第十話 特別任務
焚き火を消す前に、やることがある。
「ケンよ、どうしてカレンにあんな冷たいことを言ったのか、ここは一つ説明してもらおうじゃないか」
ケンタスは説明を省くクセがあるので、こちらから訊ねる必要があった。
「それは国王の容態だな。オレの方から尋ねたとはいえ、あの情報はどんなに親しくても漏らしてはいけない機密だよ。たとえ家族であっても教えてはならない情報なんだ。オレたちにとってはどんな情報でもありがたいけど、カレンをこれ以上巻き込みたくないと思ってしまったんだ。あの瞬間、危険を感じたっていうのかな? とにかく事態が落ち着くまでは互いに会わない方がいいと思ったんだ。じゃないとカレンのことだから、オレたちを喜ばそうと張り切ってしまうだろう? この時期に周りに対して不審を抱かせる行動を取るのは禁物だ。カレンにやましい気持ちがなくても、勘繰られてしまえば政敵に目を付けられるかもしれないからな」
いかにもケンタスらしい慧眼ではある。
「しかしな、ケンよ、言い方がちょっとキツすぎないか? カレンなら今のように説明してやれば納得しただろうに」
「それではダメだ。とにかく王宮に戻って何もさせないようにするには、会わなくなるようにするしかないんだよ。カレンは優しすぎるから、王宮の規律よりもオレたちの方を大事にしてしまうだろう? それでは身が危ない」
一応は納得できる答えだった。
「しかしだな、ケンは完全に嫌われただろうな。それで良かったのか?」
落ち込んだまま、顔を上げようとしなかった。
「『来るな』って言ったら、本当に来ない女だぞ?」
ケンタスはまるで失恋でもしたかのようだ。
いい機会なので追い打ちをかけることにした。
「本当に可哀想にな。カレンは前に『王宮から連れ出してもらいたい』って言ってたのに、ケンは『王宮から出てくるな』って真逆のことを言ったんだもんな。そんなこと言われたら、しばらく立ち直れないよ。自殺だって考えるかもしれないぞ? あの年頃の女は思いつめるというからな」
と、傷口に塩を塗ってやった。
「傷つけたのは分かってるよ」
それならいい。カレンがつらい思いをしている間、ケンタスも同じだけ苦しめばいいのだ。俺にできることは、その痛みを友に与えてやるくらいのことしかできないからだ。俺にとってはケンもカレンも同じくらい大事なのだ。
翌朝、王宮の御前広場に戻ると、点呼の後に上官から個別で呼び出しを受けた。連れて行かれた先はカレオ・ラペルタ陣営隊長が待つ指令室の中だった。何も説明を受けないまま従って歩くしかなかったので、やたらと心臓がドクンドクンしてしまった。
指令室は兵舎の横に建つ作戦本部の中にあり、その一室で教官が常駐しながら仕事をしているとのことだ。本物の統合本部は内壁の向こう側にある王宮内の中なので、指令室は単なる新兵を指導する教職官部屋という位置づけらしい。
「名を申せ」
カレオ・ラペルタ陣営隊長に命じられたまま、俺たち三人は順に名乗った。
「キルギアスの弟と牧場主の倅か。なるほど、そいつは確かに都合がいい」
通された部屋は陣営隊長の他に警護兵が入り口の横に立っているだけだ。部屋の中には立派な机と椅子があり、その席に陣営隊長が鎮座していた。他には祭事の法衣や、武具や防具など、いつでも着替えられるように用意されているのだった。
「よそ見をするな! 視線を動かさぬよう言われなかったか」
注意を受けたのは俺一人だ。
「厩舎の手伝いをするために帰宅の許可を申請したのはお前たちだな?」
「はい、間違いありません」
ケンタスが三人を代表して答えた。
「三人とも馬術の心得はあるのか?」
「はい。乗馬に関しては問題ありません」
「よかろう」
背は高くないが、威圧感があるところは息子と同じだ。
「ならば、お前たちに特別任務を与える。これより伝令係となり、カイドルの地へ赴き、ドラコ・キルギアスを呼び戻してくるのだ。貴兄の顔を知り、馬術の心得があるならば、お前たちよりも相応しい者は他にないだろう」
この人の言葉には必ず裏の意味が存在する。新兵の俺たちに任務を与えている時点で、まず通常では有り得ないことが起きていることが分かる。しかもカイドル州といえば、島の北端に位置する旧敵の首都があった土地で、治安が最も悪いところだ。
そこで顔を知る弟を向かわせるということは、死体の確認ができる人物が選ばれたということになる。手練れた兵士ではなく、新兵である俺たちに任務を与えているということは、捨て駒のような仕事に違いない。
「もちろん入隊したばかりなのだから、断ることも可能だぞ?」
これは脅しである。完全な命令ではなく、俺たちが命令に従う決断を下したという既成事実が必要なのだ。従えば後でサインをさせられるはずだ。これで途中事故に遭遇しても、俺たちの家族は文句が言えなくなるのである。
「時間を与えよう。三人で決めるがいい」
そう言われても、俺はケンタスの判断に任せると決めていた。どうやらボボも俺と同じスタンスのようで、口を開こうとしなかった。さぁ、どうするか? 俺たちはケンの判断を信じて共に行動するだけだ。
「任務をお引き受けいたします」
ケンタスが即答した。
陣営隊長が感心して唸った。
「賢明な判断だ。流石はドラコの賢弟よ。この判断に迷うという選択肢は初めからなかったのだからな。他の者が僅かでも迷いを見せていたら、その瞬間に三人共ここから追い出していたことだろう。無謀な任務を与えていることは百も承知だからな。まさに、血統に勝る武器はない、ということだな。それをこの場で証明して見せただけでも、今日はとても気分がいいぞ。早速これより任命の儀を執り行う。本殿へ向かうので三人共ついて参れ」
本殿というのは、本当の王宮内部のことだ。まさかこんなにも早く入れるとは夢にも思っていなかった。昨日の自分に教えてやっても信じてくれないだろう。それくらい新兵が本殿に入ることなど有り得ないことなのだ。
しかし危なかった。俺はケンタスを信じているから問題ないが、ボボがぶっきら棒で愛想のない無表情の男じゃなかったら、追い出されていたところだ。改めてボボが石像のような男で良かったと思った。
いや、しかし、これは喜ぶべきことなのだろうか? 命懸けの任務である。それでも、ここで拒否すれば今後は重要な任務から外され続けるので、やはり引き受けるのが正解だ。
それを迷うことなくケンタスは即答できたのだから、やはりたいした男だ。この男が信頼に値しないというならば、俺は誰に対しても迷いを見せていただろう。ケンがいなければ、俺など重要任務にも呼ばれないような男だからだ。
そんなことを考えているうちに、王宮の内壁の門の前まで辿り着いた。写本の作業が始まる前なのか、まだ御前広場には多くの新兵が残っていた。そこにいるみんなの前で陣営隊長の後ろを歩いて行くというのは、何とも誇らしい気持ちだ。
これこそが軍服が持つ魔力なのだろうか? 羨望の眼差しを浴びると、どうやっても心の内の高揚を抑えることができないのだ。口では軍閥を否定しておきながら、いざ自分が大役を仰せつかると意気揚々とする。情けないが、これが俺の心の正体だ。
陣営隊長の前で門が割れるように開いた。本殿へ連なる道は国王陛下へ繋がる道でもある。現王政に対して命を懸けるほどの絶対的な服従の意思は持っていないはずなのに、そんな俺でも震えるほどの威光を嫌でも感じてしまうのだ。
というのも、実際に本殿に使われている巨石が、宝石でも散りばめられているかのごとく、方々に光を放って輝いているから、実際にそう見えたのだ。そんな光る道の上を歩いてしまうと、自分は選ばれた人間だと勘違いしそうだ。
本殿の入り口には更に堅牢な扉があり、その両脇には槍を持った衛兵が身動きせずに立っていた。当然交代制だとは思うが、動いてはいけない仕事というのは、それはそれで重労働よりも大変そうに見えた。
本殿に入ると、中は薄暗くなっており、急に肌がひんやりとした。真っ直ぐ道が伸びており、突当りに大きな扉があった。その両脇にも門番が立っているのである。門の前まで行くと左右に廊下が分かれており、おそらく中庭を囲んで回廊となっているのだろう。
俺たちは左に曲がり、そのまま直進して突当りにある小部屋へと通された。そこはおそらく控室と呼べる唯一の場所なのではないだろうか。なにぶん初めての場所なので名称はもちろん、、内部の構造がまったく理解できないのである。
そこで許諾書にサインをして、後で軍務官のサインが入った任命書と交換するわけだ。この形式はケンタスの兄貴が話していたことと大差がないようだ。任命を受けた時点で罰則規定も増えるので後で確認しておく必要がある。
ちなみに任命書というのは手当てを受け取る時に重要な書類となるので大事にしないといけなかった。紛失しても再発行されることはないので、平時の兵士にとっては槍や剣よりも大事というわけだ。
「これより教堂に向かう。一切の私語は禁止だ」
いよいよ任命の儀が執り行われる場所へ案内されるようだ。式が教堂で行われるのは神祇官によって任命されるからである。ただし神祇官は神に代わって任命するのであって、神祇官が命令を下すわけではない、というのが形式的な理由だ。
理解するのが難しいが、国王ですら神によって選ばれるというのが、神の元の平等ということらしい。だから国王や神祇官も新しい人が任命される時は、ちゃんと聖典に誓いを立てなければいけないというわけだ。
というわけで、俺たち三人も聖典に手を置いて、神祇官、といっても補佐官だが、言われるがままに誓いを立てることとなった。これは拒否するしないの問題ではなく、絶対にやらされることなので深く考えてはいけないことだ。
しかし教堂は意外なほど質素であった。予想通り回廊の中心が中庭になっており、その中心に独立したレンガ造りの教堂が建っているのである。巨石時代の建物ではないことは確かだが、それでも古く感じた。
祭壇となっている巨石には何やら文字が書かれていたが、現代では使われていない文字なので、俺の頭では読むことができなかった。大陸文字が主流だが、島の古代文字でもなかった。
「表に出て、片膝をつき、頭を下げ、両手を地面から離さぬように」
突然のことで意味が分からなかったが、私語厳禁なので言う通りにするしかなかった。
「王女殿下が参られる。決して顔を覗かぬよう注意することだ」
どうやら王族がお祈りする時間と重なってしまったらしい。現在、王女と呼ばれるのは一人しかいないので、おそらく国王の娘のクミン・フェニックスのことだろう。年齢は変わらないはずだが、とにかく我儘な女で、気に入らない側近を首にすることで有名だ。
ただ、そんなことが瑣末に思えるほどの美貌を持っているらしく、見る者を虜にさせるとも聞いたことがある。しかし当人は民衆の前に姿を現すどころか、客人の前に出る事さえも滅多にないと聞く。
レアな体験なので一目だけでも拝見したいものだが、チラ見でもしようものなら、即刻追い出されてしまうので止めておいた。教堂の前で、目の前を通り過ぎた時、花畑のような匂いがしたが、それを嗅げただけでもラッキーである。
ちなみに王族の前では片膝をつき、両手を地面に付けて離してはいけない、というのが王宮のルールだ。それが謀反を起こさないという意思表示になるので、決して動いてはいけないのである。ただし、顔を上げてはいけないというのは王女だけの決まりだ。
クミン王女の女王即位は反対している民衆も多い。まともに顔を見せたことがないので人気が出ないのだ。俺も独自の法律で国民を苦しめるのではないかと思い、できれば女王になってほしくないと思っている。
しかし、後継者問題は起こらないのではないか、というのが大方の見方である。それは三十年前から前王の長男が後継者になるとことが既定路線のように周知されているからだ。現国王は前王の弟なので家父長制に戻る形だ。
ところが、そう簡単にいかないのが後継者問題の恐ろしいところだ。クミン王女の下に腹違いの小さな男の子がいるらしく、その子を現在の現王派が推しているのでグチャグチャになりかけているのである。
「次は財務官のところだ」
後継者問題の話は後にしよう。どちらにせよ、俺の力でどうにかなる問題ではないからだ。それより次は財務補佐官との謁見だ。今度は回廊の東側通路に向かう。伝令係に選ばれるだけで、これほど面倒な手続きが続くとは思いもしなかった。
それでも財務補佐官との謁見が一番大事なので身を引き締めなければならない。ここで受け取る王都札によって、旅行中の宿賃や食事代がすべて免除となる仕組みになっているのだ。契約牧場では馬の餌まで用意してもらえることになっているとのことだ。
この王都札を携行することで島を無賃で往復することが可能となるわけだ。紛失すれば重罪に問われ、偽造すれば死罪となる。それくらい大事な札だ。万能ではあるが、使用記録が残るため、無駄遣いはできないので注意が必要だ。
「次は軍務官のところへ向かう」
続いて向かった先は競技場のような広場だった。場所は敷地内の東端だろう。普段なら精鋭部隊が槍や弓の稽古をしているような場所だ。しかしこの日はやけに静まり返っていた。おそらく多くの騎馬隊が出払っているからなのだろう。
兵舎に入ると軍務補佐官から軍服を貸与された。帯剣の許可も得ることができ、やっと王国の兵士として認められたような感慨を抱いた。そこで兵士の心得を滔々と語って聞かせられたが、ほとんど中身がないように思われたので省略する。
「次は法務官のところだ」
マニュアルのようなものなのかもしれないが、いい加減つらくなってきた。本殿の中も迷路のようで、もうどこが何の部屋になっているのか分からなくなっていた。ただ、王家の居住空間にだけは近づけないようにしていることだけは分かった。
退屈になってきたが、それでも法務補佐官からは重要な規則を学ぶことができた。中でも最重要なのが中立国オーヒンでの過ごし方だ。そこでは王都札すら通用せず、王国の兵士も一般市民と同じ扱いになるので気をつけなければいけない、との注意を受けた。
他にも重要な話として、剣を抜くのは正当防衛が成立する場合のみだとか、中立国では逮捕権を持たないどころか、武器の持ち込みも禁止しているとか、かなり厳格なルールだ。つまり、それだけ認識の違いによるトラブルが多いということだろう。
「最後は会計検査官のところだ」
向かった先は回廊の西側だった。ぐるっとして戻って来たわけだが、王家の居住空間は階層が一つ上のところにあるのかもしれない。それとも北側の奥に広がっているのだろうか? 考えたところで王家とは無縁なので今後も知ることはないだろう。
会計検査補佐官からは、中立国オーヒンで使える銀貨を受け取った。それと現在の物価も叩き込まれた。大金を持たせてあるのでボッタクリに遭わないようにしろと、厳しい口調で教えられた。やはりオーヒンではトラブルが多いみたいだ。
それと旅の供となる馬は兄貴の牧場にいる馬を使うことになったので、その分のお金も受け取ることができた。俺やケンタスにとっても乗り慣れた馬なので、それが一番助かる配慮だったかもしれない。
出立は明朝となる。初めての長旅だが、ケンタスの兄貴を見つけて一緒に帰って来るだけだから、それほど大変な感じはしなかった。半年振りに兄ちゃんに会えるのでワクワクしているくらいだ。
不安といえば天候に恵まれるかどうかだ。雨が降った時は無理をしないようにと忠告を受けていた。陣営隊長も「キルギアスの弟じゃなければ許可しなかった」と口にするくらい大変な任務と認識しているので、無理だけは禁物だ。




