第十三話(101) ハドラ領への潜入
王都方面の街道入り口でジンタと落ち合った。日の出の時間はまだまだ先だが、仮眠を取ってあるので体調に不安はなかった。もう、かれこれ付き合いを始めて三年になるが、彼と酒場通り以外の場所で会うのは初めてだった。
「ダンナ、歩きの方は大丈夫ですかい?」
「王都までなら馬の足で半日だろう? そこまでの距離じゃないんだし心配いらないよ」
「馬の足の裏っていうのは硬くできてるんでさ」
そう言うと、懐から長い布を取り出した。
「履物を脱いで、腰を下ろしてくだせえ」
こういう場合は素直に従った方がいい。
言われた通りにすると、足に布を巻いてくれるのだった。
「ちょいと蒸れますが、こうしないと歩けなくなっちまいますからね」
入隊したばかりの新兵が特に用もなく無駄に歩かされると聞くが、やはりそれは脚力を鍛えるためなのだろう。行軍の足並みを揃えるために何度もテストを受けさせると聞いている。
そのテストによって能力や適性を知り、配置の参考にするわけだ。誰も見ていないようでいて、普段の生活から実戦に適した人材を見極めているのだそうだ。遠征ともなると自活する能力が不可欠になるからだ。
運の要素もなくはないが、やらされる仕事の配属先というのは、やはり個人の特性を見抜かれての要素が大きい。重労働をやらされて不平を垂れる新兵も少なくないが、多くの場合は前線では使えないと判断されての人事なのである。
また、兵士の方にも色んな考えを持つ者がいる。戦に出るのがバカらしいと思う者の中には戦闘能力を隠す者がいる一方で、治安のいい都市部に生まれると平和であることが当たり前のように思ってしまう者も生まれてしまうのだ。
平和な時代がたった三十年続いただけで、生まれた子どもは危機感が希薄になると父上が部下と話をしているのを聞いたことがある。特に王都生まれの兵士の質の低下が顕著だと言っていた。
七政院によって自治領の安全が保たれているので、他の地域に比べて強盗や殺人が少ないから怠けるのだろう。その環境からキルギアス兄弟のような異才が生まれたというのも、ある意味では必然なのかもしれない。
その点、ハクタの兵士は優秀だ。第一に、海に面しているので常に大陸からの脅威に晒されているのが危機感を高めていると考えられるからである。商業が盛んで治安が悪いというのも自己防衛に繋がっているのだろう。
第二に、兵士の間で対立があることだ。優秀な人材はすぐに新王宮にいるオフィウ・フェニックスに引き抜かれてしまうので、市街地に残された兵士が、自分たちを見下す王宮派の兵士に対抗心をむき出しにして自己鍛錬に励むのである。
しかし、それが対立関係を生み出して問題となっているのも事実だ。同時期に入隊しても、一方は新王宮の建設に従事して、一方はそれを監督する立場となるので、同じ土地に生まれた者同士なのに、いがみ合いを招いてしまうのだ。
新王城の建設はオフィウ王妃陛下の側近中の側近であるキンチ将軍が主導して進めているので、身分違いの父上には何も言えないというのが泣き所でもあった。そのキンチ将軍のご嫡男がエリゼの許婚だという噂だ。
「ダンナ、少し休みましょうか」
前を歩くジンタが声を掛けた。
「まだ疲れちゃいないさ」
「へい。ですが、ダンナは休み方も知らねぇでしょうから。あっ、すいやせん」
「いや、いいんだ」
夜明け前の街道はひっそりとしていた。薄目を開けたかのような太陽は美しく、夜の終わりを寂しくもさせ、同時に、新たな一日に希望を抱かせるのだった。終わりと始まりは同時に起こるもので、それが僕の人生にも起こりそうな予感をもたらすのだった。
「おそらくダンナのペースが落ちるので、到着は日没前になりますぜ」
ジンタの読みは見事に的中した。途中から足が上がらなくなり、昼過ぎからは何度も休憩を取る始末であった。歩くことに対して軽い気持ちがあったが、これなら商人の荷馬車に乗せてもらった方が遥かに時間と体力を節約できただろう。
考えてみれば、カイドル帝国と戦争をしていた頃は王都から帝都まで千単位の兵士が遠征していたわけだ。旅慣れた者でも一か月以上は掛かる行程を、警戒しながら、補給に気を遣いつつ、神出鬼没の敵兵と戦わなければいけないのだ。
体力が削ぎ落ち、神経がすり減り、集中力が途切れ、注意力が散漫となり、負傷すれば怪我を抱えながら夜襲に備えなければいけないのである。これは戦略に長けたジェンババがいなくても攻略は難しかったに違いない。
カイドル帝国の滅亡と共に帝都にあった王城を破壊したのは正しい判断だったのだろう。帝都に根城があると、結局は国内が分立した時に、旧カイドル帝国の領地に分離独立派が逃げ込んでしまう危険性があるからだ。
そうなると全盛期のモンクルスが指揮を執っても攻略は困難である。オーヒン国の軍隊を計算に入れることができれば労力は半分になるが、彼らが中立を守れば、また数百年に及ぶ戦争時代に逆戻りすることになり兼ねなかったとも考えられる。
ユリス・デルフィアスがカイドル州を統治するというのは、カグマン島を平定させるためにも重要な決断だったというわけだ。辺境地ほど信頼の置ける人材を配置しなければならないというのが人事の鉄則だからでもある。
歴史に見られる政治犯を島流しにするというのは、ひょっとしたら誤った解釈なのかもしれない。中央と対立した者を目の届かない場所へ追いやることほど危険な状況はないからだ。
左遷人事だと認識されている人物こそ、その後の歴史を動かす出発点となっている可能性も考えられる。ジュリオス三世のように誤った歴史が定着することもあるので、身内である書記官にも注意せねばならないわけだ。
荘園を襲っている連中が王宮を襲って、カイドル州に逃げ込む用意ができていたとしたら、国を二分するほどの大事に至っていた可能性がある。ユリスがいるので心配はなさそうだが、第三国であるオーヒン国に逃げ込まれる可能性まで排除するのは難しそうだ。
最悪の事態は起こらないにしても、近い将来、オーヒン国と戦争が起こる可能性だけは最初から排除しない方がいいだろう。高租をもたらす有益な属国ではあるが、反王宮派の安全な隠れ家になるようでは、いつ反旗を翻すか分からないからである。
その急先鋒がダリス・ハドラでないことを祈るばかりだ。もしもハクタの魔女とオーヒン国が手を組めば、王宮そのものを乗っ取られる可能性がある。そうなると、すでに荘園地を奪われているので、ユリスのいるカイドル州へ逃げ込むしかないわけだ。
フェニックス家の終焉の地が、征服したカイドルの地になるというのは面白くない皮肉だ。それが現実となれば、根城がなく、王族のために戦う兵士の絶対数も少ないだろうから、戦争になればユリスでも持ち堪えることは至難だ。
それが最悪のシナリオなので、そうならないためにも王宮の襲撃だけは絶対に阻止せねばならないのだ。この小さな島を守るためには、島を平気で売り物にする者たちと戦わなければならないのである。
「ダンナ、見えてきましたぜ」
僕の目には何が見えているのか分からなかった。
「山と森しかないじゃないか」
「へい。ハドラ領っていうのは国の軍需産業を預かる拠点ですから、領民を森の奥の村に隠してるんでさ。街道から外れるにも許可が必要で、まともな商人なら近づきやしませんぜ。知らなかったは通らないってこってす」
通行許可はない。
「どうすればいい?」
ジンタが考える。
「そりゃあ、近づかないのが一番だ。なにしろ見張りに見つかったら連行されちまいますからね。収容所に連れて行かれて、不法侵入した奴らをひとまとめにして、それから王都にある警備局の留置所に護送するんだ。わけを話せば分かってくれると思っちゃいけませんぜ。ハドラ邸に案内してくれるような兵隊さんはいませんからね。でも、捕まるならまだいいんだ。ダンナの場合は武器を持ってるから、その場で殺されちまうかもしれませんからね」
武器の所持は相手に攻撃の機会を与える口実にもなる。
「ハドラ邸の場所はジンタでも分からないんだな?」
「へい。どこの横道に入ったかは憶えてますけどね」
「それなら、そこまで案内してくれ。後は一人で捜すさ」
「ダンナお一人で?」
ジンタが不安な表情を浮かべた。
「捕まった時のためさ。僕は『エリゼに会いにきた』とか言い訳が成り立つけど、お前の場合は面倒なことになるだろう? エリゼを言い訳の道具にするのは忍びないけど、この際仕方がないさ」
説明しても、ジンタの顔は不安そうなままだった。
「ジンタは王都の様子を探りに行ってくれ。ニュースの泉で落ち合おう。時間は明日の日没前だ」
「ダンナ、くれぐれも無理をなさらないようにお願いしますぜ」
ダリス・ハドラの一行が街道から外れて森へ続く横道に入ったという地点まで案内してもらったところでジンタと別れた。道幅の広い横道は他にもあったのだが、案内された道はとても七政院のお邸へ続いている道には見えなかった。
といっても、普段は王都にある貴族街の邸に住んでいると思われるので、別荘地という扱いなのだろう。金目の物を放置するはずもなく、自分の領地に戻ることがあっても、居場所を特定させないようにしているに違いない。
それでも馬車道の状態を見れば、道の先に誰が住んでいるのか分かるものだ。道の舗装がしっかりしているほど住んでいる人の位が高くなる。水たまりができるような溝を放置している者は管理能力に欠けるというわけだ。
森の中で日没を迎えたのは喜ぶべきことだろうか。見張りの兵から見つかりにくい反面、お邸が捜しにくくなったのも事実である。しかも、現時点でハドラ神祇官やドラコ隊が領内に留まっている保証もないのだ。
アジトを発見したとして、そこがもぬけの殻だった場合はどうすればいいか。ハドラ領は広いので、見つけるまで捜し回るには無理がある。ユリスが近くまで来ているので、その場合は早々に引き揚げた方がいいだろう。
それにしても静かな夜だった。見張りの気配を感じない。虫の羽音が聞こえてくるばかりである。雨が降っても濡れないのではないか、と思えるほど深い森が続いていた。エリゼもこの森を――
――
……
……
……
ん?
眠っていたわけじゃない。
意識を失っていたようだ。
目を開けても暗いままだった。
闇。
闇夜かどうかは分からない。
カビ臭い。
空気がどんよりとしている。
おそらく狭い部屋だ。
どうやらそこに押し込められたようである。
そこで後ろ手に手足を縛られていた。
意識を失う前。
僕は深い森の中を歩いていた。
考え事をしていた。
それでも警戒は怠らなかった。
周囲に人はいなかったはずだ。
それなのに、背後で音がしたのだ。
その音に反応した瞬間、後ろから口元を押さえられた。
刺激臭がした。
おそらく部族の秘薬である植物の抽出液を嗅がされたのだろう。
気がつくと、この有様だ。
しばらくすると部屋の向こうから明かりが差し込んできた。
そこで監視窓がついている部屋に監禁されているということが分かった。
足音が近づいてくる。
そして扉が開かれた。
ランプを持った二人の兵士が入ってくる。
目が痛くて、顔はよく見えなかった。
「目を覚ましたか」
そう言って、僕を見下ろした。
「ここは?」
僕の質問には答えてくれなかった。
兵士の一人が詰問する。
「何をしにきた?」
殺すつもりなら、とっくに殺されているはずだ。
僕から情報を引き出すのが目的だろう。
拷問を受けるのだろうか?
「名前を聞いておこう」
名前を告げるメリットよりもデメリットの方が大きそうだ。
州都札は足に巻いた布の内側にある。
今も感触があるということは、身元はバレていないようだ。
「正直に話せば、命だけは助けてやろう」
コイツらが僕を生かしておく理由は何だろう?
ハドラ神祇官の警護兵ではなさそうだ。
ドラコ隊の隊士だろうか?
「怖くないのか?」
正直、恐怖は感じなかった。
まだ頭がぼやけていた。
おそらく嗅がされた薬のせいだろう。
「なかなか度胸があるじゃないか」
それを兵士は勝手に間違った解釈をするのだった。
顔の筋肉も上手く動かせない状態だ。
そんな僕を見て、兵士がニヤリとした。
「では、これではどうかな?」
口にした瞬間、剣を振り上げた。
しかし、僕は何も出来ない。
瞼ですら動かすことはできなかった。
「ほう、大したもんじゃないか」
振り上げた剣は、僕の鼻先にある。
「何をしておるか!」
そこへ別の兵士が入ってきた。
その人はドラコ隊・副長のランバ・キグスだった。




