第六十五話 獣人に蹂躙された街
「ほう、それで西の我らの島への物見遊山の途中で我が砦に。それはそれは。しかし……」
そこで言葉を切った獣人のリーダー――見た目は大きな二本足で立つワイルドボアだ。確かゾバリと言ったか――は、ぐるりと私達パーティーを見渡した。
「エルフの族長のお孫さんと魔狼はいいとして……」
そう言ってゾバリは下卑た笑みを浮かべながら手を伸ばし、エルに触れようとする。
小さく悲鳴を上げた彼女は慌てて私の影に隠れた。私が手でゾバリを制して睨みつけてやると、つまらなそうに口を尖らせて身を引いた。
「この子達は私の世話係よ。手出しは無用に願うわ。もし何かあれば」
そして手のひらの上に燃え盛る炎を現出させる。
「私もそれなりの対応を取るわよ。良いかしら」
その様子を見てゾバリは肩をすくめた。
「……冗談ですよ。本気でエルフの精霊使いと喧嘩なんか誰がしますかって」
「そう願いたいわ」
手の上の炎を握りつぶすとポッ、という音を残して消えた。
私達はおじゃま虫三人組を撃退した後、アーリードの街を船で出た。助けた子供の親から譲り受けたものだ。
当初そのまま東大陸に向かおうと思っていたが止められた。なんでも北の海には最近大海蛇がでるらしい。そんなのに当たったらこんな小さな船、気づいたらお腹の中ってことも有り得ると。
「蛇の餌ってのはゾッとしないわね」
たしかに、とエルが続ける。
「では逆に西に向かうしかなさそうですね。いっそのこと、本当に物見遊山でもしますか?」
確かにこれ以上状況が悪化するようなことはなさそうだ。だとしたら縁のある場所を巡って様子を確かめるのも悪くないかもしれない。エドの両親のこともある。湾を南西に回ってデュベリアの首都ウィーゼン、エドの父親が統治しているヴィッテンと南に下っても良いかもしれない。
その計画を話すと、エドは「そんな、危ないから良いですよ」と言ったがこころなしか声ははやっていた。それはそうだ、気にならない方がおかしい。
「大丈夫よ、これだけ戦力も揃っていたらなんとかなるわ」
そう決めて我々はアーリードから一番近い、デュベリア王都からの北に登ったところにある街、ここモンクへとやってきたのだ。
とりあえず街に入る前に、獣人数体から手厚い歓迎を受けた。
もっとも本気で戦うつもりはなかったようだった。尻尾を軽く焦がしてやると、悲鳴を一つ上げて逃げていった。見掛け倒しかと街の入り口に差し掛かると先程のゾバリが腕組みをして仁王立ちしていたのだった。
街に入ると目を覆うばかりの、予想を超えた酷い状況だった。
住人は抵抗したものはすでに殺されたようだった。帰順することを決めた者たちは、男は早速獣人たちの住居づくりなどで労働を強いられている。
女はマシな方の仕事としては炊事などの世話係。マシでない方は慰みモノだ。通りを歩くと至るところで老若男女問わず何かしら悲鳴が聞こえてくる。中には聞くに堪えない内容もあり、エルは険しい表情でうつむき、ディルは耳を塞いで歩いている。
その様子を見て並んで歩くゾバリがニタリと笑った。
”この豚野郎、気分悪いな”
ヴァイスが悪態をつく。
”そうね。状況が許せば真っ先に始末したい相手だわね。でもヴァイス”
”なんだ”
”豚に失礼よ”
”はっ。ちがいない”
「アレクシアさん」エドが小声で私に話しかける。いつものたしなめる声色だ。
「……なに」
「駄目ですよ」
言われなくてもわかってる。こんな時に暴れても多勢に無勢。我慢するしかない。
「……わかってるわよ」
しかし腑に落ちないこともある。
「なんだか武装した人が多い気がするけど」
装備が立派というわけではない。革の胸当てと肩当て程度の簡素な出で立ちに粗末な剣をぶら下げている。そういった男達の姿が先程から目立つ。連中は不躾な視線を私たちに向け、中には指笛を吹いてはやすものまでいる。
「ああ、連中はアンタらが言うところの、いわゆる『忌み子』共さ」
「まさか、リンブルグランドから集めたっていう?」
「おう、さすが詳しいな。そうだ。あのユストゥルって奴は相当キレるな」
双子の気配が高まったがそれも一瞬だった。私もユストゥルの名前を聞いた途端沸き立つものがあったけれど、何とか平静を保てたと思う。
幸いゾバリに感情の起伏は読まれなかったようだ。
「男しかいないようだけれど、女も奴隷になってるわよね。彼女たちは」
「女どもはまぁ……島で繁殖用だな」
なんとも吐き気をもよおす物言いをするやつだ。
「私も一応女なんだけれど。その物言いは決して気分の良いものじゃないわね」
私の機嫌が急に悪くなったことをいくら何でも気づいたようだ。ぎょっとした表情でこちらをみる。
「おいおい止してくれよ、俺が言ってるわけじゃねぇ。そのユストゥルが主導してるんだよ、勘違いはゴメンだぜ」
「ふん、どうだか」
早口でまくしたてるゾバリに対し、不機嫌さを隠さないまま吐き捨てるようにいった。
しばらく歩くと宿屋が見えてきた。
「一応この宿屋は使えるようにしている。今日はここに泊まるがいい。部下たちにもちょっかい出すなと伝えておくから心配しなくて……あ?」
「なんだなんだ? 見ない顔の新顔ちゃんじゃないの!」
その軽口に振り返ると、まさに剣を振りかざした男が向かってくるところだった。慌てて土壁を作る。
「おわあ、何だこりゃ! 土の盾かよぉ!」
男は勢い余って壁にそのまま剣を振り下ろしたようだ。ドスン、と重い音を響かせた。
剣を抜き土壁の影から身を躍らせると男に向かって剣を構える。
「ちょっと、いきなりご挨拶ね」
「なんだよ、相手は魔法使いじゃなくてお仲間かよ……」
私が剣を構えている様子から、ただの魔法使いとは違うことを感じたようだ。相手の手に持つ剣先が若干鈍る。
「『忌み子』でごめんなさいね。でも良かったでしょ? ちゃんとした相手なんだから」
「いやぁ、こういう相手を期待していたわけじゃないんでね」
ついに剣を構えるのをやめて男は肩をすくめた。
……この雰囲気。どこかで。
「あなた……どこかで」
言葉を継ごうとしたとき、ゾバリが割って入ってきた。
「おいおいおい、お前何やってんだ! このお人はエルフだぞ、うかつなことをしないでくれ!」
「はぁ? この、女がか? ……いや、で、ありますか?」
男は私を指差しながら素っ頓狂な声を出した。
「そうだ。手を出すんじゃない。すりつぶすぞ! ……すみません。さ、宿の方へ」
振り返ると男は頭を描きながら苦笑いしている。そうだあの雰囲気。ヒゲなどが生えて少し風貌が変わっているが間違いない。あれは……
「「「ジェフリー?」」」
宿の部屋に入るなり放った私の言葉に、皆一様に驚いた様子だった。
「ジェフリーって、あのジェフリーさんですよね?」
宿の部屋に入るなり、エドが興奮した様子で口を開いた。
「ええ。そのジェフリーさんよ。おおかた他の連中と同じように頭を弄くられてるんでしょう」
手袋を外し、机に置きながらため息をついた。
「どうします?」
エルが私の装備をはずす手伝いをしながら尋ねてくる。ありがと、と声をかけるとニコッと笑って片付けてくれる。
「そうね……気にはなるけれど、ガッチリいじられた後だと難しいかもね」
「それはその、もとに戻すという意味でですか」
エドが残念そうにつぶやくのに合わせ、軽くうなずいた。
深く洗脳が施されているなら、それを解くのも並大抵の労力ではすまないだろう。
けれど展開は思っていたより早く進んだ。
コンコンと、部屋の扉をノックする音がしたのは部屋に入ってからしばらく経ってからのことだった。剣をとって身構える。
「あ、あの……お客様。その、お客様を尋ねて来られた方が食堂にお見えなのですが」
扉の向こうから聞こえてきた声から察するに、どうやら宿の主人のようだ。
「相手はどんな人かしら?」
「は、はい、なんでも『ジェフリー』と名乗っていらっしゃって、その名前を言えばわかるから、と」
「!……わかったわ。会います。準備するので待つように伝えて」
主人が扉から離れる気配がした。
「さて。いくらなんでも宿で刃傷沙汰はないとは思うけれど。念のため、私とエドで行きましょうか。ヴァイスは双子を守って。幸い二階には他に客も居ないようだし」
みんなが頷いたのを見て私も頷き返す。
「さ、どう転がるかしらね」
「よう、久しぶりアレクシア。元気してたか?」
食堂の円卓に腰掛けていた髭面の男が、階下に降りてきた私を見るとジョッキを掲げた。
周りを見渡すと、ジェフリーの他には反対の角に一人、獣人が座っているだけだった。
「……ホント、久しぶりね。……ジェフリー」
向かい合うように立って語りかける。
「座ったらどうだ。エド……だったか? お前も」
森の街で出会い、勧誘したが断ってリンブルグランドに帰ったはずの男。
それが今、こんなところで魔族の側で戦っている。
「ではまぁ、再会を祝して乾杯!」
「はぁ、まぁ乾杯……」
ガコン、とジョッキが荒々しく打ち合わされた。
口を付けたジョッキには、甘ったるいワインになにか蜜のようなものがこれでもかと入った、とんでもなく甘い酒のようなもの。それがなみなみと注がれていた。
「いうなよ。この街で唯一飲める貴重な酒だ」
「なんだか、酔っ払う前に気持ち悪くなりそう」
ちびちびとその得体のしれない酒を飲んでいると、ジェフリーから話を切り出してきた。
「まだそんな魔法使いなんかとつるんでたのか、アレクシア」
「まあね。大事な仲間だから。それより、雰囲気変わったわね。なんというか……」
視線を上下に動かし、様子を伺う。背格好は変わってないが、髭がなんとも見慣れないからか、違和感しかない。
「まるで別人のようだ、か? まぁそうかもな。お前こそ、なんだか突き抜けたというか。エルフがどうだかってあの豚は言ってたが」
「さあ、どうだかね」
ジョッキに口を付けたまま、肩をすくめてはぐらかした。
「ふうん。ま、お互い詮索してもな。言いたくないこともあるだろうし。……ところでここには何しに来たんだ」
「まあ、物見遊山よ」
「冗談だろ」
酒を飲む手を止め、苦笑いする。
「冗談言うために、わざわざこんなところに来るとおもう?」
「俺に会いに来たってわけでもないだろうしな」
ニカッと笑って大げさに肩をすくめる。
「それこそ面白いジョークね。これから以前の国を見て回るつもりよ。できれば西の島にも行ってみたいわね」
「ほう」
「そういえばジェフリー。あなたも居たんじゃなかったの? ね、どんなところなのよ」
私の言葉に、つまらなそうに酒をあおると腕で口元をぬぐった。
「何の変哲もない、ただの島だよ。……魔族がたくさん住んでるってのを除けばな」
魔族がいっぱいなら、なんの変哲もないってことはないだろう。
「ふうん。そこで人間を排除しろって言われてきたんだ」
「魔法使いどもが居なくなれば、『忌み子』たちは迫害から開放されるからな」
ギロリとエドをひとにらみする。ビクリとエドが震える。
「へぇ。案外……」
「何が言いたい?」
今度は私に鋭い視線を向けてくる。
「いや。てっきり洗脳みたいなことされて従軍しているかと思って。意外と自分の意見を持ってたから、少し驚いただけ」
「バカにしてんのか?」
少しばかり癇に障ったのか。目を細めて問い詰めてきた。
「まさか。感心したのよ。でももう少し考えたほうが良いと思う」
うん? とジェフリーはわずかに眉をよせた。
「だって今のままじゃ、あなた達を支配する者が魔法使いが魔族に変わっただけよ。何も変わってない」
ふん、と彼は鼻を鳴らした。
「それにあなた、何で私を尋ねてきたの? もしかして、逃した魚は大きかった?」
「ふはっ。……違いない。お前たちを疎んだ俺は今や魔物の手先でただの突撃兵。かたやお前さんたちは『忌み子』のくせに自由に物見遊山の旅の途中ときたもんだ……」
「なんだ、うらやましいの」
「言うなよ。面と向かって言われると、さすがにヘコむぜ」
自虐的な笑みを浮かべると酒を飲み干し、代わりを店員に注文した。しかしよくこの酒を何杯もおかわりできるものだ。
「なら、私達と来る?」
「「なっ!」」
ジェフリーとエド、二人同時に驚いたような表情を見せた。
「なにエドまで驚いてんのよ……」
「そ、そりゃ驚きますよ! またいきなり勧誘するんだからなこのヒトは……」
エドはこめかみ辺りに手をそえつつ、頭を振っている。
「クックックッ……はははは!」
「な、なによ今度はあなた?」
「いや、面白い。そういうところは以前と同じだな。……確かにここに居ても盾にもならねぇ消耗品の突撃兵だしな。いいぜ、ついていってやるよ」
「勘違いは正しておきたいのだけれど、私が、連れて行ってあげる、って言ってるの」
「はいはい、わかりましたよご主人さま」
「ごっ! ……まぁいいわ。じゃ、明日の朝出るからね、朝ここに来て」
そんなときだ。不意にジェフリーの背後、先程から居た獣人がやおら立ち上がり、叫んだ。
「ちょ! ちょっと待ちなよ!! ジェフリー、今の話本当!? ここから居なくなるって!」
「……どちらさん? 彼女?」
叫んだ獣人の女の子を指差しながらジェフリーに尋ねると、女の子の顔は一気に真っ赤になった。
「かっ、かかかかか彼女なわけ、ないだろうっ!! お、オレはコイツら『忌み子』共の監視役だっ」
手をブンブン振りながら訴える。忙しい子だなぁ。
「そうなの?」
「へぇ、そうだったんだユルスラ。いつもオレにひっついて回ってるのは監視役だったからなんだ」
「へっ、そ、そうとも言うし、そうでもない、かもしれない。ってええいもう! そんなことはどうでもよくって! 出ていくのかジェフリー!?」
急に口ごもったり叫びだしたり、感情がとても豊かな子だ。ユルスラと呼ばれた少女は両手をギュッと胸元で握りしめ、ジェフリーに詰め寄る。
さすがは獣人。足は素早い。
「ああ、そうさせてもらう。豚野郎……じゃなかった、ゾバリにはお前から言っといてくれ」
「な! 何を言ってるんだ。まさか、お前、オレを置いて行くつもりだったのか!?」
信じられない! と言わんばかりの顔でユルスラは抗議する。
「はぁ? 当たり前だろ? なんで」
「ダメっ!!」
「は?」
「ダメったらダメだ! お前一人離脱なんてこと、絶対に認められない!」
「ちょ、それどういう」
「軍隊から勝手に離脱したら逃亡だぞ! 重罪だぞ!」
「だからお前らがなぶり殺したとか適当に言っといてくれって」
「……意志は、固いんだな」
「……まあな」
「わかった、なら仕方ない……」
ユルスラはうつむき、肩を震わせている。やがて顔をあげると。
「じゃあ! オレも一緒に行く!」
「「「はぁっ!?」」」
今度はユルスラ以外の全員が驚いた。
「なんでアンタらまで驚いてんだよ? か、勘違いすんなよ!? もももももちろん、監視役としての責務だっ! 当然だろう? わかったかっ」
ビシッとこちらに指を突きつける彼女だが、その顔は先程にも増して真っ赤だ。
本当、わかりやすい子。
「あー、はい、もう好きにして……明日の朝出立だからね。準備だけ忘れないで……」
「あ、あと最後にジェフリー」
「なんだ」
「ヒゲ。剃ってきてね……似合ってないわよ」
ふんす、と気合を入れて宿を後にするユルスラと、それをやれやれと言った風情で追いかけるジェフリー。
波乱の予感が一気に押し寄せてきた。
「あー、もう。知りませんよ」
エドが彼らの離れていく背中を見ながら、呆れたように呟いた。
「言わないでよ、もう」
そんなに飲んでないはずなのに、なんだか頭が痛くなってきた。






