですから、すべては私の責任というわけです。『弟は海外に興味があるから、いっそのこと、国外に追放されても喜ぶかもしれません』と冗談のつもりで伝言を頼んだのですが、ハドラ神祇官はそれを真に受けてしまったようです」
この話はここで終わらせた方がいいと思った。
その日の午後、ドラコは五十人以上いる部下を会議室に集めて明日決行される救出作戦の最終確認を行った。どうやらランバから王太子様の替え玉が見つかったとの連絡が入ったようである。そのランバはすでに王都へ前乗りしているという話だ。
ドラコが部下たちに命じた作戦は、王都の街中で火事を起こすというもので、それを十班に分かれて四方八方に火を放つというものだった。逃走しやすくするためであるが、なによりも非常事態宣言を発動させるには、実際に王都に危機をもたらすしかないわけである。
隊長が注意していたのは、決して市民に危害を加えてはならないということだった。危機に乗じて火事場泥棒などが多発するだろうが、見回りの市警の目を逸らす目的もあるので、こればっかりはやむを得ないと言い切っていた。
僕を含む救出隊が返り血を浴びている可能性もあるので、それを誤魔化すために、処刑した罪人の死体を街の至る所に捨てる計画も立てていた。血まみれの人間が走っていても不自然ではない状況を意図的に作り上げるというわけである。
最低でも王都時間で砂時計二回分は火事を引き延ばさなければならないと強調していた。最初の一時間の中で非常事態宣言を発動させて、救出後に王宮から抜け出し、次の一時間の間で王都から脱出を図るためである。
脱出ルートだが、ドラコとハドラ神祇官は王妃陛下と王太子様を連れて海上ルートから峠を横目にして通過すると言っていた。他の者はランバの指示に従い、十班に分かれて、馬を使わずに徒歩で峠を越えるようにと命じられた。もちろん僕やジンタも含まれる。
それと、その日のうちに逮捕命令が出る可能性もあるので、検問所を避けて、睡眠時間を削り、四日以内に峠を越えるように厳命された。馬でも五日は掛かるので、かなり厳しい条件といえるだろう。
会議が終わるとドラコに連れられて、ハドラ神祇官が逗留している別荘へと連れていかれた。神祇官の二人のご子息が一足先に王都を離れて、峠の向こうへと移動するため、挨拶を交わしておく必要があったからだ。
客間に通されて、そこでドラコがハドラ神祇官に救出作戦の確認を取り、正式に替え玉を用意することで決まった。作戦が成功すれば、一時的ではあるが、パヴァン王妃とパナス王太子は暗殺されたことになるわけである。
そして、ハドラ神祇官とドラコはその容疑者として手配されるのだ。僕も行方不明になっているので、同じように容疑者として扱われるかもしれない。フィンスが僕のために嘘をついてくれれば、事件に巻き込まれて拉致された被害者となる可能性もある。
裏切りがないことが前提となるが、改めて僕はエリゼの父親がとても立派な人だと思った。それはドラコにだけリスクを負わせるのではなく、神祇官も同じだけ、いや、その地位を考えれば、より大きなリスクを背負っているからだ。
「ヴォルベ、すまないがドラコと二人で話をしたいので、先に外で待っててくれないか」
ハドラ神祇官からのご命令だ。
「了解しました」
外に出て、馬車蔵の前まで来ると、後ろから長兄のリューク・ハドラが追い掛けてきた。
「いいか? よく聞くんだ」
その目は数日前に見た、エリゼを叩いた時の眼差しだ。
「失敗は許されない。もしも失敗したら、責任を取ってもらうからな。お前に取れない責任ならば、父親に責任を取らせるまでだ。分かったな? 分かったら返事をしろ」
反抗的な態度を見せられるはずがなかった。
「分かりました。成功をお約束いたします」
出来ない約束ではなかった。
「その言葉、憶えておくからな」
そう言うと、別荘へ戻って行った。




