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ロマン・ストーリー 剣に導かれし者たち  作者: 灰庭論
第三章 公子の素養編
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第十二話(100) ドラコの行方

 ハドラ夫人とエリゼをお見送りした後、日が高いうちに私邸へと戻った。ジンタからの呼び出しの合図がないので、オーヒンの新国王に関する情報を受け取ることができなかった。


 日が沈むのを待ってから、フィンスのいる別邸へと向かった。夏場は虫の音がうるさいので賊の気配を感じ取るのが難しくなる。それでも、たった一度のミスで大切な命が奪われるかもしれないので慎重に移動した。



 別邸に行くと、庭で焚き火をしながら甘芋を焼いている姉弟の姿があった。世襲から外れた王族は、家名を捨てなければ殺されてしまう。彼らのように捲土重来を期して身を潜め、実際に王政復帰した歴史は、これまでに一例もなかった。


「あら、ヴォルベじゃない」

「従姉上、お元気そうで何よりでございます」

「あなたって、いつもわたしたちがお芋を食べようとしている時に現れるのね」


 クミン王女の愛らしい冗談だ。


「私奴を呼ぶ時の合図にでもしてください」


 冗談には冗談で返すのが紳士の嗜みだ。

 フィンスが僕たちのやり取りを聞いて笑っているのが嬉しかった。


「それより従姉上にお聞きしたいことがあるのです」

「なんでも聞いてちょうだい」


 そこで僕も二人が掛けている長椅子に腰を下ろすことにした。


「従姉上はリューク・ハドラという男をご存知ですか?」

「ハドラ神祇官のご長兄じゃない」

「ええ、そうなんですが」

「エリゼのお兄さんと言った方が良かった?」


 クミン王女は頭が良いので察しが早い。


「はい。よろしかったら、どういった人物なのか教えていただきたいのです」


 王女が唸った。


「交流があったわけじゃないから印象でしか語れないけど、とても紳士的なお方よ。立場を弁えておられて、まともに口を利いてやらなくても、感情的になることなく、余裕の表情を浮かべるのよ。大人ね。そう、大人の男性そのものという印象だわ」


 他者に厳しいだけではなく、己も身分差に合わせた態度で接しているわけだ。


「エリゼにはもう一人お兄さんがいたじゃない?」

「ああ、はい。次兄のルシアスですね?」

「あっ、そうそう、あの薄気味悪い男」

「彼はとても気さくで、話が分かるといった感じでしたが」

「どこが? パーティーの最中、壁際に一人でポツンと立って、誰とも話そうとせず、わたしのことを見つめて、ずっとニヤニヤしているような男よ」


 美男子のリュークが笑えば大人の男性として称えられ、冴えないルシアスが笑えば気色が悪いと罵られる。これだから女性の主観は当てにならないのだ。もしも二人のルックスが逆だったら、正反対の印象になっていたに違いない。


「それではエリゼに関してはどのような印象をお持ちですか?」

「あなたがエリゼと結婚するのは不可能だと思う」


 それは承知している。


「いや、そういうことではなくてですね。印象を聞かせてほしいのです」


 そこでクミン王女がため息をついた。


「だから、そういうことよ。彼女はとてもお淑やかで従順な女なの」


 つまり親の取り決めに反対するような人ではないと言いたいわけだ。


「僕は従姉上に似ていると思いましたけどね」

「ヴォルベ、それはどういう意味かしら?」

「朗らかで、芯のある強い女性ということです」

「お褒めに預かり光栄ですけど、彼女とわたしは正反対の人間よ」

「そうですか? とても感じが似ていますよ?」


 そこで王女が腕を組み、顎の下に丸めた人差し指を添えた。


「エリゼはわたしのことを慕ってくれてはいるけれど、それは願望があるからなのかもしれないわね。でも、彼女とわたしは全然違うの。わたしは王宮を捨てられたけど、彼女はハドラ家を捨てられないんですもの。ご両親に勧められたら、彼女はどんな相手であろうと従順にダンス・パートナーを務めるの。私のように差し出された手を振り払ったりしないのよ。それが彼女とわたしの決定的な違いね。近いうちに良家のご子息と婚約するんじゃないかしら。それを彼女は厭わないのよ。拒否して困らせることもないでしょうね。きっと喜んで受け入れると思うわ。それで見るからに楽しそうな結婚生活を送るのよ。なぜならエリゼにとっては、家のためになることが幸福そのものなんですもの」


 いや、彼女は『僕といる時だけが幸せだ』と言ってくれた。


「ヴォルベ、いい? あなたは間違ってもケンタスの真似事はしないことね。彼女はわたしと違って、家を捨ててまで、あなたについて行くことはないんですもの。エリゼと結婚したいのならば、ドラコ・キルギアスくらいの武勲は必要よ。ドラコが五長官職の子どもだったら、すぐにでも騎士の称号を授与されていたでしょうからね」


 それから王女はケンタスがいかに勇気のある男か延々と語り聞かせるのだった。フィンスは何度も聞かされているらしく、あくびを噛み殺しながら、それでも我慢しながら惚気のろけ話に付き合うのだった。



 ジンタから呼び出しを受けたのは、それから六日も経った後のことだった。治安の悪化で、彼の身に何か起こったのではないかと思っていたので、呼び出しの合図を見た時は飛び上がるほど嬉しく感じた。


「随分と遅かったじゃないか」

「へい。あっちこっちと移動していたもんで」


 そう言うと、美味そうにラム酒を呷った。

 場所はいつもの酒場通りにある軽食バーだ。


「オーヒン国の新しい国王が決まったのなら、すぐにでも報せてほしかったな」


 ジンタが目を見開いた。


「へ? 何を言ってるんですかい。新国王が決まったのは四日前ですぜ? 一回目の選挙じゃ決まらず、二回にずれ込んで、それでゲミニ・コルヴスの子どもに決まったんでさ。そっから寝ずに走ってきたんだ。伝令兵でもアッシほど速くありませんぜ。まぁ、寝ずにってのは大袈裟ですけどね。へへっ」


 ということは、ダリス・ハドラ神祇官はオーヒン国の新国王が決まる前に帰国を急いだということになる。てっきり選挙に絡んでいるものとばかり思っていたので、ジンタの報告は意外だった。


 しかし、よりによって選ばれた新国王がオフィウ・フェニックスと懇意にしているコルヴス家から輩出されたというのは厄介な話だ。ハドラ神祇官も一回目の選挙で決まらなかった時点で対立候補の敗北を悟ったのかもしれない。


「それよりダンナ、ケンタス・キルギアスですがね」

「ああ、裁判はどうなった?」

「それですが、前に報告した通り、やっぱり島流しにされちまいやした」


 刑が確定するまでクミン王女への報告を止めていたが、正確に伝えるには気が重い話だ。


「それで、ケンタスはいつ刑期を終えるのだ?」

「二年後という話ですぜ」

「二年だって? ケンタスは王国の兵士なのだぞ?」

「アッシに言われても困りますぜ」


 量刑を決めたのはダリス・ハドラ神祇官である可能性が高い。オーヒン人が国を挙げてもハドラ神祇官一人に指図することなど叶わないからだ。おそらく裁判自体も我が国の領事館で行われたはずだ。


 それにしてもハハ島での二年間は重たすぎる。住むだけでも過酷なのに、ケンタスは囚人の仕事に従事せねばならないのだ。熱病に罹ることもあれば、毒にやられることもあると聞く。刑期を無事に勤め上げることすら難しいという話だ。


「ただ、ペガス・ピップルは逮捕を免れ、今はカイドルの長官のお側で働いていますぜ」

「ユリスがオーヒンまで来てるのか?」

「へい。きれいな奥さんを連れて、三日後にはこっちに到着するんじゃないですかね」


 ユリス・デルフィアスがハクタに来る。


「あっと」


 そこでジンタが思い出す。


「こいつを一番に報告しなくちゃいけなかったんだ。その長官の御一行ですがね。ミクロスやジジが警護しているのはこの目で確かめることができたんだ。しかしドラコ・キルギアスの姿が見当たらないんでさ。それで噂が本当じゃないかって思いやして」


「噂というのは?」


「へい。それが、その、前にも話したことがありますが、八件にも及ぶ大規模な襲撃を企てたのがドラコ・キルギアスなんじゃないかって話でさ」


 前に報告を受けた時は頭ごなしに否定した話だ。

 しかしドラコ以外には考えられないのも事実だ。


「根拠はあるのか?」

「ドラコが決定的な証拠を残すはずがないというのは、ダンナの方がよくご存じでしょう?」


 ジンタの言う通りだ。


「つまり、ユリスの側にいないというのが不自然だと言いたいわけだな?」


「へい。ただ、それだけじゃないんでさ。カイドルの長官がオーヒンを発つその日のうちに、ドラコ・キルギアスを含む、失踪したドラコ隊に対して警戒するようにとの御触れが出たんでさ。つまりこれはどういうことかというと、長官の方にも有力な情報が入ったことを意味しているに違いねぇんでさ」


 そこでジンタがラム酒を飲み干す。


「ただ、アッシがそのことを知ったのは昨日の今日で、聞かされて、やっと合点がいったわけでありやして。なにしろ昨夜までハドラ領に潜入していましたからね」


「四日前までオーヒンにいて、昨日の夜にはハドラ領にいたというのか?」

「へい。馬の足には酷な早道があるんでさ」

「それで、どうしてハドラ領に行こうと思ったのだ?」


「へい。それはハドラ神祇官が帰国する際、私兵の中にドラコ隊の隊士が紛れているのを見たって言う情報屋の仲間がいましてね。いや、アッシがドラコ隊の顔を知ってる奴に、神祇官の動向を見張っておくように頼んだんでさ。もちろん、そいつにはダンナのことを喋っていませんので安心してくだせえ。有り金を全部持っていかれちまいましたが、嘘じゃなかったので、それだけの価値はありましたぜ」


 ジンタの仕事のやり方に口を挟んだことはない。


「それはつまり、消えたドラコ隊がハドラ領に潜伏しているということか?」

「へい。今日もいるかは保証できませんが、昨日の夜までいたのは確かですぜ」


 判断を迷う局面だ。


「お父上に報告すれば手柄になるんじゃないですかい?」


 報告したところで、神祇官の領地を捜査することなどできるはずがない。


「ダンナ、いいですかい? 王宮が狙われているということは、賊が目の前まで迫っているということですぜ?」


 ということは、ドラコを匿っているハドラ神祇官が黒幕である可能性が高いわけだ。しかし、王宮を襲撃する目的が分からない。オフィウ派の一掃と考えるのは無理があるし、パヴァン王妃とパナス王太子の命を狙う意味もないはずだ。


 それとも、反オフィウ派というのが僕の勝手な思い込みで、本当は裏で繋がっているということだろうか? それだと直近で二回もハクタ市に滞在していた説明もつく。ダリス・ハドラこそが、王家を陥落させて国家を転覆しようと企む黒幕ということか。


 ダリスはエリゼの父親だ。どうしてそんな人が、よりによってエリゼの父親なのだろう。エリゼと出会っていなければ、揺るぎない信念の元に、彼を国家反逆罪の容疑者として見ることができたはずだ。


 それなのに、今の僕はエリゼの顔がチラついて、どうしても彼女の父親を悪く思えないでいる。どうか疑惑であってくれと願ってしまうのだ。できれば直接真偽を問うてみたいとも思っている。それからでも遅くはないと、判断を鈍らせるのだ。


「ダンナ、何を悩む必要があるんですかい?」


 ジンタは二杯目のラム酒に口をつけていた。


「ジンタ、お前は恋をしたことがないのか?」

「へっ? 恋ですって? 勘弁してくだせえ」


 そう言うと、二杯目のラム酒を一気に飲み干して、店の主人に三杯目を頼んだ。


「ダンナ、止してくださいよ。酒が不味くなるじゃないですかい。男に惚れる女なんてもんは、男から酒を取り上げるだけの生き物じゃないですかい。そんなもんよりは、アッシは金を使うほど喜んでくれる商売女の方が何倍もいいんだ。あっ、いや、ダンナからいただいた金を無駄遣いしてるわけじゃありませんぜ? いや、参ったな。そういう意地悪な質問で報酬を減らすのは止してくだせえ」


 勘違いしてはいけないのが、ジンタの雇い主はフィンスであるということだ。


「報酬を増やしてやることはあっても、減らすことはないさ」


 それを聞いて、美味そうに酒を飲むのだった。


「それにしても、ダンナをここまで困らせちまうんだから、恋っていうのは、やっぱり害悪でしかないんだよなあ」


 否定できないところがつらいところだ。しかし、一方でハドラ家が没落した方がエリゼと結婚しやすいのではないかと考える自分もいる。相手が落ちぶれることを願うという、どうしようもない醜い心だ。


 僕はエリゼにたゆまぬ努力を誓ったばかりだ。それなのに、数日後には楽をして彼女を得ようとする自分が顔を出した。それではいけない。第一、父親が王族殺しの首謀者ならば、エリゼの命も無事では済まされないのだ。


 エリゼは僕の心を預けた女性だ。彼女を救うということは、自分を救うということでもある。彼女の命を救うには、今からでも父親に王宮の襲撃を止めさせることだ。そうすれば、少なくとも最悪の事態は避けられるはずだ。


 しかし、八件もの襲撃事件に関与しているとなると責任は免れないだろう。それでもオフィウ・フェニックスの関与を裏付ける証拠、または証言協力があれば、ハドラ神祇官は罪に問われても、家族は免責を受けられるかもしれない。


「ダンナ、こうしている間に王宮が襲撃されているかもしれないということを忘れてはいけませんぜ?」


 決断の時だ。


「なあ、ジンタ、僕は道が分からないんだ。だから案内してくれないか?」

「どこへ案内するっていうんですかい?」

「ハドラ家のお邸さ」

「それでどうされるっていうんですかい?」

「話してみようと思うんだ」

「勘弁してくだせえ」


「僕が神祇官とドラコの関係を知り得たのだから、他の者が気づくのも時間の問題だ。そのことを伝えることができれば思い直してくれるかもしれないじゃないか。容疑者にされて神祇官やドラコだけが裁かれるという状況は避けたいんだ。父上に報告してしまうと、まさにオフィウ・フェニックスが願っている状況が生まれるかもしれないからね。その前に説得を試みたい。だから僕をハドラ邸へ連れて行ってくれるね?」


 ジンタが泣きそうな顔をしている。


「いやあ、勘弁してくだせえ」


 ということで、夜中に待ち合わせをして別れた。



 フィンスに事情を説明してから、ダリス・ハドラに会いに行くことにした。その前に、クミン王女にもケンタスの状況を伝える必要があった。それが僕を酷く憂鬱にさせた。


「それで刑期は何年?」

「二年です」

「そう。それじゃあ二年はケンタスに会えないのね」


 そう言うと、焚き火を見つめながら黙ってしまった。

 それからフィンスにジンタから聞いた話をそっくりそのまま伝えることにした。

 話を聞き終えると、気になることを確認するのが常である。


「つまり、長官には報告していないんだね?」


 痛いところをつかれた。


「もうすぐユリスがハクタに到着する。それは父上も知っているはずなんだ。そうなると報告しても、結局はユリスに判断を任せると思うんだ。だったらそれまでの間に何かできないかと思ってさ」


「それはエリゼのためだね?」


 フィンスはすべてお見通しというわけだ。


「そうさ、これはエリゼと自分のためなんだ。僕は手に入れた情報を父上ではなく、エリゼの父親に伝えようとしているのだからね。フィンス、君が責めるのも無理はないよ。自分でも正しい判断だとは思っていないんだ」


 フィンスは責めなかった。


「正しい判断が、必ずしも正しい結果を生むとは限らないさ。母上は陛下に偽って僕を守ってくれたわけだからね。大事なことは、結果的にあれは正しい判断だったと、自分たちだけではなく、多くの民に納得してもらえるように努めることなんだ。僕たちはまだ道の半ばにいるけれど、目指す先は多くの民が待つ場所でなくてはならないからね」


 やっぱり従弟は僕の王様だ。

 フィンスが僕を見る。


「盗賊にだって己を正しいと信じる心がある。人殺しだって正義を口にする。世の中というのは正義と悪が分かりやすく対立しているわけじゃないからね。第三者から見れば、正義と正義、または悪と悪が対立しているだけに見える場合が往々にしてあるということさ」


 フィンスが僕の手を握り締める。


「判断に迷うことがあるだろう。正しいかどうか自信が持てなくなる時もある。それでも間違いだけは犯さないことだ。悪人が信じる正義など、多くの民に受け入れられることなどないのだからね」


 そこで夜空の星を見つめる。


「歴史を学ぶと、民衆の価値観も時代ごとに移り変わることが分かる。価値観が変わるということは、時に過ちを犯すこともあるということだ。つまり大衆という集合体も、人間一人の性質に酷似していると言えるわけだね。でも、そこがいいんだ。命を奪われないためには、物を盗まれないためには、一人でも多くの民と価値観をすり合わせて共有するしかないのだから。ヴォルベはその価値観を共有させるために行動を起こしているのさ」


 フィンスは僕よりも僕のことが分かっているようだ。


「ヴォルベはまだ入隊していないのだから、テレスコ長官に報告する義務はない。ハドラ神祇官にしても、まだ疑われているだけで、実際に関与しているのか分からないのだから、会って話すこと自体は問題ないよ。問題が起こるとしたら、会って話した後だろうな」


 それは僕も恐れている部分だ。


「うん。つまり僕もドラコのように取り込まれてしまうかもしれないということだね?」


 フィンスが首を振る。


「いや、話を聞く限り、ドラコも実際に陰謀に加担している証拠はないだろう? ドラコ隊を騙るニセの部隊かもしれないのだし、もし本当にハドラ領へ行くのなら充分に気をつけてほしいんだ」


 そこでフィンスの表情が曇る。


「それよりも僕が危惧しているのは、ハドラ神祇官が襲撃事件の首謀者だった場合、ヴォルベがどういう判断をするのかっていうことさ。エリゼのためだと正直に言ってくれたけど、それで本当にエリゼを救えるのか不安なんだよ」


 仮定を基に話し合っているので答えを出すのが難しかった。

 そこでフィンスが天を仰いだ。


「いや、違う。僕はヴォルベが遠くへ行ってしまわないか怖いんだ」


 その一言で目を覚ますことができた。


「そうか、そういうことか。僕は自分でも知らないうちに誤った道に進むところだったんだ。彼女の父親が裁かれるようなことがあれば、僕はエリゼを救うために亡命の手伝いをしていたかもしれない。それが二人を生かす唯一の方法ならば尚更だ。しかし、それではいけないんだね。行動原理がエリゼ一人のためであってはいけないんだ。エリゼのために社会をより良くするのではなく、より良くした社会によってエリゼが救われるのが、本来求められる行動原理だ」


 準備ができた。


「エリゼの父親に会いに行こうとしていたけれど、僕が会うのは七政院の神祇官だ。それを忘れるところだった。もう、大丈夫だ。いつ、いかなる時も、フィンス、君の顔を忘れたりしない。君は僕の道しるべだからね」


 フィンスの背後には多くの民が存在している。彼のことを忘れるということは、民をないがしろにすることだ。それでどうして社会の中で生きていけるだろう。エリゼを国外逃亡者にさせてはならない。彼女は街の市場にあるタコの衣揚げが大好きな女の子だからだ。


「さて、そろそろ行くとしよう」

「何度も言うけど、無理だけはしないように」

「うん。危険を冒すつもりはない」


 最終的にはユリス・デルフィアスが何とかしてくれると思っている。


「母上には、しばらくフィンスのところに泊まると言ってあるんだ」

「分かった。そういうことにしておくよ」

「王太子様に嘘をつかせて申し訳ない」

「ヴォルベは僕を舞台役者にしたいようだね」


 フィンスが冗談を言ったので、そこで別れることにした。

 最後にクミン王女にも声を掛けたが、返事が返ってくることはなかった。

 焚き火の中で真っ黒に焼け焦げた甘芋が、彼女の心情を物語っていた。

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