偽りの少女に安らぎを③
その後フィラから開放されたメイ達は、タルトール城に戻り親族会議を行っていた。
城の一角にある会議室は白塗りの壁に大き目の窓が付いている開放的な部屋だった。昼ということもあり、窓の外に植え込まれている木々から優しい木漏れ日が差し込む。しかし部屋の空気は重々しく、国の一大事を話し合う会議が始まろうとしていた。
会議用の円卓には議長であるレイバーが白板前に座り、右をレイリクール、左をダードクロスが囲むように座っている。その隣からずらりと側近達が並んで座り、最後にレミ、メイ、バブ、と来てレイリクールに戻るような配置になっていた。
「……つまり、カルディア王国が我が国と不可侵条約を結ぼうとする目的を探ろうと潜入したが失敗し、命からがら逃げてきた……ということじゃな」
レイバーは静かにそう言うと、鋭い瞳でバブを睨みつける。
「ああ、大体あってる」
バブがいつもと変わらない調子でそう言いった。小憎たらしそうに顔を歪めるレイバーとは対照的に申し訳なさそうにメイが俯く。
「……ま、終わったことをここで話し合っても仕方ないだろ。問題はこれからどうするかだ」
「なんじゃと!」
勝手に動いた挙句、失敗して他国の怒りを買ってしまったことに対して落とし前をつけてもらおうと思っていたレイバーは、簡単に「終わったこと」で片付けられたことに怒りを露にし、立ち上がってバブを怒鳴りつける。バブはそんなレイバーを面倒臭そうに肘を付いて見つめていた。
それもそのはず、元々この件はメイの不注意により起きてしまったことなのだから。
「と、とにかくおじいちゃん、タルトールのこれからについて話し合いましょう。ね?」
メイはレイバーを宥めるように優しくそう言うと、彼は少し落ち着いたのか、ため息を付いて席に腰を下ろした。
「……では、カルディア王国が攻めてきた場合、どうするつもりなんじゃ?」
レイバーはあごの辺りで手を組んで真っ直ぐにバブを見据える。
「その件については相手の大将とハナシつけてきたから、多分大丈夫だとは思うが油断はできない」
「話……?」
レイバーはバブの回答にピクリと頬の辺りを吊り上げ問う。
「ああ。だからおおっぴらにタルトールを攻めてくることは無いはずだ。だがアイツ等が約束を守り通す確証はない。タルトール城や城下町の警備を厳重にしておいた方がいいかもしれない」
バブはレイバーの問いを軽くスルーすると、冷静に今後の対策を付け加える。
「ふむ……。ではレイリちゃんとダードちゃん以外の側近達は二つに分かれて城と街を警護してもらうようにしよう。城の兵共は好きに使ってよいぞ」
レイバーはバブの思惑通り自分が尋ねた質問のことは忘れ、頭の中をさっさと今後の話に切り替えていた。
「……側近だけで大丈夫なの?」
先ほどまで殆ど会話に参加していなかったメイが小さな声で不安そうに言う。
「大丈夫だよ。レミに残ってもらう」
レイバーがメイの質問に答えようと口を開こうとしたその時、隣にいたバブが先に答えた。
さらにその隣、メイの妹レミは突然想像だにしなかった自分の名前が飛び出てきたことに驚き、目を丸くしてバブを見つめる。
「レミに……? どういうこと?」
メイが怪訝な顔でバブに問う。
「万が一カルディアが攻めてきたときに、一番頼れるのはレミだろ。だからだ」
淡々とそう言うバブにメイが噛み付く。
「何言ってんのよ!レミにそんなことさせられるわけないじゃない!」
魔力こそ常識はずれだが、戦闘経験がほとんど無く危なっかしい。それがメイのレミに対する印象だった。目に入れても痛くないくらい可愛い妹にそんな危ない仕事を任せることなどできない。
「まぁまぁ。落ち着けってメイ」
バブはメイにそう言い嗜めると、その奥にいるレミに視線を移した。
「レミ、もしもアイツ等が攻撃を仕掛けてきたらタルトール国全体に防御術式を張って欲しいんだが」
「防御……術式?」
レミが不思議なものを見るかのような目でバブを見つめる。
「ああ。魔法陣の描き方とか説明は後でするよ。多分使うことは無いとは思うけど」
バブはレミが小さく頷くのを確認するとレイバーに向き直り
「……とまあ、こんな感じでどうだろう?レイバー」
そう言ってレイバーの出方を待つ。
「分かった。とりあえずはこれでいくしかないのう」
レイバーは頼りなさそうにそう言った。
「じゃ、これで解散でいいな?」
「うむ、これにて解散とする」
バブが促すとレイバーはそう言い、会議は終了した。
側近達はぞろぞろと会議室を後にし、数分もすると部屋にはレイバーとバブ、メイ、レミの四人しか残っていなかった。
「不安だわ。レミにそんな……」
「大丈夫ですよ、あねごさん!」
レミ一人に国を守るという大仰な役目を負わせるということに煮え切らないメイがそう言いかけると、過保護な親を嗜めるかのようにレミが気丈に答えた。
「そそ、レミもガキじゃないんだからお前も信じろよ」
バブが軽くそう言うと
「レミもアンタも私も子供じゃない!」
メイが正論で食って掛かる。
「まぁ、間違いないな」
バブは外の優しい木漏れ日を見つめながら苦笑いしていた。
***
辺りは夕暮れを迎え、真っ赤に染まった空はやがてくる夜の訪れを静かに待っている。そんな閑散とした空の下、二人の少年少女が地面に描かれた陣を見下ろしあれやこれやと語らいでいる。
「こうでいいんですか?ばぶじぃ」
手に木の枝を握ったレミはそれで描いたと思われる地面の文様をトントンと軽く叩きながらバブを見る。
「……ああ、これでいい」
バブはレミが描いた術式の陣をなぞるように見つめた。
「……で?」
レミが次の手順をバブに促す。
「えーっとだな。陣の真ん中に立って「タルトール王国の術式三『守護の術式』」こう唱える。そしたら発動するはずだから」
「それでこの国全体を守る術式が発動するんですか?」
「ああ。この陣の……この線」
バブは陣の内側にある一つの円を指す。
「この線の内側の陣は「守護の術式」……つまりこの陣内を外敵から守る術式だ。そしてこの線の外側からこの一番外枠の円まで」
彼は先ほどの円から外枠の円までを測るように指す。
「これが「拡張の術式」……そう、シルファディアの複合術式だ。コイツは一緒に組み合わせた術式の効果範囲を広げたり、威力を高めたりする術式なんだ。つまりこの術式を利用して「守護の術式」をタルトール王国全体に拡張させようってわけだ」
バブはレミが今描いた陣の内容を一通り説明した。
レミは話を追うのに精一杯という感じに怪訝な顔を浮かべ頷いる。
「「拡張の術式」ってのはすげぇ魔力依存の強い術らしいが、俺に負けず劣らずな魔力のお前ならこの国全体に拡張させることくらいできるだろう。……ああ、ちなみにコイツは付加術式だから開始宣言は要らんぞ、守護の術式だけで良い」
頭の中を整理しながら聞き入るレミにバブは最後の説明を付け加える。バブはレミが自分の説明を消化するのを眺めながら、黙って腕を組んだ。
「あら、懐かしい術式ね」
突然背後から聞き覚えのある女性の声が響き、バブは驚いて振り向いた。
「ユリナか……いきなり現れるなよ。お前ら相変わらずだな」
そこには美しい海の青を靡かせた美女が立っていた。布面積の少ない時の街の正装からすらりと伸びる手足はまるでモデルである。
彼女はユリナ。シルファディアの王族だが、今はわけあって従兄のリームと時の街で暮らしている。
ユリナ等時の街の連中は、確定世界に時空転移する際あらかじめ現れる場所の座標を決めることができるらしい。そのため人の城に勝手に進入し、いきなり目の前に現れたりすることも日常茶飯事となっていた。
「まぁ。お前等とはご挨拶ね」
ユリナは頬をぷうと膨らませて不機嫌そうに言う。神力のコントロールに自信を持っている彼女は、なんとなくリームと一緒くたにされたことが不満のようだ。
「……で?何の用だよ」
バブは不機嫌そうなユリナに構わず問いかける。
「あのね、リームとミラノが居ないの。バブ知らない?」
ユリナはさっきまでの不機嫌な顔を不安そうな表情に変え、覗き込むようにバブを見つめる。そんな彼女の子犬が縋るような顔を見て、バブは思わず顔を逸らす。
「ごめん、ユリナ。リームなんだが、敵さんに売っちまった☆」
バブはそういうと苦々しい笑い顔を浮かべ、右手で頭を掻く。
「ええええええ!何やってるの! バブ!」
ユリナは体全体でバブの行為を否定するような叫び声をあげる。
「ま、まあまあ。落ち着けってユリナ。リームもガキじゃないんだから大丈夫だろ」
バブは自分より少し身長の高いユリナの頭をぽんぽんと叩いた。
別に忘れていたわけじゃ無い。ただ、優先順位が低くて後回しになっていただけだった。いくら敵地に一人で囚われているとは言え、仮にも神の卵。時空の棒など無くとも有無を言わさず時を止めてくるようなヤツをそう簡単にどうこうできるはずがない。余程強力な敵でも出てこない限り大丈夫だろう、そんな思いがあった。
―だが、そんなことよりもっと気がかりなのが……
「ミラノが……いないだって?」
バブは顔を顰めてユリナに問う。
「え?ええ」
怪訝なバブの表情にユリナはきょとんとして彼を見つめる。そんなユリナに気づいたバブは慌ててその訳を話した。
「あ、いや……関係ないかもしれないけどな。リームをよこせと言ってきた女がさ、ミラノにそっくりだったんだよ。髪の色とか違ったけど」
刹那、ユリナの顔色が変わるのをバブは見逃さなかった。
「……ユリナ、何か知ってるのか?」
すかさずバブが問う。
ユリナはバブの問いに答えることなく訝しい顔で暫く考え込んでいた。その様子を暫く見守っていたバブだが、耐え切れずに口を開く。
「……言えないことなのか?」
バブはユリナを真っ直ぐ見据える。暫くお互い沈黙が続いたが、観念したようにユリナが口を開いた。
「もしかして、フラノールとか呼ばれてなかったかしら」
ユリナの問いにバブは静かに頷く。バブの相槌を確認すると、ユリナは少し躊躇い重々しい声で言った。
「その娘、アピス兄さんの……部下よ」
「自称勇者の?」
バブは尚も暗い表情で俯くユリナに問う。
夕暮れ時の冷たい風が二人の間を通り抜けた。そんな一時の静寂を割るように背後から叫び声が響く
「バブさまー!レミさまー!」
二人の名を呼びながらこちらに向かい走ってくるのはスリラだった。
彼はレイバーの側近の一人で、主にメイのお世話係……もとい護衛を任されている。鼻に掛かるくらい長くボリュームのある白髪を垂らし、その表情は窺い知れない。頭にはベレー帽のような帽子を被り、漆黒のマントを羽織っている。
「どうした、スリラ」
バブが訝しい顔でスリラにそう問うと、彼にはめずらしく取り乱してその手に握っている電話を差し出す。電話といってもこの世界のそれは電話の形をした魔力を通しやすい媒体であり、通話者同士の魔力によって言葉を交わすことができる念話のようなものだ。
「カルディア王国のフィラさんという方からお電話なのですが、なんか……」
スリラがそこまで言うと、バブは彼の手から電話を取り上げ耳に当てる。
「もしもし……バブです。例の件なら話は付いたはずですが」
バブは受話器に向かって淡々と話す。
「それはこちらの台詞です。一体どういうつもりです?お姫様を教会に特攻させるなんて」
話が見えない。バブはフィラの言う意味が分からずに電話を眺め首を傾げる
「あの、バブ様」
スリラが遠慮がちにバブに小声で話しかける。
「何だよ」
「いや、実は……メイ様が見当たらないんです。側近のミルファとミドルカートも。もしかしたら、カルディアに行かれたのかも……」
—……
——……
「はああああ?お前スリラああ!ちゃんとあのサル女見張っとけよ!担当だろお前のっ!」
バブは自分が他国の重役との電話中だということも忘れ、大声でスリラを叱る。
「す、すいません……ちょっと目を離した隙に居なくなられてしまって……」
スリラは両手を左右に動かしながら慌てる。
「ばぶじぃ、そんなことより電話……」
レミがバブの手に握られたまま放置状態の電話を指差す。
バブはようやく自分が他国の重役と電話中だということを思い出し、慌てて受話器を耳に当てる。
「す、すいません。こちらとしてもメイの行動は想定外でして……今から引取りに来てもよろしいでしょうか」
バブが申し訳なさそうにそう言うと
「分かりました。ただしあなた一人、何も武装せずにいらしてください」
フィラは先ほどの騒動がまるで無かったかのように淡々とそう言った。
「分かりました。それでは今から向かいますので。失礼します」
「お待ちしております。それでは」
バブは通話を終え、受話器を離しスリラに渡す。
「……ったく、世話のかかるお姫様だ」
バブは呆れと疲れの混ざったような妙な表情でそう呟くと、この間リームが描いた転移の術式がある場所まで移動した。微かに残るその術式とにらめっこを始める。
「少し消えてるけどまだ残っててよかった」
どうやらここからカルディアまでひとっ飛びするつもりらしい。
「ばぶじぃ、私も行きたいです」
レミがバブを上目に見つめる。
「ダメだ。一人でって言われてんだよ」
バブはレミのほうを向きもせずにそう答える。彼は暫く難しい顔で陣を眺めていたが、やがてうなり声を上げお手上げのジェスチャーをして見せた。
「なんだこれ、メチャクチャ複雑な陣だな。こんな消えかけの陣じゃ全然理解できねえ」
元々、空間転移自体が高度な魔力具現化であり、その中でも転移の術式は指定した場所に正確に転移するという最上位の術式である。
当然陣は複雑であり、更に出発発着点の地形的特徴などを描き入れるためそういった知識も必要である。
付け焼刃で使えるような術式ではない。そんなバブの様子を傍で見守っていたユリナが突然バブの前に寄る。
「ね、その木の枝、貸して」
「あ?ああ」
バブは不思議そうな表情で陣を描くために握っていた木の枝をユリナに手渡した。すると彼女は何の迷いも無く地面にすらすらと陣を描いていく。
「ユリナ、お前……!」
バブは驚いたようにユリナと陣を交互に見つめた。彼女が描いている陣は徐々に転移の術式の陣をかたどっていく。
「あたしはシルファディア王族なのよ。こんな術式もう暗記したわ」
ユリナは冷たくそう言い放つと、既に脳裏に焼きついている陣を完成させる。バブはそんな彼女を呆然と見つめていた。
メイと同じように単純で、同じように感情に流されやすくて、同じようにちょっと頭が弱い。彼はユリナにそういう印象を抱いていたからだ。
だが、今此処に居るユリナは冷めた表情で自分も解析できないような陣を淡々と作り上げていく。まるで別人だ。シルファディアが絡むといつもこうなんだろうか。
「ねえ、バブ。あたしも連れて行ってくれない?」
陣を描き終え腰を上げたユリナは振り向きざまにそう言う。
「はあ?聞いてただろ。一人で来いって言われてるんだよ」
バブは困ったようにユリナに言う。
「大丈夫よ」
「何が大丈夫なんだよ」
謎の自信を崩さないユリナにバブは更に困惑する。
「あたしなら、フィラ君も分かってくれると思うわ」
「何だお前、フィラと知り合いなのか?」
バブは驚いてユリナに問う。
「ええ、まあ。時の街のお仕事でカルディアには何度か行ったことがあるわ」
ユリナは相変わらず冷めた表情でそう言った。
「わかった。とにかくカルディアに行ってメイを回収してこないとな。ついでにリームも。レミ、タルトールのことは任せたぞ!」
バブがレミに一方的にそういうと、レミは不満そうな顔で彼を見つめた。
「さあ、ユリナ……」
バブはそんなレミの思惑を余所にユリナに術式の発動を促す。ユリナは彼の言葉に反応するように軽く頷くと地に手をかざす。
「シルファディア王家の術式十八、『転移の術式』」
陣の内側からかまばゆい光と風が起こり、たちまち消える。レミとスリラは消えた二人が居た場所をただ、呆然と眺めていた。
***
にぎやかな街中から少し離れた森の中。街の明かりに夜の暗闇が侵食する。二人はそんな暗闇の中に現れた。
「こんな時間に教会、開いてるかしら」
森から街中のほうに足早に歩きながら、ユリナは不安そうにそう言う。
「まあ、失礼な客であることには間違いないな。今更だが」
バブは特に悪びれる風もなく真っ直ぐに教会へと向かった。二人が教会に到着した頃には当然教会は閉まっており、見張りの数人がでかでかとしたその扉の前で辺りを見回していた。
「なんだ、あんたらは」
見張りの一人がこちらに気づいたらしく、二人に歩み寄っては不審そうにそう言う。バブはそんな見張りに深々と頭を下げこう言った。
「タルトール王国王族のバブと申します。フィラ殿との面会をお約束していた次第ですが」
バブが軽く会釈しながらそういうと、見張りは他の見張り達とヒソヒソと話しては慌てたように扉を開き始める。
「ああ、お話は伺っています。どうぞ」
バブと会話していた見張りは二人を教会内部へといざなう。どうやらバブが一人で来るかどうかまでは伝わっていなかったらしい。
「ああ、お待ちしておりました」
教会内部へと入ると、そこにはフィラの姿があった。彼は優しくそういうと、バブが一人では無いことに気づき突然顔を顰める。
「一人でいらしてと伝えたはずですが……ん?」
フィラはユリナの顔をじっくりと見ると、驚いたように目を見開く。
「あ、あなたは……ユリナ様!」
「久しぶりね、フィラ君」
バブはその光景を不思議そうに見つめる。何でユリナはこんなに偉そうなんだ?ここが時間に纏わる教会だからなんだろうか。
「あのね、フィラ君。メイは悪くないの。ちょっと感情的なだけなのよ」
ユリナは単刀直入にメイの開放を申し出た。バブはとりあえずフィラとの折衝はユリナに任せることにし、黙ってその光景を見守る。
「しかし、ユリナ様……彼女は……」
フィラが困ったように弁解しようとすると、ユリナは先ほどまでの冷めた表情を憎しみの形相に変えフィラを睨む。
「いいからメイを返して」
暫く重い沈黙が続く。
周りの見張りたちもどうしたらいいか分からずにただ、固まっている。そんな沈黙をため息一つついて先に破ったのはユリナだった。
「はあ……あなた、フラノに騙されてるのよ」
フィラはユリナの言う意味が分からずに顔を顰める。ただ、彼女がフラノールに対して良い感情を抱いていないことだけははっきりと分かったようだ。
「お言葉ですがユリナ様、フラノール様は此処の神であらせます。今の言葉は聞かなかったことにしますので早々にお引取り下さい」
ただ一人、絶対の神の存在を軽視されたフィラは憤って強い口調でそう言う。
「あんな紛い物の女、神なんかじゃないわ」
ユリナはそんなフィラに臆することなく相変わらず淡々と言う。尚もフラノを侮辱するユリナにフィラは怒りを隠せずに顔を歪める。
「おーい、埒があかないじゃないか、ユリナ」
硬直状態で睨み合う二人にバブが横槍を入れた。このままではここで戦闘が起きかねない。
「あら、ごめんなさい。そうね、時間も無いことだし……」
ユリナはバブの方を振り返ると軽い調子でそう言い、フィラに最後の提案をする。
「じゃあフィラ君、こうしましょう。あなたがメイを開放してくれたら、私が知っているフラノに関する情報を可能な限りあげるわ。どうする……?」
どうやらユリナははじめからこうするつもりだったらしい。始終余裕だったのはその所為のようだ。
フィラは口に手を当て困惑する。まさか、こんなことで心揺さぶられるとは……。だが、フィラが今一番欲しているのは情報だった。
彼はこの教会の最高指導者ではあるが実質的には大臣のヴィードがその実権を握っており、彼は所謂「お飾り」に収まってしまっている。当然お飾りには教会の実態や真の方向性などは伝わってくるわけもない。自分が崇めている神の存在さえ知らなかったのが良い例である。
ここは「お飾り」とて教会の指導者として、暴徒に屈せず姫には捕虜を続けてもらうべきなのだろう。
分かっている。分かってはいるのだが……
「……分かりました。メイ姫を解放いたしましょう」
フィラは悔しそうに俯いてそう言った。周りのどよめく声が彼の耳に突き刺さる。
「し、しかしフィラさま……」
見張りの一人が堪らずにフィラに意見した。フィラはそんな彼を冷たく睨み、静かな声で言う。
「ここの指導者は私です。あなたは姫をこちらへ連れてきなさい」
見張りは慌てて返事をすると急いで教会の奥のほうへと姿を消した。
「さて、ユリナ様……約束です」
フィラが待つ時間も惜しむようにユリナに言う。
ユリナはその大きな瞳を見開いて楽しそうに話しだした。
「時の神には四人の子供がいるんだけど、神は自分の長男と対立していてね。その部下なのよ、フラノは」
「つまり……?」
フィラはユリナの言うことをよく理解できずに彼女に解釈を求める。
「つまり悪いヤツなの!」
ユリナはずいと顔をフィラの前に突き出し、口を尖らせてそう言った。
「ユリナ、『紛い物』ってどういう意味だ?」
後ろで待機していたバブがユリナとフィラの間に割って入る。彼はユリナのただ一度口にしたその言葉を聞き逃さなかった。
ユリナはバブに向き直り、貼り付けたような笑顔で答える。
「それはね―……」