第七十五話 珍客がもたらす転機
「さてと、とんだ邪魔が入りましたが! 今日はとことん、ゆっくり裸の付き合いというものをですね」
敵を排除した爽快感からか、スッキリした表情でこちらを振り返る。ある意味怖い。
「あ、わ、わかったからそんな引っ付かないで」
「えーいいじゃないですか減るもんじゃなし」
そういうが早いか、にへらと笑みを浮かべながら肩にしがみついてくる。そしてさり気なく鎖骨のあたりにキス。エルは私を見上げて艶っぽく笑った。
「なになに、いいなー! お姉ちゃん私もー!!」
「あ、こらディルまでぇ! んもー。あ、やだちょっとエル、どさくさまぎれに変なとこ触らないでっ」
「えっ。何のことですか?」
エルは楽しそうに笑う。負けじと突撃してきたディルに危うく押し倒されそうになって三人で悲鳴をあげたり。貸切状態といえども公共のお風呂。慎みを持たないと。
「あれ、そういえばユルスラは?」
ふと思い出したようにディルが顔を上げてキョロキョロしだした。
「あ、あそこ」エルが岩陰に潜むネコミミを目ざとく見つけた。
ディルが勢いよく飛び出すと彼女のところに行く。
「何やってんのよそんなとこで。風邪引くわよ」
「お、お構いなく」
ディルの元気な声に対して、ユルスラは何だか元気がない、というかしおらしいというか。
「何言ってんのよ、ほら、こんなに冷えてるじゃん。湯船いくよ」
彼女の腕をとって湯船に連れて行こうとするも、立ち上がろうとしない。
「や、や、やめ」
「どうしたのよ」
「お、オレ……水が苦手で」
ネコっぽいわ。獣人といえども、そういう性癖は似るのね……。
「え? お湯だよ?」
「そー言う問題じゃなくて!!」
ディルのいつもの調子に、たまらずユルスラは声を荒げた。
「もう、気持ちいいから入るよ。ほいっと」
そういうとディルはひょいと彼女を抱え、湯船に連れてきた。有無を言わさずそのまま腰を沈める。突然の出来事に抵抗できないユルスラはなすがままだ。
「にゃっ!? あ、ば、ばかやめ、や、やめてぇー……」
「ふうー……ほら、気持ちいでしょ? なんでこれが苦手なのか」
「う、う、うう……」
ユルスラは目を見開いてディルに抱えられたまま硬直している。逃げ出さないのは彼女なりにこらえているのだろうか。けれどすぐに様子は変わった。彼女の目から恐怖の色は急速に失われ、穏やかな表情に変わっていく。
「あ、あれ? なんか平気……てかむしろ気持ちいい……?」
「ね? もう自分で座れるよね」
ぼうっとしていたが、不意に掛けられた言葉に驚くようにコクコク頷くと、自分で湯船に腰をおろした。
「どう? お風呂もいいもんでしょ」
「あ、ああ。あったかいけれど……」
そう言って彼女は腕を持ち上げる。腕の体毛が、ピッタリとまとわりついている。
「ううー、ぴったり張り付いて気持ち悪いぞ……」
「上がったら風をうんと起こしてあげるから、それで乾かしましょ」
「うー、わかった」
私の提案に、渋々といった様子で現状を受け入れた。
その後洗い場で双子が二人がかりでユルスラを洗いはじめた。意外にもゴシゴシ洗われることは嫌ではないようだった。しっぽをゆらゆらと振りながら目を細める。
「洗われるのは、嫌いじゃないかも」
「そう? じゃまた洗いっこしようね」
ディルが鼻歌を歌いながらゴシゴシと洗ううち、笑い声なども起こるようになった。
ユルスラもお風呂、好きになってくれるといいな。
そんなやり取りをしていると脱衣場から新たな客の気配がした。
「ほー、これが露天風呂というものか。趣があるのう」
「えっ、ラトラ様!? なんで」
「なんでって、我も一度来てみたかったのだ。おじゃまだったかの」
「や、そんなことはないですが。ちょっと驚いたので」
見ればみんな固まっている。突然の大物登場、無理もない。
後ろには例のメイドも控えている。背格好は私と同じくらいか。黒い髪に白い肌。均整の取れた肢体は一見すると人のそれと変わらない。しかし頭に生える二本の立派な角が、いやがおうでも彼女たちを人ならざるものと主張する。
ラトラに皆気を取られているけれど、このメイドも相当な手練だ。得物は何もないようだけれど、全身から漂う殺気。ただ者ではない。
「島の温泉と似てるな」
「そうですね。火の山から湧く湯を使っているのは変わらないようです。こちらでも入れるとは。僥倖ですね」
「うむうむ」
彼女たちが湯船に入り、少し落ち着いたところで口火を切った。
「ひとつ。いや、いくつかお話させてもらっていいかしら」
「かまわんよ。というより、我も話をしたかったのだ。あなたと。まずはそちらから」
「そうだったの。じゃ、早速私から。……住人を生かしているのね。どうして?」
私の物言いに、ラトラは鼻を鳴らした。
「ずいぶん直接的だな。まあいい。当たり前だ、我々は野蛮なケダモノではないからな」
「それにしては初めて会った時は随分好戦的に見えましたが」
バシャっと湯をかき分ける音がした。
「あ、ああれはほら、オーガの連中の手前だな!」
「お嬢様は後先考えられない残念なところがおありなのです。お許しを」
「うっさいうっさい!またそんなこと言って! パミラはホント、いっつも意地悪だよねっ」
メイド――パミラさんというのか――のツッコミにラトラが慌てる。
「次聞いていいかしら?」
「お、あ、うん、や、かまわんよ」
「魔族は魔法が使えないのかしら?」
「いや、使えるが?」
この返答には驚いた。隣のエルも「えっ」と小さくつぶやいたくらいだ。
「え、じゃあなぜ使わないの? 少なくとも使えることが知れていれば、人もむやみに攻撃してこないと思うのだけれど」
私のもっともなはずの質問は、しかし彼女にとってはそうではなかったようだった。
「それは魔法とは、命と魂を削る技だからだ。人族はその容量は生まれつき多い者がおおい。が、魔族は多く持つ者が少ないのだ」
「ちなみにソレが枯渇してしまったらどうなるの?」
「命が枯れれば死に至るし、心ならケダモノに落ちるものもいる。そんな厄介な力、おいそれと使うと思うか?」
魔法が効かなくなり、あっさりとこの世を去ったおとうさん、ボルドのことを思い出す。
エルを見やれば心なしか顔色が悪い。
「精霊術にはそのようなデメリットは無いが、なにぶん契約できる者が限られておる。この世に神というものがあるならば、随分と不公平な事をしてくれる」
腕を手のひらで撫でながら、ラトラは神への不満を口にした。
「ところでアレクシア様」
今度はラトラからだ。
「なにかしら?」
「あの……あたしの剣をあそこまで受け切る者はそうはいない。おまけに精霊術まで使われちゃもう敵わないかも。だから……」
ラトラは髪の毛をいじりながら目をそらして話す。なんだろう、決闘でも申し込まれるのかしら。
「だから?」
「お、おおお姉サマとお呼びしてもよろしいですかっ!?」
今日一番驚いた。
「はぁ!? 何言っちゃってくれてるんですかこの娘は。お姉さまは私のお姉さまなんですから、あなたはお姉さまと呼ぶことなど、できるわけありません。断固拒否です!」
「えー? 私もダメなのー?」
ディルがエルに抗議の声を上げる。
「ディル、ごめんややこしくなるから今はちょっと黙ってて」
「ちぇー」
「別にいいじゃないそれくらい。いいわよ、ラトラ様」
「なっ」
エルが目を見開いて唖然とした表情を見せた。
「あのあの、それで私のことは呼び捨てで」
「わかった。じゃあラトラ、よろしくね」
「はいっ、お姉さま! 嬉しいっ」
というが早いか、飛び込んできた勢いそのままで頬にキスされた。
「ぎゃーっ!! 何してくれやがりますのこのアバズレ! ちょっとはいい奴かもと思って油断したのが間違いでした。いいでしょう、こうなったら戦争です」
「へぇ。アタシに喧嘩で勝つつもりでいるの? 魔法も使えない人間のくせに」
「あら残念。わたくし先日、無事にお姉さまのお情けを頂戴して精霊術を多少使えるようになったんですのよ。……試してごらんになります?」
「お、お情けって、まさか」
ラトラがショックを受けたような表情で私をみる。
「あのちょっと、言い方」
ソレもそうだけれど、人にまとわりつきながら口喧嘩はやめてほしいんですけれど。
「そのまさかですわっ! 私とお姉さまの間には、何人たりとも立ち入らせません!」
「くぅーっ、かくなるうえは!」
二人は立ち上がると、ざざっと距離を取った。このままではエルとラトラは一触即発だ。
「あー、お姉ちゃんからのお願い、二人とも聞いてくれるかな」
「「お姉さまのお願い!? 聞かないはずがないでしょう」」
「じゃあ勝負は、いつまで潜っていられるか対決で」
「もぐっ!? ……いいでしょう。種としての優位性、見せつけてやります」
腕組みしながらエルが微笑む。
「そんなこと言って。先に負けた時の言い訳考えておいたほうがいいんじゃないか?」
対するラトラは腰に手をあて若干身をかがめ、ねめつけるようにエルをみる。
「はいはい、じゃあいくよー。よーい、はじめ!」
ディルの掛け声で、二人は勢いよく湯船に潜った。
「……まぁ、予想していた結果ではあるけれど」
結果、二人とも気絶して湯船に浮いた。たがいに負けず嫌いなのだろう、無理もない。
お風呂から出て涼むため、街の中心を見下ろせる宿の屋上にあるベンチに陣取った。街は割と遅い時間にもかかわらず、賑わいを見せている。ただ歩くのは人でなく魔族というだけ。
「お姉さまの前だったから、すこし緊張したかもしれない」
頬を赤くしたラトラが牛乳をあおる。エルはのぼせてしまったので、ディルが部屋に連れていった。木々の間を流れる爽やかな風が、火照った身体に心地良い。
冷やした紅茶が入ったカップを脇の机に置き、彼女に一番聞きたかったことを切り出す。
「魔族はコレからどうするつもりなの」
ラトラは「え?」と不思議そうに返した。「どうって」としばらく悩んでいたようだったけれど、やがて自信なさげに続けた。
「もう、何もしないよ? 目的は達成したから」
「どういうこと? 目的って?」
「西大陸を取り戻したかった。ただそれだけだと……思う、よ?」
「それだけ? 本当に?」
これから段階的に人々を船で東大陸に追放し、この大陸を魔族だけが棲む大陸にする。そうラトラは続けた。
千年前の状態に戻す。本当に彼らはそれだけを目的に行動しているというのか。
では彼らがリンブルグランドで行った仕打ちはなんだ。
彼女の言い分とあの蛮行にはずいぶん温度差がある。
彼の国で起こったことをラトラにつげると彼女は大いに驚いた。
「そんなバカな! 王家の一族とその近習を穫れば事は成すはず。街をすべて焼き払う必要がどこに」
そこまで言ってラトラはハッとした表情を浮かべた。
「そうか、あいつが」
「あいつって」
「ユストゥル。あの国を扇動するために潜り込んで、長年司教だったかをやっていた道化師のことだよ。アイツ、ホントにムカつくんだよね」
ユストゥル。あの男の名前がここでも。ムカつくのよーくわかる。
どうやら魔族も一枚岩ではなさそうだ。
「そういう命令で動いていたというわけではない、ということ?」
「そんな指示でてないって! ……そうだ、パパに会えばきっと誤解も解けるよ!」
「パパって……魔王様!?」
「そう、ウチのお城に一緒にいこうよ! ココと隣の国の投降した王族とか、近習の人たちも近くに居るからさ、ね!」
「え、ちょっと待って! それホント!? 王族の人たち、生きてるの!?」
「わわわ、そんな迫らないで。びっくりするじゃん……うん、そう聞いてるよ」
意外なところから、意外な情報が飛び出してきた。もしかしたら、という思いが湧いてくる。それにラトラのお父さん、魔王様。話を聞く分には悪い人には聞こえない。それならば会って話がしてみたい。
行ってみよう。魔族の島へ。






