第七十四話 街のあるじは移ろえども
かつてこの街を歩いたのはほんの数ヶ月前だった。
その美しい自然と構造物の調和は以前のまま。森の街は今日も伸びやかに空に向かって枝を張り、風にあわせ穏やかに葉を揺らす。湛える水は清く、変わらず小鳥たちや小動物の楽園を現出する。
けれどそこに息づく人々の暮らしは大きく変わってしまったようだった。
通りを行くのは獣様、トカゲ様、一見人と見紛う角と尻尾が生えた魔物などなど。人々はどうしているのだろうか。
徐々に日が陰り篝火が灯り始めたなか、門番の一人であるトカゲ男に先導され街を進む。ユルスラはこの街が初めてなのか、目を輝かせながらあちらこちらと視線をさまよわせ、ときおり嘆息をもらしている。
「ジーンさん、無事かしら」
以前野営地で旅に出たばかりの私達を救ってくれた気さくな女性、それがジーンさん。
この街に立ち寄ったときにも世話になった。ドルズ商会という大店の娘さん。
「店は確かこのあたりだったはず……あった」
ドルズ商会はかわらずその場所にあった。建物が破壊されているわけでなく、以前のままの風格ただようお店の奥に、見知った顔を見て驚いた。
慌てて前を行くトカゲに声を掛ける。
「ち、ちょっと待って。……ジーンさん! ジーンさん!!」
私の言葉に顔を上げたジーンさんは驚いたように目を見開き、店から駆け出してきた。
「アレクシア! 無事だったのね!!」
しかし駆け寄って来た彼女の間に、トカゲ男が素早く腕を差し入れる。
「ソレイジョウ チカヅクナ」
突然の横やりに、ジーンさんは思わず身を引く。
「きゃっ! え……アレクシア、これ、どういうこと?」
「ちょっとあなた、どいてくれない?」
私の言葉にトカゲ男は無言で身を引いた。
「驚かせてごめんなさい。事情を話せば長くなるんですけれど、今は街を巡って状況を確認する旅をしています」
「ずいぶん魔族に融通が効いているようだけれど」
ジーンさんはトカゲ男を一瞥すると視線をもどし、わずかに眉をひそめた。
「そのあたりのお話は明日、ここに伺ったときに。とにかく、ジーンさんが無事でよかったです。すみません、今は時間がなくて」
ジーンさんは少し考えるように視線をさまよわせたけれど、すぐに短いため息をつくと再び口を開いた。
「わかったわ。明日待ってる。ええと、エルちゃんとディルちゃんだったかな? あなたたちもね」
ジーンさんと別れてから気づいたけれど、通りの建物の影や鎧戸の隙間などから視線を感じる。おそらく以前からの住人のものだろう。どうやらほとんどの住人は今までの住居にいるようだ。ただまともな生活でなさそうなのは、火を見るよりも明らかだ。
対して表にいる魔族の連中は不躾な視線を投げつけてくる。中には品定めでも始めるつもりか。舐めるように熱心に見ては下卑た笑みを浮かべる、毛むくじゃらの獣人などもいる。
ラトラは街のギルド会館を住処としているようだった。元はギルド長の部屋に通されると、彼女は椅子から立ち上がり私達を迎えた。
「よく来てくれた。ようこそ、ドルンズバッハへ。長旅でさぞお疲れのことだろう。大したもてなしはできないが、ささやかながら宴を催すことにしている。ゆっくりしていってくれ」
そう言って手前のソファを勧めてくる。私達が腰掛けるとラトラもやってきて、対面に腰掛けた。
「街ではジロジロ見られて。すっかり有名人になった気分でした」
ラトラが腰掛けるのを待ってため息交じりに口にすると、彼女は苦笑いを浮かべた。
「いや、エルフの民を間近に見ることは珍しいのだ。中には失礼な者もいたかもしれない。なにゆえ田舎者、不調法はご容赦いただきたい」
そしてゆったりと足を組む。腰布からチラと覗く太ももに思わず目が行く。直後、脇から「あ、いてぇ!」と小さく叫ぶジェフリーとユルスラの唸り声が聞こえた。
その様子を見たのか、ラトラは薄く口角を上げつつ目を細めた。
その落ち着いた物腰はオーガの里で見たイメージとは随分かけ離れている。コレが本来の彼女なのだろうか?
「さて、お客人にお茶を持ってきてくれ」
彼女は控えていたメイドに声をかけるとメイドは一礼し、部屋を出ていく。出ていく様子をじっと見ていた彼女は、扉が閉じると同時に長く息を吐いた。
「あのあの、先日は本当にすまなかった。そのー……、族長様にはあの件は」
足を再び揃えたかと思えば、突然態度が変わった。
あまりの変わりように一瞬面食らったけれど、直後吹き出してしまった。
「ぷっ、はは。……何も話してませんよ、安心してください」
「ほ、本当か?」
机に手を付きラトラは身を乗り出してくる。
「本当ですよ? なんなら直接話して確かめますか?」
「い、いやいやいや! それには及ばない、うん、それならいい」
彼女は焦ったように早口で告げてから、どっかと椅子に腰掛け足を組んだ。ふわりと腰布が舞い、間を置かずに再びジェフリーの悲鳴が聞こえた。
そして脇に控えるエルに話しかける。
「そなたにも怖い思いをさせたのう。許してほしい」
「い、いえ。ラトラ様にされたわけではないので、私はなにも気にしていません」
「そうか。主らはやさしいな。それにひきかえウチのメイドときたら」
その時ちょうど扉が開いた。
「わたくしがなにか」
「ひっ」
「ひっ、て言った」
私のつぶやきに呼応するかのように、「言いましたね」とエル。
ディルがその後に「むしろ飛び跳ねそうな勢いだったと思うよ」なんて言うものだから、「ちょっとちょっと! あんた達ラトラ様に失礼じゃないか」
などとユルスラが笑いを噛み殺しながら突っ込んでくる。いや、あなたそれ笑ってるのバレてるからね。むしろあなたが一番礼を失している可能性すらあるわよ。
「ラトラ様。またなにか他所様にご迷惑をおかけしてきたのですか?」
「え? あ、あたし? 何もしてないよ、なんもないって」
ラトラの、内輪での力関係を垣間見たような気がした。
その後、食事会が催された。
戦時下なのでそれ相応の内容ではあったが、彼女の真心が感じられる食事だった。
ラトラは常に場を盛り上げようと私達と家中の者たちとの間に入り、時にはジョークなど交えながら。その対応に、彼女の真摯に関係を深めていこうという意図を感じられた。
そしてそのまま想像していた物々しさは一切なく、和やかに、穏やかな雰囲気のなかお開きとなった。
「アレクシア殿。今宵は楽しかった。私が用意した宿に泊まられるが良かろう。ウチのものに案内させる」
「――ってこの宿って」
案内された宿の入口を見上げてつぶやいた。
「前に泊まった宿、ですね」
「あ、エル! ここってアレ! 空が見えるお風呂、あったよねたしか!」
「露天風呂、ね。ディル」
「やったー! 泳ぐぞー!!」
「ええっと。お風呂では、泳がないでねディル」
「えー、なんでさー。エルのケチー」
「はいはい。もうケチでいいわよ」
「なんだよ、お姉ちゃんぶって」
「あなたの姉であることは間違いないです」
そんな双子のやり取りを尻目に、宿の門をくぐる。
魔族に占拠されてはいるものの、人々は基本的に今までの暮らしを続けているようだった。前回と同じ顔ぶれの店員達。意外と元気な様子に胸をなでおろす。
けれど私達を見る目は、親しみを込めたものとは程遠い。恐れや怒り、諦めにも似た複雑な表情を見せている。
「どうして」
店員の一人がつぶやくように問いかけてくる。
「はい?」
「どうしてあなた方は、魔族と対等に話しているのですか」
他の店員が止めるなか、私達がなぜ魔族と良好な関係なのか、どうしても知りたいらしかった。
「それは私が人でないから――ハーフエルフだからです」
その瞬間、表情は恐れに塗りつぶされた。
「え、は、あ、さ、さようでございましたか。失礼いたしました。ではお部屋は一番よい部屋をとラトラ様より受けたまわっております」
その店員に部屋まで案内されたけれど結局先程の質問以降、「ごゆっくり」の言葉以外口を開くことはなかった。
「うっわー! ひろーい! やっぱすごーい!」
荷解きもそこそこに、ディルが待ちきれない様子で急かされお風呂に来た。
「先に行くねー!」
彼女は素早く服を脱ぎ捨て先にかけていく。でもいくら同性しかいないからって、ちょっと大胆すぎやしないかしら。
エルはというと、自身の体を布で隠しながら私の背中側に回り込もうとする。
「ちょっとエル、なにやってんの」
「お、お姉さまの後に、ついていきますので!」
「ふーん、変なの。まあいいや、ユルスラも早く」
その言葉にユルスラは過剰に反応する。
「へっ!? あ、ああ! おう、もちろん! やるよ? やってやりますよ?」
この子もなんか変。まぁいいか。髪をまとめてから、私も早速。
天然の岩を並べて湯船のようにしている露天風呂は、温泉でもあるらしい。特徴的な香りが湯から立ち上る。若干茶色味を帯びた湯にゆっくり体をしずめる。
胸が隠れるほどのちょうどいい深さの湯船だ。少し離れたところではディルが歓声を上げながら早速泳いでいる。
「ふう」
岩に背を預け、空を眺めると長い尻尾を持つほうき星が、今日も空を覆っていた。ほうき星がかなり明るいため、多くの星は姿を消し、いくつかの明るい星が見えるのみとなっている。
忌々しいほうき星を見上げていると、隣から声がかかる。
「はやく、居なくなってほしいですね。ほうき星」
いつの間にかエルが寄り添っていた。
「エル」
人族として、そう願うのは当然のことだろう。けれどそれは、再び魔族との闘いを始めるということと同義に聞こえる。
ラトラ。彼女にはまだ聞きたいことがある。なにかこう、大事なことを聞けていないような、そんな気さえする。
しばらく世間話をする。道中での出来事。街の様子についての意見。この街の支配状態について。今後の方針。などなど。
そしてそろそろ湯から出て少し涼もうかなと思ったときだった。少し会話が途切れたと思ったら、エルがうってかわって小さな声でささやくように話しだした。
「ねえお姉さま。わたし、うれしかった」
気づけばエルが湯の中の私の手をそっと握っていた。
「お姉さまが、力をわけてくださったこと。すごく、すごくうれしい」
「あなたの心の支えに、なりそうかしら」
すっかり耳まで赤く染めた彼女は、湯に視線を落としたままコクリと小さく頷く。
「もちろん、あの力は心の中の大きな柱。でも」
「でも?」
エルの手に少し力が込められた。
「お姉さま。あなたがずっと居てくれるなら、私、きっと強くいられる」
うっすら汗ばむ頬に張り付く髪。すこし見上げる格好の彼女が、潤んだ目で私を見つめる。
「私がこれからも強くいられるように、お願い。魔法をかけて」
エルがゆっくり近づいてくる。二の腕に、彼女の身体が触れる。どきりと心臓が跳ねる。
あ。
ヤバイヤバイ。これはまずい。少なくとも、今はまずい。
そんな思索を打ち破る、まさに雰囲気ぶち壊しな声が飛び込んできた。
いや。これはもはや、救世主の声か。
「うおーい、俺だけ別かよお! 今こそ親睦深めようぜ。今からそっち行くからさあ」
この声はジェフリー。声の方を見れば柵に手をかけ、まさに頭を覗かせようとしているところだ。
近くで舌打ちが聞こえた気がした。
「なっ、何を言ってるんだお前は!!」
ユルスラが物陰に隠れ、頭だけ出して叫ぶ。
「よっと!」
彼が頭を出した瞬間、水の奔流が彼の頭部を襲った。そのまま勢いに押され、再び柵の向こうに姿を消した。
氷のような目をしたエルは「水じゃなくで、氷の刃が良かったでしょうか」などと物騒なことをつぶやく。
「いってぇ!! なっ、ちょっとひどいじゃないか!」
壁の向こうでジェフリーが叫ぶ。アレだと背中から落ちたのではないだろうか。彼はもしかしたら、意外とタフなのかもしれない。
「あ、ああ当たり前だろう! 将来を誓いあってもいない仲で、は、肌を晒すなど!!」
悲鳴にも似たユルスラの声がこだました。
隣で仁王立ちし、無表情で壁を睨むエル。対して物陰から出てこないユルスラ。
ユルスラって、意外と奥ゆかしいんだなあ。






