偽りの少女に安らぎを⑤(終)
「逃がすか!」
ヴィードは迫ってくるユリナをかわし、教会深部へと逃れるメイ達を追う。
「あら、貴方の相手はこっちよ」
先ほどまで反対方向に居たユリナが突然ヴィードの目の前に現れる。
彼はナイフを持ったユリナに切りつけられる寸前のところで立ち止まり、ドレンド・ビーグを手に構えた。
「どきなさい!」
ドレンド・ビーグはその持ち主の体内に秘める魔力を、中央にあるミドルフォースで物理エネルギーに変換し攻撃する道具。
彼はその魔力を握りしめたドレンド・ビーグに溜め、剣のように鋭く伸ばした。作り出した魔力の剣をユリナに向かって勢いよく振り下ろす。
しかし彼の剣はユリナではなく空を切った。次の瞬間ユリナはヴィードの背後に回り込み、背中を思い切り蹴った。
「くっ……一体どんな速度で移動しているんだ」
「私も一応時の街のヒトの端くれですから」
彼女はなにも高速で移動しているわけでは無い、移動する時間を「端折って」いるのだ。
彼女自身に神力は無いが、時の神より賜りしその胸元のペンダントから供給される神力でそれくらいのことは造作なく行えた。
ユリナはヴィードと大勢の部下達の間をひらひらと舞った。時間を縫いながらくるくると移動するユリナを部下たちは捉えられず、ユリナを攻撃したつもりが味方に傷を負わせ場は混乱していった。
「このっ……!」
やっとの思いでヴィードがユリナの片足をしっかりと掴む。彼女はバランスを崩してその場に倒れこんだ。
「覚悟は……よろしいですかな?」
怒りを露わにし醜悪な顔を晒すヴィードは魔力の剣を頭上高く構える。次の瞬間、ユリナはもう片足でヴィードの脛を思い切り蹴りその手を振り切ると、仰け反るように付いた後ろ手を離し前に屈み四つん這いになった。
「シルファディア王家の術式十「服従の術式」!」
突如、ユリナの周囲にある散らかった本や毛布がふわりと宙を舞う。その下には血で描かれた陣が隠されていた。陣は青白い光を放ちながらまばゆく輝く。
「貴方達は全員、解術するまでその場を一歩も動かないで」
ユリナの言葉に答えるように、ヴィードと部下達は口以外、小指すら動かせなくなっていた。彼女は陣の外側ぎりぎりの所から術式を発動させ、ヴィードとその部下は全員綺麗に陣の中に収められていた。彼女がふらふらと敵の間を縫っていたのはこの陣の中に全員を収めるためだった。
「いつの間にこんな陣を……。そ、そうかあの男……」
術式の効果で動けなくなったヴィードは悔しそうに呟く。彼の想像通り、この陣はリームがあらかじめ仕掛けていたものだった。
術式を描く手段は、生命力を媒体とする禁術・血の術式以外特に決められていない。
水でも血でもペンでも木の枝でも、術式発動時に正しい陣の形をかたどっていればいいのだ。そして血で描いたから必ず血の術式になるわけでもない。それにはそれ専用の開始宣言が別にある。従ってこれは普通の「服従の術式」、術者の操り人形になる術式である。
「しかもこの術式、シルファディアの……あ、あなたは、まさか……」
ヴィードが恐る恐る問う。カルディア王国は確かに世界で有数の大国だが、一つだけ恐れている国がある。シルファディアだ。
シルファディアには行方不明の若い王女が居るらしい。そして彼女は建国者ユリアナによく似た美しい女性らしいと他国にも有名な話だった。
「さあ……どうかしら?」
ユリナは冷たく微笑むと踵を返し、奥の暗がりに向かって歩き出した。
「あ、そうそう。その術式の解除キーは私が陣に触れながら「解術」を唱えることだから。ことが終わるまでゆっくりしてなさい?」
彼女は振り返ること無くそう言うと、右手をひらひらとさせながら暗がりに消えていった。
暗く冷たい部屋に、一人の少女が横たわる。
静寂に包まれたその部屋は、部屋というよりも洞窟のようにゴツゴツした岩場のような場所であった。部屋の真ん中には女神のような像がある。像には埃がつもり、手入れされている雰囲気はなかった。
「ようやく積年の願いが叶いますわ……」
そう呟くと紫の少女、フラノールは横たわる少女、ミラノを仰向けに転がしその顔をマジマジと見つめる。
(本当に、鏡を見ているようですわね……)
フラノールは暫く感傷に浸る。おもむろに彼女はミラノの美しい金の髪を一束手に乗せる。部屋の四隅で煌々と燃える松明の光で、それはうっすらと光った。遠い昔に置いてきた、彼女の思い出の色。
この紫の髪は決意の証。本物を倒し世界を手に入れるまでミラノには戻らない。フラノをフラノたらしめる決意の色。
「フラノ、まだ終わってなかったのか」
背後から声を掛けられ、フラノールはハッと我に帰る。そこには背の高いその体を少しかがめ、座り込んでいるフラノを覗き込むようにアピスが立っていた。
「色んなことを思い返してましたのよ。もう、元には戻れませんから」
そう答えるとフラノールは懐から装飾の美しいナイフを取り出し、ミラノの胸の上の位置に構えた。
その時、背後の扉が勢いよく開いた。
「兄さん!」
リームが大声で叫ぶ。
「……ヴィードったらしくじりましたわね」
フラノは恨めしそうにそう言うと、標的をミラノからリーム達に切り替えた。
「コイツらの始末が先だな」
アピスはやれやれと両手を広げるジェスチャーをすると、右手にエネルギーを集め始めた。
ヒトが体内に持つエネルギーには、魔力と神力の二つがある。神力とはその名の通り神の力、天界で天使達が生活する時に用いるエネルギーである。
しかし、九十五パーセント以上のヒトは魔力しか持たないか魔力すら持っていない。その上神力は基本的にこの世では具現化できないため、自分が神力を持っていることすら知らないヒトが殆どである。
時の力など秘めているだけで影響を及ぼすものもあるが、この世でその力を持っていても本人には何の意味もないのである。
しかし彼、アピスは時の神より「神の力」を賜っており、この世で神力を具現化しエネルギーとして利用することができる。
手のひらの上にエネルギーの塊を浮遊させ出方を伺っているアピスとドレンド・ビーグを構えたフラノールが、横たわるミラノの前に立ちはだかった。
バブも首から下げて服の中にしまっていたドレンド・ビーグを取り出し手に構えた。
フィラは今にも戦いがはじまりそうなこの緊迫した場で、気絶したメイを抱えながらオロオロと周囲を見回していた。
彼は兵士でもなければ軍人でもない。平和な教会に勤めるほぼ一般人だ。護身用のドレンド・ビーグを持ってはいるものの、使ったことは無いし使い方もよく分からない。
「すいません、フィラさん」
いきなり肩に手を掛けられたフィラはビクッとして振り返る。そこには申し訳なさそうな顔をしたリームが居た。
「ああ、驚かせてすいません。貴方、ドレンド・ビーグを持っていますか?」
彼がそう聞くと、フィラは恐る恐るローブのポケットからそれを取り出した。
「申し訳ないですが、これ、借りてもいいですか?」
どうせ自分が持っていても使いこなせない代物だ。フィラはそれをリームの手に渡した。
「ありがとうございます。必ず守りますから、メイさんをよろしくお願いします」
笑顔でそう言うと、リームはその道具に魔力を込めヴィードと同じような剣を作り出した。
「危ないので下がっていてください」
バブとリームはフィラを庇うように前へ出る。
その瞬間—
アピスが勢いよく走り出し、神力で作り出したエネルギー弾をいくつもバブに打ち込む。バブはそれらを転がりながらやりすごし、アピスの足元に蹴りを入れる。バランスを崩したアピスはよろけ、地に伏した。
刹那、ドレンド・ビーグを構えたバブと目が合う。
ドレンド・ビーグはその中心にあるミドルフォースにバブの魔力を受け、レーザーのように発射する。至近距離で顔面に魔力砲を受けたアピスは風圧と衝撃で天井高く舞い上がった。銃の数倍の威力、貫通性能がある魔力の弾丸を受ければまともなヒトなら顔面が吹っ飛んでもおかしくない。しかし再び地に降りてきたアピスはほぼ無傷で憎々しげにこちらを睨んでいる。
「直前で攻撃だけ他次元に飛ばしたか」
流石に時の神の長男様、一筋縄にはいかないか。バブは再び武器を構えた。
一方リームはフラノールと剣を交えていた。
魔力がそれをかたどっているのでキンキンという金属音は響かないが、お互い一歩も譲らずけん制しあっていた。二人とも剣を交えるだけで、有効な攻撃手段には出ない。リームに至ってはフラノールに受けた剣圧の衝撃でよく地に手をついては剣を引きずっていた。
「あなた……やる気ありますの? 兄様はもっとできる人だと思っていましたわ」
攻撃を受けては流し、逃げてばかりのリームにたまらずフラノールが口を挟む。
「そういう貴女こそ、人を傷つけるような剣捌きではないようですが?」
「おだまりなさい!」
図星を突かれ、逆上するフラノール。こんなにこの日を待ち焦がれていたのに、邪魔する兄を攻撃できない。
リームたちはかなりフィラの至近距離で戦っていたため、フィラは二人の戦いに巻き込まれないように抱えていたメイを下ろし部屋の壁にしがみついていた。
情けない、本当に情けない。
確かに自分は戦闘員ではない。だが、神の身に仕えた神官が自分の保身だけを考え、身を粉にして戦っている味方達に何一つしてあげることができない……それがたまらなく苦痛だった。
「ふん、このままでは埒があかんな」
バブに神力の連弾を放ちながら一歩下がるアピス。ドレンド・ビーグを盾のようにしながら攻撃を凌ぎ、再びそれで剣を作り出してはアピスに襲い掛かるバブ。
この潜在能力が高いうえに戦い慣れした男の相手を当たり前にしていても時間の無駄だと考えたアピスは、別の手段に出る。
そう、ヤツ等の弱点を突けばいいのだ。彼は口元をにやつかせ、再び前進した。襲い掛かるバブの攻撃を軽く流す。そのままバブを無視して前進し、壁際で呆然としているフィラに向かって突撃する。
今だ―!
アピスは必ず無防備な一般人を攻撃しに来る。リームには確信があった。
「呪いの術式!」
リームは右手でフラノールの攻撃を受けながら、左手で術式を発動させる。彼の直下に描かれた陣はまばゆく光り、その光はアピスを飲み込んだ。
彼はフラノールと戦いながら、よろけたフリをして密かに剣で術式を刻んでいたのだ。
呪いの術式は何処の国にも属さない基本術式。その陣もかなり単純なものである。危ないと分かっていながらフィラの近くで戦っていたのはその為だった。
「くっ、貴様……!」
術式を受けたアピスは頭を抱えその場に座り込む。
この術式は陣内のヒトを攻撃する術式である。しかし攻撃といっても肉体的損傷を伴うような強い力は無く、被術者の元々弱い部位の身体的不調を誘発するくらいである。
アピスがふらふらと立ち上がる。しかしその目の焦点は合わず、再びぐしゃりと崩れ落ちた。フラノールは彼の元に駆け寄り肩を貸す。やっとの思いで立ち上がったアピスはリームをにらみつけた。
「兄さん、もういいでしょう。今日は退いてください」
リームが降伏するようにアピスを説得する。すると彼は静かに次の攻撃を繰り出そうとしていた右手を下ろし、膝から崩れ落ちた。どうやらもう戦闘の意思はないらしい。というよりも戦闘できるような状態でもなさそうだ。
「う……」
ひと段落着いたところでタイミングよくメイが目を覚ました。
「こ、ここは……そうだ、バブ! あんたなんてことしてくれるのよ!」
「まあまあ、落ち着けよメイ」
緊張の糸が切れたようにいつものドタバタを早速始めるバブとメイ。そんな様子を笑顔で見守りながら、リームはバブ達の少し後ろに横たわるミラノの元に向かった。
—その瞬間
残りの力を振り絞ったアピスの一撃がバブの顔面に向かって放たれる
「危ない!」
その動作に気づいたフィラが咄嗟にバブを突き飛ばす。
「あっ……」
アピスの一撃はバブをかばったフィラの頭上をかすめ、ミラノを抱え上げようと座り込んでいたリームに向かって真っすぐ飛ぶ。
ドスッ!
鮮血が舞い上がり、そして降り注ぐ。
アピスの鋭い一撃は、リームの前に飛び出してきた幼い少女の背中を突き刺した。
「フラノ!」
リームはフラノールの名を叫ぶと彼女の元に駆け寄り、その小さな体を抱える。
「ちっ……」
最後の一撃が失敗に終わり、これ以上の追撃は無理だと悟ったアピスは仕方なく時空転移した。
「結局、私は「ミラノ」の呪縛から逃れることができませんのね……」
フラノは瞳をつぶり、自嘲するようにふふっと笑う。
すると突然彼女の体は青白い光に包まれ、拡散した。光が止むと、そこにはミラノと同じ髪の色、同じ瞳の少女がいた。
「……やっぱり「幻惑の術式」だったのね」
ヴィードを片づけたユリナがかつかつとヒールを響かせながらようやく登場した。
「幻惑の……なんで解けたの?」
メイが不思議そうに問う。しかしユリナは難しい顔をしたまま答えなかった。
「私が……死ぬか致命傷を受けたときに解術するように解除キーを埋めていましたから……」
フラノールは力ない声でメイの疑問に答えた。
「そんな……!助けられないの?」
メイはユリナの腕をつかみ、ゆさゆさとゆする。ユリナはなおも難しい顔のまま俯いていた。
「アホかお前、致命傷の意味わかってるのか?」
バブがメイに冷たい目線を送ると、メイはその瞳に涙を浮かべた。
「あなたは本当に、不思議な人ですのね……」
目をつぶったまま静かにフラノールは答えた。その顔にはあの全てを否定するような冷たい瞳は無く、ただ安らかな笑顔だけがあった。
「ううっ、私は……もう誰かが目の前で死んでしまうのが嫌なだけよ!」
ぐずぐずと泣きながら崩れるメイをユリナが優しく包むように抱く。
結局私はこの確定時間を覆すことはできなかった。
あの日全てを失った悲しみも、強く誓った決意も、全てがとめどなく溢れる血と共に流れていく。
「ミラノ」として育ち愛された全てを捨て「フラノ」として生きると決意したあの日から、もう振り返らない。そう決めていたはずなのに……
私は「ミラノ」を捨てられなかった。
会いもしたことない兄を愛していた。
口では今更と言いながら、本当はずっと私の兄ではない私の兄を探していた。
先ほどまで穏やかな表情で落ち着いていたフラノールが突然むせ始める。その口からは血が滴り、彼女の命は風前の灯火だった。
「にい……さま……最期に、お願いがあるんです」
フラノールは最期の力を振り絞り、もうあまり見えていないと思われる瞳を開くと蚊の鳴くような声で囁いた。
「私を、呼んで……その声で……」
空をつかむように上げるフラノールの弱々しい手をしっかりと握りしめ、リームは優しく微笑んで言った。
「おかえりなさい、ミラノ」
その瞬間、フラノールの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。
本物の蔓延るこの確定時間で、たった一人孤独に生きてきた偽物の、一番欲しかった人からの一番欲しかった言葉—……
フラノールは満足したように微笑み瞳を閉じると、そのまま兄の腕の中で息を引き取った。
ここはカルディア教会墓地。
フラノールの亡骸は他の教団関係者と同じようにこの地にひっそりと埋葬された。彼女の死は教会関係者の中でも最上位のものしか知らない。こんなことが公になってしまってはカルディアは混乱してしまうからだ。
真新しい彼女の墓の周りには、喪服に身を包んだフィラ、バブ、ユリナ、リーム、メイの五人が佇んでいた。冷たい雨がしとしとと降り続き、五人の肩を濡らしてゆく。
「これで、よかったのでしょうか……」
フィラはやるせない表情で今しがた新しく作られた墓を眺めていた。
「むしろこうなる以外の道は無かったと思うが……」
「ひどいわ!バブ!」
冷静に分析するバブにメイは食ってかかった。
「まあまあメイさん落ち着いて」
そんなメイをリームが窘める。いつもの光景だった。
「フラノを救う方法、無かったのかしら……」
メイは彼女の墓に手向けられた花を見つめながら力なくそう言う。
「仕方ないですよ。彼女とは向かう道が違いすぎましたから」
「あんたも酷い男ね。違う次元とは言え妹が死んだっていうのに」
あははと困った笑顔を浮かべながらいつもの調子で笑うリームに、メイは呆れた声で返した。
「メイ、埋葬も終わったしそろそろお開きにしましょう」
「それもそうね」
湿っぽい雰囲気が苦手なメイはユリナの提案を快く受け入れた。フィラ以外の四人は、それぞれの帰る場所に思い思いに散っていった。全員が捌けたのを見計らうと、フィラはポケットにしまっていたラベンダーのコサージュを取り出した。彼はその小さな遺品をそっと墓に供える。
「ユリナ様はああ言われますが、やはりこの教会の神はフラノール様だと私は思うのです。世界を想い、憂い、救おうとするその心は、子供のころから私が敬っていた神そのものですから……」
先ほどまで降り続いていた雨はいつの間にか止み、木々に囲まれた集団墓地に心地よい風が吹き抜ける。墓にできた水たまりは差してきた日の光にキラリと輝き、顔を出した青空には清々しい虹がかかっていた。
いくつもの「ミラノ」のなかで、たった一人立ち上がった「フラノ」
本物が蔓延るこの確定時間で、彼女は確かに一人の青年の神となった。