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忌み子と彗星  作者: ずおさん
第四章:彗星
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第五十五話 それでも鳥は空を目指す

 その日の夕方から、私は一階の粗末な部屋に移された。こんなところが部屋だなんて考えられない。


 部屋に向かう際、男が部屋から出てきたので廊下ですれ違った。確かこの男、馬丁の一人。その時不躾に顔を寄せてきた。鼻をひくつかせて私の匂いを嗅いでくる。私は思わず身を引いた。悲鳴はかろうじて出さなかった。


「ぶっ、無礼者!」

「ああ~、いい匂いだぁ~。……アンタ、ここに入るんだろ? フヒヒッ。楽しみだなぁ」

 男は私の体を値踏みするかのように、上から下までなめるように見た後、胸に目を留め、ため息をついた。


「態度はでけえのに、乳はずいぶん慎ましいんだな、嬢ちゃん」

 タバコをやるのだろうか。ヤニ臭い息を吹きかけながらいやらしく話しかけてくる。


「……言葉を慎め下郎。私を誰と心得るか」

 胸を隠しながらにらみつける。


「おっほぉほほ。やけに威勢がいいなぁ、嬢ちゃん。いや、エインクラネル、()王女様」


 男の言葉に思わず顔がカッと熱くなる。


「なぁにが下郎だ。たかが(・・・)修道女に払う敬意などありはしねぇよ」

 そして男は顔を近づける。


「おい小娘」ドスが聞いた低い男の声。


「ひっ」つい、喉の奥が鳴いた。


「なめんじゃねえぞ? ただの小娘が粋がってんじゃねぇぞ。あ? おとなしくしとかねぇと、今夜にでもひいひい泣かされる目にあってもおかしかねぇんだぜ?」

 そう言って男は私の顎をつかんだ。


「や、やめ」

 そのまま男は顔をぬう、と近づけてくる。全身から染み出るヤニの匂いに吐き気を催す。


「だけど残念だねぇ。手ぇ出すなって言われちまっちゃあな。……よかったなぁ!? 大事にされてるってぇのはよ!!」

 目の前で怒鳴りつけるように話す男。


「ひっや、やだやだ」

 私はもう、手で顔をかばうくらいしかできない。


「……っち、いけね、もうそんな時間か。旦那にどやされっちまう。……じゃあ、またな(・・・)エルちゃんよ!」


 そう言い残し、男はようやく私を解放した。気づけば遠くで夕刻の鐘が鳴っている。

 私は手を壁につき、その場にへたりこみそうになるのを必死にこらえた。


「さ、エインクラネル様。こちらのお部屋になります」

 部屋に荷物を入れたあと、出てきた侍女が事務的に告げた。


「あなた……どうしてさっきの狼藉を」

「私のお役目はあなた様をこの部屋にご案内して、鍵をかけること(・・・・・・・)でございます。護衛は含まれておりません」

 視線も交わさず、淡々と告げるぶっきらぼうな侍女。


「……そう。お母さまは何と?」

「あなた様に情報を提供することのご許可をいただいておりません。さ、お入りください」


 とぼとぼと部屋に入ると急き立てるように扉は閉められ、ガチャリと閂が下りる重い音が響いた。


「それではごゆるりとおくつろぎください。エインクラネル様」


 その時初めて見た。

 ぶっきらぼうな侍女の、笑い顔を。それは嘲りを含んだ、本当にいやらしい笑顔だった。




 それから数日、この座敷牢に閉じ込められた。


「ああ~、エルちゃん! さみちいよぉ、慰めてくれよぉ、ギャハハハッ!」

「おーおー、兄ちゃん嵌めて食う飯はうめぇか? なぁ!?」

「あー、俺も嵌めてぇ」

「ばっかそれじゃ逆だろ」

「「「ギャッハハハハ!!」」」


 男たちの騒ぎ越えとタバコの臭い、酒の匂いに瓶の割れる音。最後には喧嘩の怒声。

 毎夜部屋の前の粗末な机に集まった馬丁達が、下卑た話題で盛り上がる。話題の中心には残念ながら、私もちょくちょく上る。その度に声をかけられ、靴で扉を蹴られて深夜に目を覚ます。こうして考えると、鍵がかかっていて本当に良かったとも思える。魔法がかけられた鍵のようで、初日に侵入を試みたバカな男が、したたかに魔法に打ち据えられてからは、手を出してこようとしなかった。皮肉にも、鍵のおかげで私の貞操は守られているのだった。


 まもなく『天馬の変』が始まる。魔法が使えなくなり、魔族が攻めかかって来るやもしれない。その危険性を伝えてきたものの、有効な手だてを備えているとはとても思えない。

 王は次々失った王子の分まで政を行わねばならず、そのような不確定な事柄に割いている時間なぞないといわんばかりだった。


 私はこの、ただ飼われているだけのどうしようもない状況の中、思索の沼をただ足掻きのたうち回っているだけの存在だった。


 けれど結論から言うと、私は修道院に入らずに済みそうだった。

 ただ事態はより深刻になっただけに過ぎないのだが。



 その日は人々の怒号で目が覚めた。昨夜も男たちの下世話な会話がうるさくてよく眠れなかった。


「魔法が使える者はいるか!」「だめだ、うんともすんとも言わねぇ!」


 その声を聞いて飛び起きた。慌てて腰を探るが杖は取り上げられたまま。小さく舌打ちして指先に集中する。マジックライトだ。


「……! っはあっ、はあっ、はあっ」

 何度か試みるも、魔法のやつは全く発動する素振りも見せない。


 ――いよいよ来てしまったのか、『天馬の変』が。


 日中は混乱の中で過ごした。周りの人間は、座敷牢の中に気を向ける余裕もない様で、食事の用意も忘れ、ただ廊下を右往左往しているだけだった。夜は灯りの無い中、男たちもしばらくは「松明なんぞ久しぶりに見たぞ」とはしゃいでいたが、最後は身を寄せ合って早々に眠りについたようだった。こちらに気を向けないのは幸いだった。


 翌日。ただならぬ気配で目を覚ました。この時間になるといつも鳴いている鳥たちの声が、今日は聞こえない。


 扉の閂をそっと回してみる。あっけないほどすんなり鍵は開いた。魔法でかけていた鍵だ、当たり前といえる。

 皆が落ち着かない様子で歩く中、フードをかぶり慎重に扉を開け外に出る。

 もうたかが修道女ひとり、気にかける者などいないようだった。それほど城内は混乱していた。何度か肩にぶつかられたが、相手を気遣う余裕すらないようだった。



 階段を上がり、王族の居住区への入り口をそっと伺う。私の部屋もこの一角にある。衛士はいずこかに行って誰もいない。チャンスだ。

 まだ私物が残っているだろうことを願い、自分の部屋に急ぐ。


 幸い部屋はまだそのままだった。ホッと胸をなでおろし、この忌々しい修道女の服を脱ぎ捨て、すぐに衣装を変える。

 無駄とは思うが短杖と、フレディ兄さまの形見であるナイフを背中に収める。これだけでずいぶん心が落ち着く気がした。現金はあまり手元にない。できるだけ換金できそうな貴金属をポーチに放り込み、部屋を出る。


 廊下を速足で進んでいると、わずかに開く扉の隙間から、くぐもった声がもれ聞こえてくる。謁見の間だ。


「どういうことじゃ、何が起こっている!? 小競り合いなどではないのだろう? はよう情報を集めい!」

「それが皆目見当もつかず」

「ええい、さっさと集めんか!」


 聞き耳を立てていると、背後の廊下を一目散にかけてくる一人の衛士。連絡係のようだ。私には目もくれず、謁見の間の扉を開け放つ。


「至急の報告! 先ほど正体不明の軍隊が港を占拠、現在市街地にて交戦中です!」

「なんじゃと!? どこの軍なのだ……!」


 すると間もなく窓の外からは怒号のような雄たけびが次々に聞こえ出した。見ると港の方角からは幾筋もの煙が上がっているのが見て取れる。連絡係の言う通り、すでに戦闘が始まっているようだ。


「お父様!」

「なんじゃエインクラネル、お前はもうここにいてはいかん人間じゃ、誰ぞ、こ奴をつまみ出せ」

 この期に及んで何を言っているのか、お父様は。


 さすがにそのようなことをいちいち実行する人間はいなかったようだ。だがお父様はその様子にさらにいら立ちを増した様子だった。


 情報が集まらない中、時間だけが過ぎていく。騎士団は善戦しているようだが、いかんせん魔法が使えない状況。普段剣や弓などを使った戦闘訓練などほとんど行っていない我々にとっては、かなりの不利が予想された。


「報告! 敵の正体が判明しました!」

「ど、どこの国か!?」

「いえ、……魔族です」

「なん、じゃと」

 お父様は絶句した。


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