第七話 罠の功罪
冬も半ば。街は年越しの準備で通りを行く人も慌ただしく行き交う。そんな外の様子もお構いなしで、カウンターに腰掛ける私は優雅に紅茶などを飲みながら今日も静かに古書をめくる。ちなみにタイトルは「狩猟と罠」。先ほどもお客様に二度見された、ちょっぴりお固目の本だ。
豊穣祭について、少し後日談を。
私を無理矢理連れて行こうとしていたあの男。あれから本名を思い出した。トーマスって言ったと思う。当たらずも遠からずだった。
そのトーマスはそのまま街の衛士に捕らえられ、しばらくは牢の中だという。反省してくれたらいいけれど、逆恨みでまた何かして来そうだから、できれば出てきてほしくないけれど、良くて半年くらいだそうだ。
所詮『忌み子』同士のいざこざ。相場はそんなものなのかもしれない。
別の影響もあったようだ。
やっぱり魔法の文化が浸透しきっている影響で、体術なんかの類は誰もやってない。すごく珍しかったのだろう。あれからというもの、なんだか明らかに客層の違うお客様が増えていて。今も小さな男の子や女の子が窓越しに私を見てる。
にこやかに手を振ってあげたら、ぱあっと笑顔になってブンブン手を振り返してくれる。
くぅー、かわいい。
「大きくなったら、本も買いに来てね!」
窓の外の子供たちの姿を見て自分の顔がへにゃりと崩れるのを感じた。
さて今日のお昼はおとうさんが作ってくれるということで、台所からは先ほどから物音とお肉の焼けるいい匂いがするのだけれど。
「……なんか火力が弱いのう。『障りの日』かのう」
独り言が聞こえてくる。あ、今日ってそうなんだ。自分使わないから気が付かなった。
『障りの日』というのは年に一、二度。多い年は五回ほどある魔力が弱まる日のこと。数日から二週間ほどかけて魔力が谷を描くように落ち込んで元に戻る現象のこと。その谷が深く短い時もあったり浅くても長かったりと影響も一定しないよくわからない現象みたいだ。
しばらくしたら元に戻るから、火山の影響とか、神の機嫌が悪くなってるんだー、とか様々な説があって、そういったところから宗教は発祥しているともいう。そしてそういう時は神殿や教会は書き入れ時らしい。……お布施は大事なんだそうだ。
私は魔法が使えないから関係ないのだけれど、具体的には魔法の威力が落ちるらしい。火の魔法なら火力が、水だったらその量とか水圧とか。風とかほかの属性も同じような調子で能力が下がると聞いた。
魔法は万能そうだけれど、よくわからないところもあるもののようだ。
「おーい、できたぞー」
ご飯が出来たようだ。入り口に休憩の札を下げに行かなければ。
◇ ◇ ◇
その日の午後。
今日はおとうさんと二人で近所の森に来ている。私が先日設置した罠に獲物が掛かっていないかの確認をするためだ。一人でいいといったけれど、おとうさんは頑として聞き入れなかった。
食料を得るという目的で毎回戦うのは効率が悪い。
なので罠を仕掛けて安全に糧を得る方法も身につけたいと思い、特にお願いした。おとうさんもその考えには賛同してくれた。
でもおとうさん、必要以上に気合いが入ってる気がする。なんで罠の確認だけに武器の強化魔法とか必要かな?
「ねぇおとうさん。魔法をかけてくれるのはありがたいんだけど、これじゃ私の訓練にならない……」
仮に魔物とか現れても、こんな高級な強化魔法がかかってたら片手でも倒せそう。
「何をいっとるか。お前みたいな駆け出しには、これだけかけてもまだ不安じゃわい」
これは、あれだ。過保護パパだ。子供がダメになる典型だ。
「いや、ホント、ほどほどにして。お願い」
「うぅ、わかったわい。だけども強化魔法が欲しくなったらすぐに言うんじゃぞ!!」
そしてやっと解除してくれた。まったく。
仕掛けた罠は全部で五か所。すでに二か所は空振りだった。そして三か所目。罠は発動し、不幸な獲物を捕らえた網が、一メートル近くの高さでゆっくり揺れている。さんざんもがいて疲れ切っているのか、声も出す様子はない。
「やった、何かかかってるね! 何かな……」
近づくと人の気配を察知して暴れだす。にっくきワイルドボア。大物だ。
「今回は生け捕りの必要がないから、先に絞めたほうが、後が楽じゃぞ」
そうだね、網が血で汚れるのが気になるけど……下ろしたときに暴れられても面倒だしね。ということで血が流れ落ちる予定の所に穴を掘り、ナイフで首を掻き切る。
しばらく放置している間に運ぶための木の棒やらロープやらを準備する。
「先に他の二か所も見てこようか」
そうじゃな、とおとうさんも同意したので、この状態で一旦放置し別の罠へ。四か所目はハズレで、最後の罠に向かう。が、近づくにつれ、異常な音に緊張感が高まる。
身をかがめつつ木の影から覗き込むと、まず目についたのは三か所目同様、私の腰の高さくらいに浮いた獲物がかかった網。そしてそれに爪を立てる大きなクマ。グリズリーベアという種類だと思う。でかい。
どうやら網を何とか下ろそうとして頑張っているんだけど、くるくる回ってうまくいかなくてイライラしている、ように見える。冬ごもり前のクマは狂暴で厄介な相手だ。
クマに気取られないよう、声を落としておとうさんに確認する。
「おとうさ」
言い終わらないうちに、おとうさんが右の手のひらをこちらに向けて制した。
ハンドサインでしゃべるな、お前は待て、自分がやると伝えてくる。
そこまでサインを出すと木の陰からそっと抜け出し、クマに相対する。吠えるクマ。さしずめ俺のメシだぞ、横取りする気か! ってところかな。
そんなクマにおもむろに杖を向け一言。
「……氷の槍よ、わが敵を貫け」
すると甲高い音と共に周りの何かが収束するような感覚を感じた直後、おとうさんの目の前には長さ一メートルほどの氷が現れた。そして私が「槍だ」と認識したときにはドンッという大きな音とともにクマの胸に突き刺さり。そのまま突き抜けて背後の木に深々と刺さった。突然の衝撃で、氷の槍が刺さった木が大きく揺れている。
クマは一言うめくと口の端から血を漏らしながらゆっくりと仰向けに倒れこんだ。
強い。おとうさん半端なく強い。クマを一撃だよ、しかも氷の槍を刺したんじゃない、貫通させるだけの威力。……すごい。
「おとうさん、……すごいね」
「尊敬したか?」
得意げに自慢するおとうさんはやっぱりかっこよくてカワイイ。けれど。
「うーん、まぁまぁかな」素直にほめてあげない。だって凄すぎて悔しいから。
「えっ。結構頑張ったんじゃがの」おとうさんは肩をカクっと落とした。
「あはは、まぁそれは置いといて。クマは素材になるからいいとして。網の中って何か……大きな犬っぽくない?」
こちらの方はすでに息絶えているようだ。全体的に白い毛並みの大きな犬のような。
「いや、狼じゃな。……毛皮はクマの馬鹿タレが傷だらけにしとるから売り物にならんな。そのまま埋めてしまうしかないか」
そういっておとうさんは先ほどのクマの不要な部分と狼をさっさと埋めようと魔法でさっくり穴を掘っていく。ホント便利で腹が立つ。
「じゃ先に狼を……ん? 腹に何か……ふむ、これは……」
網からおろした狼を穴に入れようとしていたおとうさんの作業が止まったかと思うと、
狼の亡骸のお腹のあたりから小さな塊を拾い上げてきた。
「ほれ。これ」
「ん? んん?? こ、これは……白い狼の、子供! か、かわゆすぎる……!」
受け取った狼の子はまだ息があるが、しばらく何も口にしていないのだろう、ずいぶん弱っている。
「おとうさん、私、この子」
「ああ、連れて帰るぞ」
「あ、うん。え! ……飼っていいの? おとうさん大好き!」
展開の速さに戸惑いを隠せない中、おとうさんが回復魔法を私の手の中の子狼にかけてくれた。すこし気力が満ちた気がする。
「時間稼ぎ程度じゃけどな。そうと決まれば早く帰らんとな。急がんとじきに死ぬ」
手早くクマの解体と売り物になる部位の回収、狼とクマの残りの部分を埋め、先の場所に戻ってボアの始末をつけてから家への帰路についた。
狼を埋めるときに気づいたんだけど、罠にかかる前にすでにかなりケガをしているようだった。骨折もしていたようで、近くで何かと争った後だったんじゃないかと思う。
もしかしたら別の所でトラブルにあって、逃げてきたところで罠にかかったのかもしれないねとおとうさんに振ったら、その可能性は高い。いい見立てだとほめられた。
子狼はさっき一杯ミルクを飲んで、今はパンパンに膨らませたお腹をさらし、小さくイビキをかいて眠っている。
子供を守り、最後は私の罠にかかってしまった親狼。罪滅ぼしだなんて言うつもりはないけれど、しっかり私が育てると心に誓った。
この時どうして私はそう思い込んでいたのだろう。
おとうさんとの慎ましいながらも穏やかな日々。この何気ない日常が、いつまでも続くなんて幻想を。今が嵐の合間の、わずかな小春日和であることを。
あまりにも幸せな日々に慣れきってしまっていたのだろうか。忘れてしまっていた。この世界がそれほどやさしくできていないということを。