第七十六話 カエルの城主
あれからベンチで、結構遅くまでラトラと話をした。
話してみると、素直な感性を持った見たままの少女だった。けれど普段は立場が邪魔をする。置かれる状況は違えど、皆似たようなものだということに気付かされた。
意外なことに、彼女は人に対して全くと言っていいほど嫌悪感を持っていなかった。
彼女たち魔族が人から受け続けてきた迫害も、ある意味仕方のないことと達観したかのような物言いをする。
「え、お互い生きるためですから。しようがないじゃないですか」
ははっ、と笑うその言葉に嘘は感じられなかった。
だかそれは裏を返すと、魔族が生きるためなのだから今の状況は肯定されるべき。そう言っているように聞こえるのは私のうがちすぎだろうか。
「そういえばこの街も、もとは魔族が作った砦が起源と聞いてますよ」
ラトラは神樹と呼ばれる一際大きな樹を指差すと、そのまま昔語りを始めた。
もとはここはタダの小高い丘だったそうだ。そこに何本かの木が生えていた。そのうちの何本かがいまでも生き残り、いま神樹として崇められているのだろう。
エルフが住んでいた、と聞かされ驚いた。よくよく聞くと中でも肌が浅黒い部族、いわゆるダークエルフと呼ばれる部族だったという。彼らがこの地を中心に辺りを治めていた。
まずは簡単な住居をいくつか建てた。そうすると住人は集まってくる。住まいは次第に多くなり棲むものも増えていく。
やがて囲いを作り、若い木を植え育てた。村はやがて町となり、現在のような自然と建物が共存する要塞のような街へと成長していったのだという。
人が来たときに、戦争にはならなかったのかたずねた。
ラトラは寂しく笑った。
聞くんじゃなかったと、後悔した。
最初、人は友好的に近づいてきたそうだ。心優しい森の民は、そんな彼らを暖かく迎え、共に暮らそうとまで提案した。
ダークエルフの好意もあってか、人は徐々にこの街との交易を始め、人も増えだした。いい関係を構築している。誰もがそう思っていた。
「けれどもそれは、魔族の側の思いでしかなかったんだよ」
ラトラは神樹を見上げ長く息を吐いた。
ある夜、ダークエルフの族長とその家族が人に一斉に囚われるという出来事があった。
翌朝人は彼らにこういった。
「彼らの身を案じるのならば、ダークエルフはこの街から出ていけ」と。
一族の結束を第一に考える彼らに、選択の余地はなかった。
まもなく、この街は人の街になった。
「その後、ダークエルフはどうなったの?」
声を発してから喉がからからになっていることに気づいた。
「数カ月後に起こったとされる人との戦いで、全滅したと聞いている」
対照的に彼女は淡々と返す。
「そんな、あんまりじゃない」
「そうかもね。けど、それがこの街の歴史」
あまりにあっけらかんと話すラトラに違和感を感じる。たまらずぶつけてみる。
「どうしてそんなに冷静に語れるの? 人と魔族が戦って負けた話なんでしょ?」
「そうだね、でも千年前の出来事だしね。それに人ってもともとそういう種族だし」
「そういう」
「そ。闘いたくて闘いたくて仕方ないの。同じ種族でさえ殺し合って。飽き足らないから魔族を殺して土地を奪って。ねえお姉さま?」
そしてラトラはゆっくりとこちらに振り返る。
「な、なに」
深い悲しみをたたえたような彼女の視線が私を射抜く。思わず息を飲んだ。
「私達の大多数は、人が怖くて怖くて仕方がないんだよ。知ってた?」
◇ ◇ ◇
翌朝。街を発つ前にドルズ商会に立ち寄った。
ジーンさんには自分がハーフエルフであると正直に話した。最初は驚かれたけれど、共に戦った仲間であり、姉を救ったかけがえのない友人だと、最後は笑ってくれた。
あまりにホッとしたので思わずこぼれた涙に、ジーンさんは大いに狼狽したようだった。
大丈夫心配しないでと笑いかけても、そわそわ落ち着かない彼女の様子が、なぜか男の子みたいに思えてクスリとなる。
今後の商売についてラトラの配下に口を利いておくというと、顔をほころばせ「すまない」と短く礼を返してくれた。本当はもっと話したかったけれど、すぐ発つということだったので再開を約束し、後ろ髪ひかれる思いでその場を後にすることとなった。
ドルンズバッハと王都の間は、馬車で半日足らずの距離だ。
我々とラトラ、それぞれ別の二台の馬車で移動する。流石に魔王の娘の車列にちょっかいをかける輩は居ないようで、我々も安心してその恩恵に浴することにした。そのため労することなく夕方前には王都に到着することができた。
レンブルグの王都だったレンブルン。実際に自分が来たのは初めてだ。
城は西に広がる海を睨むように、岬の突端近くにその威容を誇示していた。
広く深い堀が岬を囲うように配され、その先には堅牢そうな石造りの高い外壁がコンパクトに続く。
「ここは昔から魔族を監視するための最前線だったからな。実用に振り切った構造になっているな」
そう言ってジェフリーが指差す先には物見の塔が大小無数に立ち、海上、陸上問わず四方を睨みつけるよう林立している。
内側には一段高いところに塔や館のような建物が所狭しと並んでいる。総じて言えるのは、ほとんど石造りというところだ。
「なんだか、地味な色使いだね」
ディルがポツリとこぼしたがまさにそうだった。
まさに城と言うより最前線の巨大な砦、といった風体だった。
「街はどこにあるんでしょう? あの城の規模だと、国民は住めませんよね」
エルが首をかしげる。
「ああ、街はここから見て城の反対側。坂を下った少し離れた所にある港に隣接するように発展している。攻められることを前提に作られた城だ。街を戦火に巻き込ませない工夫というか、覚悟を見せた都市設計だな」
「城に入りますよ」
エルが皆に声をかける。そんな会話を続けるうちに馬車は跳ね橋を渡り始めた。
「遠路はるばるようこそ我が城へ。ラトラ様はお父上の下へお戻りになるとか。まさに凱旋ですな」
玉座にはでっぷりと肥え太った中年男が座っていた。王冠が頭に合わないのか、紐で縛って首で留めているのがなんともしまらない。油が額ににじんでいるからか、それでもしょっちゅう冠がずれるようで、しきりにかぶる場所を気にしているようだった。さらに服もあっていないのだろうか。息をするたびに腹が見え隠れする。
なぜこんな男が玉座に座っているのだろうか。
王としての威厳もかけらも感じさせない、ただただ不快な外見のカエル野郎だ。
「姫様は存じ上げておりますが……はて、他の方々は」
「彼女たちはエルフの使節だ。名を……」
「お初にお目にかかります。アレクシアと申します」
彼女に続けて部族のことなど自己紹介を続ける。そして最後に聞きたいことを聞いてみる。
「失礼ですが、人族の方とお見受けしますが、いかがですか?」
グヒッグヒッ、と異音がした。何事かと思ったが、それはカエル野郎の笑い声だったようだ。奇声にあわせて腹が揺れる。
「いやはやその通り。さすがエルフの姫君、いかにも。私はかつて『忌み子』と呼ばれたものでしてね」
慣れたはずだが今でもその単語を聞くとヒヤッとする。
「今はこの城と下の街の管理をワタクシメが魔王様から拝命いたしております。……さて話は変わってラトラ様。ご出発は明朝と伺っております。いかがでしょう、今夜はささやかながらこちらでパーティーなどは」
「ああ、任せる」
ラトラは興味なさそうに手をふった。
パーティーは日没から始まった。
海に近いせいか、出てくる料理は海産物が多い。けれど戦時中にも関わらず、こちらの食糧事情は随分良いようだった。なかなかの食材が見事な仕事で逸品の数々へと姿を変えていた。
食事はいい。しかし他が最悪だ。
「アレクシア殿は、お一人なのでしょうか? 女の旅はなにかと大変でしょう。こちらの城に滞在いただいても一向にかまわないのですよ」
そう言いつつカエル野郎は腰に手を回そうとする。それを手でやさしく押し返し、にこやかに丁重にお断りしているのだけれど、正直言ってしつこすぎる。
「なんでしたら専用の居室とメイドを用意させましょう。戦闘服も無粋だ。きっとドレスがよく似合う。そうだ、いかがですか、スグに用意させますので着替えられては」
「いえいえ、そんな。もったいない。大変ありがたいお言葉ではございますが、明日に触りますので、ここはそろそろ」
面倒くさいので帰らせてもらいます、と心のなかでつぶやいた時、
「そんなつれないことを!」
手首を掴まれた。ここで痛がれば乙女なのだろうけれど、簡単に振りほどけそうではある。
「あの、本当に今夜のところはこれで」
「良いではありませんか、聞けばあなたは賓客であらせられる。明日は船内で寝て過ごせばよろしかろう。ささ、どうぞこちらに。別室にうまい酒を準備しているのです。さあ」
あーれー、お戯れをー! とでも言えばいいのかしら。こちらが帯剣していないのをいいことに好き放題してくれちゃって。さてそろそろ、と思ったとほぼ同タイミングだった。
「おいクソガエル。その汚い手をお姉様から離せ」
いつの間にか隣にはラトラが立っていた。いうが早いかラトラが手刀を繰り出す。
ドンッ。……ゴトッ。
鈍い音が二つ。一つは遅れておきた。
嫌な予感しかしない。
恐る恐る見た足元には……ああ、やっぱり。
さきほど私の手首を握っていた、カエル野郎の右手が転がっていた。






