第七十話 魔王の娘
月が高く上がったおかげで、うっすらとだが周囲が見渡せるようになった。
ラトラと呼ばれた一見かわいい少女にしか見えない相手。彼女は無造作に近づいてくる。自らの身長ほどもある大剣を、まるで木切れのように扱う様子ひとつとっても相当の実力を持っていると想像できた。その外見と相反し見え隠れする実力の片鱗とのギャップが彼女をより一層、不気味な存在に思わせる。
「さあて、誰から相手してくれるのだ? なんなら一度にかかってきてもよいぞ」
「ちょ、ちょっとまってください。話を」
「語るなら剣で語ればよかろう。お前の腰にぶら下がってるソレは飾りか?」
くるくると二、三回大剣を回したあと岩の地面に突き立てた。周囲に剣に負けた岩の悲鳴のような音が響き渡ると、すぐにオーガが数体出てきて騒ぎ出した。
「よいよい、こ奴らは我が相手する」
そしてこきこきと首を鳴らしたあと、
「食後の運動をしてなかったからの。……さて、来ないのならこちらから行くぞ」
大剣の柄を左右に振って地面から抜くや、振りかぶりつつ一蹴りで一気に距離を詰めてきた。いや、水平に飛んできた。
話を聞いてよ、もう!!
たまらず剣を抜く。
ほぼ同時にラトラは幅がひと尋ほどはあろう大剣を、まるでレイピアを扱うかのような速さで振り下ろす。なんとか剣を間に合わせていなす。激しく火花とけたたましく悲鳴を撒き散らしせめぎ合う二つの剣。
「ほう、一太刀目を躱したのは誉めてやろう。だがこれはどうか!」
間髪入れずに突きこまれる大剣。まるで丸太が飛んできたような錯覚すら覚える。後ろに飛びながら刀身を左手で支え、両手で何とか受け流す。
そのままラトラは前に出てくる。
「ほらほらほら、防戦ばかりではつまらんぞ!」
およそ大剣使いを相手しているように思えない三連撃。何とか受け止めたが速さは細剣、重さは大剣のそれは、相当こたえる。
「な、んて力なのよ!」
直後放った横なぎの一刀はバックステップであっさりかわされ、再び詰められる。上段からの打ち下ろし。先ほどとは違い緩慢だ。ステップで躱すと刃が返り足元から切れあがってくる。ステップを誘われた! バックラーを構え、ラトラの胸元に飛び込む! 左から半端ない衝撃が襲い、一瞬意識が飛んだかと思った。ふわりと体が浮いた直後ゴウ、という突風のような音が耳をつんざく。なんとかこらえ、彼女を突き飛ばし再び距離をとる。
直前に風が彼女からの下段の勢いを殺してくれていたようだ。
ラトラは今の一合についてだろうか、首をひねっている。なにがしかの力が働いたことに気づいたのだろうか。
これだけの打ち合いでよくわかる。彼女はとんでもなく強い。早くも手がじんじんしびれてきた。剣だけではとても太刀打ちできそうにない。
開いた左手をパッ、とラトラに突き出す。突然のことに彼女は一瞬怪訝そうな表情を見せた。
「炎よ!」
刹那、手のひらサイズの火の玉が飛び出て彼女に向かった。
「ぬわっ!? あちちちっ! なん、魔法か!?」
たまらずといった様子でラトラは距離をとった。周囲のオーガたちからもざわめきが起きる。魔法なんで使える? 何者だ? などと明らかに警戒度は上がったようだった。先ほどから取り巻いていた円陣が一気に広がった。
「申し訳ないけれど、剣では太刀打ちできそうにないから、得意技で相手させてもらうわ」
左手に再び火の玉を起こし、牽制する。
「貴様……何者だ?」
彼女の表情にはじめて焦りの色が浮かんだ。
「あら、ようやく話を聞いてくれる気になったのかしら?」
二人の視線が絡みつく。静かな時間がしばし続いた。背中をジワリと汗がつたう。
「……どうも訳有りのようだな。いいだろう、話せ」
剣を納めつつ、沈黙を破ったのはラトラからだった。
「ありがとう、助かるわ」
手のひらの火の玉を消されていた篝籠に向かって放った。周囲のオーガたちのどよめきとともに、松明は勢いよく燃えだした。
「……はじめからそれを見せておけ!」
ラトラがエルフの指輪を見るやいなや目を見開いて慌てたように叫んだ。
目の前にはラトラと側近らしき者が二人。オーガたちは我々の様子を遠巻きに気にしている様子だ。
「え、ですが話を聞いてくれなかったじゃないですか」
「ん、あ、う、そうだ……ったかの?」
「そうです」
「あう」
するとラトラは側近二人と円陣を組んで頭を寄せ合いぼそぼそ話し合いはじめた。
「お嬢、まずいですよ、エルフの族長の孫娘といえば、下手すれば後の族長候補」
「わかってるよそんなこと!」
「どうします? これ、お父上にばれたら」
「ひっ……エルフとひと悶着起こしたなんてパパに知れたら……ウチめっちゃ怒られるし!」
「我々は消し炭に」
「マジかよ、ヤバいじゃないっすかそれ!」
本人たちは聞こえてないと思っているのだろうけれど、内容は丸聞こえだ。
ユルスラは半ばあきれ顔でため息をつくと、オーガに向かいエルの戒めを解くように指示した。
「あの」
声をかけてみたものの、円陣が解かれる様子はない。
「パパ怒ったら超怖いし! あー、サイアク! やっぱさっさと城に帰ればよかった」
「そうだぞ、そもそもお前がオーガ一度見てみたいっす、なんて言わなければこんなことには」
「は? 俺のせいだって言うんすか?」
「ではなんだというんだ」
「うっさいお前ら、今はそれどころじゃない」
背後でエルの「何してくれてんのよ、この腐れ鬼ども」などと実に聞くに堪えない悪口が聞こえ始めた。よかった、元気そうね。
「あのー?」
もう一度円陣に向かって声かけ。反応なし。少し寂しくなってきた。
「ここは穏便に、話し合いでなかったことにしてもらう一択だよね」
「その上でお父上にご面会いただいて、賓客ということでおもてなしを」
「詫びの品は何がいいかな、……男?」
「え、お、おとこ……ですか……?」
「……え、え、お、俺っすか? いやー、そのー、そういうのもアリ、ですかねぇえ!?」
「なによその、まんざらでもないような返しは」
いやいやいや、男献上されても迷惑ですし!
「あのぉ!」
「ん、なんじゃ」
お、ようやく返答が返ってきた。ラトラはしかしこちらを振り返った直後、目を見開いて固まった。
「パパって、魔王様のことですか?」
なるべくにこやかにたずねてみる。
「んにゃっ!? ななな、なんのことじゃ」
顔はすっかり紅潮し、目が泳いでいる。表情豊かな子だと思った。根が正直なのだろう、腹芸はできそうにないタイプと感じた。
「いや、さっきから相談の声が漏れ聞こえたもので」
「ほらぁもう! お前らの声が大きいから、だっ!」
直後すごい音を立てたラトラのげんこつで、二人の側近はきっちり二発でしずんだ。
「あのその、本当に、失礼しました……」
しばらくして場は落ち着きを取り戻した。目の前ではラトラが深々と頭を下げている。隣には見事なたんこぶを拵えた側近二人がならんで頭を下げる。なんなんだ、この光景は。
「いや、そんなにかしこまらなくてもいいんですけれど」
「そういうわけにはいきません。もう聞かれてしまったので洗いざらいお話します。私はラトラ。魔王の娘です。こいつらは側近のカークとスーケ。見ての通り、ポンコツです」
「ポ! ……そりゃないっすよお嬢」
「ご存じかもしれませんが、古くより魔族の中でもエルフ族は特別な力をお持ちのため、大きな影響力があります。そのエルフの方々が争いを好まないとして、相互不可侵の盟約を結ばれたのです。つい百年ほど前のことです」
時期的におじい様がかかわっていそうだ。
「ですのでその、今回のやり取りは盟約上、非常にまずいことでしてそのー」
とここでラトラは言葉を濁した。彼女の手元に目を向けると、両の人差し指を互いにツンツンと合わせて次の言葉を迷っているようだった。
そんな彼女の様子に、好感すらも覚えてしまう自分に多少戸惑いながらも、争うのは互いにメリットがないという打算的なことも頭の片隅におきつつ、微笑みを浮かべて返した。
「お互いわからない中での事故です。この件を祖父にどうこうするつもりはありません」
「! では」
ラトラははじかれた様にその満面の笑みをたたえた顔を上げた。
「ただまぁ、代わりと言ってはなんですけれど」
少し条件をつけようと思った。ちょっとした便宜を図ってほしくなったのだ。しかし彼女の返しは想像の向こう側だった。
「カークとスーケ、どちらが好みですか!?」
「は?」
「え?」
「……ちょ、お嬢」
しばしの沈黙ののち、どちらがどちらか聞いていないのであれだけれど、お付きの一人がたまらずといった感じで突っ込んだ。
「……あら?」
ラトラはなにやら自分がやらかした、という感覚を得たようだった。
「えー、こほん。重ね重ね申し訳ない。かくなれば正式に謝罪の意を表するため、ドルンズバッハにて饗応させていただきたい。ご足労であるとは思いますが、いかがでしょうか」
ラトラはわずかに頬を染めながら、私たちに正式な謝罪のための食事会を催したいと申し出てくれた。ドルンズバッハ。森の街か、なんだか懐かしい。
「いいですよ。我々もあてのない旅の道中。ちょうど森の街にも立ち寄ろうとおもっていたところです」
「そう、そうですか! よし、それならば明後日の夜とり行うことにしましょう。我々は今から戻ります。アレクシア様は馬車でしたね? ごゆっくり移動されてください、準備をしてお待ちしておりますので!」
そういうが早いか、ラトラは二人とけしかけて、あっという間にこの場を立った。
絶対来てくださいね! という言葉を残して。
オーガたちも私の正体がわかってからは戦う気力が失せてしまっているようだった。ペコペコとエルと私たちに謝った後は、馬車に戻る際に見送る形で数体が手を振ってくれた。
「根はいいやつらなんだろうけどな」
ユルスラはぼやきつつ先を歩いていく。
そう。あまりにいろんなことがあったから、このときまったく気づかずにいた。
エルの心境の変化に。






