血の花(後日談)
血の花の後日談です。
それはつまり「二度と会えないということ」だと
誰も言葉にできなかった。
焼け焦げた室内、折り重なる人々、蒸せ返るような血の臭い。
俺の足元に転がる血の固まりは最愛のお袋と義父。
悪夢はいつもここから始まる―
「…またか。」
俺はゆっくりと体を起こし、ベットの上に腰かけた。重たい頭を手で押さえつつ、ベットの隣にある棚の上の時計に目をやった。
…6時30分。まだ起床には少し早い。
俺は起こした体を再びベットの中に潜らせた。
当然眠くなるはずもなく、最近夢でよく見る「あの日」について考え始めた。
…お袋の笑顔が見たかったんだ。
ちょうどあの頃伯母のシュアルが実父クロノスを寝取って暫くした頃で…とは言ってもあの女の長男リームが3、4歳だったからそんなにすぐでもないわけだが。
その後お袋は直ぐシルファディアの王位を継ぎ、国民投票で選ばれた旦那と結婚し身籠った。表面には出さなかったが隠れて泣いているお袋を俺は何度も見ていた。
そんなある日、ヘンテコな格好をした男が城を訪ねてきたんだ。その怪しい風貌から、直ぐに追い返されるだろうと思っていたが、何故かお袋達はその怪しい男を丁寧に迎え入れた。
暫くするとお袋や義父、城の重鎮と難しい話を始めたので俺は大人しく自室に戻った。
ところが、両親らとの話が終わったのかその男は俺の部屋に現れ、そして「ある話」をした。
…俺の人生を大きく変えることとなる話を。
「…ん」
「アイルスさん!」
「…っ?!」
突然視界にこの部屋にいるはずのない人物の顔が割り込む。
妹によく似た顔の俺の弟が、訝しい顔でこちらを覗き込んでいた。
ふと棚の上の時計に目をやる。
9時45分。考え事をしていたらそのまま寝てしまっていたらしい。
「いつまで寝てるんですか」
弟リームはため息を一つつくと、呆れた眼差しを投げつける
「…何しに来たんだ?お前」
俺はベッドの上に体を半分起こすと、いつもの不機嫌顔を装備して不機嫌そうに言った。
「…いや、その、これ…」
リームは何故か照れ臭そうに菓子折りを差し出す。
俺がぽかんとした顔でリームを見つめると、彼は煩わしそうに俺の手を掴み強引に菓子折りを握らせた。俺はコイツに菓子折りを貰うようなことをしたっけ…?
「その…この間はご迷惑をおかけしてすいませんでした。」
目線は窓の外に投げながら、突っ慳貪にリームは言う。
なるほど、この間の血の術式事件(バブ命名)の件で謝りに来たわけか。
…まあ、あの事件は誰が悪いわけでもない、ただの昔話だったわけだが。
「アイルスさん?」
俺が返事もせずに握り込んだ菓子折りに目線を落としていたせいだろう。リームは少し不安そうに俺を見る。
「あ、ああ…別によかったのに。お前は悪くないさ。」
「…でも、迷惑かけましたし、一応、その…」
語尾は口ごもってさっぱり聞こえない。こういうのをツンデレと言うんだろう。こういうところは本当にユリナにそっくりだ。
…コイツらがこういう態度を取るのには理由がある。
先の事件で俺はお袋と義父…つまりユリナの実父を死なせてしまった。
それによって次の王位継承者であるお袋の妹、今の王妃が即位し、王は国民投票により選ばれた。
当然奴らにとってユリナは邪魔者以外の何者でもなく…まあ、後は言わずとも分かるだろう。
一度は時の街に逃げたユリナだが、母の命日にシルファディアに戻った際に血縁者に拉致され、王妃とその娘、息子にひどい仕打ちにあわされた時期があったらしい。「らしい」というのは俺も後日兄貴から聞いた話だからだ。
…同じ城に居たのに俺は一切その事実を知ることはなかった。地下牢に監禁されていたというのもあるが、奴らの隠蔽体質は徹底していた。
再びシルファディアからユリナを助け出したのは…悔しいが兄貴だった。ユリナが兄貴を慕っているのはそういう経緯があるからだ。
兄貴はユリナがどういう目に遭っていたかを詳しく説明してくれた。
内容は…すまん、思い出したくない。俺は思わず顔を顰め口元を手で押さえた。
兄貴から初めてその話を聞いたとき、あまりの衝撃に盛大に吐き散らした。あまりにも凄惨で、思い出しただけでも背筋が凍る。人間の所業ではない。
とにかくそんな感じで…つまりユリナにとって俺は諸悪の根源なんだ。
…嫌われて当然だな。
リームにとっても、俺が要らんことしなければユリナに早急に術式を使う必要などなかったと考えれば、気持ちのいい存在ではないだろう。
…二人は事件後暫く俺とは口もきいてくれなかった。
まあ、リームは自分の母親がそもそもの原因を作ったことを気にしてか、時の街に帰ってきてからは普通に接してくれるようになっていた。
ユリナもまあ…ようやく今になって少しずつ蟠りが解けてきたところだ。
…本当は分かっている、二人がもう許してくれていることを。
そして彼らはそれを心のどこかで認めていないことを。だからああいう態度になるのだろう。
兄貴のことは「兄さん」と呼ぶのに、俺のことは絶対に兄とは呼ばない。そういうところに最後の抵抗を感じる。
…まあ、今更照れ臭いというのも大いにあるのだろうけど。
「…ところで、アイルスさん…」
どうやらコイツは菓子折りが本題で来た訳ではなさそうだ。
コイツが持ちかける話題が何となく分かる。
俺が…この世でもっとも嫌いな―…
「…アイルスさんは、もう、決めました?」
ああ、ほら、やっぱり。
お前俺がその話題死ぬほど嫌いなこと知ってるか?
「…さあな。」
「…そうですか。」
俺はリームと目を合わさないように窓の外を必死で睨んでいた。アイツがどんな顔でそう答えたのかは知らないが、声だけは少し寂しそうだった。
世界にはいくつもの理がある。
時空と時空を隔て管理する「時空の鎖」という仕組みもそのひとつだ。
しかし、鎖ってのは引っ張ったり回しているとその内絡まり、それでも更に引っ張り回しているとやがて切れてしまう。
それだけは絶対にあってはならない。
それはつまり、世界の崩壊を意味する。
…そのため、世界は時空の自浄を行う日を儲けた。
ほら、自室の電話のコードがさ、電話を何度も取っていたらそのうち絡まるじゃないか。
そしたらどうする?受話器を持ち上げて絡まったコードを伸ばすだろ?
そして、次は絡まらないように長すぎる部分なんかを纏めたりするじゃないか。
ただ、それだけのこと。
それが「約束の日」
ほとんどの人にはなんの関係もない平凡な一日
一部の人には終点であり、始点でもある一日。
これは時の神クロノスと、俺たち…クロノスの子供たちしか知らない。ユリナはもちろん妻のシュアルでさえ知らない。しかもわざわざ他言できないように術式まで掛けられる徹底ぶりだ。最重要機密事項ってヤツだ。
「お前、わざわざそんな話をしにきたのか?」
俺の問いにリームは黙ってうつむく。
「時空の鎖」を管理するリームがわざわざこの話題を出してくる理由はただ一つ。
…もう時間がない。
「約束の日」はそこまで迫っているのだろう。
俺と兄貴は確定世界のヒトであり、神族でもある中途半端な立場にある。そのためクロノスに「選択権」を与えられている。決めなければならないんだ。その日までに。
「…なあ、お前は…お前はそれでいいのか?」
俺たちだけが「約束の日」を背負い、悩み、苦しむ。
生まれた場所が悪かった。ただそれだけの理由でだ。
俺は釈然とせずにリームに問う。
しかし、リームは困ったように微笑むだけだった。
コイツは返答に困ったり答えたくないときによくこの困ったような笑顔で逃げる。はぐらかすとも言う。
言いたいことは分かる。
…どうせ世界の理は変えられない。
ならば、抗わないことだと。
手に入らないものは初めから求めない。それがコイツのスタンスだ。
初めから「約束の日」の存在を知っていれば、コイツの行動基準も変わっていたことだろう。
だが、それを知った頃には手遅れだった。失うものが多すぎる。
「…まだ、大丈夫ですけど…早めに決めておいて下さいね」
リームは相変わらず本心見えない困ったような笑顔でそう言うと、時空の棒を取り出して時の街に帰っていった。
そのまばゆい光が完全に消えるまで、俺はリームのいた場所を睨み付けた。
…望んだものなどただ一つだけだった。
強がりだけど不器用な妹がいて。
素直じゃないけど優しい弟がいて。
無口だけどしっかりものの妹がいて。
…まあ、俺を振り回すクソ兄貴も一応いて。
手を伸ばせばいつでも届く、そんな距離。
それだけだった。
それだけでよかった。
「母さんの笑顔が見たかったんだ」
あの日の少年の熱い思いと同調していく。
俺は同じ過ちを繰り返すだろう。
それが弟や親父を裏切ることになっても。
それが世界の理に背くことになっても。
俺は―
「約束の日」など認めない。