第六十話 それは明確な敵意
街の入り口の手前でエドに馬車を託し、別れた。彼は大回りで王都の北側に移動し待機してもらう。
当初の予定では東に取って返そうとしていたが、あいにく敵の進路も東のようだった。エルを連れ出したあとは、北に進路を取ろうと思ったからだ。
久しぶりに見た王都は、記憶のそれとは似ても似つかないものだった。
壮麗な街並みや堅固な城は見る影もなく、破壊の限りを尽くされ、火の海へと飲まれている。人々はなすすべもなく、魔物たちに蹂躙されるがままだった。
リンブルグランド王国は、すでに魔族の手に落ちていた。
「ひどい」
傍らの少女――ディルは目を細め、うめくように一言発した。目の前でまた一人、魔物の手に掛かった老人の姿が目に入った。短い悲鳴を上げて崩れ落ちる。
「あ」ディルが腰の剣に手を掛けるのを、私はそっと押しとどめる。
泣きそうな顔で見上げるディルに首を振る。ディルはあきらめたように目を伏せた。
「数が多すぎる。……頭を獲らないと」
私の言葉にディルと大きな狼――ヴァイスが頷く。
「風が教えてくれた。王城に居る。……そしてエルも」
その言葉にディルは弾かれるように顔を上げた。私は頷き返し、ヴァイスの背に乗るよう促す。
「行って、ヴァイス」私もヒラリと背に乗るのに合わせ、彼は再び音もなく駆け出した。
敵もそれほど訓練された兵ではなさそうだった。ほぼ無抵抗の市民や衛士、兵を相手にするのに夢中で私たちに気づく様子はない。結局城門にたむろしていた数匹を倒すだけで、私達は易々と城内に入ることができた。
風によると裏手の中庭に居るようだ。ふたたびヴァイスの背に乗り軽く合図すると、彼は再び疾風のような身のこなしで城の裏手へと駆けていく。最後に立ちはだかった城壁を山鹿のように跳ね上がると、その向こうが中庭になっていた。
塀の上に飛び乗った私達の眼前には、凄惨な光景が広がっていた。
「お、お父様……お母様……。兄さまも……そんな……」
ディルの呆然としたような声が背中越しに聞こえる。ここからでも見て取れるあの累々と横たわる死体は、王族たちのものなのか。……エルは? まさか。
そして正面にいるあの大ぶりな魔物が、お目当ての相手のようだった。
「なぜ、私だけ残したのです。私もまとめて始末するほうが容易かったろうに」
声に目を向けると、そこにはもう一人のお目当ての少女――エルが座り込んでいた。魔物と会話しているようだった。
「いえなに。ちょっとした勧誘をと思いましてね。あなたには前から目をつけていたのですよ。あなたの母上同様、私の好みでね」
肩をすくめて魔物が答えた。
「……どうするつもりですか」エルは気丈にも魔物に問いかける。
「知れたこと。飼ってあげます。そして我が子を成すのです」
「ふん、ご冗談を。願い下げです。魔物の慰み物になるくらいなら、死んだほうがましですわ!」
エルはせせら笑ってから、ぶつけるように言い返した。
「光栄なことと喜んで欲しいものですがね……まぁよいです。人族の女なぞ、そこにもいますしね」
そこで魔物は私たちに向き直ってこちらを見上げる。気付いていたか。
「あなたの方が丈夫そうだ。ずいぶんよい子を孕んでくれることでしょう。いかがですか? 見たところずいぶんと器量よしですから、それなりに可愛がってあげますよ」
ヴァイスが中庭にストッと降り立つ。
「私もお断りするわ」ヴァイスから降りながら断りを入れる。すると「おや、残念」と、さほど残念そうとも思えない声色でかぶりを振った。
魔物とエルの間に入り、腰の剣を抜き放つと魔物の眼前に突き付ける。
「私の妹にずいぶん怖い思いをさせてくれたみたいね」
「お姉様……」背後でエルが声を掛けてくる。
「待たせたわね、エル。下がってなさい。ディル。お願い」
ディルがエルをヴァイスに乗せ、離れるのを見届けてから喧嘩を売る。
「ほら、アンタの相手はこの私よ。かかってきなさい!」
「ふん、死にぞこないの仲間ですか。多少腕の覚えがあるようですが、勝てますかね?」
「試してみればいいんじゃない? ……光よ!」
私の簡易詠唱に呼応するかのように、私の片手剣は光を帯び、やがて強く白い輝きを放つ。
その姿に魔物は「ほう。これは楽しめそうですね」とにやりと口角を上げ、つぶやいた。
「おおっ!」掛け声一閃。魔物に切りかかる。
「かかってきなさい」魔物は悠然と鎌をもたげる。途端に鎌を黒い霧が包み込む。
切り結んだ瞬間光と闇が弾け輝き、火花と激しい金属音をまき散らした。
白い輝きと暗き闇。二つの稲妻のような力は拮抗し、互いを食い破らんと暴れる。
「やるではないですか」「お褒めにあずかり、光栄ね!」
なかなかの強敵だ。剣を持つ手がじんわりと汗を帯びている。けれど口角が上がるのを抑えられない。更に力を込め、剣を押し込んでいく。光と闇の饗宴は、一層激しさを増した。
一旦離れ、距離を取る。
ただの魔物ではない。今まで相手した何物よりも強い。直感がそう告げる。首筋を嫌な汗が一筋流れるのを感じた。
「気を付けて、お姉様! そいつ、ユストゥルよ!」
エルがヴァイスの上から立ち上がらん勢いで叫んだ。
ユストゥル。たしかクソッタレ教団の親玉。奴隷政策を推進し、『忌み子』を次々と魔物の道具に仕立て上げた張本人。明確な、我々の敵。こいつが!
剣を握り直し、突きを放つ。
「お前だけは許さない!」
ユストゥルの顔から余裕が一瞬消えた。私の突きをたまらず、といった感じで奴は鎌で受けた。
鎌にわずかにヒビがはいった。奴は鎌の刃をちらりと見やって舌打ちを一つ。
「ちいっ。この鎌によもや傷をつけるものがまだいたとは。いやはや、殺すには本当に惜しい。いかがですか、私と共に参りませんか」
「ご冗談を。顔を洗ってから出直しなさい」
剣を引いて奴をにらみつけてやる。
「これはまた、とんだじゃじゃ馬なようだ。調教しがいが」
「土よ! 我が敵を覆いつくせ!」
瞬間ユストゥルの周りの地面がせり上がり、さながら鳥かごのように奴を覆いつくしていく。
「はははぁ! これは素晴らしい」
心底楽しそうに奴が笑った。
「後悔は、もう少し先にしておくべきだったと思うわよ」
ユストゥルの姿はあっという間に土壁の中に消えた。鳥かごはもはや一つの岩塊に姿を変えていた。
「さ、あの世に行けるのかはわからないけれど、あっちでみんなに詫びなさい」
岩塊に向かって、右手をぎゅっと握りしめる。
「つぶせ!」
ゴギュン! ゴン! ボグン!
いびつな音を立てながら岩塊は一回り、二回りと姿を縮めていく。四、五回縮んだところで静かになった。
今までの騒ぎが嘘のように中庭は静まり返り、城を焼き尽くす炎の音がやたら耳につく。
「……やりました、の?」エルが恐る恐る声を出した。
「……いやはや」
岩塊の奥からかすかに声が聞こえる。私は息をのんで岩塊を食い入るように見つめる。うそでしょ、この状態で生きているはずがない!
「本当に精霊術というのは恐ろしい」
バガン!!
一際激しい音と共に岩が割れた。もうもうと立ち込める煙から姿を現したのは、先ほどの僧衣姿とは、およそ似ても似つかない姿。
全身は漆黒の衣。蝙蝠を思わせるフォルムの大きな黒い羽がゆっくりと広がる。頭部には禍々しくねじれた山羊のような角。怪しく光る血の色の瞳が私を見下ろしていた。
「あやうく殺されるところでした。まったく。なんで今、魔法が使えるんだと訝しんだのですが、そうですよね。精霊術なら合点がいく」
ユストゥルが、すうっと私を指さす。
「あなた、ハーフエルフでしたか」
「だったら何よ」
「そうですかー! いや、私は実に運がいい! 俄然あなたが欲しくなりましたよ。ええ、ええ。エルフの力と人間の力。永遠に近い寿命と不屈の体力を併せ持つ者なんて」
そして差した指を、今度は私のお腹に向ける。
「我が眷属の苗床にピッタリではないですか」
そこで奴は舌なめずりをした。黒い中に黄ばんだ牙と真っ赤な舌がチロリと見えた。
「一粒種は、さっきうっかり殺してしまいましたしね」
その態度に私は、戦慄と同時に全身の毛が逆立ったかと錯覚するような、激しい怒りを覚えた。
「誰がお前など……この場でケリをつけてあげる」
「相変わらずの威勢のよさ、いいですねぇ! 最高です!」
「抜かせ!」先ほどの勢いよりさらにスピードを乗せた突進。これならどうだ!
直後澄んだ金属音がした。通らない。殺気を感じ距離を取る。
「可愛いものですねぇ」ユストゥルがにやりと笑った。
一瞬の間を置いて近くの地面に突き刺さる剣先。
「そんな」折れた剣先を見つめてつぶやいた。信じられない。サルヴィオさん自慢の逸品のブロードソードが、こんなにいとも簡単に折れるなんて。
「さて。黙って着いてきてくれれば、私も手間が省けますし、貴女も傷つかずに済む」
「炎よ! 我が敵を焼き尽くせ!」
瞬く間にユストゥルは炎の竜巻の中に飲み込まれる。エドのファイアストームの比ではない熱量。けれど。
炎の柱から躍り出てくる影があった。とっさに横っ飛びに躱す。くるりと回り、起き上がると、目の前に奴がいた。
「少し、熱かったですね」
奴が伸ばしてくる右手を折れた剣で受け止める。
がしかし。
「あうっ!」
信じられない力で奪い取られた剣は、そのまま握りつぶされた。粉々になって奴の手からこぼれ落ちる剣だったもの。バックステップで素早く距離を取る。同時に腰のナイフを抜く。
「さて、次はどうしますか? その手に持ったナイフで戦うんですか?」
両手を広げ、首をかしげながらユストゥルは、ゆっくりと私に近づいてくる。
とんでもなく恐るべき力。圧倒的な力の差をひしひしと感じる。体中から嫌な汗が吹き出し、手が小刻みに震える。
悔しいが勝てない。あの子たちだけでも逃がさないと。そう思った時。
「お姉ちゃん!」
ディルの掛け声とともにユストゥルとの間に投げ込まれた黒い球。刹那すさまじい光を放つ。閃光爆弾。何のことは無い、ただの目くらまし。
けれどこのすこしの時間を稼げたことはとても重要だった。
”ヴァイス! 逃げるよ”
”そのほうがいいな! 北の門を越えるぞ。お前は飛んでついてこい”
そしてヴァイスは双子を乗せたまま城壁を北へ駆けだした。
「風よ。 我に翼を」
ふわりと舞い上がり、直後私の足元を鎌がうなりをあげてかすめた。
「私の人生をめちゃくちゃにした張本人! アンタは絶対許さない! 首を洗って待ってなさい!」
宙に舞いながらユストゥルに叩きつけるように叫ぶ。対する彼は涼しい顔で笑みさえ浮かべ私を見上げる。
「ははは。妻になるならいつでも来るがよい。しばしの別れ、また相まみえるときを楽しみにしておりますよ」
そしてうやうやしく神官風の儀礼を見せつけてきた。
捨て台詞なんて格好悪いけど、これは私の覚悟。悔しいけれど、今の私ではアイツに手も足も出ない。
けれどアイツは私だけじゃない。すべての『忌み子』と、『忌み子』を持った家族の人生を狂わせた元凶。アイツだけは。
大司教ユストゥル。アイツだけは絶対に、許さない。






