第六十二話 恐ろしい生き物、それは人
翌日。野営地からしばらく進んだところでトラウゼンの街並みが遠くに見えてきた。
見慣れない旗がはためいているのに気づく。白を基調とした星をモチーフにした軍隊旗。
「ねぇ、エル。あの旗、見たことある?」
「ん? あ、あれ! あれはこの町の騎士団の旗です! ……そうか、彼らは王都で戦っていないから、そのまま生き残っていたんですね!」
「リンブルグランドの兵ってことか。なら、大丈夫そうね」
馬車が近づいてくるのに気づいたのか、衛士だか騎士だかが数人、わらわらと出てきた。しかしそのいで立ちに違和感がある。皆装備がバラバラ。中には鋤を手に持つものもいる。これはもしや。
「エル。大丈夫そうじゃないかもよ。奥に隠れてなさい」
エルは私の言葉に訝しげに首をかしげたけれど、素直に馬車の奥に引っ込んだ。
「何者か!?」
あと残り馬車数台分の距離のところで男の一人が叫んだ。エドがそれに合わせるように馬車を止めた。
「私たちは王都から逃れてきました。北のデュベリアに向かいたいと思っています」
エドワードが声を張り上げて男に返事をした。
「お、王都はいかなる状況か!?」
「ではその情報で、通行税は免除でよろしいでしょうか」
「あ、ああ。いいだろう」
男はそう言って槍を下げた。
「しかし、あなたはどうやら正規の兵士ではないようですね。正規兵はどうしました」
エドの言葉に口の端をわずかに歪めた別の男が答える。
「ああ、アイツらは魔法が使えなくなった途端、役に立たなくなっちまったから、俺らが代わりに街を守ってるのさ。あんたらは……結構物騒な得物持ってるな。仲良くしようぜ、ご同輩」
男は私の装備を見て勝手に『忌み子』のパーティーだと勘違いしたようだ。確かにこのような状況でそれ以外は考えづらいだろう。
馬車を街に入れてから、詰所の前にエドと私の二人で向かった。
エルにはフードをかぶって幌の奥に入ってもらっている。
おそらく彼女は街の連中に面が割れている。王族が生きていることを知られるのは、厄介の種になるかもしれないという、エドの判断だ。
下手に身分を明かしてこんなところで『反攻の錦の御旗』にでもされてはたまったものではない。この段階でそんなものになってしまったら、あっという間に圧し潰されて終わりだ。
今は雌伏していなければならない。
市民は興味深げに私たちと馬車を遠巻きに見ているが、これ見よがしに剣を磨くディルと、馬の前で寝そべっているヴァイスを見て、近づくようなことは無かった。
王都での状況はエドワードが説明した。
「なんと……では王や王族の方々はことごとく」
責任者らしい男は、エドの話に言葉を失った。
「おそらくは」と、エドは沈痛な面持ちで目を伏せる。
「なんということだ。リンブルグランドはもはや」
「ですので我々は親戚を頼ろうと思っています。北にあるデュベリア領のアーリードか、東のウィゲンシュタインから船で東大陸に渡ろうかと」
「あぁ、東はだめだ! 昨日今日と、東側の街の方から絶えず煙が上がってる。ウィゲンシュタインもおそらくすでに」
「では北に向かうしか」
「まぁ北もどうなってるか、わかったもんじゃないけどな」
他の男が肩をすくめる。
今日はここに宿を求め、翌日発つことを告げ詰所を後にした。
市場に向かおうとしばらく通りを歩いていると、先の方で何やら小競り合いが起きているのが見て取れた。
「アレクシアさん、だめですからね」
「何がよ。まさかエド、私をただの喧嘩好きか何かぐらいに思ってないでしょうね」
「いえ、そうは言いませんが……すぐ問題に首を突っ込みたがるので」
「うっ……わかったわよ、自重します。すればいいでしょ」
そんなやり取りをしつつ脇を通り過ぎようとするけれど、話の内容は嫌でも耳に飛び込んでくる。
「今までよくも偉そうにこき使ってくれたな、ええ!?」
「ひっ、や、やめてくれ! 金ならほら、いくらでもやるから」
懐から取り出された小さな革袋を奪い取るように手にした男は、袋の口を開くやいなや逆さにして振った。キラキラと陽の光をきらめかせながら落ちていく金貨銀貨。石畳に落ちると澄んだ音を立てながら弾ける。その様子を見て金を渡した男が「なんてことを」と叫んだ。
目配せをし、私達は目立たぬようそっとその場を離れることにした。
叫んだ男の様子を見て金を撒き散らした方は苛立たしげに革袋を地面に叩きつける。
「おいおっさん。今じゃこれがなんの価値も持たないのを、知らねぇなんて言わせねえぞ? 金じゃねぇんだよ。逆に俺がお前にくれてやるんだよ。オラッ!」
そう聞こえたと思った直後に響いたドスッという低い音に振り向くと、先程まで囲まれていた裕福そうな男がよだれを垂らしながら崩れ落ちていくところだった。
「ぐ、あ……は」
「痛えか? 痛えよな? これが俺らが受けた痛みの礼だよ。ありがたく受け取ってくれよ、な!」
掛け声に合わせて一人が再び腹に蹴りを入れたのを契機に、周りの男達が寄ってたかって横たわっている男を袋叩きにし始めた。
「ふざけんなよ、おっさん!」
「今までの恨み思い知れってんだ!」
「あな」
「アレクシアさん」
私が止めようと口を開いた直後、エドが鋭く咎めるように私の名を呼んだ。驚いて彼の顔を見ると、真剣な表情で小さく顔を振った。
市場も活気がなかった。何処かで男の悲鳴がいくつか聞こえる。先程と同じようなことが起こっているのだろう。耳を塞ぎたくなる声だ。
先程の男が言っていたように、すでに貨幣は意味をなしていなかった。野菜の類は早々に姿を消し、わずかに残るのは穀物とキノコの乾物くらいというありさまだ。麦が欲しいので、肉と交換することにする。人々にとって肉を入手することが難しくなったいま、生肉はとても貴重なはずだ。
おそらくワイルドボアを相手するにも、普通の人には荷が勝ちすぎるだろう。連中だって純粋な剣の技だけだと辛いかもしれない。
ここの店には数人の用心棒がいるみたいだった。体つきを見ると普段から身体を鍛えている様子だ。『忌み子』なんだろう。ということは、ここの店主は昔から彼らと良好な関係を築いていたに違いない。
取引の内容に最初は半信半疑だった商人だったけれど、私がブロック肉を取り出すと目つきが変わり、「ちょっと待っててください」と店の中に引っ込んだ。
再び出てきた商人は一抱えの麦袋を持っていた。
「その肉全部と交換しませんか」
「で、それだけ分けてもらったと」
エルは不満そうにエドが持つ、両手に収まる程度の麻袋を見てため息をついた。
けれどその直後彼女は笑った。
「ふふっ。でもお姉様らしいですね」
困っているのはお互いさまだ。もちろん、食料について不安を抱えていないといえばうそになるけれど、私たちは獲物を狩るだけの力を持っている。
「有事の時ほど、周りには配慮をすべきよ。敵味方、共にね」
結局宿屋もやっていない様子だったので、町はずれの広い場所で天幕を張り、そこで休むことにした。
食事をとった後明日の予定を確認すると、疲れがたまっているのか街中で安心しているのか、すぐに三人はウトウトしだした。
「じゃ、悪いけれどお願いね、ヴァイス」
彼には馬も守ってもらわないといけないので、申し訳ないけれど外で休んでもらう。
”いつもありがとう、ヴァイス”
”気にするな。狼にはもともと屋根は不要だ”
エドとディルは一足先に仲良く並んで眠っている。顔を寄せ合い、手をつないで眠る姿は、とてもかわいい。
「しばらくはベッドで眠れそうにありませんね」
などとエルはぼやいたが、「ま、もう慣れてますけれどね」と毛布にくるまった。
「じゃ、おやすみエル」
「おやすみなさい、お姉様」
しばらくするとエルの規則正しい寝息が聞こえてきた。
この街はいまのところ魔族の襲撃を受けていない。おそらく戦略的に価値がないからだと思うけれど、この状況がいつまで続くかはわからない。早晩魔族はやってくるだろう。
そうした場合、ここの防備では一時間も持たないかもしれない。
アーリードに行ってもし船がなかったら? ヨルグに連絡して運んでもらう? いや、いま東大陸からこちらに来るのはリスクが高すぎる。なにせ魔族は東に向けて進軍しているのだから。そうすると危険を承知で東の港町、ウィゲンシュタインに向かうしかないか。
エルの態度が少し気になる。やはりあれだけではわだかまりがすべて解消はしないか。今後もじっくりコミュニケーションをとっていく必要があるだろう。そういえば彼女も魔法を使えないはず。エドに言って武器の使い方をレクチャーしてもらう必要があるだろう。
ディルはいつの間にか十分な戦力になってくれている。昨日の戦闘でもオークをまるで赤子の手をひねるかのように倒してしまった。
あれこれ考えてしばらく時間が経ってしまった。そうやって私もウトウトしだした頃に不意に声がかかった。
「お姉様……見捨てないで。わたし、もっとがんばりますから……」
「え……エル、何言って……?」余りの内容に、おもわず半身を起こす。
エルは涙を流しながら眠っていた。寝言のようだ。自分が戦力になっていないことを気に病んでいるのだろうか。無理もない。今まで彼女はパーティーの主要な火力であり、回復役だった。それが今は魔法が使えないただの女の子。その意味は決して軽くない。
彼女をそっと抱き寄せ、一緒に毛布にくるまる。
すると子供がするように、胸にすり寄ってくる。かわいい。そっと髪をなでてあげると、すこし表情が穏やかになったようだ。
見捨てる? そんなことは決してない。だってエルは私の大切な……。大切な。
そこではたと考える。エルにとって私は、何なんだろう。
そして私にとってのエルは……?
答えは出そうにない。良い夢が見れるようにとエルのおでこにそっとキスをして、私も眠りについた。
アレクシア……
アレクシア……
”おい……おい! 起きろ、アレクシア!”
ヴァイスの吠える声と、急き立てるような心の声に目を覚ました。天幕の外はすでに薄ら白くなっていた。まもなく日の出といったところだろうか。
「ん、んー? なに?」
”何やら事件っぽいぞ。住人がみんな教会のほうに歩いていく”
私の呑気な返事とは対照的に、彼の声は緊張感を持っていた。おかげで眠気が一気に吹き飛ぶ。
「えっ? ……何かしら。みんな、起きて。何か事件が起きてる」
私の声に皆のろのろと起きだした。
「魔物は皆殺しだ!」
「獣人は殺せ!」
「俺たちの街は、俺たちが守るんだ!」
教会の前は人だかりになっていた。住人が口々に叫びながら、腕を突き上げる。
彼らが見る先。そこには。
「な、なんてことを」
「これなる獣人は長年この街に隠れ住み、我々を襲撃する機会を伺っていた魔物である!」
そこには急ごしらえの柱に括りつけられた一人の子供。だがその外見は人のそれとは少し異なっていた。
狼のような耳、と尻尾。手のあたりなどが獣毛のようなもので覆われている以外は人とまるで区別がつかない。ぐったりと顔を伏せているため、性別はおろか、生死すら判然としないくらいだ。足元を見るとおびただしい量の血が流れている。
ごぼっ。縛られた子が一つ湿った咳をすると、口から大量の血があふれだす。かろうじて生きてはいるけれど、あれはもう、助からない。
「な、なにやってるんですか、あんな小さい子に。ひどいじゃないですか」
「ああ!? 何言ってんだ。魔物はみんな俺らの敵じゃねえか! ぶっ殺して何が悪い? それともお前ら、アイツらの仲間か!?」
「なに、言ってるんですか。そんなわけ無いでしょ」
男の目の奥におかしな光を見た私は、思わず一歩引いた。
「おかしいじゃねえか! なんで獣人を庇い立てすんだよ? お前もアイツの仲間だからじゃねえのかよ!」
「そんな、私はただ、やり方がひどいと言っただけで」
そんな不毛なやり取りをしている間に、錆くれた槍が無情にも獣人の子に突き立てられた。あっ、という言葉しか出せなかった。
小さな身体がビクリと震え、顔を起こしたその子と目が合い、思わず息をのんだ。
どうして――
そう私に訴えかけていた。なんの悪意もない、邪気もない。ただただ状況がわからない。そんな目だった。そのまましばらく顔を起こしていたが、すぐにその目は生気を失い、口の端から泡を吹きつつ首はカクリと垂れた。まだ成年していない少女のようだった。
歓声がひときわ高まった。
そんな。こんな小さな子が、一体何をしたというの。言いようのない怒りが私の中に渦巻く。それはとても黒い、泥のように、しかし時折炎をまとったかのようにチロリと赤い光が差すように。ジワリ、ジワリと私の心を灼く。
その時背後で悲鳴が聞こえた。
「やっ、離して、離しなさい!」
「おっ。えれえ上玉ちゃんじゃねぇのよこの子」
「エル!」
「へぇ、エルちゃんっていうの、キミ。さあ、オジちゃんのおうちでイイコトしようねぇ」
「やだ離して!」
なんとか逃れようと引っ張り返そうとするけれど、男の力にはかなわない。振りほどくことも出来ず、くやしそうに目尻には涙も浮かんでいる。そんな表情も男たちには嗜虐心をそそられるのだろう、下卑た笑みを浮かべながらその様子をニヤニヤと観察しているようにも見える。
「魔物の仲間にはたっぷりお灸をすえてやらねぇとな」
その言葉に最後のタガが外れてしまった気がした。
腰の剣を抜き放ち男の眼前に突きつける。青みが差す美しい刀身に私の怒りに満ちた瞳が映り込む。ビクリと男の動きが止まった。
「肘から先とお別れしたくなければ、さっさと離しなさい」
こんなクズどもに、容赦なぞいらない。






