第五十六話 終焉の証人
魔族。動きが速い。おそらくこの日を狙っていたのだろう。人が魔法を失うその混乱に乗じて攻めかかる。敵ながらあっぱれだ。
私の「『天馬の変』への備えは、いかがされておりますか」という問いかけにも、「何もしておらん」などと悪びれもせず答える王。
「なぜですか。魔法が使えない我らなど、奴らには赤子同然。なぜ私の諫言をお聞き届けくださらなかったのか!?」
「ええい、うるさい! だれぞ、はよう連れていけ!」
皆が情報集めに四苦八苦している中、王の言葉を聞くものなどいなかった。
この程度だったのか我が国の軍備は! 千年の長きにわたり平和の世だった弊害が今まさに醜態をさらしている。ここに司令部としての機能は、無に等しかった。
二時間も過ぎれば状況はさらに深刻さを増した。窓から見える煙はその筋を増やし、一部からは火の手も上がっている。被害は拡大の一途をたどっているようだ。そして何より着々とこの城へ近づいている。ここが目標なのは間違いなさそうだ。
対して防戦一方のわが軍はじりじりと防衛線を下げつづけている。一般的に守る側が有利とされる市街戦で、こうも易々と押し込まれるとは。力の差は歴然だった。
そしてさらに二時間、お昼過ぎ。朝から攻めかけられてからわずか四時間。
連絡係が更なる悪い知らせをもたらす。
「報告! 白鷲騎士団全滅! 団長代行シェッセ殿……お討ち死に」
「なんじゃと!? シェッセが?」
ああ、シェッセ。忠が厚く勇猛なものから死んでいく。圧倒的に不利な戦いを、よくやってくれた。戦神の祝福があらんことを。
「報告! 現在南門に敵が到達、門を閉鎖し交戦中、なれど敵軍に有効な打撃を与える手段がなく、門の内側に土塁を築き破壊を防ごうとしておりますが、突破は時間の問題」
「も、もうここまで来てしまったのか」
いや、予想されたことだ。
怒号が飛び交う中、私は呆然と一人たたずむ。
この状況を避けるために、私はここに戻ってきたのではなかったのか。お姉様を避け、ディルやみんなから嫌われ、それでも。国を守るために私は帰ってきた。そのはずだったのに。
しばし考えてもみたが、ほかに良い策が見つかるわけでもなく。私は意を決してお父様に話しかける。
「父上」
「……なんじゃ、まだおったのか」
「降伏を進言いたします」
私の言葉に周囲はざわついた。
「エインクラネルよ。お前は何を言っておるのだ。降伏じゃと? このリンブルグランド千年の歴史を、余の代で潰えさせよと、お前は言うておるのか!?」
顔を紅潮させながらお父様は私に怒鳴り散らす。
「生きていればこそ、為せることもございます」
「それが王家に連なる者の言う言葉か! 恥を知れエインクラネルよ! いや、待てよ……そうか、そういうことか。ふむ、これで合点がいったわい」
豊かな髭を撫でつけながらお父様は私をにらみつけた。
「……お父様?」
「皆の者。このエインクラネルこそ敵の手先である。こ奴が連中に情報を流し、攻めかける手引きをしたのだ」
「な! ……御冗談を」
さすがにこの言葉には私も驚くほかない。
「ヴィクトリアも言うておったわ! お前が出て行ってからおかしくなったと! ……そうじゃ、敵と連携を取るため、国を離れたのじゃな」
「はぁ……そのような世迷い事、誰が信じますか」
「ええいうるさい! 誰ぞこいつをつまみ出せ!」
そんな王の言葉がかかっても、周りの者は互いを見あって動こうとしない。そんなことより敵への対処のほうが、よほど重要事であることは子供でも分かる。
「報告! 南門、突破されました! 現在内門にて黒竜騎士団が応戦中! お逃げください、早く!!」
「なに、もう突破されてしまったのか!?」
そんな。南門にとりつかれてからまだ二時間もたっていない。
「お父様! 降伏されないのなら、一刻も早く逃げませんと!」
「なぜわしが城を捨てて逃げねばならんのだ!」
「死にますよ!? よろしいんですか、お父様!」
「っち、ええい! エインクラネル、王妃たちを集めて誘導せよ!」
こんな時ばかり頼るな! その言葉をぐっとこらえ、私は母上たちの下へ向かった。
王宮にはすでに火がかけられていた。
わずかな手勢を率いて、燃え盛る王宮から逃れるため、私たちは中庭へと出た。
「おや、おや」
そこにはそんな行動はお見通しと言わんばかりに、一体の魔物が待ち構えていた。
「こんな時にも王家の方々、全員で礼拝ですかな? 殊勝なことです」
「ま、魔物……」
魔物にもかかわらず、僧衣のようなものを着ている。ずいぶん大柄に見える。私の倍ほどの背丈はあるだろうか。背中には黒い大きな翼。顔は面のようなもので覆われていて、正体がつかめない。右手には相手の頭一つ長い、禍々しい鎌のような武器を持っている。
「ふ、ふざけるな、魔物の分際で。王の御前で、無礼であろう」
こんな時でも虚勢を張れるお兄さまには、ある意味尊敬の念を抱かざるを得ない。しかし先ほど牢から出されたお兄さまは囚人服に簡素な外套という出で立ち。何ともしまらない。
「ふふふ。ここで死ぬ者に多少の無礼を働こうが、些末なことではございませぬか」
可笑しそうに笑いながら魔物が答える。その答えにベルナルド兄さまの顔は紅潮していく。
「それに魔物、魔物とおっしゃいますが」
そう言って自らの面に手をかける。
「この顔をお忘れなわけ、ございませんでしょう?」
面の中からは、あの慈愛に満ちた笑顔が現れた。あまねく信者に振り向けられる満面の笑み。ただ一つ違うとすれば、その瞳に宿す暗い光。
「お、お、お、お前は……!」王が震える指をさしながら。
「ユストゥル……! あなた、どういう、つもり?」王妃は一歩踏み出しながら。
それぞれが、それぞれの驚き方で聖人に問いかける。
「さて」
そんな問いかけもユストゥルはどこ吹く風といった感じで、私たちの前で唐突に宣言した。
「ようやくです。ようやく悲願が達成できるのです。長かった。我らは千年待った」
ユストゥルは鷹揚に、また感慨深げに、謡うように言葉を紡ぐ。
王は言った。
「城は燃えた、街も燃えた。なぜだ。なぜそなたは、我々からすべてを奪うような真似を」
「愚王、ここに極まれり!!」王の言葉にかぶせるように、魔物は声を張り上げた。
ユストゥルは答えた。
「本当に貴方たちはどうしようもない生き物ですね。この世界に不要な愚物と言えるでしょう。虫けら以下だ。なぜ貴方たちが『奪われる側』だと言えるのです?」
彼はその無知をとがめるように。そして心底うんざりしたかのように答える。
「貴方たちは、自分たちがどれだけ奪ってきたのか、その自覚すらないというのか」
そして彼は両手を掲げ、天を仰ぐ。
「我々は、貴方がたから奪われたものを取り返す。そのために力を蓄え、備えてきたのです。千年です! ……実に長かった」
再び燃え盛る王城に向き直り。
「今度は違う。今や我らの世と、この地を取り戻すための時は満ちたのです」
そしてゆっくり歩みだす。
「積年の業を悔いながら、貴方たちはここで滅びるのです。救いの道は、ありません」
「どうして!? あなたはリカルダを王にするために」
そう言って手元の青年。齢十八の息子の肩をつかんでユストゥルに突き出すようにする。
「愚王も愚王なら王妃もたいがいですね」
大きなため息をつきながらユストゥルはお母さまに向き直る。
「そんなの、う・そ。嘘に決まっているでしょう? どうしてわからないんでしょうねぇ、全く愚かだ。この夫婦は。……それより大事なこと、お忘れではないですか?」
「えっ、大事なこと?」
いきなり話を振られたお母さまはきょとんとした表情でたずね返した。
「あっはっは。いやはやここまで愚鈍だと、憐れみを感じますね。……よいですかヴィクトリア。私は魔族です。なのであなたの可愛い、いや私たちの可愛い息子リカルダは、『半魔』の子ですよ。お分かりですか?」
ユストゥルの言葉を聞いたお母さまは、途端に落ち着きをなくした。
「あ、あ、あ、あああぁぁああ! いや、いやそんな、だってあなた、いや」
悲鳴に似た言葉を発しながら、混乱を何とか鎮めようとしているのか、頭を振っている。
「は、母上? 今の本当」
リカルダがお母さまの肩に手を触れたとたん、その手を振り払う。
「いやっ、触らないで! やめて近づかないで……! 違う、ああ、可愛いリカルダ……ああ!!」
振り払われた手とお母さまを交互に見るリカルダに気づいた様子のお母さまは、愛息子が魔族の血を引いているという事実を受け入れられないようだった。
しかし問題はそれだけではない。
「ど、どういうことじゃヴィクトリア! あの男との子だと!? ま、まことなのか!」
王が顔を紅潮させ、お母さまに詰め寄る。自分は三人も妻を娶っておきながらこの言い草もないとは思うが、気持ちはわからなくもない。
「ち、ちがう、違いますわ王よ。私は、私は」
今度は顔を青白くさせながら、お母さまは王に誤解だと騙りだす。
「事実ではないですか。いやはや、貴方も大変ですなぁ、王よ」
「きっ、貴様に言われたくはないわ!!」
「まったく、王には同情いたします。この女は美しいがいかんせん頭と尻が軽い。まぁそのおかげで、我らの篭絡作戦には大変役立ってくれましたよ。王子を二人も脱落させて。その結果リンブルグランドは大した抵抗もできず、あっという間に陥落です。いや、ヴィクトリア。あなたは実に良い仕事をしてくれました。何ならご褒美に、これから抱いてあげましょう」
「ふ、ふざけないでっ! 誰が魔物なんかと!!」
「おやおやつれないことを。昨夜もあんなに可愛く鳴いたというのに」
「い、いやああぁああ!!」
「き、貴様あぁぁあ!!」
「さてそろそろ茶番にも飽きてきました。作戦も成功なので、そろそろ『後片付け』をして帰るとします」
「ま、待て!」ベルナルド兄さまが右手を差し出す。
それとユストゥルが持った鎌が揺らめき、消えたのはほぼ同時だった。
しぃーっ。
「騒がしいのは好まないと、いつも言っていたでしょう」
周りの家族は悲鳴も上げず、皆崩れるように倒れこんでいく。
ぱしゃ。生暖かい物が顔にかかった。思わず手をやると、それは鮮血だった。
先ほどまで王だったモノ。お母さまだったモノ。ナターシャ様、ベルナルド兄さま、リカルダ兄さま、アンナマリア……ああ、もう誰がどれか、わからない。
「人族は本当に、どうしようもない生き物ですね」
ため息交じりで魔物がつぶやくが、それに答える者は私を除いて誰もいない。
私はもはや立っていられず、ペタン、と地面に座り込んだ。
「なぜ、私だけ残したのです。私もまとめて始末するほうが容易かったろうに」
「いえなに。ちょっとした勧誘をと思いましてね」
そう言ってユストゥルは笑った。






