泡沫の夢
名も無き物語勇者編(漫画)の後日談ですが特に内容知らなくても読めると思います。
魔王編→IGO編→勇者編→シルファディア編→時の街編
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ここ
胸元からあふれ出したその赤が
色素の薄い彼女の全てを濃く染め上げていく
俺はただ、彼女が息を引き取るのを黙って眺めていた。
「あ、アピス様?珍しいですね。今、大臣を…」
「よせ、今日は忍んで来たんだ。アイルスに用事がある。ここを通せ」
受付の女は不思議そうな顔で俺を眺める。俺は彼女をつっぱねてさっさと城内にあるエレベータへと向かった。
こんなところでもたもたしていては見つかりたく無い連中に見つかってしまう。
ここはユニオンフォート南半球最大の国、シルファディア王国。そして俺は一応この国の王子、アピス・ダイナ・シルファディアだ。
だが、国の内情で俺は王族に歓迎されてはいない。
そもそも俺が王族ということすら知らない連中も沢山居る。それだけこの国の内情ってヤツは複雑なのだ。
俺だってこの国の面倒な跡継ぎ争いには毛頭興味もない。
それは俺がこの国の王族であると同時に、時の神の長男でもあるからだ。
国を動かす王と世界を牛耳る神を天秤にかけるならば、当然神の方に傾く。そもそもシルファディアは女が王位を継ぐ国だしな。
俺がシルファディアに歓迎されないのは、所謂「妾の子」のような立ち位置だからだ。そして時の神が暮らす時の街でも、同じく「妾の子」のような存在だった。
俺と実弟のアイルスは、貴族であり神族であると同時に、どちらにとっても中途半端で邪魔な存在なのだ。
だが、アイルスは色々あって失ってしまったシルファディア王国の先代女王である母の遺志を継ぎ、王位継承権1位である母の娘、ユリナを女王にして自分は後ろ盾となり補佐する道を選んだ。そう、あいつはシルファディアを選んだんだ。
俺は正直シルファディア自体はどうでもいい。
…そう、俺は時の神になりたかった。
だが、そうは問屋が卸さなかった。
シルファディアにユリナが居るように、時の街にも「正妻」の子が居たわけだ。
厳密に言うと、別に俺は妾の子というわけではない。時の神と言えど確定世界と同様に一夫一妻制であり、一時といえど母と時の神であるクロノスは婚姻関係にあった。
ただ、後から出てきた母の姉に寝取られただけのこと。
その寝取った女の息子、リームが現在、次期時の神候補の証である時の神(仮)という地位に居る。
あいつを排除しないと俺は時の神にはなれない。
当然あいつを殺そうと何度も試みたが、後一歩のところで邪魔が入って失敗に終った。しかもそれを見かねたクロノスが面倒な「仕掛け」を作ってしまった。
―神はその力を4つに分け、それぞれを子供達に託したのだ。
神力を現世で自在に扱う「神の力」を長男に、時の街という半神界を作り出す「神の眼」を次男に、複雑に絡み合う時空を制御する「時の鎖」を三男に、確定時間と未確定次元を分け隔てる「時の壁」を長女に、それぞれ分け与えたのだ。
これにより神は俺達の誰か1人でも欠けると世界が均衡を崩し崩壊してしまうシステムを作り出した。
そう、俺がリームを殺すためには、一度「時空の鎖」が宿るその胸元のペンダントを奪う必要があるわけだ。
これだけでも厄介なのに、加えてユリナのヤツが余計なことをしてくれた。
「報復の術式」だ。
これは術者と被術者がお互いに物理的な損傷を共有する術式だ。「目には目を。歯には歯を」というヤツだな。
そう、この術式は「術者と被術者」の間で完結する術式だ。
だが術者はユリナで、損傷を共有し合っているのは俺とリームだ。
不思議だろう?何故こういうことになっているのかは天才的発想をしてくれたユリナに聞いてくれ。
とにかくこの術式の所為で、俺がリームを傷つけた分だけ俺も傷つくことになる。つまり俺が直接手を下してあいつを殺すことはできないということだ。俺はガマン大会などする気は無いからな。
この二つの仕組みの所為で俺は邪魔者も排除できずに長いこと足踏みしている。
そんなことを考えながら歩いていたら、アイルスの部屋の前に着いていた。今日はコイツに用がある。
「おい、入るぞ」
俺は軽く三回ノックすると、部屋の主の登場を待った。
…だが、一向に扉が動く気配は無い。そもそも部屋の奥に人の気配を感じない。
「居ないのか?…入るぞ」
俺はドアノブを握り、回す。…開いてる。
静かにドアを開き、中に入る。あたりを見回してみたが、弟の気配は無い。
「鍵も掛けずに何処ほっつき歩いてるんだあいつは」
俺は半ば呆れて部屋の奥に進んだ。出しっぱなしの本や道具があちらこちらにちらばっている。掃除してんのかコイツ。
部屋の深部、ベット付近にたどり着くと、俺は思わず足を止め、固まった。
ベットに横になっていたのはリームだった。
熟睡しているようで、全く起きる気配は無い。
「ふん…こいつ、アイルスを頼ってきていたのか。」
まだ塞がって間もない右肩が答えるように疼く。
先ほどの戦いで、俺はリームに右肩を打ち抜かれた。
先述したように、俺とリームは傷を共有しあっている。
つまりコイツも同じ場所を同じように負傷しているということだ。時の街に帰っても説明できないようなこの傷、アイルスを頼るしかなかったんだろう。
俺はベットで静かに寝息を立てる弟の顔を、久しぶりにまともに見た。
色素の薄い空の青はフワフワと広がり、柔らかな布団に散っている。透き通るような肌に少し高揚した頬、昔と変わらず精巧な人形のようだった。
―刹那、リームが突然上体を起こす。
彼は俺の胸倉をしっかりと掴み、生気のない瞳を見開くと囁くように言った。
「ねえ、何で私を殺したんです?勇者さん」
見開かれた瞳はこいつのものじゃない、血のように真っ赤に染まったそれは俺の心の一番触れられたくない部分を責めるように抉ってきた。
違う、違うチガウチガウチガウ…
「違う!俺は…」
「何やってんだ?兄貴」
突然背後から声を掛けられ振り返ると、そこには見慣れた弟の姿があった。アイルスだ。
「兄貴、お前ちょっと病院行ったほうがいいんじゃないか?」
俺が不思議そうにアイルスを眺めると、彼は俺の正面、リームの方を指差した。
先ほど俺を責めたリームは、微動だにせずに元の通り静かな寝息を立てていた。
「は…?お前も見たろ、さっきのコイツ…」
俺はわけも分からずにアイルスに食って掛かったが、彼はため息を一つついてこう答えた。
「俺がこの部屋に入ってきたとき、兄貴は頭を抱えて熟睡するリームに向かって喚いてたけど?」
つまり、俺が見たのは幻影だと言いたいようだ。
俺も反論したいところだが、当のリームが「さっき突然起き上がって俺を掴んだ」なんて言うと、それこそ病院送りにされそうなくらいに熟睡しきっていた。
反論できずに黙っていると、アイルスの口からは俺の聞きたくない台詞が当然のように飛び出てきた。
「兄貴…いい加減昔の女と弟を重ねるのやめてくれないか?」
まるで昔の女が忘れられなくてトチ狂ってる哀れな男を諭すように言うアイルス。全く屈辱的だ。
「煩いな、そういうアレじゃないだろ」
そう、俺はエマを妹のように慕ってはいたが、別に恋愛感情を抱いていたわけではない。今も昔も俺が愛するのはユリアナだけだ。
「…お前のことは嫌いじゃなかったが、どうしても邪魔だった」
俺はリームの髪の襟足をくるくると丸めながら呟いた。
背後には相変わらず哀れな男を見るような目つきでアイルスが立っている。
俺がコイツを殺せない3つ目の理由、それがエマの存在だった。
エマとはシルファディア王国建国者ユリアナとその従者、イルとの間に生まれた娘だ。
生まれる前に父を亡くし、生まれて直ぐに母を亡くした彼女は天涯孤独の身であり、またユリアナからシルファディア王国を奪ったシルファディア分家から身を守るために、その存在すら公式には消されひっそりと孤児院で暮らしていた。
色素の薄い空の青にふわふわしたロングヘア。対照的に燃えるように真っ赤な母親譲りの瞳。
孤児院を出てからは医者として全国を巡っていたため常に白衣を身に纏い、飾り気などは全く無かった。
俺とエマが出会ったのは今から数年前のことだった。
俺がたまたま用事でシルファディアを訪れた時のこと、用事も済み自宅に帰ろうとしたところ、突然右手を掴まれた。振り返ると、そこには見たことも無いトンチンカンな男が立っていたんだ。
何がトンチンカンかというと、服装がトンチンカンだった。柄物のコートにドットのインナー、ストライプのパンツにサンタクロースのような帽子。完全に変質者である。
しかし、城内の誰もが追い出さない様子を見ると、ただの変質者ではないようだ。
その男は訝しがる俺をよそに顔を近づけ、こっそりと耳打ちした。
「アピス君、輪廻転生って知ってる?」
ヒトは輪廻転生する生物らしい。今一時を現世で過ごし、死が訪れると天界へと召していく。
そしてヒトは体や記憶などの情報を全部剥ぎ、魂になって天界での長い生活を送る。やがて時がくると再び魂は下界に下り、ヒトとしての情報を作り上げる。これが輪廻転生だ。
一度魂が天界に戻り、再び現世に降りるには数万年の月日が必要らしい。
ユリアナが亡くなったのは今から数万年前。いつ転生してもおかしくない時期だと。そんなハナシを城のロビーで聞かされた俺は、公共の場であることも忘れ興奮していた。ユリアナにもう一度会えるかもしれない。ただそれだけのことに。
しかし男は言う。ユリアナの転生を邪魔する存在が居ると。それはユリアナとほぼ同時期の世界線の上に存在する女性らしい。
俺は勢い込んでその女を始末しに行くと男に告げると、男は面だけ心配そうに歪めて申し訳程度に止めた。
コイツはその邪魔な女を始末させるために俺を唆したんだろう。このヘンな男の言いなりになるようで少々癪だが、この際そんなことはどうでもいい。
女の住みかと特徴を素早く男に問うと、俺は飛ぶように自宅へ帰り、早速あの時代に飛んだ。
俺とユリアナとイルが共に笑いあったあの時代に。
飛んだ先は鬱蒼と茂った森の奥だった。とても人が住んでいるとは思えない。
だがあの男から聞いた住所は確かにここを示している。嘘でもない限り、問題の女はこの辺りに住んでいるはずだ。
俺は不安定な足場を慎重に進む。場所によっては踏み外すと数十メートル下へ真っ逆さまなところもある。そんなことになっては女どころの話ではない。
暫く上ると小屋のようなものが見えてきた。あそこに居るのかも知れない。
その時だった。
逸る気持ちが俺の足元を掬い、そのまま崖下へと滑り落ちた。
「くっそ…いてぇ…」
滑り落ちたときに崖で腰を打ち、激痛が走った。幸い崖はそんなに高いものではなく、俺は痛む腰にふるいを掛けて立ち上がり、再び崖を上ろうとした。
「大丈夫ですか?」
不意に背後から声を掛けられる。振り向くと、そこには例の男が言ったとおりの女が立っていた。
こいつだ。この女がユリアナの転生を邪魔する女なんだ。
俺が憎々しげに女を睨むと、そいつはきょとんとしていたが、暫くすると納得したように不安げな顔つきに変わった。
「あ、あの…お体が優れないようでしたら私の家で休んでいかれませんか…?」
チャンスだ。こいつの家に転がり込めば、いつでも殺す機会は訪れるだろう。俺は渾身の困り顔で言った。
「ああ、腰が痛くてたまらん。すまんが邪魔する」
女は何故か嬉しそうに頷くと、俺の肩を掴んだ。
大丈夫だ!…と言いたいところだったが、実際腰が痛んで1人では歩けない状態だった。今から殺そうとしている女の肩を借りることになるとは無念…。まあ、仕方がなかった。
俺達は先程見えた小屋の方へと歩き出した。やはりあれが家だったのか。俺には汚らしい小屋にしか見えんが。
「狭くて汚いところですけど」
女は遠慮がちにそう言うと、小屋のドアノブを回す。
外見とはうってかわって中身は小奇麗にまとまっており、意外だった。木製の家具でまとめられた室内には木の香りがただよい、アットホームな雰囲気を醸し出している。
真ん中にある丸太のテーブルには赤いチェックのランチョンマットが敷いてあり、女子の家という感じであった。
だが、誰かと共同生活をしている雰囲気はない。しまった、時代が早すぎたか…。
件の男曰く、女が子孫を残してから殺さないといけないらしい。
途方にくれていた俺の目線に止まったのは、ベットの側に掛けてある肖像画だった。
「ユリ…アナ…?」
俺は思わず肖像画に描かれている女性の名を呟く。
なんでこんな所にユリアナの肖像画がある…?
「母を…ご存知なのですか?」
女の口から衝撃的な事実が告げられる。なんだと…?この女…ユリアナの娘か!
「クソッ…あの男…ハメやがったな…!」
沸々と怒りがこみ上げてくるのを感じる。ユリアナの娘を殺すだと…?そんなこと出来るわけがない…!
あいつ…知ってて黙ってたな?
怒りと絶望で俯く俺を尻目に、ユリアナの娘は肖像画を眺めながら勝手に話し始めた。
「母は…偉大な人だったと伺っております。シルファディアという大国を1人で築き上げた天才的女性…」
そこまで言うと彼女は俺の手を掴み、真っ直ぐ見つめた。ユリアナと同じあの真っ赤な瞳で。
「私、母についてもっと知りたいんです!あの、よかったら色々教えていただけませんか…?」
一点の曇りもない純粋な視線。どうやら娘の方は母と正反対な性格のようだ。
「ああ、いいぞ」
俺がそういって顔を緩めると、彼女は嬉しそうに言った。
「あ、あの、私エマって言います。あなたは…なんとお呼びしたらいいでしょうか…?」
流石に遠いご先祖に本名を明かすのはマズい気がする。俺は適当に流した。
「勇者とでも呼んでくれ。そう呼ばれているんだ。」
嘘ではない。ごく一部だがな。
「あ、ハイ、勇者さんですね…!」
本名も教えてもらえなかったのに彼女は胸の前で手を合わせてしきりに喜ぶ。不思議な女だ。
その後、どれくらいユリアナやイルについて彼女に語っただろう。飯まで世話になった俺はそろそろ帰る旨を伝えた。
玄関まで見送りに来た彼女は、言い出しにくそうに手をもじもじさせる。
「あ、あの…また、会えませんか?」
「ああ、また来るよ」
俺は振り返りもせずに片手を振って小屋を出た。
これが俺とエマの出会いだ。
俺は彼女が結婚し子供を設けるまでの間、彼女の行動パターンなどを分析するために何度か家を訪れていた。
だが、会うたびに俺を慕ってくるエマを殺すどころか、妹のような情を募らせていく一方だった。
このままではいけない。俺は暫くエマと会うのを控えた。
その内彼女は結婚し、子を成した。いよいよその時がきたのだ。
久しぶりに顔を見せた俺に飛んで喜ぶエマを、俺は…
鋭利な刃物で一突きした。
…その後のことは、よく覚えていない。
覚えていないというよりも、この世界線の記憶はここまでしかないと言うべきか。二つの世界線の記憶を持つヒトなど俺くらいしか居ないだろう。
「過去に戻って確定時間をいじる」ということは、そういうことなのだ。
話はズレたがとにかく、それから暫くしてリームが時の街に帰って来た。
実に約十年ぶりの再会だった。顔などとうに忘れていたし、その存在自体記憶の片隅にしかなかった。
エマを殺して間もない頃だということもあり、俺も大分精神的に疲れていたんだろう。あいつと再び再会したとき、俺は驚いて声も出なかった。
他人の空似とかそういうレベルじゃない。そっくりなんだ。あの薄い空色の猫毛も、ユリアナの面影を残した顔も、少し困ったような笑みを浮かべるクセも全部、全部…
違うのは血のように鮮やかな赤い瞳を持っていないことだけだ。それだけが俺を正気にさせてくれた。
なあ、エマ…。お前、俺のこと恨んでるんだろ?だから再び俺の前に現れ、俺の邪魔をするんだろう…?
ユリナやクロノスが邪魔してくる前に、いくらでもチャンスはあった。だが、俺は結局最後の一手であいつとエマが重なり、殺すことができなかった。
思った以上にトラウマになっているようだ。
「…で?何の用で来たんだ?兄貴。」
随分長い回想に浸っていたのだろう。しびれを切らしたアイルスが、若干心配そうに俺に問う。
俺はただ昔を思い返していただけだが、どうやらコイツは俺が思い詰めて考え込んでいると勘違いしているようだった。
「あ?ああ。例の件だが」
「例の件じゃ心当たりが多すぎて全然分からん」
「約束の日の件だ」
その言葉を聞いた途端、部屋の空気が変わったのを感じた。コイツどんだけその話嫌いなんだよ。
「お前がこの話をしたがらないことは知っているが、思ったより時間がなさそうだぞ…?」
俺はそう言うとベットに寝ているリームの側に向かい、その胸元に輝く「時の鎖」を乱暴にひっぱる。
…ああ、伝わってくる。時空の鎖の悲鳴が。
度重なる時空操作と次元移動で酷使された時空の鎖の軋む音が。
「…あと十年は大丈夫だと思ってたんだが…」
俺が深刻な表情でそう言うと、流石のアイルスも無視を決め込むわけにはいかなかったらしい。
「もっと…早いのか?」
「…1年以内には確実に来るだろうな、約束の日が。」
「1年!?」
アイルスは驚いて叫んだ。
無理もない。俺だって驚いている。
俺達は十年後に約束の日が訪れる計算で対抗手段を色々練っていたのだから。
まさかここまで時空の鎖が限界だとは思いもしなかった。
今はもう、こいつの気力でこの時空が繋がってるようなモンだ。いつはち切れてもおかしくない。
もしも時空の鎖が切れてしまったら、それは世界の崩壊を意味する。全ての時空がぐちゃぐちゃに入り乱れ、ヒトはヒトを成せずに崩壊してゆくだろう。誰だったか、経験者がいたな。
そういった最悪の事態を回避する手段として、「約束の日」というものがある。
その日を境に、時空操作に関わる全てがリセットされるわけだ。
そうやって絡まり切れそうになっていた時空の鎖を解き、少しずつ修復していく。
完全に時空の鎖が修復するまでには数千年単位の時間が掛かるらしい。
先述したように俺とアイルスは神族であり、確定世界人でもある。
クロノスは俺達にある「選択権」を付与した。簡単に言うと確定世界人として生きるか、神族として生きるかという選択だ。
しかし、俺達は約束の日が来るのを黙って待つつもりはない。選択次第では俺達の積み上げてきたものの殆どが無に帰してしまうからだ。
「俺は…認めないぞ、約束の日など…!そのために兄貴に協力してるんだ、なんとかしろよ!」
アイルスは怒りの形相で俺に食って掛かる。十年計画をいきなり一年計画に変更しろとは無理難題だ。
「落ち着けアイルス、方法はまだある」
俺は怒りに身を任せて掴み掛かるアイルスを引き剥がしながら代替案を提案した。
「いいか、お前らがつるんでるあの交流人どもを味方に引き入れろ」
「…はあ?メイ達をか?」
確定世界の時間を管理するためには、確定世界人との交流が少なからず必要である。そのため時の街は便宜上、接触する確定世界人をあらかじめ決めている。その確定世界人のことを「交流人」と呼んでいる。
基本的にはシルファディアから選ばれるのだが、何故か今回は何の関係もないその辺にある国から選ばれていた。
…まあ、大切な時の神の三男様の命の恩人とかそういうくだらん理由だろうが。
「そうだ。あいつらが「約束の日」の存在を知ったら絶対に反抗するはずだ。」
「で?あいつらを味方にして何をするんだよ」
俺は少しためらい、そして小声でアイルスに告げた。
「メディナを…発動させる」
「…っ!」
アイルスは思わず後によろけ、派手に倒れて尻餅をついた。無理もない。メディナの発動はこいつにとって最大最悪のトラウマなのだから。
「あに、ああ兄貴お前自分が何を言ってるのかわかってるのか…!」
「だったら約束の日に飲まれるしかないな」
アタフタするアイルスに俺はピシャリと言い放った。
ユリナさえ協力してくれればメディナの発動は容易だ。
あいつに掛かっているユリアナの術式の一つが若干面倒だが、もう少し時間がある。なんとかできるだろう。
メディナはこの世の物差しでは計れない程のとんでもない魔力を秘めている。約束の日に代わる時空間修復法があるかもしれない。
確証は無いが、もうこれしか方法がない。何よりも時間がない。
「イヤだ!俺はもうあそこには近寄りたくない!」
アイルスは頭を抱え激しく左右に振る。
自分と妹の人生をどん底に突き落としたあの場所で、もう一度同じことをしろと言っているんだ。まあ、拒絶もするだろう。
「別にその時点でお前は必要ない」
「その段階では俺はお払い箱かよ」
「じゃあ来るか?」
「・・・」
アイルスは少し落ち着いたのか、マヌケな格好で投げ出されていた足を揃え、ゆっくりと立ち上がった。
「だが…どうやって約束の日を説明するんだ?」
俺達にはクロノスから頂いた有難い術式が掛かっている。
「約束の日」は時の街でも最高ランクの機密情報だ。それを知るのはクロノスと、俺達神の子兄弟だけなのだ。
シュアルもユリナも他の親族も誰も知らない。
情報漏洩を危惧したクロノスは、俺達に「選択権」を付与すると同時に「約束の術式」を掛けた。術式に示した「ただひとつ」の約束を絶対遵守させる術式だ。「服従の術式」のような気力でなんとかできるものでは無い。絶対的威力を誇っている。
だが、この術式はお互いが合意の上で初めて成立する術式だ。術者が術式を敷いても、被術者がYESと言わなければ術式は失敗に終るわけだ。あくまでも「約束」の術式である。約束というのは一方の身勝手な意見だけでは成立し得ない。
まあ、憲兵達に囲まれた素敵な空間の中で「YES」以外の返答はできなかったわけだが。
この術式のお陰で俺達は、父と兄弟以外の人物に「約束の日」に関する一切を口にできないようになった。
「そうだな…まだ、もう少しだけ時間はある。お前も少しは考えろよ」
「・・・」
俺達は黙り込む。だが、いくら思考を巡らせても良案は浮かんではこなかった。なんせ一年、もしかしたら半年か、それより早いのかもしれないのだ。
「…なあ兄貴」
不意にアイルスが口を開いた。
「兄貴は…何でユリアナが輪廻転生して生まれてくることを知っていたんだ?」
コイツは何を考えているんだ?それが約束の日と何の関係がある?俺は訝しい顔でアイルスを見た。
「あ、いや…約束の日とは全く関係ないがな、ちょっと気になることがあって…」
そこまで言うとアイルスは、何故か俯き暗い影を落とす。
「…ヘンテコな格好した男が教えてくれたんだよ」
「…!」
アイルスは驚いたような顔をすると、やがて手を顎に当て考え込むような姿勢をとった。
「…その男、ヘンな組み合わせの柄物の服でヘンな帽子被ってなかったか?」
「知ってるのか?」
「ああ。俺に「メディナの発動」を教えたのは、まさにその男だ」
「…っ!」
「さらに言うとだな…こいつの前にも現れたらしい」
アイルスは弟の居るベッドの方を指差す
「…こいつには何をしたのか分かるのか…?」
「…血の術式だ」
その言葉を聞いた瞬間、体全体に寒気が走る。
血の術式―自分の命と引き換えに、強力な術式を引くアレだ。ユリアナが…最後に作り上げた最期の術式。
「ユリナを救うために色んな書物をひっくり返してる時に偶然であったその男が「血の術式」を教えてくれたと言っていた。」
暫く冷たい沈黙が流れる。
…どういうことだ?
あの男の目的は…?
「ユリアナを転生させるために、兄貴にエマを殺させた」
アイルスはぽつりと呟き、さらに続ける。
「転生したユリアナ、つまりユリナをシルファディアの女王にするために俺にメディナを発動させて邪魔な王族を粛清した」
「反対呪術により命が危うくなったユリナを助けるためにリームに血の術式を使わせた」
俺とアイルスはひらめいたように目を合わせる。
これは…あいつの目的は…
「あの男の目的は兄貴と同じかもしれないな…」
「ユリアナの復活か。ということは、あいつはユリアナの知人…?いやしかし…ユリアナが生存してたのは数万年前の話だぞ?」
「答えは一つだろ。兄貴と一緒だ。」
「時の使徒か…」
俺と同じように時間を自由に操れる存在。時の街に住まう神力保持者、時の使徒だ。
「…まるで見えない誰かに踊らされてるみたいだな」
アイルスはそういうと、再び俯いた。
そうだ。見えない所で誰かが暗躍している。
そいつはユリアナを復活させてどうするつもりなんだろうか。
「くそっ…約束の日は予定より早すぎるし、よく分からん男には踊らされてるようで全く胸糞悪いな!」
俺はギリリと歯を鳴らした。また新たな課題ができてしまったのだ。本当に世の中上手くいかない。何もかもだ。
「まあいい、その件は気をつけておくとして、とにかく約束の日だ。」
俺は頭の中を仕切りなおし、約束の日をターゲットを絞った。とにかくこの日を回避しないことには何もは始まらない。まあ、ある意味新しい自分が始まるが。
「分かった。俺も考えてみるから、兄貴も考えてくれよ!」
俺はアイルスの情けない返答を聞くと、軽く頷いてそのまま時空転移した。
確定世界人は必ず「約束の日」を拒むだろう
時の街は必ず「約束の日」を守るだろう
あと少し、あと少しなんだ
もうすぐ世界が決めてくれる