第七十三話 新たな羽
目が覚めると天幕はうすぼんやりと朝を告げていた。
首をめぐらすといつもより相当近いところにあるエルの寝顔にドキリとする。儀式で同じ床についたことを思い出し、小さくため息をつく。
すうすうと規則的な寝息をたてる彼女の頬にかかる髪をそっとかきあげる。するとくすぐったいのだろうか、わずかに眉間を寄せたかと思えば微笑みを浮かべ、ぐりぐりとすり寄ってきた。
しまった、起きれない。
そういいつつも柔らかくあたたかな彼女がぴったりと寄り添うこの状況はまぁ、悪くない。
押しのけて起きようと思えばいつだって起きられる。そう自分に言い訳をしてまどろみを楽しむことにした。
先ほどより天幕はその明るさを幾分増し、まわりの森はゆっくりと、いつものように目覚めようとしていた。鳥たちが目覚め、徐々にそのさえずりが響きはじめる。
しばらく彼女の整った顔を眺めていると、不意のみじろぎのあとそのまぶたがゆっくりと開かれた。
「ん……」
しばらく半目でぼうっとしていたと思ったら、急に目を見開いて、みるみる頬を染めた。
「あ、あ、あ」
「ん? どうしたの、おはようエル」
「お……おはようございましゅ」
そう言うが早いか、ぐるりと背を向けてしまった。
「ごっ、ごめんなさいお姉さま。これは、そのっ」
「どうしたのよ」
「あ、あまりにもそのっ、ち、近いもので!」
意外だった。てっきり彼女にとってこの状況は『ご褒美』だと思っていたのに。
そのうなじまで朱に染めて恥じらう様子がとてもいじらしく、そのまま背中からギュッと抱きしめた。
ふわりと柔らかい感触と少し甘い彼女の香りがよりはっきり感じられる。
「あ、あのあの、ど、どうされました」
ピクリと少し身を固くして振り返る。
「んー? 可愛い妹とスキンシップを図ろうと思って」
「そ、そうなんですか。すみません、ちょっと驚いちゃって」
「何言ってんのよ、普段はあなたからすり寄ってくるクセに」
「普段とはその、状況が違うというか、攻め受けがですね」
「んー、言ってることがわかんない!」
そう言って抱きしめる手に力をこめてやるとエルが「ひゃあああ」と情けない声を上げる。
思わずといった感じで私の腕に手を添えてきた。少し熱を持った彼女のしっとりした手のひらの感触に、今度はこちらがどきりとさせられる。
「あのあの、この状況はとてもその、これはこれで嬉しいのですがそれより」
「ん? ああ。力が使えるようになってるか気になるね。早速試してみようか」
そういって彼女を解放してやると、エルは伏し目がちにしずしずと起き上がった。頬を染め恥ずかしそうに襟元を寄せるその様子がなんとも。
「おお……」
「な、何ですかお姉さま」
「いやなんというか……今の、すっごく色っぽかった」
「ばっ、ばかなこと言ってないでさっさと起きてください!」
エルは今までで一番の真っ赤な顔で叫んだ。
身支度をととのえて天幕を出ると、ひんやりとした空気が頬をなでる。
思っていたより外はまだ薄ら暗い状態だった。ほかのメンバーも起きだす様子はない。少し離れた小川のほとりで試すことにした。
私が使役できる精霊をすべて試したところ、エルには水と光の精霊が扱えるようだった。
「お姉さま……お姉さま! わた、わたし。魔法が使える!!」
手のひらからとめどなく水が零れ落ちる様子に、興奮を抑えきれない様子のエルが叫んだ。
「エル、魔法じゃない。精霊術」
「あ、はい、そうでした。でも!」
感動を禁じ得ない、といったエルに水を差すのは忍びないが、きちんと言っておかなければならない。魔法と精霊術はその原理からしてまったく異なる力だ。勘違いして使い続けるとどんな弊害を生むかわからない。
けれど綺麗だ。この場をのぞいて、時が止まったかのよう。
朝ぼらけの深い森。光の粒がキラキラと飛び回るなか、手にすくった枯れることのない水を見つめる美少女。正直絵になる。まぁ中身は少し、いや結構おかしいんだけれど。
その少々残念な本性を知らない人が見たら、きっとコロッと騙されるだろう。そんな神々しさすら感じる様子に、息をするのも忘れてしまいそうになる。ちょっぴりくやしい。
しばらく手のひらの水を眺めていたエルだったけれど、不意にうつむいたかと思うと顔を手を覆った。術が開放され、手の水も、周りの光も。瞬時に何処かに消え去る。
「ん、どうしたのエル? 疲れちゃっ」
「ちがう……違うんですお姉さま。私、嬉しくって」
再び顔を上げたそこには、笑みをたたえ、静かに涙する姿があった。
「これでわたし、また役に立てる。みんなの。ディルの」
「そうね。今日からまた、バックアップよろしくね、エル」
その言葉にエルは拳を握りしめ、元気に返事をした。
「もちろんです! 私がいるからには、もう危ない橋は渡らせませんよ!」
野営地に戻りながら話す。
「さて。じゃ、まず最初に、ディルに謝らないとね」
「そうですね。今までの振る舞い、あの子だけじゃない。ジェフリーさんやユルスラ。もちろん、お姉さまにも」
「私は別にかまわないわ。むしろ謝らないといけないのは私のほう」
「そんな、どうしてお姉さまが」
「あなたの苦しみ、王都で再会してすぐに気づいていた。けれど私は何もしてあげられなかった。……いや、ちがうわね」
深入りすることが怖かった。
姉妹だ仲間だと言っておきながら、結局自分も明確に線を引いていたんだ。
「お姉さま……?」
「とにかく、ここまで引っ張ってしまってごめんなさい」
「よくわかりませんけれど、じゃあお姉さまとはおあいこってことで」
「そうね……それでおねがい」
憑き物が落ちたかのように晴れやかなエルの横顔を眺めながら、次は絶対に躊躇しないと心に誓った。この子の表情を曇らせるようなことは、もう二度としない。
その後彼女はメンバーの前で深々と謝罪し、冷やかされ、からかわれながらも赦された。
そしてエルとディル、二人は抱き合って仲直りをした。抱きつかれたディルが恥ずかしそうに頬をかく。よく考えたらこんな光景も初めてかもしれない。
ディルの屈託のない笑顔に、エルも苦笑いながらも笑顔が出てきた。もう大丈夫だろう。
◇ ◇ ◇
この大森林には南北に貫かれた街道がある。かつて暮らしていたヴィルバッハと森の街、ドルンズバッハを繋ぐ道だ。幸い野営地からさほどの距離をかけることもなく街道に出ることができた。
街道沿いは比較的魔物は少ないとされているが、それでも時折野良と遭遇する。
ついさきほども、今日何度目かのオークの群れに鉢合わせたばかりだ。
エルの戦線復帰はパーティーの戦闘を大きく変えた。
今までの前衛のヴァイス、ディル、ジェフリー、ユルスラに対し後衛に回ったわたしというパーティ編成は、お世辞にも誉められたものではなかった。私としては一度に攻撃支援と防御をおこなわければならなかったわけで、気づけば最後は四人とヴァイスで殴っていた、あるいはいつの間にか誰かが負傷している、なんてこともしばしばだった。
それが今はまったく違った。
そうしているうちにまた、新たなお客様が立ちはだかった。オークの群れ。八頭か。奇声を発しながらそれぞれが錆びた剣やら手斧など、粗末な獲物を取り出す。
「お姉さま、左の敵をお願いします! ディルたちは右を! 私が支援で支えます、そのスキに一体ずつ!」
オークとはいえ、私ひとりで四体相手させるとは。エルもああ見えて人使いが荒い。あっちは四人で四体。不公平じゃないの?
”俺がついてるじゃないか”
ヴァイスが早速一体を倒しながらチラリとこちらを見る。
「やっぱりヴァイス、頼りになるぅ!」
炎で一体丸焼きにすると残りの二体は互いを見合った。
示し合わせて向かった先はヴァイス。同時にかかって倒す算段なのだろうけれど。
”俺のほうか! うれしいねぇ!”
本当に嬉しそうにヴァイスがひと吠えする。迫りくる二本の太刀筋。切られる。ゾッとした瞬間、ゆらりと体がゆらめく。彼がいたところには地面に食い込む錆びくれた剣。かき消えた敵を慌てて探す敵。気配を察し振り返るが遅い! その首元を、鋭い牙が掻き切る。
恐慌をきたし、振りかぶってくる敵。ヴァイスは冷静にすでに動かないオークを蹴りつける。仲間の死体を受け止める恰好になったもう一体にそのまま体当たりを食らわす。死体を抱きかかえるように仰向けに倒れた相手を悠然と見下ろし、その首に爪を押し当てる。
”じゃあな”
しばらくバタバタと暴れていた最後の敵も、やがて力なく手足を地面に投げだした。
こちら側の制圧は終わった。エル達の方はと目を向けると、三体目を相手しているところだった。
基本はエルが敵の攻め手を防ぎつつ、攻撃組が一体ずつ相手していく戦法のようだ。エルが声掛けをして場をコントロールする。
ジェフリーが大楯を構え、ディルとユルスラがその陰から隙をみては剣を突き込む。三対一。結果は火を見るより明らかだ。
相手していないもう一体は幻惑か、見当違いの方向に手斧を振り回している。
今日はじめて扱う力だというのに、やはり魔法使いとしてのキャリアがそうさせるのか。飲み込みが恐ろしくはやい。
「私はひと月はかかったのに」
新たな力を得てイキイキと戦う彼女をみて、少し妬けた。
統制が取れた安定した戦闘だ。四人は危なげなく数を減らしていく。
やがて最後の一体を倒し切り、落ち着いたところで話しかける。
「おつかれ~。イイ感じじゃない、エル」
私の言葉にエルは凛々しい戦闘モードの表情から一転、はにかむように笑った。
「あはっ、そうですか?」
「そうだよ、やっぱりエルすごいよ! もう、すっごく楽だもん。ね、ユルスラ」
ディルが手早く剣を拭って鞘に納めるとエルに抱き着きつつ、興奮したように獣人の少女に話しかける。
「ちょっともう、うざい」とエルが文句をいうが、まんざらではなさそうだ。
「お、おう。やっぱり戦闘慣れしているっていうか……てかお前ら双子、いったいどうなってるんだよ」
対するユルスラは興奮するディルに若干引き気味だ。
「コイツら戦闘バカの集まりだからさ。……よっと。こんなナリしてやたらにツエーのよ」
盾を背負いながらジェフリーが相変わらずの軽口で口をはさむ。
「そんなことないよー。それにユルスラちゃんだって強いじゃん。素早いしさ。私敵わないかも」
頭をかきながら、ディルは嬉しそうにこたえる。……ツエーって言われてうれしいのかしら。でも戦闘バカって誉め言葉じゃないからね?
「え、そ、そうかなぁ? えへへ」
ユルスラも誉められ、しっぽをへにゃりとだらしなく垂らした。
「ジェフリーさんは安定の盾役、ありがとうございます。お陰で危なげなく撃破できました」
「まあ、それが俺の仕事だからな、当然だ」
「そんなこと言って。耳まで真っ赤ですよ?」
「はあ!? 大人をからかうなよ、ったく! ほら、先進むぞ!」
真っ赤な耳のまま、ジェフリーは先に歩き出した。
幸い日が落ちる前にはドルンズバッハに着くことができた。
夕焼けに照らされ美しくも雄々しい威容を見せる大きな木々たち。森の街は一見すると以前来たときのままのようだ。けれど鳥たちが巣に帰る先。とても大きな木々のあちらこちらに見えるものは魔族の旗。改めてここが人族の世界ではなくなったことを認識させられる。
私たちが馬車で近づくと、早速門番の魔物が手を上げて近づいてくる。
「ユルスラ、一緒にお願い」
この前のようにトカゲ男でなければいいんだけれど。
心の中でため息をつきながら、左手の指輪を確かめてから馬車を降りる。
「ラトラ様に面会に来たのだけれど、伝えてくれるかしら?」
夕日の中であっても、緑の宝石はきらりと美しい輝きを放った。






